136. 紀二六、重大任務を負う
■紀二六、重大任務を負う
細川政元の口利きによって無事に金鋺氏を名乗る勅許をゲットした親兵衛は、さっそく安房に帰ろうとしましたが、まだ用があると言われました。
親兵衛「なんの用だろ。もう、することみんな終わったのに」
照文「なんですかねえ」
翌日の朝、親兵衛と照文は、約束通りに政元の屋敷を訪ねました。午後になるまで待たされて、ようやく大座敷で政元に対面しました。
政元「やあやあ、急に呼んですまんね。ほかでもない、将軍どのが、犬江どのに興味があると言っててね」
親兵衛「義尚さまが?」
政元「きみのウワサは聞いてるよ。剛力にして武芸にも優れ、さきには館山で逆賊・素藤を単身倒したそうだね」
親兵衛「はあ」
政元「殿は、お主の武芸を直接ご覧になりたいとおっしゃる。でも、すぐにはスケジュールも調整できないから、当分、この京に滞在してほしいんだよ。もちろん、犬江どの以外は、安房に帰ってくれていい。里見によろしく」
つまり、親兵衛ひとりで京に残れというのです。
親兵衛「お話は分かりました。しかし私は、言うほど力も武芸も優れていませんよ。なにか大げさに話が伝わっている気がします。素藤と戦ったときも、私がしたことはちょっとだけでしたよ」
政元「まあまあ、優れたヤツほどそういう謙遜をするものさ。殿に力をみせて、褒められたりなんかした日には、お主にも、主君の里見にも大変な名誉だよ。ねえ」
親兵衛「私は、今回の使者団のチーフですから… やっぱりまずは安房に戻らないと。武芸が云々という件は、必要ならまた京に来ますから、そのときでは…」
政元は急に怒り出しました。「おい、口が過ぎるぞ! お主は、不敬にも、将軍の命令を拒むというのか。罪はお主だけでなく、里見にも及ぶと知ってなお言うのか」
親兵衛は困りました。
香西復六(政元の家来)「犬江どの、冷静に考えられよ。今回の話がスムーズに行ったのはだれのお陰だったか思い出されよ。ちょっと滞在するくらい、大したことではなかろう。のう、蜑崎どのもそう思うでしょ」
蜑崎照文は、ここは折れるしかないと判断しました。「親兵衛がここに留まって将軍様に褒められれば、もちろん義成も深く喜ぶこと疑いなしでございます。(親兵衛に目くばせ)」
親兵衛「…さきほどの過言、お許しくださいませ。万事、おっしゃるとおりにいたします」
政元、再びニッコリ。「分かってくれればよい。蜑崎どのは、はやく戻って里見に今回の件を報告するがよい。犬江どのは、明日から、当分ウチの屋敷に泊まりなさい。万事こっちで世話するから、伴人たちは無用だよ」
親兵衛・照文「ははっ!」
こうして話がムリヤリ決まってしまいました。親兵衛と照文は宿に戻り、代四郎をまじえて相談します。
代四郎「どうも変なことになりましたな。まあ、親兵衛さまほどの人物なら、将軍様に興味を持たれるのも無理はないのかな…」
親兵衛「そこは変なんですよ。私が何かしたのは、たかだか安房のあたりだけです。ここまでウワサが届くのは不自然です。あと、細川どのが私を単身で屋敷にとどめたがるのも非常に不自然です。どうにもイヤな予感しかしません」
照文・代四郎「そっか、確かに、いろいろ変かも…」
親兵衛はフッと表情を和らげます。「でも、安心してください。私はきっと、円満に事態を解決して無事に帰りますから。安房のみんなによろしくお願いしますね。特に妙真おばあさまには、心配しないよう伝えてください」
代四郎「私はこの宿に残りますぞ。屋敷には入れないかもしれませんが、何か役に立てるかもしれん」
照文「私もぜひ残りたいところですが… さすがに私は、勅許状を持って帰るのが優先です」
親兵衛「もちろんです。きっとこれは、(この前の水難も含めて)姫神さまが私に授けてくれる試練なのですよ。他の犬士たちが切り抜けてきた、身の毛もよだつような艱難辛苦に比べれば、なんのこれしき。バッチコイです」
ここまで語ったとき、照文の部下が部屋に入ってきて、「紀二六さんが、安房から戻ってきました」と報告しました。
照文「おお、わざわざ戻ってきたか。感心だな。しかし今さら仕事もないが…」
親兵衛「いや… いいぞ、紀二六か、これは使える!」
親兵衛・照文・代四郎は、まわりに部下たちも含めてすっかり人がいないことを確かめてから、紀二六を部屋に招き入れました。
紀二六「戻って参りました。みなさまお変わりないですか」
親兵衛「うん、うん。安房はどうでした。殿も大殿もお元気ですか」
紀二六「ええ、ええ。かくかく、しかじかな感じでした…」
紀二六は今までのことを詳細に報告し、また、犬士たちに預かった手紙も渡しました。代四郎は、義実が今回の密航を許してくれたことを知り、安房の方向に向かって手をあわせて拝みました。
親兵衛「安房のことを色々知らせてくれてありがとう。さて紀二六、疲れているところを本当に申し訳ないと思っているんだけど、ひとつ、非常に重要な任務をこなしてもらいたいんです。どうです、やれますか」
紀二六は「ははっ」とつぶやいて、非常に真剣に話に耳を傾けました。
親兵衛「こうこう、こういうわけで、私一人が、細川政元の屋敷にとどめられることになりました。代四郎さんは面が割れていて、もう屋敷には入れてもらえないでしょう。ですから、紀二六には、適当な何かに変装して、外部との連絡役をやってほしいんです」
紀二六「何か、とは?」
親兵衛「物売りなんかどうでしょう。元手はあとで渡しますよ。うまく屋敷の人たちに気に入られて、しょっちゅう出入りできるようになれば、きっとそのうち私とも連絡するチャンスが訪れます。代四郎さんは京に残りますから、彼とも情報を共有しあってください」
親兵衛は、先日香西復六にもらったパスカードを紀二六に渡しました。
親兵衛「これは、門を出入りするときの木牌です。はじめに貢ぎ物をした日に、後々便利なようにと私に持たせてくれたのです。役に立ててください」
照文「そういうことだ、紀二六。少々難しい仕事だが、なんとかやってくれ」
紀二六は、受け取ったカードを懐に収めると、すこしだけ武者震いし、そして姿勢を正して、三人に向かって静かに「今回の大役、せいいっぱいやってみます」と答えました。
親兵衛「よし、ここからは、紀二六は一切我々に接触をしないでください。誰にも知られずに行わなくてはいけないんです。照文どのの部下たちにも、今から何をするのか一切言わないでください。宿も別に取ってください。代四郎さんとの接触も最小限に。ともかく、何もかも秘密に、です。よろしく、では!」
なかなか紀二六にとっては重い任務が与えられました。紀二六は、「ではさっそく」とつぶやくと、素早く部屋から出て行きました。
親兵衛「さあ、手は打ちました。あとは明日からの勝負です。もう寝ましょう…」