66. 犬村角太郎の敵討ち
■犬村角太郎の敵討ち
17年間も赤岩一角のフリをしていた化け猫が、雛衣の体から飛び出した『玉』に当たって倒れました。そして、犬飼現八が犬村角太郎の血を吸ったドクロを見せたことで、角太郎は長年化け猫に騙され続けていたことに気づきました。
角太郎「犬飼どの、私の迷いを晴らしてくれてありがとう。昨日、雑談にまぎれてドクロが子の血を吸う話をしてくれたのは、あらかじめ私が納得しやすくするための周到な準備だったのですね。なんというすごい人だ。それに比べて、私の愚かなことよ… ああ、雛衣!」
現八「それについて話したいことは色々あるが… まだ化け猫は死にきっていないぞ。とどめを刺すんだ」
角太郎「私もそうすべきと思うんだが、どうも父上の姿をしていては… 化け猫ってのは、半死になって24時間たつと元の姿に戻るというから、せめてそれまで待ってからにしたい。それよりも、雛衣! まだ私の声が聞こえるか」
雛衣は、急所を切ったために息も絶え絶えですが、かろうじて意識があります。「ああ、そこにいるのは、角太郎さま、そして犬飼さま」
角太郎「雛衣よ、お前の腹から例の『玉』が飛び出して、長年の敵を倒したぞ。妊娠なんかではなかったのだ。安心しろ」
雛衣「はい、さっきの話は聞こえていました… 夫のために役に立って死ねること、悔いはありません…」
そうして雛衣は息絶えました。
角太郎は、悲しみで体の力が抜けて立ち上がれません。「雛衣…」
牙二郎は、まだ完全に息絶えてはいません。よろよろと立ち上がると、胸に刺さった手裏剣を抜き取って現八に投げつけました。現八はこれを刀の柄でキンとはじきながら、
現八「犬村どの、まだ牙二郎は生きているぞ!」
角太郎の目の色が変わりました。
角太郎「…お前の母はわたしの継母だが、父は人非人の妖怪だ。さっき私をケダモノと言ったな。お前こそがケダモノだったではないか。生かしてはおかん」
牙二郎はもはや見境なく刀を振り回していますが、角太郎はその正面に立って刀をはじき飛ばすと、真一文字に首をはね飛ばしました。それをきっかけにして、赤岩一角の恰好をしていた妖怪もまたその正体をあらわしはじめました。激しく輝く目玉、枯野のススキのように密生した鋭いヒゲ、そして血のように赤い、耳まで裂けた口。化け物のうめき声が、家じゅうを震わせました。
角太郎はこの姿を見てもまったくひるまず、隙を探して刀を構えます。
化け猫「雛衣の腹に玉が入っているとは気づかず、ぬかったわ。今まで弟子たちにかしづかれて楽しく暮らしておったのもこれまでか。角太郎め、わが息子、牙二郎を殺したな。ズタズタに引き裂いて血をすすってくれるぞ。また、犬飼現八よ、前の晩に俺の左目を射たのはお前だったのか。お前も同様だ。覚悟せよ!」
現八「ハッ、いまさら気づいたのかよ。それならオレの武芸の冴えも知ってるだろう。覚悟するのはお前のほうだ」
角太郎「今までの悪事を天の網は漏らさないということだ。さあ、かかってこい」
化け猫はたけり狂って部屋中を飛び回りながら二人を攻撃します。二人はそれらをすべて刀で受け止め、全くスキはありません。化け猫は攻撃に見せかけながら、次は窓から逃げようとしました。
現八「逃がさねえよ」
現八の刀はあやまたずに化け猫の腰の関節を切り離しました。角太郎は、床に落ちてころがった化け猫のマウントポジションを取ると、刀を逆に握りなおして、完全に絶命するまでノドを何度も刺し貫きました。最後に、父の亡霊から受け取った、サビだらけの短刀を使って首を切り離しました。その切り口から、さっき雛衣から飛び出して体に埋まっていた「玉」がこぼれ出ました。
角太郎「雛衣、父上、カタキは討ちました…」
現八「あっ、船虫がいない。逃げたんだ。さっきは気絶したフリをしていたのか」
船虫は、さっきの乱闘中にこっそり起き上がって庵から逃げ出していたのです。
二人がこれを追って外に飛び出そうとすると、庵の外で「まてまて、船虫は捕まえてここに連れている」という声がしました。声の主は籠山逸東太連縁です。
連縁「さっき一角さまに道場に帰っているように言われたのが納得いかず、実はさっきからこっそりここの様子を見ていたのだ。化け猫の化けたニセモノに今までヘイコラしていたとは、恥ずかしい。罪滅ぼしというほどでもないのだが、家から逃げ出してきた船虫をこうして捕まえた次第だ」
船虫は縛り上げられてすっかりしょぼくれています。
連縁「犬村どの、さっきは罵ってすまなかった。犬飼どのを泥棒に仕立てようとしたこともすまなかった。あのマタタビの刀は、化け猫がオレから盗んで食っていたのだな。サヤがなくなってしまったのでは、これを主君のところに持って帰っても罰は免れない。せめてこの船虫を曳いて帰って今までの事情を説明し、殿に許しを請いたいと思う。お二人よ、許してくれるだろうか」
現八「どうする、犬村どの」
角太郎「犬飼どのこそ、どうされる。どちらかというと籠山はそなたのカタキだ」
現八「オレはこんな男どうでもいいよ。船虫は犬村どのと雛衣さんのカタキだろう」
角太郎「確かにそうだが、しょせん船虫はあの化け猫にこびるために今までのようなことをしていたに過ぎない。籠山に連れて帰ってもらって、そこでしかるべく裁かれれば十分だ」
現八「まあ、そうかもな。おい、船虫、聞きたいことがいくつかあるぞ。答えろ」
船虫「はい…」
現八「あのニセ一角が妖怪だと知っていたか」
船虫「知りませんでした…」
現八「まあ、そうだよな。昨日、自殺しようとしていた雛衣を止め、犬村どのと復縁させたのはどういう理由だ。恩を着せて、あとで胎児を奪うためか」
船虫「そうです。夫は、潰れた目を治すには、長く土に埋めたマタタビと、胎児と、その母の生き血が必要だと私に言いました。たまたまマタタビが手に入ったので、あとはなんとかして雛衣の胎児を奪いたかったのです。今回のたくらみは、夫に要求されて手伝ったのです」
現八「よくそんな残酷なたくらみを手伝う気になったもんだ。お前も相当に妖怪だよ」
船虫「…」
角太郎「さあ、ここまで聞けばもういいです。籠山に船虫をあずけて逃がそうと思いますが、一応今回のことは付近の村長たちに証人になってもらいたい。今から呼びましょう」
???「ああ、村長たちなら、今私たちが声をかけてきたから、もう来るだろう」
現八「誰だ?」
見ると、一角の内弟子、月蓑団子と八党東太でした。
現八「むむっ、お前ら、まだオレを狙って」
団子・東太「いやいや違う。俺たちの正体は、庚申山に住む、土地の神と山の神だ。あの化け猫の召使にされていたんだが、お前たちがそれを救ってくれた。礼を言いにきたんだ」
現八「ふーん、そうだったのか。残りの二人は? 確か、玉坂と仡足だったか…」
団子・東太「あの二人は、化け猫の眷属である、貂と猯だよ。あれらは根っからの悪い妖怪だ。深手を負いながら逃げようとしていたので、我々がとどめを刺して、首をとった。ほら、これだ。(ゴロン)では、我々は失礼する…」
二人の内弟子たちは、持ってきたふたつの獣の首を置くと、雲のたなびいたような姿になってどこかに飛び去りました。
やがて村長たちが到着しました。現八と角太郎から今回の事件の全貌を聞かされ、また化け猫たちの死体を見せられると、話の陰惨さに震え上がり、また二人の豪傑の勇敢さに舌を巻いて驚きました。
村長「うむ、我々が敬ってきた赤岩一角どのが、17年前から化け猫だったとは… 恥ずかしいかぎりじゃ。あそこに弟子に行っていた男たちもたくさんいるからのう… ともかく、よいじゃろう。籠山には、船虫もろとも里を去ってもらおう」
こんなわけで、籠山たちは去っていきました。読者の中には、籠山逸東太が犬阪毛野のカタキであることを憶えている人もいるでしょう。「あーあー、そいつ逃がしちゃだめなんだってば」という声が聞こえてきそうです。しかしこの時点では誰もそんなこと知らないのだから、仕方がないですね。
雛衣の遺体は、犬村の墓に、一角のドクロとともに埋葬されました。
化け猫の死体は、灰になるまで焼かれて土に埋められ、そこは猫塚と名づけられました。それ以来、そこの周辺十里以内は、ネズミが出ないようになったということです。