101. 素藤、国主の息子をさらう
■素藤、国主の息子をさらう
蟇田素藤は、反魂香の煙の中に見た美女が里見家の姫であることを喜びました。
素藤「やった! オレは里見に気に入られているはずだから、きっと、結婚の申し込みも二つ返事でOKなはずだ。おお、赤い糸で結ばれた恋しい浜路よ、待っていてくれ」
素藤は、となりの榎本の城主である千代丸図書介がたまたま挨拶に来ていたので、彼に結婚の申し込みを仲介してもらうことにしました。仲人になってもらおうというのです。
千代丸「うーん、まあやってみますが」
素藤「ぜひたのむ。浜路姫は、つい最近まで民間で育てられていた。私はこういう庶民感覚のある人と結婚したいのだ、とも伝えてくれ」
千代丸はこのお使いのために安房に行きました。万全を期すため、素藤の家臣も何人かついて行きました。そして一週間ほどが経ち、使者たちは館山に帰ってきました。浜路姫との結婚は無理っぽい、という返事を持ってです。里見の家老たちに言われたことは下のとおりです。
○ 素藤の家系が不明なので、ウチと家柄が釣り合うのか分からない
○ 年の差も離れすぎ
○ まだ上の娘たちが結婚していないのに、五女が真っ先に結婚するのは変
素藤は、自信満々だっただけに、大きなショックを受けました。そしてそれは、やがて激しい憎悪に変わりました。
素藤「里見め、思い上がりやがって。あいつもオレも、もとの領主を追い出して成り上がったのは同じじゃないか。それに、里見はオレにずいぶん恩があるはずだぞ。まわりの城主たちを里見に従うよう勧めたのはオレではないか。くそう、憎い。無礼で恩知らずの里見が憎い」
素藤のこういう姿を見て、ホホホと笑うものがあります。八百比丘尼こと、妙椿です。
素藤「なぜ笑う」
妙椿「他愛のないことでお怒りだなと思って」
素藤「他愛がないだと」
妙椿「正面から行けなければ、謀りごとで行くだけのことではないですか」
素藤「どんな謀りごとがあるというんだ」
妙椿は素藤にアイデアを授けました。すなわち、里見家から人質をとって、それを無事に返す代わりに望みをきいてもらうというのです。
妙椿「国主の里見義成の嫡男である、義道さまを誘拐いたしませ。彼が人質なら、なんでもこちらの要求を呑むでしょう」
素藤「それはそうだろうが、しかしどうやって誘拐する」
妙椿「まず、上総にあって荒れたままになっている神社を修復なさい。源氏にゆかりのある神社がいくつかあるでしょう、諏訪神社とか。修復が完了したら、里見家にテープカットの役割をお願いなさい。きっとそこには義道さまが送られるでしょう」
素藤「どうしてわかる」
妙椿「彼は今年で10歳。鎧の着初めをする年齢です。めでたいイベントとなれば、必ず彼が来るでしょう」
素藤「ほう、なるほど。しかし当然、子供だけでは来るまい。屈強な家臣たちがついてくると思うが…」
妙椿「それは、私の手品で追い払います。きっとうまくいくはずですから、安心して手配をお始めなさい。今回の事件がきっかけになって、里見が衰退したりしたら面白いわね、ホホホ…」
素藤「(なんか、この女も、里見に恨みがあるのかな。まあ、どうでもいいが)」
さっそく素藤は部下に命令して、正八幡・宇佐八幡・そして諏訪の三社の修復工事を始めました。担当した家臣は願八と盆作です。彼らは容赦なく村人たちをこきつかって、超特急で工事を進めました。村人たちは、抗議するとたちまち死刑にされるので、死にものぐるいになって働きました。
やがて修復工事は完了し、他国に離散していた神主たちも再び呼び集められて、すっかり神社としての体裁が整いました。そして、神社の新装開店イベントを行いたいという申し入れが、稲村の里見義成のもとに届けられました。
素藤の使い「前々からちょっとずつ進めていた神社の修復が、最近やっとすべて終わったのです」
義成「おおっ、源頼朝ゆかりの、八幡と諏訪の神社がピカピカに修復されたそうだ。まさに我々の氏神だ。めでたいぞ」
家臣「テープカットをする人物を里見から出して欲しいとのことですが」
義成「これは断然、息子の義道にやらせよう。彼の武運もモリモリ増すことだろう。浜路との結婚を断ったから機嫌を損ねているかと心配したが、なかなかやるじゃないか、素藤は」
こうして、素藤と妙椿がもくろんだ通りに、上総に義道と家来たちがやって来ました。素藤は、誘拐が成功したあとのことをあらかじめ考えて、館山の城に籠城するための準備を進めていました。妙椿は、「陰で助けるから」と言い残して、素藤の前からいったん姿を消していました。
義道に同行するのは、たくさんの雑兵と家来たち、特に、里見義実のときからずっと仕えている超ベテラン家老の堀内蔵人、また、その同僚杉倉氏元の息子、杉倉直元です。もうすぐ神社のある土地に着くかというころ、早馬が堀内と杉倉に安房からの手紙を持ってきました。
手紙「堀内さまの奥方が急に亡くなりました。また、杉倉様の奥様は、赤子を死産してしまいました。お二人とも、随行をとりやめて、すぐに安房にお戻りください」
二人の家臣はショックを受け、残りの家来たちに後のことを任せると、来た道をあわてて帰っていきました。義道が今から行うのは宗教行事ですから、喪に服すべき人物が一緒に参加してはいけないという事情もありましたし、仕方がありません。これで、里見の一行は戦力を大きく減らされたことになります。素藤は城の中でこのニュースを聞き、「妙椿の言っていた『手品』ってのは、これのことかな」と考えました。
実は、妙椿の残してくれた「手品」はこれだけではありませんでした。雑兵のひとりが、館山の城の中に大きな穴が開いている、との報告を持ってきました。穴はゆるやかに地下にくだり、数人の人間が横に並んでゆうに通れる広さでした。
素藤「なんだこの穴は? 誰が掘ったんだ。どこまで続いているんだ」
誰もこんな穴をつくったことはないといいます。素藤みずから、穴の奥に何があるのかを確かめてみました。実に長いトンネルになっていましたが、ついにこの穴から地上に出られる場所まで来ました。これがどこに出たかというと… なんと、諏訪神社の例の巨大な樟の、うろの中です。
素藤「これもまた、妙椿の仕業に違いない。この仕掛けがあれば、義道をさらうのは実に簡単な仕事だ。なんというすごい女だ、あいつは」
さて、里見義道たちの一行は、三つの神社をつぎつぎとまわって、テープカットのイベントを済ませていきました。ふたつの八幡神社での仕事を無事に終えましたので、あとは諏訪神社で同様のことをして、用をすませたら帰るのみです。
家来A「おお、あそこの樟はずいぶん大きいな」
家来B「敵があそこのうろに隠れていてもおかしくないくらいだな。まあ、せいぜい数人といったところだろうが」
本来は素藤自身がこの行事に陪席するべきですが、急に風邪をひいたとウソをついて、かわりに家臣の奥利本膳が諏訪の社頭にて義道たちを出迎えました。
奥利「ようこそいらっしゃいました。今すぐ神主を呼んで参りますので、今しばらくそこでお待ちください」
里見の一行は、そのまますこしの間待っていました。
家来「なかなか戻ってきませんね」
義道「そうだね。ところで、あの樟は本当に大きいねえ。待ってる間、ちょっと近くで見ていっていいかな」
家来「ええ、どうぞ」
義道が、二人の家来をつれて樟のそばに近づいたその時、うろの中から二発の銃声がほぼ同時に鳴り、家来たちはそれぞれ急所を打ち抜かれて地面に倒れました。
「くせ者だ!」
木の中から、不自然なくらいにたくさんの兵がゾロゾロと飛び出してきました。それと同時に、神社の入り口からも部隊が押し寄せました。多くは鉄砲で武装しています。里見の一行はみなが勇敢に立ち向かいますが、鉄砲の波状攻撃によって、どんどんと死傷者の山をつくっていきました。
義道もまた、10歳の若さに似合わず、なかなか奮戦しました。何人かの敵を小さな刀で撃退したのです。しかし、その義道の目の前に、素藤その人が立ちはだかりました。
素藤「多少はできても、オレにはかなわんよ。踏んだ場数が違う」
素藤は義道の刀をかわすと腕をつかんでひねり上げ、そのまま小脇に抱えて樟のうろの中に飛び込みました。そして彼の兵隊たちも、ほとんど全滅してしまった里見の人間たちが流した血の海を尻目に、木のうろのトンネルを通って城に帰っていきました。