60. 庚申山のダンジョン
■庚申山のダンジョン
茶店の主人モズ平の話の中で、庚申山のオバケが云々という部分は現八には興味が湧きませんでしたが、犬村角太郎という男のウワサのほうはとても気になりました。
現八「へえ、世の中には気の毒な男がいるものだなあ。父に嫌われ、財産を失って、嫁さんと離婚する羽目にまでなるなんて」
その話のお礼というわけではないですが、一応、モズ平の薦めに従い、弓をひとつと矢を二本買って、旅に戻ることにしました。
モズ平「今から出て行くんですか? 夜の庚申山はとりわけヤバいです。せめて一晩ここに泊まっては…」
現八「忠告ありがとう。でもオレは大丈夫だよ」
モズ平「そこまで言うなら止めませんが、できるだけ急いで行くんですよ」
現八は、オバケの話は、内心ではちっとも信じていません。「まあ、どこにでもあるもんだよ、こういう民間伝承みたいなのはさ」
こんなわけで、現八は出発し、やがて庚申山のふもとを通り過ぎようとしたのですが、道は予想にまして坂がちで、峠のあたりでは全く道がわからないほど暗くなってしまいました。妙な寒気もします。
現八「この暗さでは、ちょっとこれ以上進めそうにないぞ。弱ったな… 行くにも戻るにも、ここからだとどっちの村までも同じくらいの遠さか。しまったな、店主の言うことを聞いておけばよかったな」
かすかな明かりを頼りに辛うじて周りの様子をうかがうことができるのですが、どうも、岩でできた巨大な門が自分の横に立ちはだかっているようです。
現八「これがたぶん、モズ平さんの言っていた『胎内くぐり』という場所だ。別にこっち方向に行くわけじゃないが、なんとも気味が悪いところだな。でも、動きがとれないんじゃ仕方ない。ここで朝まで座って待つか…」
そうして座って、黙って過ごしました。現八はひたすらに朝が来るのを待ち遠しく思いますが、そんなときに限って、なかなか夜は明けません。星を見上げると、丑三つ時ほどと思われました。ふと現八は、道の向こうでホタルの光のようなものがチラつくのに気づきました。
その光は、現八が向かおうとする村の方向から現れ、こちらに向かって近づいてきます。鬼火のような光が、明るくなりながら、チラチラ、チラチラ。現八は用心のために木の後ろに隠れました。
やがて、光は間近に迫りました。今ではタイマツのように明るいその光の発生源は、妖怪のふたつの眼でした。体は人間とそれほど変わりませんが、その顔は虎のようです。真っ赤な口は左右の耳まで裂けて、そこから真っ白な、剣のような牙が突き出ています。柳の枝のようなヒゲが何千本と風に戦いでいます。乗っている馬は、苔のむした枯れ木のようです。また、二人の従者を連れていますが、ひとりは真っ青、ひとりは真っ赤な顔をしています。一行は、ガヤガヤとしゃべったり、時々高笑いしたりしています。どうやら、今からこの『胎内くぐり』の奥に向かおうとする様子です。
現八はこの世ならぬものを目撃して言いしれぬ恐怖を感じましたが、やがて敵の全容を見極めて、冷静に戻りました。「なるほど、あいつが、妖怪の王ってところかな。あいつだけを倒せば、他のやつらは散り散りになるのでは…」
先手必勝です。現八は木の上にスルスルと音をたてずに登りました。以前、許我の芳流閣でも見せた軽業です。そうして弓をひきしぼると、狙いを定めて、例の妖怪王の目を射ました。
「ぎゃあっ」
予想もしない攻撃を受けて、妖怪王は防ぐ間もなく左の眼を深く傷つけられました。矢は竹製で、射抜くまでには至りませんでしたが、ダメージは十分だったようで、馬からどっと落ちました。二人の従者は、ボスをあわてて抱き上げると、馬をひきつれて、来た道を逃げ戻っていきました。
現八「フー、とりあえず追い払ったな。柔らかそうな目玉を狙ったのは正解だった。しかし、あれで死んだとは思えない。きっと、軍勢をつれて仕返しに来るだろう。もしそうなら、ここにいるのは危険だ。ブキミではあるが、山の中に入って、敵の拠点をもうすこし探っておこう」
現八はこう考えると、「胎内くぐり」を超えて、庚申山の内部に潜入しました。胎内くぐりの向こうに出ると、星の光が強く感じられ、まわりは若干見やすくなっていました。さきにモズ平は現八に「庚申山ダンジョン攻略マップ」を見せてくれていましたので、奇怪な景観のこの山の中でも、現八は恐れずに先に進んでゆくことができました。そしてやがて、「奥の院」につづく十三間(25メートルくらい)の細い石橋を渡りました。
そこから先に行くと、岩窟がたくさんあり、その中のひとつに明かりがともっていました。中にはひとりの男がいて、焚き火をしています。
現八「今度はどんな化け物だ」
現八は、残り一本の矢を弓につがえて構えました。
男「勇士よ、怪しまないでくれ。私は妖怪ではない。さっきお前は、私のカタキに傷を負わせてくれた。それの礼を言いたくて、ここで待っていたのだ。ここに来て、火にあたっていけ。寒いだろう」
現八「妖怪でなければ、何だ。どうしてこんなところにいる。やはりアヤシイ」
男「話せば長い。どうかまず近くに来てくれ」
現八「ふん、じゃあ行ってやらあ。俺は刀だって持ってるんだからな、忘れるなよ」
現八は、弓をカラリと足元に捨てると、男のいる岩窟に近づきました。男はボロボロの服をまとい、ゲッソリと痩せています。
男「あんまり近くには寄りすぎないでくれ」
現八「近づいていいのかダメなのか、どっちなんだ」
男「ちょうどいい近さに来てくれ。お前が持っている『玉』のオーラは、今の私にはちょっとキツイ」
現八「ふーん。じゃあこんな近さでいいか。さあ、お前が何者なのかちゃんと話せ」
男「私は、赤岩一角武遠…と呼ばれていた男の、亡霊だ」
現八「赤岩一角? 亡霊? お前のウワサはたまたまさっき聞いたぞ。だが、死んだとは聞いてない」
男「17年前、私は武芸に優れていることをいささか誇り、ちょっとイイカッコをするためにこの山に探検に来た」
現八「うん、そして生還した…と聞いた」
男「違うんだ。私はここまでは来たのだが、強い砂嵐にあい、油断したところを化け猫に食い殺されてしまった。応戦はしたのだが、ヤツの前足に切り傷をつけることしかできなかった。それが、さっきお前が弓で射た、あの怪物だ」
現八「あれは化け猫だったのか」
男「ヤツは馬に乗り、従者を連れていたはずだ。あの馬は、この山に昔からいる木の精霊。従者は、山の神と土地の神だ。あの妖怪に無理に服従させられている」
現八「なるほど。無理に従っているから、俺に反撃をしなかったんだな」
男「それはともかく、ヤツは私を食い尽くすと、着ていた服や靴を身につけ、私になりかわって村に戻っていった」
現八「何のため?」
男「私の妻、窓井の美しさが気に入ったからだ」
現八「うわ…」
男「ヤツは赤岩一角になりすまし、妻を犯し、子を産ませた。これが牙二郎だ。窓井は妖怪の精気に健康をむしばまれ、子を産むとやがて死んでしまった。その後も何人もの妻をめとったが、みなヤツの毒気におかされて早死にしてしまうか、逃げたと称して実は密かに食い殺されたりしていた」
現八「とんでもない妖怪だ」
男「船虫という女だけは、なぜかあの妖怪とうまくやれているようだが。人間なはずなのに、すごいな。あの女自身も、性根がかなり妖怪に近いんだろう。それにしても、私の息子角太郎はとんでもない継母を持つことになって、かわいそうで仕方がない」
現八「なるほど、それで、そのニセ一角は角太郎を嫌ったんだな」
男「そうだ。嫌うどころか、食い殺そうとまでしていた。しかし、角太郎は不思議な守りの玉を持っており、これのおかげで不思議と殺すことだけはできなかった。伯父の犬村儀清が角太郎を養子として引き取ったのも、こういう危険があるのを察知したからだ。嫁の雛衣は、儀清自身の娘だ」
現八「角太郎は嫁の雛衣を離縁したと聞いたが、どうしてなんだ」
男「雛衣が浮気をして妊娠した、と、船虫に言い立てられたからだ。そんな事実はないはずなのだが、このせいで嫁は放逐され、角太郎自身も、何も持たずに一角たちの家から放り出された。(このころは不幸にも儀清は病死しており、角太郎夫婦はニセ一角の家に同居していたのだ)」
現八「ひでえ」
男「勇士よ、たのむ。わが息子にこの真実を教えて、そして父のカタキを討たせてやってくれ」
事情は大体わかりました。しかし現八には若干の疑問が残っています。
現八「お前が幽霊ならさあ、奥さんとか、角太郎の枕元に立って、今の話を教えてあげたらよかったんじゃないのか。そしたら角太郎はニセ一角を倒すだろう」
男「もちろんそれも考えた。だがニセ一角の変装はカンペキなので、幽霊が何を言っても、簡単には信じないだろう。それどころか、変に疑心暗鬼にさせてしまうと、敵に感づかれて却って危険だ」
男「私には感じられるのだが、お前は角太郎と非常に強い縁がある。お前なら、きっとうまくやって、角太郎に真実を悟らせることができるだろう」
現八「その『縁』は、俺としても心当たりがある。名前が『犬村』で、『玉』を持っているんだろ。それはきっと、俺が探している犬士のひとりってことだ。しかし、それにしたって、俺に何ができる」
男「まず角太郎と自然に友情をむすび、親しんでくれ。そして、あとは時が来るのを待て。必ずベストタイミングがある。うかつなタイミングでこの話を明かしても、角太郎は絶対に信じない。驚くほどの親孝行なのだ。今のニセ一角のことでさえ、ちょっとやそっとでは疑おうとしないだろう」
現八「で、時とやらが来たら、どうする」
男「この証拠を見せてやってくれ」
男の幽霊は、ひとふりの短刀と、シャレコウベを現八に渡しました。
男「この短刀は、あの妖怪に傷を負わせたものだ。すでにボロボロだが、角太郎ならこれが父のものと見分けてくれるはずだ。また、この頭蓋骨は私のものなのだが、角太郎の血をこれに垂らしてみれば、固まってぴったりくっつくことだろう」
現八「なるほど、わかった」
男「たのむ。そして、くれぐれも、タイミングを間違えないでくれよ」
現八「タイミングねえ…」
男「タイミングを誤れば、早く敵に感づかれてしまい、計画は失敗するだろう」
現八「どうも、お前は、何が起こるのか予想している感じがするんだが」
男「こちらの世に来ると、いろいろと見えるものなのだ。しかし、これもまた我々のルールなのだが、天運はネタバレ禁止ともいう。あからさまにお前に告げることはできないんだ」
現八「わかったよ、ともかくやってみよう」
男は、ここから出て『胎内くぐり』に戻るための近道を現八に教えると、「あとは頼む」と言い残し、かき消えてしまいました。