98. ピカロの冒険
■ピカロの冒険
極悪人、但取業因は、腹から突然叫び声があがるという怪現象のおかげで、京を警固していた高梨職徳に捕らえられてしまいました。伴人たちも同じように捕らえられました。
業因「けっ、俺が丸腰でさえなければ、こんなところを切り抜けるのは楽勝なんだがよ。おいお前、運がよかったな(ニヤニヤ)」
職徳「だまれ、これも今までの悪行の報いだ。とっとと歩け」
業因を捕らえたという報告は、斯波・細川・畠山の三管領にも届きました。(関東管領とは別ものですよ。)そこで詮議が行なわれた結果、業因たちは極刑、また、胆吹山にあると判明した盗賊のアジトは、軍を差し向けて一気に征伐してしまうことになりました。なんせ、「人の胎児を食う鬼」ですからね。牛や馬の肉を食うことさえまれなこの時代ですから、ともかく業因は人々に恐れられ、憎まれたのです。
そんなわけで、業因たちは八つ裂きの刑に処され、その首は賀茂川の河原にさらされました。業因の犯した罪のおそろしさ、また、その報いが腹からの声となって現れるという不思議さは、それから長い間、人々の語り草になりました。
さて、業因たちが捕らえられたとき、ひとりだけその場から逃げ出すことができた者がいます。反っ歯で馬面の、卒八という男です。胆吹山のアジトにひとり逃げ帰ってくると、真っ先に業因の息子である素藤に報告しました。
卒八「若様、たいへんです」
素藤は当時21歳。親に劣らぬ激しい性格で、ケンカも強く、知恵も働きました。今回、父親が京に物見遊山に行くことには反対だったのですが聞き入れてもらえず、仕方なく留守番していたのでした。
素藤「なんだと、オヤジたちが捕まっただと。…だから言ったんだ、あのバカが。おい卒八、このことはまだ誰にも言ってないな」
卒八「はい、まずは若様だけにと」
素藤「よし。俺たち二人だけでここを逃げるぞ」
卒八「は?」
素藤「ここのアジトがバレたと見るべきだ。当然、当局は、軍を使って潰しにくるだろう。ここにいる100人ちょっとではとても戦えないし、だからといって一斉に逃げては、フットワークが悪すぎる。やつらはどこまでも追ってくるだろうし、結局は全滅コースだ。だから、まあ、ここのやつらを全員見捨てて、ごく少人数だけで逃げるってこった」
卒八「…さすが若様(にやり)」
素藤は、さりげなく、アジトに蓄えられている現金をすべてかき集めて身につけました。1600両ほどありました。1000両は腹に巻き、残りを卒八に預けました。そして、父の側近である礪時願八たちにこう言い残します。
素藤「おい、ちょっと俺たちは外出してくるぞ」
願八「え、どこに」
素藤「京だ。さっき卒八が俺を連れにきた。オヤジによると、今回の祭りはメチャメチャ面白いらしく、絶対に俺も見るべきだ、だとさ」
願八「ははあ、そりゃうらやましいですな」
素藤「そんなわけなんでよ、数日間、ちょっと留守を頼むぞ」
願八「へえ、いってらっしゃいませ若様」
こうして、素藤と卒八は、すべての金を持ってアジトから逃げ始めました。もちろん京には向かいません。反対の美濃のほうに向かって急ぎました。
さて、その日の夕方ごろまでに、けっこう距離を稼ぐことができました。とはいえ、もっと離れるまで、まだまだ油断はできません。
卒八「若様、あっしはちょっと先に行って、いい宿を探しておきます。ゆっくり追いついてください」
素藤「おう、たのむ」
素藤はそうやって卒八にまかせ、悠々と歩いて侶奈之という村に着きました。しかし、卒八が宿を見つけてくれている気配がありません。それどころか、卒八がどこにいるのかもわかりません。そして完全に日が暮れました。
素藤「あっ、あの馬面、一杯くわせやがったな」
卒八は、預けた600両を持って逃げたのに違いありません。今となっては卒八の行先を探す手がかりはありませんから、やむをえず一人でここの村長の家を訪ね、粗末なメシと宿を分けてもらいました。簡単に人を信用しすぎた悔しさで、素藤は一睡もできませんでした。
翌日は、垂井という町まで進みました。ここはやや都会風の街並みです。
素藤「卒八が好きそうな場所だ。案外ここらへんで遊んでんじゃねえかな」
素藤は町で一番大きな旅館に泊まりました。案内された部屋の隣では、誰かが芸者を何人もはべらせて上機嫌に遊んでいる声が聞こえてきます。その下品な声には聞き覚えがありました。なんという幸運。素藤は間仕切りのふすまをパシッと開きました。
素藤「見つけたぞこの、馬面ァ!」
卒八は顔色を失って、持っていた盃を投げ捨てると、縁側から庭を超えて、外に躍り出ました。そのまま命の限り走りましたが、目の前を川に阻まれました。思い切って川に飛び込もうとしたその瞬間… そこに追いついた素藤のイナズマのような刀の一振りで、無残、卒八は腕も胴も横一閃に切り離されてバラバラ死体になってしまいました。
素藤「けっ、思い知ったか… しかし殺したのはまずかったな。このまま宿に戻るのは危険か」
素藤は卒八から金を回収すると、死体を川に蹴り捨て、そのまま渡し船を探して先に進むと、岐岨の方向にさらに逃げました。やがてそこから筑摩の温泉地に着くと、夏が過ぎるまでしばらくここで休むことにしました。湯治客を話し相手にしながら、ダラダラと日を過ごしました。
やがて夏も過ぎ、朝晩は肌寒いくらいになってきました。湯治客は減って、退屈です。
素藤「これからどうすっかなあ。鎌倉でも見物に行ってみるかな」
そう考えて、彼は筑摩を出て武蔵の方向に進みました。一日くらい進んだところで、素藤は二人の盗賊にからまれました。「おい、命が惜しければ、有り金を置いていけ」
素藤はひるみません。「けっ、お前ら、盗賊のつもりか? なってねえよ」
素藤は盗賊の振り回す山刀をヒラリをかわし、自分も刀を抜いて丁々発止と応戦します。腕は素藤のほうが勝るようで、二人の盗賊は不利を悟って逃げ出しました。
素藤「逃げんなコラ! …うおっ」
素藤は二人を追って、足元に張られたカギひものワナにかかってしまいました。草むらから、さらに二人の盗賊の仲間が出てきて、素藤を縛り上げました。
盗賊A「なかなか手間取らせたな、こいつ」
盗賊B「殺すか」
盗賊C「生け捕りにしてボスに引き渡そう。試し切りの相手が欲しいって言ってたしな」
盗賊たちは四人がかりで素藤をかついでアジトに向かいました。素藤は「盗賊が盗賊に殺されるとは、なかなかつまらん人生だったな」と考えながら、死ぬ覚悟を固めて平然としていました。
そして、素藤が会わされた、武蔵の盗賊のボスとは。
素藤「…お前は願八じゃねえか。盆作も!」
願八・盆作「なんと、若様か!」
素藤「お前ら、助けろ!」
願八「も、もちろんでございます」
この盗賊を率いていたのは、胆吹山で業因の側近をしていた、礪時願八と平田張盆作だったのです。
その晩は、再会を祝って宴会となりました。
盆作「若様が無事で何よりです。若様が京に出かけられからすぐ、室町将軍の軍が攻めてきたんです。仲間はほとんど全滅しました。我々を含む四人だけが、ここまで逃亡してきて、付近のチンピラを従えてまた盗賊稼業を始めたところなんです」
四人というのは、願八と盆作、旋風二郎と苛九郎です。後半の二人は今日はまだ「仕事中」ですが。
願八「おかしら(業因)が、強制腹話術の病気にかかって京で捕まって死刑になったことは、その後のウワサで聞いていました。しかし若様の行方だけが分からず、心配していたんですよ」
素藤「うむ… 俺が京に着く直前にオヤジが捕まったウワサを聞いたので、そこから慌てて美濃に逃げたのだ。若干の金は持ち歩いていたので、今までなんとか生きていた。こんなところでお前たちと再会できて、実によかった」
願八・盆作「我々もですとも」
宴会は進み、みんな酔いが回ってきました。
素藤「なあ、お前たち… 盗賊ってのは、はかない稼業だと思わねえか」
盆作「は…」
素藤「どんなに盗んだ金を積み上げてみたって、一旦捕まっちまえば、何もかも終わりだ」
盆作「まあそうですが…」
素藤「しかしだ。もし、国を盗むんなら、どうだ」
願八「?」
素藤「もう盗賊なんて後ろ指もさされねえ。わが身も、子孫も、安泰ってもんだ。なあ、男なら、これくらいしなくちゃいけねえと思うんだよ。お前ら、協力しろ。一国一城の主になったら、お前たちも家臣に迎えて楽をさせてやるよ」
願八「は、ははは… なかなかビッグな夢で、よいですな」
やがて、素藤は、酔いも回り、疲れていたのもあって、ほかの二人より先に客間に行き、寝床に入ってしまいました。ただし、何事も用心です。寝たふりだけして、時々イビキをかく真似をしながら、二人の様子を観察していました。
そこに、仕事を終えた旋風二郎と苛九郎が帰ってきて、酒を飲みながら盆作たちの会話に加わりました。
旋風二郎「なんだって、若様に会ったって」
盆作「そうなんだ。話によると、うんぬん、かんぬん…」
苛九郎「で、お前らはそれを信じるのか」
盆作「特に疑問には思わなかったけども…」
苛九郎「どう考えたって、あいつが裏切って一人で胆吹山から逃げて行ったに決まってるだろう。何カ月も生きていけるほどの路用を持っていたのも変だ。大体、あいつはお頭が京に行くのには反対だった。それが、あとになってホイホイと京に祭りを見に行く? つじつまがあわねえ」
旋風二郎「俺も同意見だ。あいつは100人の仲間を見殺しにした裏切り者だ。今すぐ殺してやろう」
盆作「ま、まあまあ… お前ら、それはひとつの推測だろ? もうちょっとだけ様子を見て、それが本当か確かめてみようじゃないか」
願八「若様が裏切り者だとはっきり判明したら、そこで殺すなりなんなりということを考えてもよいが、これがもし誤解だったらたいへんな後悔をするぞ。慎重に様子を見よう」
素藤はここまでの会話を漏らさず聞いていました。「やばいな…」
そうして、まんじりともせず、四人が寝静まるのを待ちました。
やがて、誰もが酒に酔い潰れて眠ったことを確認してから、荷物をすべて身に着け、このアジトを脱出することにしました。しかし、ただ逃げるだけではシャクです。
素藤「えーと、俺をすぐに殺そうと言ったのが、苛九郎と旋風二郎だったな…」
素藤は、苛九郎のそばの茶碗にまだ酒が入っていることに気づくと、それを持ち上げてグイっと飲み干しました。そして、そばに落ちていた山刀を拾い上げると、それを使って苛九郎と旋風二郎の心臓をそれぞれ一撃で刺し貫き、声を出す間もなく殺しました。そして、この二人の首を斬り落とすと、それを交換してそれぞれの胴体の上に置きました。
素藤「へっ、ざまあみろ」
そうして門を出ると、素藤は、どこともなしに走って消えていきました。