118. あれからの次団太
■あれからの次団太
荻野上風「さあさあみなさん寄っといで。相撲の開祖・出雲の野見宿祢秘伝の妙薬だ。打ち身、すり傷、しもやけなど、なんにでも効く重宝さ。これがたったの十文だ。私自身も、相撲にはちょっと心得がある。その私が自信をもってオススメいたす」
上風は、それからしばらく相撲ウンチク話(昔は相撲に蹴り技があったらしい、とか)を述べ立て、やがて下露を相手に実際の技のデモンストレーションをはじめました。
上風「相手がこう押してきたら、こう受ける。こっちに押してきたらこう受ける。そうして相手が疲れたら… こう投げるのだ。エイヤ!」
観客は喜んでいます。上風はその後も、知っている技をほとんどみんな披露しました。けっこう年寄りなのですが、なかなかの体力と身のこなしです。
上風「フー。今日がここでの商いはじめなので、普段よりがんばってみましたぞ。どうですみなさん、お買い求めにならんか。ホント効くから、これ。買ってよ、たのむよ」
しかし、けっこう楽しんでいたわりに、いざとなると尻込みして、結局誰も買いません。必死すぎるのがいけないのでしょうか。それとも、誰かに買うなとでも言われているのでしょうか。
ついに上風がキレました。「ええい、もういい。ここの土地のやつらは、十文ぽっちのカネも出せないケチばかりだ。もうここで商売してやらないもんね! 下露、店を片付けろ。帰るぞ」
下露「は、はい」
そこに親兵衛が出てきました。「やあ、今の技は、どれも道理にかなった見事なものでしたよ。さっきのウンチクも面白かった。その薬、買わせてもらいたい」
上風「おおっ、ありがとうございます! 一個10文です」
親兵衛「全部もらうよ。これで足りるかな(小判出す)」
上風「えっ、全部だと100個はありますから、使いきれないでしょう。それにしたって、一貫文もあれば十分で、これではもらいすぎです」
親兵衛「いいんだよ、これはあなた達のパフォーマンス代なんだから。これしきで遠慮しないでよ」
上風が感激して何度も礼をのべ、うやうやしく薬をダンボール箱ごと渡そうとしたそのとき… この場に乱入してきて「おうおう、誰に断って商売してるんだ!」と怒鳴った男があります。
男「俺たちに何のアイサツもなしにここで商売するとは太えやつだ」
上風「やあ、すまないな。知らなかったんだよ。ショバ代がいるんなら、あとで払うよ」
男「知らなかったで済むか。なんだその小判はよ。とっととこのガキに返さねえか」
上風「あっ、もしかして、誰も薬を買ってくれないのは、あんたが止めてたからなのか」
男「そうとも。オレが一目にらんだら、誰も逆らえないのさ。ここら一帯の荒くれモンを仕切る、向水五十三太と枝独鈷素手吉とはオレたちのことだ。あ、文句あんのかよ。さっきみたいなエセ相撲が通用する相手と思うなよ」
こう言っている最中にも、ワラワラと「荒くれモン」が集まってきました。
親兵衛はこのやりとりをそばで聞いていましたが、
親兵衛「おじさん、私のカネを誰にあげようと知ったことじゃないでしょう」
五十三太「ガキが生意気言うな。放っておけばいいものを、お前が酔狂にも大金を出してコトを荒立てたんだろうが」
上風「その方は関係ないだろ。わかったよ、カネは返すし、俺たちももうここで商売しないよ。これでいいんだろ。じゃあな」
五十三太「待てよ。ここまでナメられて、一発は殴らなきゃ気がすまねえ」
五十三太がサザエのような拳をふりかぶって殴ろうとすると、下露がサッと腕を捕まえて組みつきました。同様に、素手吉がつかみかかってくるのを、上風が受け止めました。
五十三太「おっ、結構やるな… ちくしょう、お前ら、加勢しろ!」
ここからは大勢での乱戦です。上風と下露はうまく立ち回って大勢を相手に健闘しますが、商売道具や立てカンバンはグシャグシャに壊されました。
親兵衛はこれをなお見守っていますが… 五十三太と素手吉が上風たちから離れて親兵衛のもとに近づき、両側から腕をつかんで「おうガキ、キレイな肌してんじゃねえか」とニヤつくのを見て、ついにブチ切れました。
親兵衛「いい加減にしろ。私の名を知らぬか。安房里見の家臣、犬江親兵衛だぞ」
親兵衛はそのまま腕をブンと振りほどき、二人をふっ飛ばして水の中に落としました。そうして、雄叫びとともに乱戦の中に突入すると、片っ端から「荒くれもの」を殴り倒しました。こうして戦況は一方的になり、やがて敵は全員ヨタヨタと逃げていってしまいました。
上風は親兵衛の名前を聞いて驚愕し、その場にひざまづきました。
上風「犬江…親兵衛、仁どの! あなたが、神隠しにあっていたという、あの!」
親兵衛「あれっ、ご存知なんですか」
上風「もしかして、犬田小文吾と犬川荘助どののお友達では!」
親兵衛「そうです。彼らは私の義兄弟。…ああわかった、あなたは石亀屋の次団太さんだ」
上風「げっ、どうしてお分かりか」
親兵衛「姫神さまに聞いていますからね」
上風「姫神さま? それは一体…」
親兵衛は、自分が富山で伏姫の霊に育てられていて云々、というひととおりの話を、次団太にも今までと同じように説明しました。そして、連れている男は河鯉孝嗣という名であると紹介しました。次団太のほうは、下露と呼んでいた男は、弟子の鮒三であると紹介しました。これら四人は、連れ立ってさっきの船屋に入りなおしました。もう夜ですが、船が出る予定の真夜中まではまだ時間があります。食事をとってから、待合室で会話を再開しました。
親兵衛「…こうこう、こういうわけで、私はすぐに上総の館山に行かなくてはいけないんですよ。船の待ち時間に散歩していたおかげで、次団太さんたちに会えた」
次団太「ははあ、なるほど。ワシはとんでもない人と知り合ったものだ…」
親兵衛「私が姫神さまに聞いているのは、次団太さんが無実の罪で方貝に捕らわれた辺りまでです。あれからどうしていたのですか」
次団太は、投獄されてから今にいたるまでの、少し長い話を始めました。
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ワシが片貝に投獄されたのは、内弟子の土丈二と妻の鳴呼善めが嘘の訴えをしたからです。胸くそ悪いことに、あいつらは不倫関係にあった。それで、邪魔なワシを陥れようとしたのです。マタタビ丸を盗んだというのが、私の罪状でした。
鮒三は、私を助けるために、湯嶋まで旅して蟹目前さまに助命の嘆願をしてくれた。そのときに、物四郎という義侠の男(あとで犬阪毛野どのと知りました)がいて、彼が非常に親身になって手伝ってくれたそうです。
片貝領主の箙の大刀自は、蟹目さまから助命の手紙を受け取りましたが、これの真偽を怪しんで、すぐには対応しませんでした。しかしその直後、五十子城が襲撃され、蟹目さまは、不幸な伝聞の誤りから、責任感のあまり自殺してしまったという知らせを受け取りました。
五十子城主の扇谷定正さまは、その後、今回の襲撃は自分の愚かさのせいだったのであり、蟹目さまはなんの過ちも犯してはいなかったと公式にアナウンスしました。
大刀自は、妹にあたる蟹目前が罪もないのに死んだことに激しいショックを受けました。そして、彼女がよこしたあの助命の手紙についても、ちゃんと対応しなくては妹が浮かばれないとお考えになったのでした。
また、そのころ、マタタビ丸を盗んだ真犯人も判明したのです。閻魔大王の罰によって死んだ、船虫という女がおりました。彼女の背中には生前に犯した罪のリストが書かれており、その中にマタタビ丸のくだりがあったそうです。ワシは獄中にいたときから散々この女が真犯人だと訴えておりましたが、やっとその正しさが証明されたというわけですな。
こういうことで、やっとワシは釈放されました。(大刀自が云々、というエピソードは、そのとき家臣の荻野さまが教えてくれたのです。ついでに、犬田どのと犬川どのが生きていることも。)鮒三も、ワシの出所を出迎えてくれました。
ワシは釈放されたものの、マタタビ丸のことを早く報告しなかったという罪は残っていて、領外追放という処分になっておりました。ですからこのまま小千谷に住み続けるわけには行かなかったのです。
しかし、ワシを裏切った土丈二と鳴呼善だけはこのまま放ってはおかぬと決意していました。
その執念を天が見ていてくれたおかげか、釈放されたちょうどその日、私は土丈二と鳴呼善に会うことができました。小千谷と片貝の中間点あたりです。ワシと鮒三は一夜を過ごすために道ばたの狩猟小屋に籠もっていたのですが…
土丈二は、片貝に呼び出され、ワシを訴えたのが間違いだったことを叱られていました。その帰り道だったのです。鳴呼善ともうひとりのお供(鮠八)が途中まで迎えにきて、そのあたりで合流したのですな。ちょうどそこで激しい雨が降り始めたので、三人はワシらのいる狩猟小屋目指して駆け寄ってきました。
ワシと鮒三は小屋から飛び出して、仰天する三人をすぐさまやっつけました。ワシは土丈二のみぞおちを殴って水田の畦まで蹴り飛ばし、ほぼ同時に、片手で刀を抜くと鳴呼善を袈裟切りにしました。なお起き上がって逃げようとする土丈二を今度は背中から切り裂きました。どちらも、即死はしないように加減しました。
鮒三のほうは、鮠八を捕まえて、石で殴って虫の息にしました。
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次団太「もうちょっと続きがあります。次回に続いていいですか」
親兵衛・孝嗣「まさかの2話またぎ…」