138. 紀二六、モチを使って手紙を渡す
■紀二六、モチを使って手紙を渡す
紀二六は、モチ屋に扮して、管領の屋敷で情報収集をしています。その中で、徳用和尚(もう和尚っていうのやめよう、徳用だけでいいや)の存在が浮かび上がってきました。
結城から追放された徳用は、手下の堅削といっしょに、里見、丶大、そして八犬士たちの悪口を、あらんかぎりの創作テクニックででっちあげ、父である香西復六に吹き込みました。復六はこれらをすべて真に受け、カンカンになりました。
復六「おのれ里見どもめ。将軍家に歯向かって死んだやつらを、今になってこれ見よがしに弔うイベントを開くとは、たしかに謀反の芽を感じるわ」
復六はこの件を政元に報告しました。政元は驚き、徳用を直接呼んで詳しい話を聞きたがりました。徳用はここでも同じような話を繰り返し、ぜひ里見と結城に征伐の軍を差し向けるべきだと主張しました。
政元「ふーん… これが本当なら、確かにやっつけるべきだな。しかし今のところは、(徳用の報告以外に)確たる証拠がないようだ。やっと騒ぎ(応仁の乱)が収まったところなのに、いきなり次の戦ってのもなあ… ま、もうちょっと動きがあってからでも遅くはないよ」
政元は割と穏健派でしたので、征伐が云々、という件は、いったん棚上げになりました。徳用は不服でしたが、一応もとの古巣でも歓迎されており、それなりに偉い坊さんとしてチヤホヤされたので、しばらくは満足して生活しました。
徳用や堅削に別に大した霊験はないですが、そこらの人が喜ぶような軽薄な話題はたくさん知っており、病気の人間の「気が紛れてちょっと元気になる」というくらいには役にたちました。政元には雪吹という病弱な養女がひとりいましたが、彼女も少しだけ元気になり、徳用はおおげさにこれを自慢しました。
さて、親兵衛たちが使節として京にやってきたのは、大体こんなことが起こっていたタイミングだったのです。
徳用は、使者のひとりに犬江という人物がいるというウワサを聞いて、結城での屈辱をふたたび思い出しました。能化院でシシケバブのようにグルグル巻きに縛られていた、あの屈辱をです。
徳用「父よ。政元どのよ。あいつだ、あいつが悪の改造人間のひとり、犬江親兵衛だ。殺しましょう。なんか理由をつけて殺してしまいましょう」
政元「いやいや、いきなりムチャはできんよ。今のところ、貢ぎ物もしっかり持ってきたし、まわりへの礼儀もカンペキに見える。あれを殺す理由がないぞ」
徳用「いや、いつかはボロを出すはずだ。あいつは凶悪なんだ。せめて、しばらく京に足止めしましょう!」
政元「うーん。あいつが悪の改造人間かどうかは分からんが、本当にお前が言うほど強いのかどうかは、ちょっと興味がある。どうだろう、あいつの武芸を試すためのイベントを開いて、うちの精鋭たちと戦わせてみるというのは。せいぜい人並みの強さなら、たぶん死ぬだろ? そしたら徳用も満足なわけだ」
徳用「ま、まあ、たぶん死にますな…」
政元「もしもそれで勝ち残ったら、そいつは一騎当千のチートキャラだ。それならそれで、得がたい人材であるから、将軍家の家臣になってもらおう。里見からは引き抜いちゃえばいいや。それでもいい?」
徳用「ま、まあ、それは起こりえないことですから、問題ないですな…」
政元「じゃあそれで決まりね」
こういうわけで、政元は、適当な理由をつけて、親兵衛だけを安房に帰さなかったのです。
その後、徳用は、親兵衛の宿舎の場所をかぎつけて、何度か寝首をかきに行こうとしました。万が一にも親兵衛が武芸大会で全勝したら、むしろ彼の名誉になってしまいますからね。その前に「事故で」死んでしまうほうがずっと望ましいのです。
しかし、親兵衛が逃げたり奪還されたりしないように、非常に厳しい警護が敷かれており、これはうまくいきませんでした。徳用にとっては、自分も大会に出してもらい、その晴れの場で、堂々と親兵衛を叩き殺すという選択しかなくなってしまいました。
徳用「まあいいや、オレ強いし、たぶん倒せるだろ。陰でコソコソやるよりかっこいいしな」
今まで陰でコソコソやろうとしたくせに。
紀二六は、餅屋として出入りを重ねながら、これらのストーリーをあらかた知りました。当人達は秘密でやっているつもりでも、こういう面白い逸話というのは、いつの間にか人に知られてしまうものなのです。
すでに、紀二六は、親兵衛の宿舎がどこにあるのか見当をつけています。ここから大声をあげれば聞こえるほど近くのはずです。
紀二六「(さて、私が知ったことを、なんとかして親兵衛さまにも教えたいが…)」
そんな悩みを持っていたとき、雑兵からまた「おい、今日も太平記を聞かせてくれよ」というリクエストがあがりました。
紀二六「あ、ああ、いいですよ。どのシーンがいいですか」
雑兵「なんでも。感動的なところがいいな」
紀二六「じゃあ、備後三郎高徳が、桜の木に歌を書き記すシーンを…」
雑兵「やんや、やんや」
紀二六が朗々と語る一節は、島流しのために運ばれている後醍醐天皇に、「高徳がいつか救いに行きますぞ」というメッセージを伝えるため、桜の木の皮を削って歌を書きつける、という内容のものでした。
この声を遠くで聞いた親兵衛は、この声が紀二六のものであることに気づき、また、今の一節が意味することを直感しました。「彼は、何かメッセージを伝えたがっている!」
親兵衛「(付き人に)ねえキミ、今の見事な太平記の暗唱は、誰? え、モチ売りだって? それはすごいなあ。きっと、売ってるモチもおいしいんだろうなあ」
付き人「まあ、モチは普通の味ですが。安いのがとりえですかね」
親兵衛「あの人からモチを買ってきてほしいなあ。ねえ、注文してきてよ。特別大きくて、最上級の餡がつまったやつを、明日までに」
付き人「はい、そう言ってきます」
親兵衛「ちゃんと念を押しておいてね。安房の使者である犬江が食べるんだ、いちばんいいのを頼む、って」
紀二六はこの注文を受け、それが何を意味するのかを直感しました。「ははっ、きっと明日までに!」
紀二六は、宿に戻ると、小さな紙に細い筆で、今までに調べたことを細かく書き記しました。翌日、いつものモチを仕入れるときに、特別に大きい餡モチをひとつ作らせて、その場で中を切り開くと、昨晩書いたメモをビニール袋に包んで詰め込みました。(モチが乾いてからだと、切れ目があとで目立ちますからね)
再びモチを山盛りに積んで、屋敷を訪ねました。「犬江さまのご注文を持ってまいりましたあ」
親兵衛はこの知らせを聞くと、持ってきたモチをすべて自分のカネで買い取らせ、お目当ての大きなモチ以外をみんな、雑兵たちに配りました。「今日は私のおごりだよ」「ワーイ!」
親兵衛「代金は? ほう、全部で金二分? ちょうどいい、手元にあるから、これを持って行ってもらいなさい。とてもおいしそうなモチだ、気に入ったよ。また頼むこともあるかも、よろしくね」
親兵衛は、硯に敷いていた紙を取り出すとカネを包み、このまま紀二六に渡させました。モチが売り切れたので、紀二六はすぐに屋敷を出て宿に戻りました。
宿に帰って、慌ただしく箱を開けると、カネの包みを取り出します。
紀二六「しまった、モチが入ってた箱だから、包み紙が湿っちゃった。破れないように、乾かさないと…」
そうして、紙を火鉢に慎重に近づけると…
紀二六「あっ、何か文字が浮かんできた?」
親兵衛は、この紙に酒で文字を書いて、あぶり出しとして読めるように細工していたのでした。文字は以下のように読めました。
「この作戦に気づいてくれてありがとう。でも、同じ作戦は、せいぜいあと一度しか使わないこと。あまりやるとバレちゃうからね。屋敷にくる頻度も落とすこと。また、話を代四郎に伝えるときに、彼の宿には行かないこと。道でさりげなく会って話してね」
紀二六「フー… 私がモチ屋に化けていると分かった瞬間にこんな作戦を練って、私が紙を火にかざすことまで予測してるなんて、ホントにあの人、9歳児? ちょっと怖くなってきた…」