49. どっちが幽霊だったのか
■どっちが幽霊だったのか
力二郎・尺八「父上を、追い返してしまったのですか…」
音音「ああ、世四郎さま、許してちょうだい。このままでは安心して黄泉にも旅立てますまいに…」
音音はひたすら涙にかきくれます。しかし、単節はちょっと首をかしげています。
単節「さっき会ったお父様が、幽霊? そうかしら、そうは見えなかったのだけど。実は、私はさっき、こっそり柴小屋にお父様を案内しました。荷物まで預かったのよ。今でもいるはずだから、確認してみようかしら」
心なしか、尺八がギョッとした顔をしました。
単節「みんなで確認しにいきましょうよ」
尺八「だめだ。行くな。そんなところに父上がいるものか」
単節「きっといるわよ。急にどうしたの」
曳手「単節はさっき、お父様から荷物を預かったって言ってたわよね。それも確認してみましょうよ。どこに置いてあるの」
力二郎「やめろ。今確認するようなことじゃない」
曳手「え、確認したってよくない?」
音音「力二郎、尺八、なにをあわてているの。私もぜひ確認しておくべきと思うわよ。曳手、荷物を探して、中を見てみなさい」
明け方を知らせる鐘の音が遠くに鳴り響きました。
力二郎と尺八はこの音を聞くと、互いに顔を見合わせました。「ここまでだな」「ああ」
音音たちは、戸棚を探って荷物を探し当てました。とても固く縛ってあるフロシキを二包みともなんとかほどくと、それらを恐る恐る、同時に開きました。
中から二体の生首が出てきました。
音音・曳手・単節「キャアアッ」
同時に、力二郎と尺八は苦悶の声をあげ、鬼火のような光を残して消えてしまいました。音音たちがあわてて子と夫の名前を呼んでも、もう誰も返事をしません。
それにしても、この首は? 音音たちは、勇気をふるって行灯を近づけてみました。
曳手「ぜんぜん知らない人の首だわ」
単節「お父様が、こんな人たちの首を大事に持ってくるのはおかしいわ」
音音「わたしたちはきっとキツネに化かされたのね。私たちの心の迷いにつけこんで、なんて憎らしいんでしょう」
家の外から、声がしました。「それはキツネの仕業ではないよ」
声の主は矠平です。障子をひらいてみると、矠平が、さっき訪ねてきたときと同じ姿で立っています。
音音「まだ私たちをバカにするのね。キツネめ、殺して皮をはいでやる!」
矠平「まって、やめて。包丁を向けるなコラ」
矠平は自分も仕込み杖を抜いて、手近な柱にコツンと刺してみせました。「ほら、キツネなら、鋭い刀を見れば変身しておられず、正体を見せるはずだろう。私は人間だってば」
音音はまだ半信半疑です。
音音「じゃあ… あなたが持ってきたという、あの首は何なんです。また、あなたは戸田川に沈んだと聞きましたが、無事なのはどうしてなんです。あの子たちが突然消えたのはなぜなんです。キツネじゃないなら、答えてみなさいよ」
矠平「急にたくさん聞かれても、一度には答えられない。まず、私が持ってきた荷物はそれじゃないよ。似たようなものが、戸棚にまだあるんじゃないか」
曳手と単節があわてて家の中を探してみると、少し違う場所に、同じようにふた包みのフロシキを結びつけたものが見つかりました。
矠平「うん、こっちが私が運んできた荷物だ」
単節「お父様から預かった荷物は、確かにさっきの戸棚に置いたはずだったけど…」
矠平「ふーん、変だな」
矠平はちょっと考え込みます。
矠平「ああ、やっと分かった。私と道節さまの荷物が入れ替わってしまったのだ。さっき、塚の近くを通ったときに、ある人が何かを捧げて祈っている姿を見たんだ。あれは今考えればやっぱり道節さまで、お前たちがさっき見たものは、道節さまが討った敵の首級だ。あのあと、謎の男とケンカしていたので、私はあの人が誰かを確かめるためにも、それを止めに入ったのだが、そのときのゴタゴタで、持っていた荷物を取り違えたんだろう」
矠平「道節さまがここに帰ってきて、荷物を置いていったことは知っている。また、犬川荘助どのと好を結んだことも知っている。みんなこっそり聞いていたよ。(音音が怖くて、堂々とは出て行けなかったけど)」
矠平「まあそれはともかく、その荷物を開いて見てくれ。そうすれば、力二郎たちのことも説明がつけられる…」
三人の女は、いやな予感を感じつつ、フロシキを開きました。
中から、力二郎と尺八の生首があらわれました。
このときの三人の悲しみようは、とても書き表せるものではありません。(馬琴センセイは書いているので、原文を探して読んでみるのもいいですね)
矠平「力二郎も尺八も、戸田川での戦いで死んだのだ。陣代の軍を足止めするために勇敢に戦って、大将を討ち、そのあと鉄砲隊に撃たれて死んだ。私も舟を壊したときにおぼれて死んだ…と思ったのだが、さんざん鍛えたこの泳ぎの技術が無意識に発動してしまうらしく、私は気がつくと下流の岸に死なずに流れ着いていた」
矠平「あのあと、私は二人を探した。力二郎と尺八の死体はなかなか見つけられなかったのだが、後日、あいつらは、『こいつらは犬塚信乃と犬川荘助です』っていうカンバンをかけられて、刑のあった庚申塚に首を晒されていた。当局の恥を隠そうとした役人のしわざだ。私は夜中にそれを盗んで、追ってきた見張りを数人殺し、そしてやっとここまで逃げてきたのだ」
矠平「ふたりの忠義を道節さまに知らせたかったのだ。いや、なにより音音にだけは、あいつら二人の最後を聞かせてやらなければと思ったんだ」
矠平「つまり、さっきお前たちが会った力二郎と尺八は、あいつらの幽霊だ。母と嫁を一言なぐさめてからこの世を去ろうとしたのだな… 私もその場に加わりたかったが、あいつらの首を持って入っていったら幽霊なことがバレてしまうじゃないか。障子の向こうで聞いているしかなかった」
矠平「さっき明け方の鐘がなったとき、ここから、ふたつの鬼火が出て行くのが見えたよ。私ひとりだけ平気な顔をしていると思うなよ。お前たちの何倍もつらいのだ…」
曳手と単節は、思いつめた顔をしています。
曳手・単節「私たちは今まで待ったわ。すごく待ったの。そして、夫に会えたのは、ほんの一瞬きりだなんて。もうこの世に楽しみは何も残っていません。あの世がもしもあるのなら、早くそこへ行きたいわ。きっとそこには夫もいる…」
そうして、矠平の仕込み杖を引ったくろうとしました。
矠平「こらっ、何する」
音音「あなたたち、なんのつもり」
曳手・単節「死なせてください」
音音「バカなことを言うんじゃありません、あの人たちがそんなことを喜ぶと思いますか」
矠平「お前たち、力二郎と尺八が運んできたトランクの中ををまだ見ていないだろう。あの中身を確認してみてから考えてもいいんじゃないのか」
曳手・単節「あっ、忘れていた。夫の形見!」
幽霊のくせに、彼らが持ってきた行李は変わらず家の中に置いてありました。曳手たちがそれを開けると、ボロボロになった鎧が入っていました。鉄砲で撃たれたとおぼしい傷もあります。音音たちは、これを見ると涙で胸がつかえました。
矠平「これは、自分たちの忠義を受けついで生きなさいという、力二郎たちからのメッセージに見えるぞ」
曳手・単節「…わかりました…」
矠平「わかればよい。今から死ぬのは、私のほうなのだ。みんな、さらば!」
矠平がやすやすと自分の腹を切ろうとするのを、今度は音音と嫁たちが飛びついて止めました。「やめて、やめて」
矠平「私がやるべきことは終わった。あとは、主君を追って腹を切ることだけだ。武士なんだから当たり前だろう。手を放しなさい」
音音「そ、そうね。でも、道節さまに何も報告しないで死ぬのはだめよね」
矠平「あっ、そうか。慌ててとんだ不忠をおかすところだった。サンキュー…」
こんな感じで、誰が死ぬ、誰が死なない、などとワーワーやっているところに、障子をパシンと音をたてて開いた者たちがいます。
根五平「話はみんな聞いたぞ! お前ら、犬山道節をかくまった罪で、全員逮捕だ」
音音「誰でしたっけ?」
根五平「こら、さっき指名手配のお触れを伝えにきただろうが。ここの家はもともと怪しいと思っていたんだ。だからずっと、縁の下にもぐって偵察していたんだ。ビンゴだったな!」