100. 妙椿、素藤に幻の女を見せる
■妙椿、素藤に幻の女を見せる
素藤は、そそのかされて領主を殺した家臣の遠親を間髪いれず自ら殺し、これで「反逆者をやっつけたヒーロー」という位置にまんまとおさまることができました。死んだ領主・如満には跡をつげるような子供がなかったので、もとの家臣たちは、素藤が次の城主になるべきだと口をそろえて言いました。
素藤「うん、いいだろう。至らぬところもあろうが、皆のもの、これからよろしく」
ここらへんのスムーズさは、金貸しとして多くの家臣たちにあらかじめ恩を売っておいたおかげです。
素藤はさっそく旧主の政治をひきつぎ、今までの暴虐をあらため、広く民に愛されるようになりました。もっとも、本当はもっと勝手に振る舞いたいのですが、まだまだ自分の地位が盤石になるまで、「よいこチャン」の振りをしなくてはならないのです。
素藤「この周辺の城主たちは敵に回したってどうってことないのだが、なんせ、安房の里見にニラまれたらやばいからな。ここにだけは、ちゃんと従うふりしておかないと」
こう考えたので、素藤は、家臣の浅木碗九郎と奥利本膳を安房に派遣し、今回のいきさつを報告し、贈り物をたくさん献上して服従の意思を伝えました。
里見の重臣たち「夷灊の小鞠谷(如満)は、確かに悪い政治をしていた。それに反旗をひるがえした兎巷遠親を倒したとなれば、まあ、正義の男と推測していいのかな。さらに、この素藤とやらは、村に流行していた病を根絶させ、生活を立て直す金まで貸してやったという善人らしいし」
里見義成「実際のところ、本当に心からの善人かはまだなんともいえないんだけど、少なくともここまでの功績は客観的な事実だしね。それじゃあまあ、館山の城主としてこちらも公式に認めることにしようか」
こうして、素藤は館山城主としての免許を受け、直々に安房の里見に面会して、いろいろと今後の心構えを訓示されました。さすがの素藤も、里見の威風を直接目の当たりにしたときは、緊張のあまり背中にビッショリと汗をかきました。
この後もしばらくは、素藤は善政をつづけ、あたりの城主たちにも里見への帰順を勧めました。これらの態度には非の打ちどころがなく、里見は素藤を「いいやつ」と考えるようになりました。
しかし、そろそろ素藤自身はこの生活に我慢がならなくなります。
素藤「なんだ、せっかく領主になって偉くなったってのに、こんな暮らししかできないんじゃあ意味がないじゃないか。いいかげん、もういいだろう。今こそ俺の欲望を全解放すべきときだ」
こうして、ある日を境に、素藤の性格は一変しました。昼夜を問わず酒宴をもよおし、旧主の愛妾だった朝貌・夕顔を自らの側女となし、ソシャゲでガチャを回しまくり、城に蓄えられた富をジャンジャン浪費するようになりました。
そして、盗賊団だったときの手下だった願八と盆作を城に呼び寄せ、重臣として迎え入れました。正直、心から味方と思える人間を周りに置きたかったのです。今の家臣たちは所詮、自分の勢いについてきてくれているだけですからね。
(願八と盆作は相変わらず追い剥ぎを稼業としていましたが、ある日、付近を通った飛脚を襲って殺しました。その荷物を改めたところ、それは他ならない素藤から二人への手紙でした。手紙の内容は、「城を手に入れたのでおまえたちを雇ってやる。これを持ってきた飛脚は、秘密を漏らさないように殺すこと」と書いてありました。願八「フフフ、言われるまでもなく殺しちまったぜ…」)
こうして城のトップには三人の元盗賊がそろい、いよいよ欲望の限りをつくした生活をエンジョイするようになりました。京や鎌倉から踊り子を呼び寄せ、花見や月見のために立派な建物を作らせ、金が足りなくなると税金を際限なく上げました。民から文句の声が上がると、片っ端から捕らえて死刑にしました。
素藤「もともと俺が救ってやった民だ。みんな、死ぬまで俺に仕えろ」
里見への定期的な貢ぎ物だけは欠かしませんでしたので、安房では素藤の悪政は知られずに済みました。しかし、民の苦しい生活は、以前の小鞠谷如満のときよりももっとひどくなってしまいました。
さて、あるとき、素藤が愛していた側女の朝貌と夕顔が病気で寝込んでしまいました。素藤はいつかの「黄金水」のことを思い出して諏訪神社の樟から水をとって来させようとしましたが、もううろの底には穴があいていて水は涸れていました。代わりに、普通の水に黄金をありったけ浸してから女たちに飲ませてみましたが、まったく効き目はありません。やがて二人とも、花がしおれるようにあっけなく死んでしまいました。
それ以来、素藤は何をしても楽しくなくなってしまいました。
そうしてしばらくたった頃、素藤の耳に、ある尼のウワサが入ってきました。八百比丘尼と呼ばれる非常に徳の高い人物が最近この地方に行脚に来たということです。
素藤「ふーん、そんなに偉い女なのか」
家臣「病気を治す祈祷に長けているそうです」
素藤「病気ねえ。おれの女は死んじまったから、それももう無駄な技術だな」
家臣「いや、彼女は死人にも対応しているんだそうですよ」
素藤「なんだって」
八百比丘尼は、死人の姿を煙の中によみがえらせて見せてくれるという技術を持っているのだそうです。素藤は非常に興味をもち、さっそく比丘尼を召し寄せました。
比丘尼「こんにちは」
素藤「うむ。おまえの法術に興味があるのだが… その前に、どうして八百比丘尼なんて名前なんだ。八百歳だから、というウワサがあるが。それともウソ八百なのか」
比丘尼「わたしの法名は妙椿。そちらの名で呼んでいただくほうがよいでしょう。九百歳になったら、名前が九百比丘尼に変わってしまいますからね、オホホ…」
素藤「なんか、変な答え方だな… まあいいや、じゃあ妙椿、単刀直入に言うが、死んだ朝貌と夕顔を、オレはもういちど見たいんだ」
比丘尼「わかりました。その望み、かなえてさしあげます」
こうして、その晩遅く、狭い一室に素藤と妙椿は籠もりました。部屋中をとばりで覆い、中央には香炉を据えてあります。
妙椿「さあ、ここから先は、強く信じることが重要ですからね。疑っちゃだめですよ」
素藤「わかった」
妙椿は懐から香を取り出すと香炉にくべ、ブツブツと呪文をとなえはじめました。部屋中がぼうっとした煙の色につつまれ、その中から、ひとりの美人が姿をあらわしました。千金をなげうってもよいと思わせるような、絶世の美人です。その場にいるかのようですが、彼女の声はまったく聞くことができません。素藤がおもわず近づいて抱きすくめようとすると、まさに煙のように女の姿はかき消えました。
素藤「…」
妙椿「どうです、反魂香の効能、満足されましたか」
素藤「…あれは朝貌と夕顔ではなかったな。しかし、彼女たちのことがすっかり霞んでしまうほど、ケタの違うような美人だった。なんで違う女を見せたんだ」
妙椿「死んだ女の幻を見ても、かなえられぬ欲望がいよいよ募るだけなのですよ」
素藤「どういうことだ」
妙椿「今見せたのは、現に生きている女です。その気さえあれば、あなたが娶ることができる女ですよ」
素藤「本当か! おい、教えろ、あの女の素性を。今どこにいるんだ」
妙椿「ウフフ」
素藤「じらすな! たのむ」
妙椿「彼女の名前は浜路。安房の里見義成朝臣の五女にあたる方ですよ」