84. 道節、演出を間違える
■道節、演出を間違える
泥棒(現八と大角)を捕まえた祝いに、その晩は宴会になりました。氷垣残三夏行が手下たちをねぎらったのです。
現八たちが閉じ込められているのは庭を挟んだ別棟で、宴会の間、そこには夢介と壁蔵という男たちが見張りにつけられました。
宴会もたけなわなころ、氷垣の娘である重戸は、この二人の様子をねぎらいに来ました。「お疲れ様、ふたりとも」
夢介「ああ重戸さん、ありがとうございます」
重戸「ふたりとも、お酒が飲めないからって、こんな仕事させられてかわいそうね。お腹が減ったでしょ。台所に行って、夕飯を食べていらっしゃいよ。その間は私が見張っててあげるから。父上には内緒でね」
夢介と壁蔵は、「重戸さん、やさしい!」と感激して、さっそく台所を目指して駆けていきました。それを見届けてから、重戸は別にこしらえておいたフロシキ包みを引きずり出してくると、合い鍵を使って素早く部屋に忍び込みました。
重戸「さあ、時間がありません。おふたりとも、すぐに逃げてください(現八と大角の縄をほどきながら)」
大角「あなたは私たちの無罪をわかってくれるのですね。しかし、こんな危険なことをしないでください。私たちにとっても、ちゃんと主人たちの誤解を解いてから出ていきたい」
重戸「父上の様子を見たでしょう。このままでは、誤解を解くのは無理よ。さらに、わたしの夫である余之七さまも、父に劣らず激しい性格なんですの。きっと問答無用であなたたちを殺すわ。ですから、今できることは、逃げることだけ。ここに、あなたたちの荷物を持ってきましたから」
現八「しかし、誤解されたままでは…」
重戸「真犯人を見つければよいのです。それを捕まえていらっしゃれば、父も、夫も、あなたたちへの誤解を解いてくれるでしょう。あなたたちならできると信じています」
現八「なるほど、ならばそうしましょう。しかし、それまでの間、あなたは私たちを逃がしたということで罰をうけませんか」
重戸「あなたたちに不意をつかれて襲われたということにします。この建物の壁は壊れやすいですから、棒を使って穴をあけてください。そこから抜け出して、見張りの私を襲ったということにしましょう。あとはうまくやりますから、裏の垣根を越えて逃げて。急いで!」
二人は、重戸に礼を言うと、壁に適当な穴をあけ、荷物を持って、言われるままに逃げました。重戸は髪をくしゃくしゃに乱して、庭に倒れたフリをし、発見されるのを待ちました。父や夫をだますのはつらいですが、必ずこれがいい結果をもたらすと信じて、神仏に祈りながら。
こうして、大角と現八は、無事に屋敷を離れることができました。しかし、二人の思いはひとつ、「真犯人をはやく見つけ出して、重戸の決死の親切に報いること」です。
大角「今夜は千住に宿をとって、どうやって泥棒を見つけるか考えましょう」
現八「そうだな。じゃあ、さしあたりは、千住川を渡らなくちゃいけない」
夜の千住川は、何か夜に営業していけない決まりでもあるのか、渡し船がちっとも見つかりません。急がないと、氷垣の追手が来てしまうかもしれませんから、現八たちは焦って船を探します。やがて、一艘だけ舟が見つかりました。苫の屋根をもったやつで、岸からハンパに離れた場所にプカプカ浮かんでいます。
現八「おおい、舟をよせてくれ。向こうに渡してくれ」
舟からなんの返事もありません。
現八「なんだ、無人なのか? まあいいや、俺が岸からあそこに飛び乗って、そうしてこっちに漕ぎつけるから、そうしたら大角も乗ってくれ」
大角「わかりました」
こうして現八がヒラリと舟に飛び乗ると、屋根の下から二人の男が突然飛び出して、現八の両手をガッシリとつかみました。
現八「なんだキサマら」
現八は捕物の名人ですから、この程度ではひるみません。足を踏ん張って、手を振りほどいて二人の敵と同時に戦います。舟は揺れ、水がバシャバシャと鳴りました。
雲の切れ目から、月光が差しました。現八は今戦っている相手の顔に気づきます。また、二人の敵も、現八の顔を確かめたようでした。
現八「信乃! こっちは道節!」
信乃・道節「なんと、現八じゃないか!」
舟に乗っていたのは、なんと、犬塚信乃と犬山道節だったのです。現八「久しぶりだな義兄弟! どうしてこんなところにいるんだい」
道節「いや、お前の事情こそ先に教えてもらいたいものだ。ずいぶん慌てているようじゃないか」
現八「そうなのだ、こちらは事情があって、すぐに向こう岸まで逃げる必要があるんだが… いや、それも大事だが、何より先に、大角をおぬしら二人に紹介しなくては。俺が旅先で出会った犬士のひとり、犬村大角礼儀だ。『礼』の玉と、アザも持っている。めちゃくちゃ強くて賢いやつなんだ」
信乃・道節「おお! 犬士に出会うことができたのだな」
一同はさっそく岸に船を寄せ、待っていた大角に乗ってもらいました。
大角「どうしたんです犬飼どの。舟の上で何か争っていましたね。私は山育ちで泳ぎが得意でないため、何もできずにハラハラしていましたが」
現八「大角よ、舟の中にいたのは、なんと我々の義兄弟、犬塚信乃と犬山道節だった。実に不思議なめぐりあわせだ。さっそくおぬしに紹介したい」
大角「なんと! あなたたちが、八人の義兄弟のうちの二人なのですね。なんと喜ばしい。おふたかた、私が犬村大角でござる。犬塚どのと犬山どののことは、犬飼どのと旅している二年間の間に、すっかり教えてもらいました。初めて会った気がしない。もはや、何年も知り合いだった仲のように思えます」
道節「あなたが犬村どのか。あなたもまた我々の仲間。禍福・苦楽をともにして、死ぬときは同じ場所で。これが我々義兄弟の誓いだ」
大角「私もまた誓いましょう」
信乃「よろしくお願いします、犬村どの。ところで、何か喫緊の問題があるようですね」
大角「そうなのです。もともとは私のせいなのですが…」
大角はこれまでの事情を説明しました。ここで泥棒にあったこと。それを追って戦ったのだけど、村人にはつづらを盗んだ犯人と勘違いされて、ここの郷士である氷垣残三に捕まったこと。たまたま襦袢が破れていたために疑いが強まったこと。そして、娘の重戸に助けられたこと。それに報いるために、真犯人を探さなくてはいけないこと。
大角「ですから、一刻も早く、真犯人を見つけ出さなくてはいけないのです」
信乃と道節は、今の話を聞きながら、おもわず目と目を合わせました。
道節「ふーむ。その話、いきなり解決かも知れんぞ」
大角「えっ」
道節「まあ、今度はこちらの話を聞いてもらおう。この舟に乗ったのは、我々も千住に渡りたかったからだ。我々の場合はそれほど急ぎでもない、単なる旅の途中なのだが。ここの川は、どうも夜はほとんど渡し船がないらしく、これくらいしか見つからなかった」
道節「舟を呼びとめると、中にいた二人組はなにやらヒソヒソと話をしておったのを急にやめて、妙な作り笑いを浮かべると、『割増料金ですがよろしいですか』と来た。我々は、別に構わんと思ったから乗り込んだ」
道節「その後、この男たちは、『夜の渡し船は実はご法度なので、ゴザをかぶって隠れてくれないか』と言うのだ。変だと思ったが、一応従った。その瞬間、男たちは尖らせた漕ぎ棒で我々を刺し殺そうとしたのだ」
信乃が話を引き取って続けます。
信乃「私たちはすぐにこの攻撃をかわして、男たちを縛り上げました。そして叩いて責め懲らしたところ、泣きながら、名前を尻肛玉河太郎と無宿猫野良平だと白状しました。渡し船をしながら、油断した客を殺して金品を奪う暮らしをしている男たちです」
信乃「きっと余罪のある男たちでしょうから、それも(叩いて)白状させました。すると、つい最近のことでは、土地の郷士から衣装箱を奪って、また、武者修行風の浪人から荷物を奪った、とのことでした。特に、その浪人が強かったので、衣装箱を運びきることはできず、必死で川に入ってやっと逃げ延びたとも話していました。これらの話は、ついさっきのことです。現八が飛び込んできたときは、てっきり泥棒の仲間だと思いましたよ」
道節「それで、どうも、この泥棒のやったことが、犬村どのの話と一致している気がするんだよ。犬村どのが追いかけているのは、あいつらなんじゃないかな」
その男たちは舟の底に押し込んでありました。大角が確認すると、確かに昼間争ったその男でした。大角の荷物も、丸々持っていました。そして、もう一人のほうは、襦袢の袖が破れています。
大角「その襦袢が破れているのはどうしてだ」
男「これは、屋敷から衣装箱を盗むときに、木の枝にひっかけて破いてしまったんです…」
これで、すべてのつじつまが合いました。大角は偶然のめぐりあわせで事件が素早く解決したことに深く感謝しました。
現八「まったく迷惑なやつらだったな。この場で殺してやりたいところだが…」
信乃「まあ、ここの村人に引き渡して、そこで裁いてもらいましょう。そして、犬村どのたちの濡れ衣も晴らすことにしましょう」
そんな話をよそに、大角は、取り返した荷物から、父親の位牌を取り出しました。
大角「ああよかった、金なんかはどうでもよかったのですが、この位牌が無事なのが何よりうれしい。父上、母上、わたしの不注意で泥棒なんかに汚され、まことにすみませんでした…」
現八・道節・信乃「(うーん、さすが『礼』の玉の男だな…)」
そのとき、土手の向こうに、たいまつの火がチラチラとひらめくのが見えました。
道節「あれは多分、犬村どのたちを追ってきた、氷垣ナントカなのではないか。ちょうどよい。泥棒どもを引き渡そうではないか」
現八「これで我々への誤解も解けるだろうな」
道節「そうだ、ちょっともったいぶってやろう。俺がまず一人であいつらの相手になる。合図をしたら、現八と犬村どのが出てくるんだ。いいな」
現八「面白そうだ、じゃあ任せるぞ」
大角「素直に引き渡せばいいと思うんですが… まあ、いいですよ」
ガヤガヤと川辺に出てきたのは、思った通り、氷垣残三と、彼の婿で重戸の夫である落鮎有種余乃七率いる一行でした。重戸を殴って逃げて行った現八と大角の行方を、血眼になって捜索しているのです。
道節「そこにいるのは、穂北の氷垣どのという方ではあるまいか」
氷垣「いかにもそうだが。そういうお主は何者だ」
道節「私は旅の浪人だ。さきほど、二人組の泥棒を捕まえましてな。責め懲らしたところ、ここの郷士の氷垣どのという方から盗みを働いたのだという。あなたがたを見かけたとき、きっとそれの捜索に違いないと思ったので、お声をかけた次第だ」
氷垣「それはすばらしい(笑顔)。礼を申す。さっそくその泥棒どもをこちらに引き渡してくれ」
道節「うむ。しかし、実は泥棒を捕らえたのは、私一人の力ではない。協力してくれた男たちがいるのだ。それらに会わせるから、彼らから直に説明を受けてくれ。それではご登場願おう。犬飼現八と、犬村大角だ。ジャーン!」
現八と大角が、道節のノリにちょっと困った感じで、ボーッと現れました。「あ、どうも…」
この二人の姿を見たとたん、氷垣老人の怒りが一瞬で沸点に達しました。
氷垣「てめえら、仲間を使ってくだらん芝居を打ちおって! 芋刺しにしてくれるわ!!!」
落鮎「きさまらか、重戸を殴って逃げたというのは。八つ裂きにしても飽き足りん。覚悟しろクソ野郎!!!」
道節「あれっ、おかしいな…」
大角「この演出、逆効果だったみたいですよ。仕方ない、応戦するしかありませんね」
氷垣老人が繰り出す槍を大角は難なくはじき落とし、サブミッションを極めて相手の自由を奪いました。同様に、現八は落鮎の手をひねって動けなくしました。
道節は、このタイミングで「いいかげんにしろ、牛のクソども。今すぐ主人の首を斬りおとされたいか。いいから我らの話を聞け!」と大喝しました。千のカミナリが一度に落ちたかのような迫力で、全員が戦意を喪失してしまいました。氷垣と落鮎は柳の木に縛り付けられました。
氷垣「くそっ、とっとと殺せ」
大角「殺しませんよ。あれを見てください。私たちは、無実の罪を晴らしたいだけなんですから」
大角の指さす先には、信乃にひかれた二人の泥棒の姿がありました。
信乃「こいつらが、本当の泥棒だったんですよ。おい、さっき喋った内容を、もう一度この方々の前で白状しなさい」
信乃が鉄の扇で背中をぶったたくと、尻肛玉河太郎と無宿猫野良平は泣きながら何もかも白状しました。