99. 素藤、疫病神を出し抜く
■素藤、疫病神を出し抜く
素藤は、かつての手下たちが自分を殺そうとするのを察知し、そのうちの何人かを夜陰に乗じて殺害すると彼らのアジトから逃げ出して、東へ東へと、できるだけ遠く離れました。やがて、武蔵の柴浜というところまで来ました。
素藤「たぶんもう追ってこねえな。あいつら、所詮は日陰者だから、昼間は動けねえんだ」
さて、このあたりの適当な宿屋を探してチェックインすると、素藤は宿の主人に、鎌倉がいまどんな具合かを聞いてみました。
主人「鎌倉はすっかり衰退していますよ。戦乱が絶えませんでしたからねえ。素性がわからない人は、関所さえ通してもらえないでしょう」
素藤「む、そうか… 俺はどこか、世渡りの手がかりが欲しいんだよな」
主人「それなら安房や上総がいいんじゃないですか。あそこら一帯は、里見殿が平定してから、平和で、税金も少なく、とても栄えているんです。優れた人物はいつでも家臣にスカウトされるチャンスがあるそうですよ」
素藤「ほほう。じゃあそっちの辺に行ってみるか」
こういう事情で翌日、素藤は、象良津行きの連絡船に乗って上総の地につきました。ここでボーっと漁の様子を眺めながら、これから何をしたらよいか考えます。
素藤「特に俺にはコネもねえし、立派な素性もない。今のところは、どこかの家臣に採ってもらえる見込みもない。あるのは、ちょっとした元手だけだ。さしあたり、どっかに腰を落ち着けて、金貸しでもやってみるか」
素藤は、いちばんよい場所はどこかと上総の国中を探し歩いて、あるとき夷灊の郡にある普善村を通り過ぎました。日が暮れましたのでいつものように適当な宿を探したのですが、この村の人々はほとんど全員が病で寝込んでおり、まったく泊まる場所が見つかりません。素藤は仕方がなく、近くの諏訪神社で野宿することにしました。ここ夷灊の領主は非常に悪い政治をしているらしく、領地にある神社の多くは、ろくに補修もされないまま、無人の廃墟になってしまっていたのです。
素藤「ここの社殿でなら、まあ、雨露くらいはしのげるだろう。しかし、この樟はハンパなくでかいな… これ樹齢どのくらいあるんだ?」
その夜、素藤は、社殿の中で寝付かれずにいると、外の方でだれかが会話する声を聞きました。例の巨木のあたりです。
男っぽい声「おい、玉面嬢、玉面嬢よ」
女っぽい声「誰?」
男「疫病神だ。ここらの人間をみんなやっつけてやったから、次は安房に行こうと思うのだ」
女「安房は無理よ。あそこは君主の人徳が高くて、今のところ、つけいるスキがないわ」
男「ふん、そうかもな。ここの領主はひどい悪政をしたから、俺が非常に居心地よかったが、あそこではそうもいかんか」
素藤はこの会話を聞きながら思います。「へえ、この村が病人ばかりなのは、疫病神のせいなのか」
男「しかし、神社ってやつだけは、こんなに悪徳がはびこったあとも、廃墟になったあとでさえ、それでも俺にはちょっと威圧感を感じるもんだな」
女「そうでしょうよ。特にここは、樟の木に秘密があるのよ。木のウロにたまった水に黄金を浸すと、あんたの病気がみんな無効になるような力があるのよ」
男「へえ。そりゃ驚いたが、レシピに黄金が入っているというのが安心だな。この村のやつらは、すでに全員が重税を搾り取られて一文なしだ。薬なんか作れっこねえ」
ここで謎の会話は途切れ、ふたたび夜の静寂が戻ってきました。
素藤「今のは、疫病神と、樟の精霊の会話だったのかな。これが本当なら、俺は金を持ってるから薬が作れる。これはなかなかのチャンスだ」
素藤は、さっそくこの情報を試すことにしました。翌朝、木に登ってみると、枝分かれの部分におおきなウロができており、水がたくさんたまっていました。そこに手持ちの金の大部分をボチャンと浸しました。
そして、ここを訪れる人間を待ちました。二日ほどたつと、やっと一人の村人がこの神社に参拝に来ました。真っ青な顔をしています。素藤は、この男に声をかけました。
素藤「きみきみ、具合がわるそうだね。病気かい」
男「はあ。私はこれでも、一番調子のいい方です。家族はみんな寝込んで動けません」
素藤「私は諸国を遊歴する医者だ。先日、ここの樟の精霊に、薬の作り方を教わってな。金をうろの水に浸して薬が作れるということなので、私は今までの稼ぎをすべてあそこに浸して、きみのような人間が来るのを待っていたんだ。この薬、試してみないかね」
男「それは願ってもないことです。ぜひ!」
水をとっくりに汲んでその男に飲ませてみると、まるでほうきでチリを払うかのように、たちまち病気が全快しました。「うおおっ、ホントに治りました!」
素藤「うん、なかなかの効き目だね。この水を家族にも持って帰ってやりなさい。あと、薬を作るときに使った金も、一枚持って帰りなさい。これで生活を楽にして、返せるときになったら返してくれればよいから」
男「なんとあなたはすばらしい人物だ!(感涙)」
これがSNSで拡散されて、村中の人間が薬を求めて神社に殺到しました。
素藤「ほらほら、薬はたくさんあるから慌てなさるな。みんな並びなさい。また、金が必要なものは、貸してあげるから持っていきなさい。一人一枚だよ。ズルをすると神罰があるからね。金は、返せるときに返してくれればいいよ」
素藤は、村人たちから神のように尊敬されました。借りた金を踏み倒すものはほとんどなく、みなが正直に利息をつけて返してくれるので、素藤はかなりの金持ちになってしまいました。今回の投資は大成功だったといえるでしょう。
村人たちは、連日のように素藤を宴会でもてなし、ぜひ村にとどまってくれるよう懇願しました。素藤は内心シメシメと思いながら、表向きにはしぶしぶとこの願いを受け入れ、この地に留まることになりました。正式にこの神社の神官として任命もされ、名前を蟇田権頭素藤と改めました。
素藤は金貸しとしての手をひろげ、ここの領主の家臣たちにも金を貸すようになりました。館山の城主であった小鞠谷主馬助如満は、このことを知ると激怒しました。
如満「最近やたらと評判を聞く素藤とかいう男のこと、まことに気に入らん。神の力を騙って、妖術で民をたぶらかそうとする者に違いない!」
如満は、重臣の兎巷遠親を呼びつけると、素藤を捕らえるよう、鼻息荒く命じました。
如満「なんなら殺してしまっても構わんからな!」
遠親「ははっ…」
実は、遠親本人も、例の薬に子供の命を助けられていたのでした。また、素藤金融に低金利で50両の金を借りて、生活の危機をしのいだこともありました。ですから、できれば素藤のような恩人を捕らえたくはないのですが、主君の如満はハッキリいって愚かな人物ですし、諫めて聞いてくれるとは思えません。そこで、苦肉の策ととして、こっそりとこの情報を村長にリークし、自分が出て行ったときにはすでに素藤が逃亡できているよう計らいました。
遠親「さて、そろそろ逃げているだろう。よし、普善村に出発。素藤を捕まえるぞー(棒読み)」
しかし、驚いたことに、素藤はまだ逃げていませんでした。情報をリークされた村長からの必死の薦めにも「大丈夫、大丈夫」とだけ答えて、平然としていたのです。
4、50人の雑兵を引き連れた遠親が諏訪の社殿を取り囲むと、中からひとり悠々と素藤が現れました。「遠親どの、よくいらした。どうぞ中へ…」
中には、村長をはじめとして、選りすぐりの屈強な村人たちが並んでかしこまっていました。遠親はあっけにとられます。二人はここを通り過ぎて、別室で二人きりになりました。
素藤「遠親どののご用件は分かっています。捕えたければ、どうぞ私をお捕えなさい」
遠親「…」
素藤「しかし、私は自分の命など惜しくないが、ここの領地が悪政にしいたげられ続けることだけが残念だ。このままではこの地は、領地を奪おうとする隣国に踏み荒らされるかもしれぬ」
遠親「…」
素藤「そこでです。私の霊感を信じて、お聞きなさい。遠親どの、あなたには一国一城を治める相がある」
遠親「!」
素藤「あなたには、さっき見た通り、この地の民がついておる。天機にも適っている。もちろん私も微力ながらお手伝いいたす。遠親どの、館山を盗りなさい」
遠親は、この説得に動かされ、主君を殺す覚悟をしました。素藤は縄をかけられたフリをし、村人たちはこっそり武器を携え、遠親の率いる部隊と一緒に、館山の城に戻りました。
如満「ほうほう、素藤を捕らえてきたな。じつによい気味だ。さっそく、私みずから責め懲らしてくれよう…」
如満が問注所の壇から降りてきて素藤の顔を確かめようとしたところ…
そばに控えていた遠親が、突然駆け寄ると、一瞬で主君の首を斬り飛ばしました!
家臣たち「遠親よ、乱心したか!」
遠親「みんな、目を覚ませ! 年来の悪政、すべてこの如満の愚かさのせいだったのだぞ。私は、国をおもうが故に主君を弑したのだ」
大混乱がはじまりました。村人たちも城の中に攻め込んできて暴れました。家臣たちはみな、城の奥に追い立てられてしまいました。
素藤「遠親どの、よくぞやり遂げましたな。主君の首級、私にも見せてください」
遠親「ありがとう素藤どの。ごらんくだされ、これが如満の…」
遠親は言葉を言い終わることができませんでした。素藤が、隠していた刀で、遠親の首を一瞬ではねとばしたからです。
素藤は、槍の先に遠親の首を刺すと、これを高くかかげて叫びました。「逆臣、遠親の首を、諸士にかわってこの蟇田素藤が討ちとったり!」