146. 親兵衛、虎をたおす
■親兵衛、虎をたおす
姥雪代四郎と直塚紀二六は、白川山に虎退治に行った親兵衛を5人の兵だけを連れて追うことにし、残りの兵は坂本の関の向こうに先に行っているように命じました。山に行く者たちは、みな棒とタイマツを持つことになりました。
(ところで、このときはじめて、兵たちは「あれっ、紀二六さんはここら辺にいたんですか?」と驚きました。ずっとモチ屋に化けて隠密行動してましたからね)
山に入った頃にはすでに真っ暗で、ほとんど手探りのように進まざるをえませんでした。すっかり夜も更けてしまった頃、一同はあるお堂の横を通り過ぎました。兵のひとりが、足もとに血だまりができていることに気づいて驚きの声をあげました。
代四郎「おっ、どうした」
タイマツの明かりでさらに調べると、お堂のそばに、足を失った僧と、腕を失った僧が気絶しています。
紀二六「これは… 徳用と堅削ですよ。どうしてこんなところにいるのかは知りませんが、どうやら虎にやられたっぽいですね。ロクな人達じゃなかったし、まあ、天罰かな」
さらに、お堂の奥で、ひとりの美しい少女が拘束されたまま気絶しているのも発見されました。
代四郎「な、なんだ。この衣装から見るに、尋常な身分の人ではないぞ」
紀二六「もしかしてこの人は、細川政元の養女である、雪吹姫じゃないでしょうか。たしか、このくらいの歳だったと聞いています。まさか、この徳用たちがさらってきたのでは」
代四郎は雪吹姫(と思われる少女)を抱き起こして拘束を解き、頬をペチペチ叩いて声をかけてみましたが、容易に意識を取り戻しそうにありません。
代四郎「体も冷えている。これはやばい… おっ、そうだ。親兵衛さまから少し預かっている霊薬を飲ませてみようか」
薬をすこし口に含ませ、そこに紀二六が近くの小川で汲んできた水をそそいで飲み込ませました。すこし待つと体温が戻ってきて、やがて姫は目を開きました。
少女「ここは? あなた方は誰?」
代四郎「おお、気がついた。我らは安房の里見の使い、犬江親兵衛の伴人じゃ。あなたはもしや雪吹姫か。どうしてこんなところにいらっしゃる。どうも誘拐されかけていたように見えるが」
雪吹姫は、さっきまでの出来事が急に思い出され、震えあがりました。目に涙がたまっていきます。
雪吹「そうです。そこの二人、徳用と堅削に… 私は自室で寝ていたのですが、この男が乱入してきて私を経櫃に押し込み、ここまで運んできたのです。しかしここに虎が現れ、二人は手足を食いちぎられました。私はそれを見て気絶してしまい、その後はおぼえていません」
代四郎「なるほど」
雪吹「お願いします、私を家に帰してください」
代四郎「もちろんです。もう安心ですぞ。我らの名は、代四郎と紀二六。今夜、犬江親兵衛さまがこの山で虎退治をなさる。その手伝いに来ていたのです。来るなという命令にさからって着いてきたのでしたが、あなたをここでお助けできたのはよかった。あとで親兵衛さまに言い訳がたつ(ニコリ)」
紀二六「じゃあ、代四郎さまが、兵を3人つれて、細川の屋敷に彼女を運んであげてください。私はここを見張ります(モチ屋として面が割れていますしね)。できればこの徳用たちの尋問をしておきます」
代四郎「ここは虎がいて危険なのだぞ。私は兵を2人だけ連れて行く。ここに3人残しておくのがいいだろう」
紀二六「虎が本当に現れたら、2人が3人だったとしても、焼け石に水ですってば。ここは、代四郎さんの方を固くするほうが優先ですよ(ニヤリ)」
代四郎「ふむ… 一理ある。そうするか」
代四郎は、姫にふたたび経櫃に入ってもらうと(今回はフタをしません)、棒でつるして、兵を指揮しながら山を下っていきました。「じゃあな。紀二六よ、気をつけろよ…」
紀二六は、徳用たちから情報を聞き出すために、親兵衛の霊薬を少しだけ使うことにしました。「ちょっともったいないけど、これもまた使い道だしね」
姫のときと同じように霊薬を飲ませると、徳用と堅削は意識を取り戻しました。手足の傷の痛みもふしぎと引いて、楽になっています。
徳用「む… お前はだれだ。俺たちを助けてくれたのか」
紀二六「はい。私たちは、香西復六さまから、徳用さまを追うように言われてきた者です」
紀二六は、ちょっと機転をきかせて、自分の身分をいつわり、誘導尋問をはじめました。
徳用「父上からか」
紀二六「はい。あなたがたが逃亡したことがお屋敷で騒ぎになっており、いずれここに追っ手が来ます。我々は、それに先だって復六さまに私的に派遣されたのです。徳用さまにメッセージを伝え、逃亡を手伝えと」
徳用「どういうメッセージだ」
紀二六「『時期を待て。ほとぼりが冷めたら、ふたたび京に呼び戻してやる』と…」
徳用「…ありがたい、親の恩だ。ところで、ここにいたはずの雪吹姫はどこにいる」
紀二六「いいえ、そんな人は見ていません」
徳用「むむ、では虎に食われたのか。あれほどの美人が、虎のクソになってしまったとは、惜しむべし…」
徳用は紀二六のことを信用しましたので、今回のたくらみのすべてを喋りました。「…こうこう、こういうことだ。さっそくお前、俺たちの移動に手をかしてくれ。なんせ手足が欠けてしまったのでな」
これで聞きたい情報はほとんど引き出しましたから、もうこれ以上の演技はいりません。「バカめ。まんまと引っかかって、洗いざらい白状しやがったな。私は犬江親兵衛の伴人、直塚紀二六だ。雪吹姫は、私の仲間が屋敷に連れて帰っているころだぞ。おい、思い出せないか。いつか、結城の左右川でお世話になったよな。天罰テキメンとはこのことだ」
徳用と堅削は、だまされたことに気づいてカンカンに怒りました。紀二六の兵たちは、腹をかかえて笑いました。
悪僧たちは暴れ出しましたが、これだけのダメージを負っていては、もう紀二六たちの敵ではありません。二人とも蹴倒されてすっかり気力を失い、木にしばりつけられるままになりました。
紀二六「よし、ここはこんなもので完了だ。私は親兵衛さまを探す。こいつらの白状によると、今から五虎の連中が親兵衛様を闇討ちに来るらしいからな。用心するように伝えなきゃ。お前たちは、夜通し、ここを見張っていてくれよ。火を絶やすなよ」
兵たち「はい」
紀二六は、タイマツを片手に、さらに山の奥に進んでいきました。
さて、今度は、親兵衛があれからどうなったのかに話を移します。細川政元に虎退治を約束し、紀二六(の化けたモチ屋)に手紙を託した直後に時間を戻します。
親兵衛は、宿舎に戻って、防具を選び、入念な準備を行いました。
使用人たち「犬江さま、兵はどれほど連れて行きますか。武器は何を使いますか」
親兵衛「兵はいらないよ。武器は、弓を使う。取り回しやすいように、サイズは小さめで。矢は、12本用意してください。そのうち、鏃がついたのは2本だけでいいです。残りの10本には、木の球をくっつけてください」
使用人たち「はい」
親兵衛「あと、今までに管領どのから賜った贈り物は、箱の中におさめて、目録も残してあります。みんな返しておいてください。今から生きるか死ぬかの戦いなんですから、持っててもしょうがない」
使用人たち「犬江さまは、無敵でしょう? きっと勝ちますよ。この贈り物は、安房に宅急便で送っておけばいいじゃないですか」
親兵衛「ありがとう。でも、安房に帰らせてもらえることが、何よりの褒美なんだよ。それで充分なんだ」
親兵衛は、食事をすませ、湯浴みで体を清め、そして装備を順に身につけました。鎖かたびらに、籠手、脛当て。武具の下には、安房から持ってきた衣装。両腰には、伏姫の短刀と、名刀・小月形。そして背には12本の矢をおさめた箙。手には弓。オーラがただようほどの完全武装です。
親兵衛「よし、走帆を出してください。秣は充分与えてくれましたね」
使用人「もちろんです!」
親兵衛はサッと名馬・走帆にまたがりました。
使用人「明かりを持っていってください!」
親兵衛「いや、暗くても私は大丈夫だから。じゃあみんな、元気で」
親兵衛はみなに別れを告げると、静かに門から出て去って行きました。使用人たちは、親兵衛の普段の人柄に触れて、全員がファンになっていました。みな、親兵衛が見えなくなるまで見送りました。
使用人たち「お気をつけて! お気をつけて! ご武運を祈ります!」
親兵衛はそれからゆっくりと白川山に向かいました。日はすでに暮れており、あたりは真っ暗ですが、フトコロの霊玉が周りを照らすので、視界は充分です。代四郎たちと大体同じくらいの時間に山についたのですが、道が違っていたためにお互い気づきませんでした。
その後、馬にまかせて、険しい山道を登っていきます。冬の風は刃物のようにするどく、見上げれば、森の隙間から星がチラチラと見え隠れします。見下すと、月光に照らされた谷底がかすかに見えました。ここは談合谷のあたりではないかと見当がつきました。そろそろ夜が白みはじめるのではないかという時間です。
親兵衛「虎よ来い… 来なければ私は安房に帰れん。帰るべき運命ならば、虎よ、現れよ!」
向かいの枯れ草が、風を浴びたようにザッと鳴りました。走帆が気配におびえて嘶きました。次の瞬間、ウオッというけたたましい叫び声とともに、虎が真正面に躍り出ました。
親兵衛「来たっ」
親兵衛は背中から二筋の矢を抜き出し、馬を操って虎をよけました。虎は馬の足をまず噛み倒そうと、二度、三度とアタックします。はじめは怯えた走帆も、冷静を取り戻してあざやかに虎の攻撃をかわします。
虎は敵のすばやさにイラ立ち、木のそばに身を寄せると、身を低くし、尻を高くして静かにうなり声をあげます。獰猛に光る目だけはあいかわらずです。
親兵衛は素早く、矢をつがって弓をひき絞りました。虎はその瞬間に全力で跳躍して襲いかかりました。しかし、放たれた矢のほうが一瞬だけ早く、それは虎の左目を射抜いて後ろの赤松の木にカンと刺さりました。
虎が叫び声をあげて矢を抜こうともがくところを、親兵衛はさらにもう一本の矢を、深々と右目に打ち込みました。両目を木に縫い止められ、虎は体に力が入らなくなりました。
親兵衛「とどめだ」
親兵衛は馬を下りると虎のもとに駆け寄り、全力のパンチを虎の眉間に叩き込みました。頭骨が砕ける音がし、虎はすっかりグニャグニャにへたばりました。