132. 親兵衛、京に向かう
■親兵衛、京に向かう
八犬士に金鋺の姓を継がせようという里見義実のアイデアは皆に好評でしたが、丶大だけは強い不満の表情を隠せません。
義実「んー、どうした大輔。お前は賛成してくれないの?」
丶大「…失礼を覚悟で申し上げますが、これはせっかくの犬士たちの輝きを台無しにする暴挙と言わざるをえません。私は罪を犯し、俗世を捨てた身なのですよ。それが、八人の義父と呼ばれて子孫を持つなどと… 仏の教えに反する、迷惑な話でございます。ついでに、さきに任じられた延命寺の住職の話も、これも私には無用の名利。法要のお手伝いはいたしましたが、住職をお受けするという意味ではありませんでした。私の望みは今や、伏姫の眠る富山にこもって冥福を念じ続けることのみ。養子の件も住職の件も、謹んでお断りさせていただきたい」
こうキッパリと言い放った丶大を見つめ、義実はあきれます。「おいおい、お前は思い違いをしているぞ…」
義成がフォローします。「丶大どのの意見はそれなりに筋は通っているが、お主の先祖のことも考えなさい。我々は、『忠臣・金鋺』に、子孫を残さぬという不孝を犯させたくないのだ。お主が直接養子を持ちたくないというなら、お主の父・八郎孝吉の養子ということにしてもいいのだぞ。そしたらお主自身のポリシーには関係ないことになる。これでもだめか」
丶大「あ、なるほど、それなら…」
義成「もうひとつ、金鋺の姓を天子に許されに行くのは、京の様子を探り、戦乱で懐が乏しくなっている将軍家に秘かに援助をしたい、というウラの目的もあるんだよ。それこそ釈迦に説法かも知れないけど、分かってくれないかな…」
丶大はガバッと平伏しました。「父と私の両方にわたる殿のご慈愛、気づかずにすみませんでした!」
義実「おー、わかってくれたようで嬉しい。ついでにいうと、これは、金鋺の旧主、神余の名前を残すためでもあるんだ。実は、神余はもともと神余とも読めて、金鋺と同じ先祖だったんだよ。この前館山から連れてきた神余の末裔は、体が弱くてどうも子孫を残せないっぽい。だからこれにも好都合なんだ。ま、蛇足だったかも知れないけど」
丶大は、ありがたさと、さきの自分の発言の浅はかさを恥じるとの両方で、ひたすら平伏しています。
義実「で、延命寺の住職をやるのもイヤかい?」
犬士たち「私たちは、丶大さまが、見参の直後に富山に七日間も籠もって断食修行をしていたのを見ています。丶大さまの決意は間違いありません」
義実「そうなのか… お主ほどの名僧はそうそういないから、ゼヒと思ってたんだけどなあ。だれか代わりがいれば替わってくれてもいいんだけど」
丶大「代わりはすぐにはいませんが… 見込みのある者ならおります。石禾の指月院で出会った念戌君が、実は意外なほどにデキる子で、今、近くに呼び寄せて秘かに教育しています。あと10年もしたら、きっと延命寺も任せられるかと…」
義実「それは頼もしそうだね。でも、じゃあやっぱり、あと10年、辛抱して住職やってくれないかな。オフの時間は、富山に行くなりなんなりしていいんだから」
丶大「分かりました、そうします…」
犬士たち「丶大さま、たとえ我々が養子でなくとも、心の上では師父であることには変わりありませんからね」
丶大「うん、ありがとう…」
これでやっと、今後の方針が全員賛成のもとで固まりました。しかし、今回は内々だけの話です。実際に親兵衛に京への出張が命じられたのは、これから一週間ほどあとでした。
親兵衛と照文が京行きの命令を受けたという話を聞いたとき、姥雪代四郎は動揺し、そして怒りました。
代四郎「なんで? なんでワシがお供に命じられないの? 親兵衛どのとこんなに長いつきあいの、ワシが!」
道節「だってトシだろう? 殿だってそんなに酷使したくないさ」
代四郎「やれますよワシは! 道節どの、どうか殿に口をきいてください。ワシの望みを訴えてください」
道節「もう出発は三日後だ。無理を言うな」
代四郎は、ダメと分かったあともグズグズ悲しんでいました。「老人だからといってこんなにヒマにされたら、伏姫さまに授けられたこの体力も、またもとに戻ってしまう… ワシは里見のために仕事をしたい。食ったり寝たりするだけの、ウンコ製造機にはなりたくない…」
さて、出発の前日になりました。親兵衛は滝田で、義実をはじめ、他の人達に順番にアイサツをしました。七人の犬士たちとも、杯を酌み交わして別れの宴を行いました。犬士たちが、親兵衛にいろいろとアドバイスします。
小文吾「今は戦乱の世の中だ。海賊だの泥棒だのがいっぱいいるに違いない。親兵衛よ、無理に戦おうとするなよ。預かっている荷物は非常に高価なんだ。逃げて済むものは、とにかく逃げるのが一番だぞ」
親兵衛「はい」
現八「オレは昔、京に行ったから、様子を少しは知っている。あそこは戦で荒れたせいで、人々のモラルも乱れきってしまっている。金持ちどもは特にタチがわるいんだ。たいていはズルをして儲けたカネだからな。将軍家の人間も、尊敬できないやつが非常に多い。くれぐれも用心するんだぞ」
親兵衛「はい。心に刻みます」
照文が、伴人の紀二六を連れて、「そろそろ行きましょう、親兵衛どの」と呼びにきました。
親兵衛「ではみなさん、しばらくお別れです。今日のうちに稲村に行って、明日の朝に船に乗ります」
七犬士「気をつけてなー」
その日のうちに稲村についた親兵衛たちは、義成から、京の管領たちに当てた手紙や、天子や将軍家の人々への貢ぎ物の目録を受け取り、翌朝の早朝にいよいよ船出しました。船は丈夫な軍用船で、箱に詰められた貢ぎ物の類いがすでにドッサリ積み込まれていました。
船は順調に走り、夜には、伊豆の下田近くを通るあたりまで進みました。親兵衛は、船室の中で照文といろいろと雑談をしています。
親兵衛「昨日、滝田のみんなにアイサツしてきたんですが、代四郎だけ見なかったんですよ。一緒に京に行けないことを恨んでいましたから、ちょっと心配なんですよね」
照文「まあ、子供じゃないのですから、分かってくれていますよ」
そこに、そっと姿を現したものがいます。
親兵衛・照文「…あーーっ!」
代四郎「ウワサの代四郎でございます…」
親兵衛・照文「どーーして!」
代四郎はニコニコ笑って、どっかり腰をおろしました。「どうってことはありません。あらかじめ船に忍び込んで、隠れていたのですよ。すべて私の独断でやったことですから、今後殿に怒られても、すべてはワシの責任です。親兵衛さま達には決して迷惑をかけません。ワシも連れてってください! 必ず役にたちますから!」
親兵衛と照文は怒る気にもなれません。「負けたよ。そこまでされちゃあかなわない。一緒に行こう」
代四郎「えへ、えへ」
こんな感じで、京行きのメンバーは、親兵衛、照文、紀二六、そして代四郎となりましたとさ。
滝田では、あの日以来誰も代四郎を見かけないので、「まさかあの人は、無理矢理ついていったんじゃあるまいか」という疑いが濃くなっていました。
信乃「港の人に聞いてみましょうか。目撃談があるかもしれません」
こういうわけで、使いをやって港の人間に代四郎のことを尋ねたところ、果たして皆が心配したとおりのことが判明しました。
港の係員「代四郎さんですよね。ええ、出航の前日に、『私が伴人に任命された代四郎である』と名乗って現れて、船の中に入っていきましたよ。まだ荷物を積み込んでいる最中だったのでちょっと変かなとは思ったんですが、まさか密航だとは思わなかったもんですから…」
道節が額にペチンと手をやって途方にくれました。「あいつというヤツは…」
これを知った音音は寝込んでしまいました。「もうだめ、胃に穴があきそう」
小文吾「この件、隠しておくわけにもいかないよな…」
荘助「隠せないわけではないですが、そんな後ろめたいことをしたくもないし…」
毛野「大殿に正直に報告するほかありませんが、いやはや…」
しかし、これを知らされた義実は、苦笑するのみでした。「いやあ、そうだよな、六年間も富山で世話した親兵衛に、着いていかずには済まないよな。わかった、不問にしよう。(小声で)義成には、私が許して一緒について行かせた、と報告させるから心配しないでいいよ」
七人の犬士は、あらためて義実の度量の広さに感服し、今後も命をかけて里見に仕えようという決意を新たにしました。心配で死にそうだった音音も、やっと生きた心地を取り戻しました。
さて、船はさらに順調に進み、三日ほど後には、三河の沖まで来ました。そのあたりから風雨が激しくなりましたので、一旦船を苛子崎に泊めました。
雨はなかなか止まず、船員たちは気が滅入って退屈になってしまいました。ちょっと昔なら苛子のあたりには町もあったのですが、戦乱のおかげですっかりさびれてしまい、気を紛らすような酒もお菓子も手に入りません。
船員「もうちょっと奥地まで行ったら、コンビニくらいあると思います。そこでビールと少年ジャンプ買ってきていいですか」
親兵衛「晴れたらすぐに出港するんだから、遠出はダメ!」
船員「ちぇー…」
数日後になって、やっと晴れてきました。いよいよ船を出せるぞ、と船員達が忙しく準備をはじめていると、陸から一人の武士が船に向かって声をかけました。4,5人の雑兵を連れています。
武士「おいこら、そこの船は、どこの国のものだ。お前らは商人なのか。子細を説明せよ!」