131. 八犬士、伏姫の洞穴を訪ねる
■八犬士、伏姫の洞穴を訪ねる
丶大・照文・そして八人の犬士たちを乗せた船は、夜通し走って、翌日の明け方に安房の白浜に到着しました。そこにはすでにたくさんの使いが迎えに来ていて、まず一同は近くにある延命寺の客室に落ち着きました。苫屋景能と蛸船貝六が仕切ります。
景能「さあみなさん、今日は滝田の義実さまに見参して、その翌日に稲村の義成さまに見参します。馬・若党・口つき等々を一定数ずつ付けますので、今後それを伴って行動してください」
小文吾「わあ、ずいぶんと大仰になるなあ。徒歩でトコトコ行っちゃダメなんですか。礼服くらいは準備してきましたよ」
景能「みなさんは今や里見の家臣ですからね。放浪の身ではないのですから、もうちゃんとした格好をしないといけないのですよ」
小文吾「なるほど、確かにそうだ」
犬士たちは支給の衣装に着替え、親兵衛・荘助・大角・毛野・道節・現八・信乃・小文吾の順に並んで馬に乗って進み、そのまま滝田の城に到着しました。(この順番は、「仁義礼智 忠信孝悌」に従っています)
(ちなみに、ここで親兵衛に与えられた馬は、例の「青海波」でした。親兵衛、この計らいに殿の気持ちを察してニッコリ)
広書院の間で、見参の儀式がはじまりました。犬士たち他が先に中に案内され、やや間を置いて、義実本人が上壇に出まし、あとは所定の順番で儀式が進められました。義実のすべての動作は、とても和やかな、親しげな雰囲気を帯びていました。
義実が皆を前に寄せ、発言します。「みなの今までの活躍はすべて聞いている。私たちに仕える前から、すでに莫大な功績をおさめてくれていること、まことに頼もしいばかりだ。どうか殿(義成)のもとで今後も勤めにはげんでほしい」
八犬士「ははっ!」
義実「あと、丶大と照文。よく20年余の苦労に耐え、犬士たちを集めてきてくれた。ありがとう」
丶大・照文「ははっ」
義実「あと、代四郎」
代四郎「はいっ?(裏声)」
義実「老いてなお衰えず、百里の遠きを行き来して、道節ほかの犬士を連れて帰ってきたこと、この功績もまた小さからず。必ず後に褒美があるからね」
代四郎「か、過分なお言葉…(涙ボタボタ)」
代四郎は、こんな場で名指しで褒めてもらって、すごい出世ですね。
やがて、義実が先に席を去り、儀式が終わりました。家老の堀内貞行が今後の段取りを伝えます。「じゃあ、今日は解散。明日は同じように稲村の義成殿に見参してもらいますからよろしくね。八犬士には、この城の敷地に仮設の宿舎をこしらえておいたから、そこに泊まってください」
八犬士「ハーイ」
そうして案内された「仮設の宿舎」は、仮設と呼ぶのがはばかられるほどちゃんと作られたもので、客間も書院もあり、風呂場、トイレ、家具や調度まですっかり揃っていました。十日ほどで作られたということですが、その短期間でこれだけそろえるとは、義実がいかに犬士を大事に思っていたかが分かりますね。
ところで、この宿舎のすぐ近くに妙真と代四郎たちの宿舎もありました。さっそく犬士たちはそこを訪ねます。妙真はあらかじめ犬士たちが帰ってくることを聞かされており、精一杯の歓迎パーティの準備をして待ってくれていました。
小文吾「どうも久しぶりなことです、義母上。お元気そうで何よりです。信乃と現八はもうご存じですよね。あと、ここにいるのが道節・毛野・荘助・大角です。みんなすごいヤツなんですよ。ああそうそう、親兵衛ももちろんいます。最近会ったっていうから、言うまでなかったか。ほんとこいつ、デカくなったよね。ハハ」
妙真は、言いたかったことをすべて忘れてしまい、小文吾の話の途中でもう顔面が涙と鼻水でぐしゃぐしゃです。
親兵衛「おばあさま、先日は慌てて出て行ってごめんなさい。理由があったのですよ。ともかく、それもすべて解決しました。どうか泣かないでくださいよ。ほら、めでたい場面じゃないですか」
妙真「うん、うん、そうだわね。でも、小文吾の顔を見てたらね、沼藺や房八、そして文五兵衛どののことが、お、思い出されて…(また涙)」
出迎えた人の中には、音音と曳手・単節もいました。こちらはこちらで、道節が残りの犬士たちと帰ってくるという晴れやかな場に、力二と尺八がいないことが残念で、それぞれ声を殺して泣いています。
道節「こらこら、湿っぽくしてくれるな。めでたい場面ではないか。曳手と単節は、無事でいたどころか、子さえ設けたと聞いたぞ。この子がそれか。名前は、夫たちの名をとって、力二と尺八というのか。不思議だなあ、実に不思議だ。神のみわざだ」
残りの犬士たちも代わる代わるに喜びを述べましたので、だんだんと場も明るくなってきました。やがて宴席に案内され、皆は心ゆくまで今までのことを語り、再会をあらためて喜びました。並んだ料理は、さきに見参の式のあとで出されたものほど豪華なわけではありませんが、犬士たちにはこの気の置けない雰囲気が何よりのゴチソウでした。
夜が更けてきました。犬士たちには明日の予定もありますから、丁寧に礼を言って、早めに宴を抜けて宿舎に戻ることにしました。妙真はもっといてくれと頼みましたが、代四郎が「まあ、今後、いつでも来られるんだからさ」と取りなしました。
そして翌日、犬士たちは滝田を出て稲村におもむきました。雨の多いシーズンでしたが、天気はみごとに晴れていました。義成への見参の儀式も、前の日と同じように粛々と行われました。
義成「さて、やっと親兵衛が帰ってきたから、さきの館山戦のときの褒美をみんなに配ることができるぞ。功一等の親兵衛を待っていたんだからね。お主を改めて館山の城主に任ずる。でもしばらくは、他の七犬士と同じように宿舎に留まっていてくれ。いいね」
親兵衛「はい」
義成「残りの犬士たちは、城主格の身分から始めてもらう。いずれ功があったときに実際に城を預けます。給与は云々。他の雑費は云々」
七犬士「はい」
義成は、次に丶大への報償や照文・代四郎の待遇アップに触れ、やがて皆を下がらせました。その後も、手柄のあった家臣や兵士たちへの褒賞を次々と定め、城中がワイワイと喜びに沸きました。
(ところで、この日、堀内貞行と杉倉氏元は、老いを理由に、仕事からの引退を申し出て許されました。この物語の第1話から出演している、古株中の古株です。このめでたい場面は、勇退にちょうどよいタイミングだったんですね)
さて、犬士たちは、この日も同じ宿舎に帰り、翌日の早朝、大山寺から富山のコースでお参りをするために再び外出しました。初めて伏姫の墓に参ることができる、大変厳かでかつ楽しみなイベントでした。
大山寺で伏姫の位牌に祈りをささげ、そしてすぐに富山に登ります。そこには、すべての始まりであった、伏姫が籠もっていたという洞穴がありました。不思議なことに、洞穴の中には誰かの気配があります。
親兵衛「あれっ、あれっ、誰かいる… 丶大さまだ!」
犬士たちの気配に気づいて、丶大は経を唱えるのを少し中断しました。昨日までの立派な格好から、また墨染の質素な姿に戻っています。
丶大「やあやあ、みんな来たね。私は昨日、殿のもとから罷って、夜のうちにここに来たんですよ。伏姫のために、ここで七日間の断食修行をしようと思ってね。まあ、気にしないでいてよ」
そうして再び読経三昧に入りました。犬士たちと代四郎は丶大の姫を弔う気持ちのひたむきさに感動しました。
その後、犬士たちは、ここでの見所にあたる場所をすべて回って、それぞれ祈りを捧げました。姫の墓、八房の墓、そして尺八と力二の墓。また、山頂に登って、観音堂にも参りました。
この地でかつて、浮世を捨てた伏姫が、ひとり日夜を過ごしたのです。そのつらさを想像するだけでも、みな、姫のために涙をこらえることができませんでした。
その後の日々も、犬士たちには訪ねるところがたくさんありました。延命寺、役行者ゆかりの洲崎の神社、那古の観音、照文の屋敷、代四郎の屋敷、その他色々。義実や義成にもよく呼ばれて、何かと話をするという用事もありましたので、平和ながらもなかなかの多忙さです。
さて、7月にも入ったある日、犬士たちはいつものように義成に呼ばれました。すでに丶大と照文も呼ばれていると聞いており、何だろう、といぶかしみながら、小書院の間に入りました。義成と義実がふたりともそろっています。
義実「みんな来たね。今回は、ちょっと内密のことなんだ。ちょっとしたアイデアがあってね。みんなどう思うかと思って、ここに呼んだんだ」
犬士たち「はあ」
義実「かつて、忠臣・金鋺八郎の子、大輔は、大きな罪を犯してしまい、出家して丶大と名を改め、全国行脚の旅に出た。そして、二十余年の修行の末、八犬士を集結させ、父の遺骨を見つけてきてくれた。これはかつての罪をつぐなって余りある大きな功績と言える」
義実「出家を取り消して還俗してもよいくらいなのだ。でも、丶大はきっとそれは望んでいないだろう」
丶大「はい」
義実「だよね。しかし、この二世の忠臣の家系が断絶してしまうのは非常に残念でもある。それで、義成とこの件を相談したんだが… なあみんな。養子として、金鋺の姓を継がないか」
八犬士・丶大「えっ!」
義実「金鋺姓になるったって、別に、たとえば犬塚信乃の名乗りが金鋺信乃になるわけじゃない。かつて天子によって許された、古い意味での姓だよ。例えば私は里見義実だけど、源の姓も持っている。今我々が名乗っている姓は、いわば家号とでも呼ぶものに過ぎないんだ」
小文吾「まあ、確かにそうです。私が犬田小文吾なのは、そもそもは『犬太殺しの小文吾』から来たんですしねえ」
義実「そうそう。それで、今から室町殿に請うて、金鋺の姓を新しく創設するよう、天子に奏聞してもらおうと思うんだ。たぶん聞いてもらえるはず。そしたら、金鋺の系譜は絶えずに済むんだ。みんな、いわば、伏姫と大輔の、霊的な子じゃないか」
犬士たちは、なかなか重大なこの相談に即答しかねて、「うーん」と悩みました。
しかし道節だけは違いました。「承りました! 我々犬士が義兄弟であると同様、丶大どのはいわば『義父』に他なりません。喜んで金鋺氏を継ぎたいと存じます」
残りの七人も、道節の明快さに感動し、次々と賛成の意を表しました。
義実はニッコリしました。「だそうだ。(横を向いて)義成よ。誰を室町殿への使いに出すのがよいかな」
義成「大事な用事ですからねえ。犬士たちのうちから一人、行ってもらうのがよいかと」
ここでシュタッと勢いよく手を挙げた者がいます。親兵衛です。
親兵衛「私が行きたいです! 他の犬士を差し置いて図々しいかもしれませんが、私はまだ世間を広く見ておりません。ついこの間まで、富山だけが私の世界だったのですから。お願いします」
義実「(ニコニコ)いいんじゃないかな、なあ義成」
義成「いいでしょう。それなら、照文にも一緒に行ってもらいましょうか。都会でのマナーは、なかなか慣れない者には難しい。照文ならフォローしてくれる」
照文「犬士のお供とくれば、私しかいないと思っていたところです。ありがとうございます!」
かくして、今回の議題は、和やかな雰囲気のうちに結論にいたることができました…
…
いや、ひとりだけ、この話の流れに強い不満を持って、虚空をにらみ続けている者がいます。
丶大法師その人です。