133. チート犬士の弱点
■チート犬士の弱点
親兵衛たちを乗せた船は、嵐を避けて三河の苛子に停泊していました。そこをいよいよ出航しようとすると、一人の武士が雑兵をつれて現れ、職務質問をしました。
武士「私は設良四九二郎。奥郡の城主の命をうけ、ここらを巡検する者だ。その船は、どういう船だ」
紀二六「はあ、安房から浪花に行こうとするものですが」
武士「なにっ、安房といえば、里見家の船ということか。武士が他国の領地を通って行くには、普通ちゃんと届け出を出して許可をとるものだぞ。こんな船のことは聞いておらん。アヤシイ。船の中を検めさせてもらうからな」
四九二郎は船員の制止を振り切って甲板まで乗り込みました。親兵衛と照文がこれを迎えます。
照文「嵐を避けて、ちょっと停泊しただけなんですってば。すぐ出て行きますから」
四九二郎「いいや、お前らはアヤシイ。海賊かもしれん。船荷を開いてチェックさせてもらう」
親兵衛はこれをあざ笑います。
親兵衛「公道や公海を通るのに許可なんていらないでしょう。届け出が云々っていうのは、戦力をそなえた軍団が領内を通るときの話ですよ。我々が戦争をしに行くように見えますか」
四九二郎「なんだとこのガキ、生意気な」
親兵衛「ガキじゃありません、里見の八犬士のひとり、犬江親兵衛です。あまり理不尽をおっしゃると、私もこれ以上黙っておれませんが…」
親兵衛は、船を泊めていた碇を無造作にジャラジャラと引き上げ、軽々と肩にかついでトントンと揺らして見せました。これを見た四九二郎と雑兵たちは、親兵衛の怪力ぶりに腰を抜かしてしまいました。
四九二郎「ま、まて。失礼を言ってしまった。前言、取り消す」
親兵衛「フン」
四九二郎「し、しかし、私の職務のことも考えてくだされ。海賊を取り締まるのが私の役目なのに、この船の素性を知らんまま通した、とあっては、ボスに言いワケが立たんのです」
親兵衛「うーん、そうかも知れないけど、それで? どうしたら済むの」
四九二郎「我々と一緒に城まで行っていただき、領主の隣尾どのに直接あなたがたのことを説明してくだされ。そうすれば私も仕事をしたことになり、みんな丸くおさまるのですが」
親兵衛「(振り向いて)どうします? 照文どの」
照文「これを断ると、なんだか逃げたみたいになっちゃいますからねえ… 親兵衛どのは、船に残って待っていてください。私と代四郎どのが、奥郡に行って説明してきますから」
親兵衛「わかった。くれぐれも用心してね」
こうして、照文、代四郎、紀二郎と何人かの雑兵が、四九二郎に連れられて、城を目指して歩いて行きました。
船に残ったのは、親兵衛と、20人ほどの船員たちです。
雨が止んだら止んだで、今度はひどく暑くなってきました。照文たちが帰るのを待つのは退屈な上に、ジリジリとした空気にみんなすっかりへばっています。そこに、お茶と酒を売る小舟がチャプチャプと訪ねてきました。
物売り「甘酒に濁り酒、おつまみもあるよー」
船員たちはワッと喜んで、財布を片手に小舟を呼び寄せました。
これを親兵衛が叱ります。「お前ら、買うな。こういうのって、海賊にはよくある手口なのだぞ。酒に毒を盛ってこれを飲ませ、くたばらせてから、悠々と船荷を盗んでいくというやつだ。不用心にもほどがある。絶対に買ってはならんぞ」
船員は仕方なく諦めましたが、小声で「考えすぎじゃねえの…」と文句も言いました。
物売りは、商品にケチがついたので面白くありません。「へっ、いいよいいよ、頼まれても売ってやんねえから!」と憎まれ口を叩くと、そのまま近くに停泊している別の船のもとに漕いでいき、商売を再開しました。そこでは船員たちが、めいめい好きなものを買って飲み食いし、大変楽しそうです。
船員「親兵衛さま、親兵衛さま! あの酒、毒じゃないですよ!」
親兵衛「あっ、ホントだ。フーン、あれを見ちゃ、買うのを禁止する理由もなくなっちゃったなあ。仕方ない。お前たち、好きにしたらいいよ」
物売りは、こちらが呼んでもしばらくは「毒入りで悪うござんしたね」とイヤミを言って寄ってきませんでしたが、みんなが手を合わせて拝んで頼みましたので、結局酒を売ってくれました。気を取り直したのか、一樽まるまる譲ってくれました。
甲板の上は、期せずして酒盛りの様相となりました。
伴人のひとりが、上機嫌で、親兵衛にも甘酒を持ってきました。「この陽気ですから、特においしいですよ。どうぞ親兵衛さまも召し上がれ」
親兵衛「うん、ありがとう。せっかくだ、いただくよ…」
親兵衛が茶碗を口に近づけたとたん、懐の袋に入れた玉がピョンとひとりでに飛び出し、茶碗を持った手をバシッと叩きました。茶碗は落ちて割れ、酒が飛び散ります。
親兵衛「むっ!? これはどういう意味だ。…いかん、やはりワナだ。みんな飲むな!」
親兵衛が気づいたときにはすでに遅く、船員たちはみな倒れており、口からヨダレを流して白目を剥いていました。
親兵衛は酒を買うことを許したのを後悔しましたが、考えてももう仕方がありません。少しの間思案をすると、自分も毒にあたって倒れたフリをすることにしました。
物売りがピュッと笛を吹くと、さっき無事に飲み食いしていたほうの船が、里見の船に迫ってきました。その中に、ボスとおぼしい男が、手に弓を持って得意顔をしています。「フッフッフ、この船が大量の金銀を積んでいることは、我らの海賊ネットワークがとっくにお見通し。若干賢いガキもいたようだが、結局はまんまとだましおおせてやったわ」
隣の船から、盗賊が次々と飛び移ってきます。「高価な物は船底に隠してあるはずだ、探し出せ!」
親兵衛は、いい頃合いと見ると、がばっと起き上がって大声で叫びました。「盗っ人どもめ、天罰を思い知らせてくれよう」
そして、後ろから二人がかりで組み付いてきた盗賊を、左右の手で同時にブン投げました。
盗賊たちは一瞬ひるみましたが、どうせ相手は一人きりです。うおっと叫ぶと、色々な武器を振り回して、一斉に親兵衛に迫ってきました。
親兵衛は、敵のひとりから櫂を奪い取ると、これをビュンビュン振り回して、片っ端から盗賊たちをなぎ倒しました。骨を砕かれてその場に倒れるもの、海にはじき飛ばされるもの、さらに岩で頭を打って絶命するものなど、いろいろです。
しかし、盗賊のボスは、この騒ぎの間に、自分だけは船底を探って、小判の詰まった箱をひとつ取り出していました。素早く甲板を駆け抜け、留めておいた小舟にヒラリと飛び降りると、船を離れかけました。
親兵衛はこれを見逃しません。「待てっ」
そして、舳先まで走って行くと、遠ざかりかけたその小舟に、自分もエイヤと飛び乗りました。
この盗賊のボスは、四国から流れてきた、海竜王脩羅五郎という海賊でした。陀々花という毒を使って敵を殺してから盗みを働くのを得意とし、また、武勇にも飛び抜けていることで有名でした。親兵衛はこの脩羅五郎と小舟の上でガッシリと取っ組み合い、お互いをねじ倒そうとしますが、意外なことに勝負は互角の進行です。
親兵衛「むーっ、足場さえユラユラしてなければ…」
親兵衛は揺れる足場での戦いにあまり慣れていませんが、敵は海のプロなのですから、ここらへんで通常時の実力差が相殺されてしまっているのです。
ついに、舟がひっくり返ってしまいました。二人は取っ組み合ったまま、ザブンと海に落ちました。
実は、親兵衛は泳げないのでした。富山の山奥で育てられながら伏姫の霊に様々な武芸を習ったのではありますが、たまたま伏姫のカリキュラムから「水泳」が抜けてしまっていたのです。
脩羅五郎は、明らかに親兵衛の動きがままならなくなったことに気づきました。「やった、こいつはカナヅチらしい。この勝負もらった」
そうして脩羅五郎は、腰の短刀を抜いて、親兵衛の脇腹を刺そうとしました。親兵衛は必死で頭を水の上に出しながら、やっとのことで敵の手をつかんでこれを防ぎますが、どうにも動きに精彩がありません。
脩羅五郎「悪あがきすんな。おらっ、刀がイヤなら、先に海の底に沈めてやらあ」
親兵衛「あっぷ、あっぷ」
絶体絶命のピンチ。これを、陸から目撃した男がいます。他ならぬ、姥雪代四郎です。
代四郎「あれは親兵衛さまだ。いかん!」
代四郎は手近なところにあった小舟に飛び乗ると、すさまじいスピードでこれを漕ぎ、親兵衛たちの戦う場に追いつきました。その間にも、服を脱ぎ、フンドシ一丁の姿になり、そこに脇差しをサッと挟むという準備万端ぶり。
「代四郎が助太刀つかまつる!!」(ザブーン)
脩羅五郎は、寄るなジジイとばかりに足で遠くに蹴飛ばそうとしますが、代四郎はこれを軽やかにかわすと、抜いた切っ先を敵の脇腹に深々と差し込みました。そして脩羅五郎の手足から力が抜けてしまったのを見てから、刀を抜き取り、そのままクビをかき切りました。海が血の色に染まり、波のうねうねに、錦のような模様を描きました。