63. 柔軟な犬飼現八
■柔軟な犬飼現八
犬飼現八は、角太郎の庵を飛び出すと、その日の暮れるころには赤岩一角の道場に着きました。
現八「さて、どうやって潜入したらいいのかな。柔軟にやりたいもんだ。騒ぎにせず、穏便にね…」
現八は、道場の周りを歩いて観察したり、誰か中の人が出てきたりしないか様子をみたりしました。中からは、えい、やあ、などと道場らしい掛け声が聞こえます。
そこにひとりの武士が、五、六人の手下を従えてやってきました。もじゃもじゃのヒゲをたくわえ、立派な旅装をした40歳くらいの男です。男はここの客らしく、迎えの人たちに案内されて正門からノシノシと中に入っていきましたが、みんな現八のことは無視しました。
この男は、前にも出てきたことのある、籠山逸東太縁連です。犬阪毛野のカタキにあたる男でもありますね。
縁連は、千葉家に仕えていたころ、粟飯原首胤度を殺したものの、尺八のあらし山と名刀落葉・小笹を失い、そのまま逃亡してしまいました。その後、放浪ののち、ここの赤岩道場に流れ着いて一角の弟子になったのでした。
縁連の武芸はこの道場で上達し、やがて弟子頭にまでなりました。そして、ここから推薦されて、山内家の内管領である長尾景春に仕官して越後に行くことになったのです。本当は景春は赤岩一角を臣下に持ちたかったのですが、一角は仕官なんてめんどくさいことをしたくないので、そこそこ強い縁連を代わりにあてて、どっさり紹介料だけをもらったというわけです。
さて、主の一角は縁連に面会しました。
一角「久しぶりじゃないか。元気かな」
縁連「一角先生こそお元気そうで… いや、目にケガでもされましたか」
一角「うん、ちょっとな。それはともかく、はるばるこんな所に来るくらいだ、何か用があるんじゃないのか」
縁連「はい、実は、先生に目利きをしていただきたい品がありまして」
縁連の主君である長尾景春は血気さかんな人物で、ちょっと前に反乱を起こして関東管領から独立してしまいました。今は上毛の白井に城を建ててそこに住んでいます。そこで井戸を掘ったときに、ひとふりの短刀を見つけた、ということでした。鞘も柄もマタタビの木で作られている珍しいものであり、誰もこれがどういう刀か判別できませんでした。これは村雨の刀じゃないかという人もいます。
縁連「先生ならこの刀を鑑定できるかと思いまして…」
一角「なるほど。村雨だとすれば、その刃から水気が立ち上ることで判断できるであろう。さっそく見せてくれ」
縁連「これでございます」
縁連は、持ってきた二重の箱のヒモを解き、フタをあけました。その瞬間、箱の中から白い煙が立ち上り、一角の方向にフワっとなびいて消えたのですが、縁連は気づきません。
縁連「あれっ、ない。カラッポだ」
一角「ほほう?」
縁連「だれか供のやつらが盗ったのかな。くそっ、今から全員張り倒して調べてきます」
一角「いやいや待て、供が取ったのなら、そいつはここまで着いてくるはずがないじゃないか」
縁連「それもそうです。どうしよう、刀なくして、ボスにメッチャ怒られます…」
一角「じゃあこうしなさい。一角は病気で寝込んでいた、だから病気が治ったら刀の鑑定をする約束をして、預けて帰ってきた。こんな感じの報告をしたらどうだ。その後じっくり探せばいいさ」
縁連「さすがは先生! そうします」
一角「だから今晩は、ゆっくりメシ食って、酒でも飲んでけ」
こうして縁連は丸め込まれ、座敷で宴会がはじまりました。牙二郎や船虫、ほかの内弟子たちも参加して、ご馳走と酒が飽くほど並べられ、宴会はおおいに盛り上がりました。
牙二郎「縁連おじさん、越後には強い奴らがたくさんいるかい」
縁連「それほど見たわけじゃないが、まあ大したことはない。ここの一角先生の小指ほどにできる奴もいないさ」
こんな雑談をしているうちに、縁連はさっき門の前で見かけた男のことを思い出しました。
縁連「そうだ、さっき、ここの門の前に、武者修行っぽいやつが一人つっ立っていたぞ。なあ、まだいるようなら、ちょっとここに呼んで、腕を試してみないか」
内弟子たち「おお、それは面白そうだ」
犬飼現八は、まだ門の前で右往左往していました。「どうやって中に入れてもらったらいいかな。宿をとりそびれてしまって… とか、そんな風に切り出せばいいかな。柔軟にやりたいんだが、オレの頭は思ったほど柔軟じゃないな。うーん」
そこに月蓑団吾が提灯を下げて出てきました。「おぬしはここで何をされておる。どこの方かな」
現八「いや、宿を取りそびれてしまって、途方に暮れていたのでござる。それがし、下総の浪人で犬飼現八と申す」
団吾「それは気の毒に。主に許しを得てくるゆえ、しばらく小座敷のほうで待たれよ」
団吾は現八を離れた部屋に案内すると、宴会場にもどっていって浪人の素性を皆に報告しました。船虫と牙二郎が、角太郎夫婦の悪口で盛り上がっているところでした。
一角「下総の犬飼現八… 聞いたことがある名前だぞ。ああ、二蓋松山城介の教え子だ。思い出した。二蓋松は、(オレより格下だけど)けっこうな達人だ。油断はしないほうがいいぞ、おまえら。よしよし、ではここに呼んでこい」
現八は一角のもとに呼ばれました。船虫は隠れました。
現八「これはご主人、今夜は泊めていただいてありがとうございます」
一角「よいよい。せっかくだから、ここにいるツワモノたちとも仲良くしてってやってくれ。酒をつごう」
現八「これはかたじけない」
現八は宴会に参加し、それぞれ牙二郎、縁連と内弟子たちを紹介されました。みんな酔っており、自分の強さを調子に乗ってひけらかそうとしています。
東太・潑太郎「犬飼どの、おぬしは何しにここらを放浪しているんだい」
牙二郎「武者修行だよね、そうに決まってる」
縁連「一見してわかるぞ。強そうだもんな」
団吾・飛伴太「ぜひこんな達人に教えを受けたいものだな」
現八「武者修行なんてとんでもないですよ。みなさんに敵うはずがありません、ご勘弁を(にこにこ)」
みんな「そんなご謙遜を。ぜひ、ひと勝負!」
一角「犬飼どの、こいつらのビッグマウスをどうか許してやってくれ。しかしお主の武芸が尋常でないことはこの私にもわかる。せめて彼らにちょっとだけ稽古をつけてやってくれないか。私は今こんな目(キズを指して)で不自由なのだ。私の代わりにも」
現八「ははあ、そこまで主に頼まれては、断る道はなさそうですな。自信はないですが、やってみましょう…」
飛伴太「そうこなくては。早速オレとやろう。ここの木刀から何でも選びな」
現八「じゃあ、この一番短いやつで」
飛伴太は長い木刀を取りました。ふたりは練習エリアに入って、おたがい構えました。やがて飛伴太はヤッと叫ぶと攻撃を始めました。現八はそれを二、三回受け止めてあとずさりしました。
現八「柔軟にやるつもりが、どうも変なことになったな。まあ、あくまで軽くやるだけ…」
現八は飛伴太の攻撃をかわしてから間合いに飛び込み、眉間…は悪いので、肩先をパカッと叩きました。飛伴太は倒れてのたうちまわりました。
東太「次はオレだ。参る!」
東太の振り下ろす硬い赤樫の木刀を現八は六、七回うけとめると、今度は手元をペチッと叩きました。東太はたまらず刀を落としましたので、現八は襟を左手でつかんで引き寄せると、柔術で投げ飛ばしました。
現八「よっこいしょ!(柔軟に)」
東太は床に体を打ち付けられて気絶しました。
団吾・潑太郎「てめえ!」
団吾と潑太郎が、二人がかりで現八に襲いかかりました。両側からの、隙間もないほどの連続攻撃を、現八は「ホイ、ホイ、ホイ…」とすべて受け止めたり避けたりします。このまま勝負がつかないのでは、と思われるほど長い時間が過ぎましたが、
現八「ホイホイ!」
現八は疲れきった潑太郎のあばらを蹴り飛ばし、そしてその勢いで団吾に腰払いを食わせました。ふたりはそれぞれ、足を中空に投げ出して倒れました。
縁連が、顔中に青筋を立てて怒っています。「あっぱれだ犬飼。今度は真剣で勝負しようや。負けて恥をかくよりは、死ぬのが武士の覚悟だ」
現八「(にこにこ)オレはこの木刀のままでいい」
縁連が刀を抜こうとするヒジを現八はすかさず押さえつけて、相撲の勝負に持ち込みました。縁連は刀を捨てて組み合いました。縁連も怪力には自信があり、知る限りの秘法を尽くして現八を倒そうとしますが、柔軟にすべて受けきられてしまいました。やがて縁連も疲れきりました。
現八「ナイスファイト」
現八は柱を引っこ抜くように縁連を持ち上げ、どう、とぶっ倒しました。「大丈夫ですか、どこもケガはしませんでしたか(にこにこ)」
現八「みなさん、たいへんお強うございました。勝負は時の運ですから、たまたま負けても恨まないでね」
怒りに燃えて現八に飛びかかろうとする牙二郎を、赤岩一角は手で制しました。
一角「見事だった犬飼どの。皆、負けてみずからの慢心を悔いたであろうよ。さあさあみんな、恨みっこなしだ。飲みなおそう」
現八「(柔軟にやれてる…かな?)」