137. 流しの太平記読み
■流しの太平記読み
照文は、昨夜の打ち合わせの翌朝に、親兵衛からの手紙などを預かって安房への帰途につきました。
その直後に、香西復六が、馬にのって、宿まで親兵衛を迎えにきました。「犬江どの、迎えにまいった」
代四郎と数人の雑兵も一緒に出て行き、細川政元の屋敷の入り口まではついていきましたが、その後は親兵衛ひとりが門の中に迎え入れられ、宿舎に案内されました。世話はなにかと行き届いて不便はありませんが、政元自身は親兵衛に会いにこず、このまま4日ほどが経ちました。おおむね予想はしていましたが、この状況はほとんど軟禁と変わりがありません。
代四郎は、ダメもとで屋敷の門まで行き、「主人の安否を知りたくて参った」と名乗ってみましたが、案の定、非常に冷たい態度で追い返されてしまいます。
門番「パスカードがなければここは通れんわ」
代四郎「ワシの顔くらい覚えてるじゃろう? 親兵衛さまの伴人だぞ」
門番「誰だろうが知るか。帰れ」
代四郎「(やっぱり何か変だ… 紀二六よ、うまくやって、親兵衛さまと連絡をとってくれよ…)」
その紀二六はといえば、親兵衛たちと別れた日からすぐに準備を始めて、2、3日もすると、物売りの変装を整えて、立ち売り用の箱もそろえました。そして「餡モチ屋で行こう」と決めると、商品を仕入れ、そして細川の屋敷の裏門をフラリと訪ねました。
紀二六「こんにちは」
門番「なんだお前は」
紀二六「物売りでございます。最近鎌倉からここに越してきました。ここの香西さまに昔仕えておったものが、私の縁者にございまして。商売のために今後出入りを許されれば幸いでございます。これはほんのご挨拶で…」
紀二六は、山盛りの餅を盆に積み、門番たちにすすめます。そこには、「酒代」と記したカネの包みも添えてあります。
門番「ほーう… いいんじゃないかな。パスカードは持ってんのか」
紀二六「はい、その縁者から引き継いだものがここに…」
門番「なら話は早いな。これからもそのカードを見せて出入りしな。そのモチ(とカネ)… せっかくだから、預かっておいてやるよ」
紀二六「ハイ、ハイ(ペコペコ)」
その日以来、紀二六は、足軽・雑色などの宿舎を回って、毎日モチを売りました。儲けは必要ないので、仕入れ値以下のめちゃくちゃな安値に設定しました。ツケでも売りましたから、誰もが大変よろこんで、紀二六を何かとかわいがりました。昼飯の余りを分けてくれたり、茶を飲ませてくれたり、いろいろです。
その中に、紀二六が鎌倉出身なことに興味をもった者がいました。「なあモチ屋。鎌倉では今、どんな歌が流行ってるんだ。なにか覚えてたら聞かせてくれよ。歌じゃなくても、珍しい話とか、とにかく面白いものはないか」
紀二六「はあ、歌は得意じゃないですが、太平記なら暗記していますよ」
雑兵「太平記? みんな暗記してんのか」
紀二六「子供のころから好きだったもんですから」
雑兵「じゃあそこから、和歌をいくつか聞かせてくれよ」
紀二六「ええ。たしか全部で和歌は82ほどあって…」
紀二六は、それらの和歌をすべて、朗々と詠じてみせました。
別の雑兵「すげえ! じゃあ、じゃあ、太平記から、あのシーンを読んでくれよ。高師直が、塩谷判官の妻の湯上がりをのぞき見するところ」
紀二六「ええ、いいですよ。エヘン、『只今この女房、湯よりあがりけると見えて、紅梅の色殊なるに、氷のごとくなる練貫の小袖の、しおしおとあるを掻取て…』」
雑兵たち「うおおっ、たまんねえなあ…」
ここらへんで、部屋の班長のジイさんが「キサマら、軟弱なことに時間を潰すんじゃねえ」と怒鳴りましたので、この場はお開きになりました。しかし皆は紀二六に一目置くようになり、雑談ついでに、ここのいろいろな内部事情も漏らしてくれるようになりました。
そうして知った断片的な情報をつなぎあわせていくと、今回の親兵衛の幽閉について、下のようなストーリーであることがわかりました。
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今回の話には、結城で犬士たちを襲った徳用和尚がおおいにからんでいました。
徳用は、実はここの香西復六の息子なのです。(ついでに、母は、政元の乳母。ある意味、徳用と政元は兄弟のようなものです。乳兄弟っていうらしい)
徳用のもとの名は、二六郎。彼は権力者の家に生まれて育ったので、性格が非常に傲慢でした。また、たまたま力も非常に強くて武芸の才能もあったので、成長するにつれて、みなが迷惑する乱暴者になっていきました。
二六郎は、14歳のとき、公家の一団と大げんかをしました。相手は、時の関白、藤原持道公の御車の一行でした。摂家の人間が何人もケガをし、牛飼がひとり死にました。
普通なら、こんな罪を犯した人間には死刑以外ありえません。しかし香西は、ほうぼうにカネを配って謝りまくり、二六郎を無理に出家させて徳用と名を変えさせ、やっとコトをおさめたのです。さらに、京にずっと置いておくのも外聞が悪いですから、結城の逸疋寺に、押しつけるようにしていわば「天下り」させました。
徳用が逸疋寺の住職に成り上がれたのは、つまりは彼が権力者の息子だったからです。結城氏が家を再興させるために幕府の許しを得るときにも、徳用が仲介したのですが、別に彼の実力でもなんでもありません。親のコネに過ぎませんでした。
そんな徳用が、丶大たちが行った大法要に怒り、ちょっかいを出してボコボコに負けてしまったのは、読者の方々はもうごぞんじの通りです。彼は結城を追放されて、ほかに行く場所もないので、腹心の堅削も連れて、ふたたび父・香西のいるこの屋敷に戻ってきたのでした。
ここで徳用が、今までにあったことを正直に言うはずがないですね。
徳用「父上! 結城と里見のやつらは、共謀して、われらに謀反をはかっておりますぞ! 里見の丶大と称する妖術つかいの坊主が、結城の地で我々にあてつけるように堂々と法要を行い、民には米と銭をバラまいて、我らが築いてきた民からの信用を剥ぎ取ろうとしたのです」
徳用「我々は、そんな愚かなことをするなと、言葉をつくして彼らを諫めに行ったのですが、あざ笑われて無視されました。結城の家臣の中でも、我らの大義を分かってくれた、長城、堅名、根生野の三人は、勇敢にも里見の連中を逮捕するために出陣してくれましたが、敵側には、悪の心を植え付けられた8人の改造人間たちがいて、我々はみなそいつらの無慈悲な攻撃にたたきのめされてしまったのです…」
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紀二六「(誰だ改造人間って)」