114. もどってこい、親兵衛
■もどってこい、親兵衛
安西出来介は、館山城の副門をドンドンと叩きました。「安西と、荒磯だ。さきに矢文で予告したとおり、大将の荒川の首級を取ってきた。あけてくれ」
見張りが確認すると、この二人だけのようです。奥利本膳がこれを出迎え、主な家臣と素藤の集っているところに連れて行きました。腰の刀は建物の入り口で取り上げられており、安西たちの荷物は、首級の桶を包んだフロシキひとつです。
素藤「安西よ、里見軍に一度でも加わったことは重大な裏切りなのだが、荒川清澄の首級を持ってきたというなら、今回はそれに免じて許してやる。さっそくここで確認させろ」
安西「ははっ、こちらの南弥六が、今すぐ」
南弥六は手元のフロシキをほどきながら、素藤のもとににじり寄ろうとしました。
奥利「こらっ、お前が直接殿に見せるな」
南弥六「大将の首をとったのはオレだ。この手柄、誰にも横取りはされたくない」
奥利「無礼だぞ、田舎ものめ。こういう場には、ルールがあるんだよ」
素藤「ああ、いいよいいよ。気持ちはわかるさ。南弥六とやら、桶は奥利に渡して、お前もこっちに来たらいい」
南弥六「さすが素藤さま、お優しい(ジリジリ近寄る)」
こうして、桶から首級が取り出され、素藤本人とまわりの家臣たちが色々な角度からこれを確認しました。
素藤「あいつ、普段はカブトをかぶってるからなあ。こんな顔だと言えばそうだったか… お前ら、分かるか」
他の家臣「私どもも、割と遠くからしか見てませんからな。いまいち確信は…」
南弥六「ああもう、じれったい。荒川の特徴といえば、あごのホクロだろ。そこを見てくれよ」
素藤「ん、どれだよ…」
南弥六は、ココですココ、と声をあげながら素藤に近づきます。そしてそのまま懐に隠していた短刀を一瞬の間に抜き、素藤に斬りかかりました。素藤は額から血をパッと上げながらのけぞります。
家臣たち「くせものめっ」
ここからはもう乱闘です。南弥六と出来介は、襲ってくる家臣の攻撃をかわしては斬り、逃げるものを追っては斬り、また素藤を助け起こそうとするものを妨げては斬り、ともかく手当たり次第に斬りまくりました。家臣たちのうち、野幕沙願太は首を切り落とされ、他の重臣たちもみな体中に傷を負いました。二人はその場にいた者たち全員を圧倒し、あとは瀕死の素藤にトドメを刺すのみとなりました。
南弥六「もらったっ」
南弥六は短刀を振り上げましたが、その腕が突然石のように重くなりました。つぎに、全身からヘナヘナと力が抜けて倒れ、身動きができなくなりました。出来介も同様です。
近くには、印を結んでブツブツと呪文を唱えている妙椿の姿があります。
妙椿「おやおや、間一髪だったわねえ。ほらみんな、今のうちにこいつらを殺しなさいよ」
家臣たちはこれを見て元気をとりもどし、動けない二人に一斉に斬りかかります。はじめに出来介が殺されました。南弥六は、妖術に抗って、全精力をふりしぼって立ち上がり、うおおと叫びましたが、ここまでです。無数の刃にナマス切りにされて、さしもの勇者もついに血の海のなかで息絶えたのでした。
妙椿「死んでない者は、この薬を傷口に塗りなさい。首が切り離されちゃったのは、さすがにもうダメだけど… ほら蟇田どの、あんたも大丈夫よ。しっかりなさいよ」
素藤は、妙椿特製の傷薬が効いて、息を吹き返しました。「む… こいつら、オレを欺いて暗殺するつもりだったのか。ちくしょう、簡単に死なせずに、もっと苦しめてやりたかったぜ… それはともかく、妙椿、ちょうどいいところに帰ってきたもんだな。助かったぜ」
妙椿「まあね」
素藤「浜路姫をさらってこれたのか」
妙椿「それが、うまくいかなくってねえ。稲村城に忍び込んで浜路をさらうところまでは簡単だったんだけど、ここに戻る道中、やつらを守ってる女の神がいて、そいつに攻撃されてひどい目に会ったわよ。ダメージが治るまで丸一日かかったわ。浜路もそいつに奪われたの」
素藤「神だと… ははあ、それが伏姫とかいう、エセ神なのだな。そうか、失敗したのかあ、ちぇっ」
妙椿「この戦に勝って、里見が弱体化しちまえば、今度は余裕でさらって来れるわよ。まずは死なずに済んでよかったじゃない」
素藤「まあ、そうだな」
妙椿「今思い出したけど、その場に、この男もいたわ。南弥六だっけ? ここに落ちてるフロシキを、あのときも持ってたのよ。たぶんその大将の首級はニセモノね。稲村から、似た首を持ってきたんだわ」
素藤「返す返すも、ムカつくぜ… おい誰か、こいつらのクビを切って、城の外にさらしておけ! 小細工がムダなことを、見せつけてやるのだ」
この役目を負ったのは、獄卒長の海松芽軻遇八です。死んだ味方の埋葬と、敵の暗殺者のさらし首を両方とも命じられました。さっそく南弥六と出来介の首を切り離して、城の外に運ばせようとしますが…
手下「困りました、南弥六の首が、重くて持ち上げられません」
軻遇八「なんだって、そんなことがあるか」
手下「本当です。これ何トンあるんですか。おかしいです、何人がかりでも動かせません」
軻遇八も試してみました。南弥六の首は眼を開いて怒りの形相を保っており、その上、確かにどうやっても持ち上げられません。
軻遇八「これはたぶん、南弥六アニキの怨念なんだ」
軻遇八は旧主の時代からここに勤めており、この地に住む南弥六という男の義侠ぶりは前々から知っていました。また、祖父の名誉を取り戻すためにがんばっていることも有名で、彼はアニキと呼ばれてまわりの尊敬を集めていたのです。
軻遇八「そりゃあ無念だよな、アニキ。分かったよ、アニキの首はさらさねえ。さっき死んだ沙願太ってヤツは、ちょっと顔も似てるから、代わりにこいつで済ませるよ。これでどうだい、アニキ」
こう声をかけたとたん、南弥六の首は普通の重さに戻りました。軻遇八は約束をまもり、沙願太の首を切り取ってチョイチョイと細工をし、一見して南弥六っぽく見えるように工夫したものを準備しました。(本物のほうの首は、今回の騒動が終わった後、ちゃんと墓に葬られました)
さて、こちらは、荒川清澄率いる里見軍です。非番にしていた安西が翌日になっても戻ってこず、行方も分からないので、ちょっとした騒動になりました。安西がもともと素藤側の人間だったことを知る人は、「あちらに寝返ったんだ」ともウワサしましたが、やがて真相が判明しました。偵察が、館山城の近くに、二人分の首がさらされているのを発見したのです。そのうちの一人は間違いなく安西でした。
荒川「スタンドプレーは固く禁止していたはずなのに、どういうことだ。ともかく、隊を出して、首を取り返してこい」
田税逸友が、200人ほどの隊を率いて首の見張りたちを蹴散らし、首を奪取してきました。そのときに、獄卒のひとりも捕らえました。獄卒に問い詰めると、館山城の中であったことをすべて白状しました。
ちょうどそのとき、安西からの置き手紙を発見した麻呂復五郎が荒川のもとに報告をもってきました。そこには、安西と南弥六による今回の素藤暗殺計画のあらましが記されていました。これらの材料によって、荒川清澄は今回起こったことをすべて理解しました。
荒川「安西と南弥六の忠義の見事なことよ。なるほど、さらし首のうち一人が南弥六ではない理由は、ヤツの執念のたまものなのか。里見への恩を返すための勇猛果敢さ、実に彼らは勇士と呼ぶにふさわしい。特に南弥六のは、祖先の恥をすすいであまりある働きだったぞ。お前らのことは忘れない。惜しいオトコたちを失った…」
時間をすこしだけさかのぼり、こちらは義成たちのいる稲村城です。安西たちが早馬で上総に発ったその朝、浜路姫がいなくなった、ということで大騒動になっていました。
義成「なんということだ。これもまさか、敵の妖術のしわざなのか」
義成の妻の吾嬬前がやってきて、泣きながら、自分には心当たりがあると述べました。「私は、浜路と犬江親兵衛がカケオチしたのではないかと思うのです」
義成「えっ、まさか」
吾嬬前「私も信じたくありませんが、証拠があるのです」
義成「証拠!?」
吾嬬前「浜路の部屋の中に、こんなものがあったのです。親兵衛からのラブレターでした」
義成「ラブレター! ちょっと待て、似たような話が前にもあった。まさか!」
ともかく、そのラブレターというものを見せるように頼むと、吾嬬前は懐から一通の手紙を取り出しました。それを開いてみると… なんと、白紙です。
吾嬬前「あれっ」
義成「…なるほど、分かったぞ。この手紙が敵の妖術によるものなのだ。一晩たつと白紙に戻ってしまうのだな。考えてみれば、堀内と杉倉がいつか敵にだまされたのもニセの手紙のせいで、あれもあとで白紙になってしまった。私が発見したのも… すぐに焼き捨てたから分からなかったが、あれも待っていれば白紙になったに違いない」
吾嬬前「一体何の話なんです」
義成「私が親兵衛を遠ざけたのも、その手のラブレターを発見したからだったのだ。浜路から親兵衛に向けて書かれたものだった。未婚の男女がこんな関係になるのは許されないと思い、すぐに仲を裂いてしまおうと思ったのだよ。おお、私のバカな間違いのせいで、親兵衛どころか浜路まで失ってしまうとは!」
義成と吾嬬前が悲しみにくれていると、浜路姫の部屋のあたりが急に騒がしくなりました。
義成「なんだ、何があった。おおい誰か、何があったのだ」
召使い「浜路様が戻ってきたのです!」
義成「なんだと!」
この情報は本当で、浜路は部屋の中にちょこんと座って呆然としていました。義成と吾嬬前の眼から涙がぶわっとあふれます。
義成「無事だったのだな! 大丈夫か、ケガはないか。何があったんだ」
浜路「女神さまに会ったのです…」
義成「女神!?」
浜路は、昨晩、妖術使いの尼にさらわれそうになって、その後、犬に乗った謎の女神に助けられたのだということでした。
浜路「女神さまは、私をどこかの山の上に連れて行くと一旦雲から降ろしてくれて、こうおっしゃったんです…」
女神『わたしはあなたの親族だった者です。今回、どうしてもという部分だけは私が直接助けることにしました。しかし残りは、国主・義成の迷いを覚ますために必要な試練ですから、私はあえて見守るのみです』
女神『館山城の素藤は、魔物の助けによって力を得ています。とはいえ、所詮は小敵、里見にとって手こずるような相手ではありません。しかし今回、親兵衛を疎んじて遠ざけたことで、里見の力はあんな小敵にさえ勝てないほど弱くなってしまったのですよ。八人の犬士たちがそろっている限り、これからも里見は無敵です。しかし、一人でも欠ければ、今回のようにたちまち弱くなってしまうのです』
女神『近い将来、里見は、海と陸から迫る100万の敵と戦うことになるでしょう。今回の教えを、ゆめゆめ忘れなさらないよう。八人の犬士とともに、来る戦いに備えなさい。これらを殿に伝えてあげてくださいね…』
義成は、浜路から伝えられた伏姫の言葉を、心に刻むように聞いていました。涙がとめどなく流れます。
義成「…ありがとう姉上、私はやっと迷いから覚めた! 今すぐに、犬江親兵衛を呼び戻します!」