91. 七人の犬士とふたりの敵
■七人の犬士とふたりの敵
犬士たちに次々と迷惑をかけ続けた船虫も、ついにここ武蔵の司馬浦でその命運が尽きたのでした。
道節「さて、いろいろと積もる話もあるんだが、まずは俺たちがなぜここにいたのかを説明しよう。実は今晩、ここで、速船を待っていたのだ…」
ちょうどそのとき、合図の笛が海の方向からヒューッと鳴るのが聞こえました。
道節「おっ、ちょうど来たな。みんな、海辺に急げ」
浜辺で待っていたのは、落鮎有種です。穂北にいた、練馬の生き残りです。
落鮎「おっ? 道節さまと信乃さまだけかと思いきや、ずいぶん大勢で」
道節「うん、他の四人の犬士にも偶然ここで会ったのだ。我々の宿敵であった船虫という悪女をやっつけたところだ」
落鮎「なんとも幸先がよいですな!」
みなで船に乗り込みました。後ろについてくる船には、落鮎が連れてきた手勢もたくさん乗っていました。
道節「ちょっと話が途中だったな。最初から順を追って説明しよう」
まず、道節が湯嶋神社で偶然犬阪毛野に会ったことが語られました。道節は、五十子城のまわりを時々偵察していたので、こんな機会が得られたのです。
小文吾「毛野に!」
道節「ああ。剣術を見世物にしながら薬を売っていた。あれほど武芸に優れていて頭の切れるやつだから、ウワサに聞いていた犬阪ではないかと直感したんだ。(妙に美男子なのだけは予想外だったが。)こっそり見張っていると、果たしてそのとおりだった」
道節「あいつは蟹目上のサルが死にそうだったのを助けて、扇谷の重臣である河鯉守如の信頼を得た。それで、ある依頼を受けることになったのだ。管領に取り入って権力をほしいままに振るう佞臣、竜山メンタイコだったかな。まあそれは偽名のほうで、本名は籠山逸東太縁連。そいつの暗殺をだ」
小文吾「その名前は、毛野が追っているカタキの名前だ!」
大角「あいつか…」(大角は、下野で一度、縁連に会っています。当時は事情を知らなかったので逃がしてしまいました)
道節「そのとおり。大変な偶然が重なってこんなことになったようだな。当然毛野はこの依頼を承諾した。きっとこの敵討ちはうまくいくだろう。縁連は明朝に五十子城を発つとのことだ。毛野はそこを狙う」
荘助「犬阪どのならきっとやり遂げるでしょう」
道節「そして、ここからが俺の話だ。毛野が縁連を討ったとすれば、きっと五十子城の定正は、毛野に復讐するために、多勢を連れて城を飛び出すと思うのだ。そこに、俺のカタキ討ちのための絶好のチャンスがある。これに乗じて城を奪い、定正を討つ。これが俺の今回の目的だ。この船は、城の近くの浦曲につけられる予定だ」
信乃「私は最初、犬山どのの考えには反対だったのですよ。五十子城を攻めるのは危険が大きすぎますから、もし死んでしまったら里見どのに仕えるという大義に反すると。しかしここまでお膳立てが整っているのを見せられては、ここは思い切ってやるべきと考えを改めました。管領扇谷は、結城合戦で祖父と父を苦しめた敵のひとつ。ひとつ恨みを返してみせましょう」
信乃「…とはいえ、犬阪どのを一人にしておくのも心配だったんです。縁連はたくさんの雑兵と、強力な供人を連れていると聞きます。犬山が盗み聞きしたところでは、竈門鍋介、越杉駱三、鰐崎悪四郎、大石殿の家臣である仁田山晋五。なかでも鰐崎は中ボス級の強さらしいです。そこで、他のみなさんには、こちらの助太刀を頼みたいんです」
小文吾「なあに、毛野は強いぞ。石浜城では馬加大記の一族を易々とみなごろしにしたくらいだ」
荘助「それは、みんなが酒に酔って油断していたからでしょ。今回はそうもいかないですよ」
小文吾「うーん、言われてみればそうだ」
道節「荘助の言うとおりだ。四人は、みんな毛野を助けにいってやってくれ。五十子城は俺と信乃で攻める」
荘助「そうしましょう。しかし、あんまり大勢で犬阪どのの手助けに向かうのも、それはそれで犬阪の手柄を損ねてしまう心配がありますよ。なにせ、正々堂々としたカタキ討ちなんですからね」
道節「これもまたその通り。だから、表向きには荘助と小文吾が助太刀に行って、現八と大角はもしものときのために控えていてやってくれ。そこらへんの調整は任せるが、大体こんな感じで頼む」
小文吾・荘助・現八・大角「おう!」
これでおおむねの行動方針が決まりました。
道節「ところで、湯嶋神社で、毛野の口から小文吾の名前が出たぞ。石亀屋次団太って知ってるか?」
小文吾「ああ。越後で世話になった人だ」
道節「そいつが、弟子と奥さんに裏切られて、無実の罪で片貝の牢屋に入っていたそうだ」
小文吾「えっ!」
道節「しかし、毛野が救ってやったようだぞ。蟹目上のサルを助けた礼として、次団太の釈放を取り付けたのだ。小文吾ならこうしたはずだ、などとカッコイイことを言っていた」
小文吾「(涙目)さすがだな、毛野はさすがだなあ…」
道節「そうだ、もうひとつ。さっき四人で穂北に急いでいたわけは?」
現八「うん、前に手紙に書いたとおり、丶大さまは指月院を1月下旬に出る予定だったんだが、なにやらそれが前倒しになったらしくて、待ち合わせの日を待たずにフラッといなくなっちゃったんだ。俺たち四人はちょうどそのとき用事で寺にいなかったから、あとで知って、急いで追いかけてきたというわけだ。もう丶大様は穂北に着いてるんだろ?」
道節「いないぞ? 来ていない」
現八「えっ。それはおかしいな…」
大角「直接結城に行ったのかも知れませんよ。あそこで結城合戦の戦死者を弔うための大法要をやるって言ってましたから。100日連続の念仏をしたいそうです」
道節「ほう! それはすばらしいことだ」
信乃「結城でやるというのが素晴らしいセンス。さすがは丶大様だ…」
小文吾「たしか、四月にやる予定と言っていたな」
荘助「その場にぜひ居合わせたいですね、我々も!」
現八「そのためにも、今回の戦いをよい結果に終わらせるぞ」
現八「そういえば、まだ道節と信乃に聞いていないことがあった。なんで、閻魔堂と地蔵堂の中に隠れていたんだ? 船を待っていただけなんだろ?」
道節「寒かったから」
現八「え?」
道節「寒かったから、壁のあるところに籠っていただけだ」
現八「ふーん… あ、そう…」
やがて船は目的地の岸につきました。深夜の丑三つ時です。落鮎が穂北から持ってきてくれた武器と防具を積み出し、犬士たちは腹ごしらえをしてから、めいめいが必要な装備をととのえました。
落鮎「あの、道節さま…」
道節「なんだ」
落鮎「私も一緒に行って戦いたいです」
道節「ならんぞ。以前も言ったことだが、ここで船を守りながら我々の帰還を待つのも大事な仕事なのだ。戦うのも、船を守るのも、戦功としては同じものと心得よ。お前には妻もいるのだぞ」
落鮎「わかりました… ご武運を祈ります」
こうして、六人の犬士たちは隠密に上陸し、近くの高畷の森に隠れました。数人の間諜を城のあたりに放ち、様々な手配をしながら明け方を待ちました…
ところで、船虫と媼内の死体が発見されたときのことにも触れておきましょう。
道節たちが船を出した翌朝、村人たちが、閻魔堂の前の杉に縛り付けられて、体中を穴だらけにして死んでいる男女を見つけました。顔には苦悶の表情が残っており、背中には罪状が墨で書き記されていました。鬼四郎(牛の飼い主)と放免善悪平の死体が見つかり、この罪状の一部が裏付けられました。
村長「なるほど、この二人が極悪人らしいことは分かった。しかし、誰が退治してくれたんだろう。たぶんここにつないである牛の角で突き殺させたんだろうけど」
村人A「閻魔大王ですね」
村人B「閻魔大王ですよ」
村長「そんなバカな。しかしこの凄まじさ。ことによると本当に閻魔大王かも…」
この後、この閻魔堂(ついでに地蔵堂)は参拝客で大繁盛したといいます。また、牛は盗賊退治の手柄をほめられて、その後、耕作などの仕事に使われることを免除されました。よかったね>牛
さて、こちらは、五十子を未明に出発した籠山逸東太縁連です。北条への使節として目いっぱい豪華な防具をつけ、大変華々しい恰好です。馬に乗った四人の家来を左右に従え、30人以上の雑兵をゾロゾロと連れています。
品革を過ぎて鈴森の波うち際を進んでいるときに、縁連は前方に一人の人物を目にしました。朝日に映える白い装束と白ハチマキを身に着けて、その下は完全武装の様子です。太刀と鉄砲を持っています。
白装束の男「そこを行く竜山、いや籠山逸東太縁連よ! おまえに殺された粟飯原首胤度の子、犬阪毛野胤智がカタキを討ちに来た。恨みの弾丸を受けるがいい」
毛野が有無をいわせず放った弾丸が馬を撃ち殺しましたので、馬上の縁連もまた地面に転がり落ちました。毛野は鉄砲を投げ捨てると、刀を真っ向に構え、飛ぶように縁連に迫りました。主を討たせまいと、四人の若者が前に立ちはだかりますが、毛野は当たるに任せてたちまちそれらをなぎ倒しました。
縁連はこのスキに槍を拾って横の田んぼに逃げ出しました。
毛野が吠えます。「縁連よ、どこまで逃げても無駄だぞ」
続きは次回。
【余談】
ところで、この『里見八犬伝』、今回で91話分を終えたのですが、オリジナルではこれらの話は「集(輯)」という単位でもまとめられていました。お話は全部で9集の構成と予告されていました。この話で、そのうち8集分が終わりました。ということは、完結までもうちょっとですね!
馬琴「そうとも。9集では、今まで出てこなかった犬江親兵衛も活躍するぞ。大団円までもうすぐじゃ」
しかし、後世の私たちは知っています。ここから里見八犬伝はさらに倍の長さも続いたということを…