149. 五虎、最後の一人
■五虎、最後の一人
関所でのトラブルもすっかり解決し、親兵衛の一行は、そろって安房への帰途につきました。しかしこの日は無理にたくさん進まず、早めに宿をとることにしました。親兵衛が、みな疲れているだろうと気遣ったのです。
宿の大部屋の中で、それぞれが今までに体験したことを話し、お互いが知らないときにどこで何が起こったのかを、みなすっかり理解しました。
雑兵「紀二六さんがモチ屋に化けていたなんて知りませんでした」
親兵衛「うん、これは、私とこっそり連絡するために極秘でやっていたんですよ。ねえ紀二六、さっき政元どの達に会ったとき、お前が屋敷に出入りしていたことに気づいた人はいそうだったかい」
紀二六「いえ、たまたまあの中には、屋敷で会った人はいなかったようです。虎の死体を検分しているときには誰かいたかもしれませんが、暗かったですし、みんな虎のほうに釘付けでしたからまず大丈夫です」
代四郎「親兵衛さま、この紀二六は、実は照文どのの甥なんですって」
親兵衛「なるほど、妙に頼もしい人物だとは思っていたけど、そうだったのかあ。照文どのも自慢できますね」
紀二六「え、ええ、どうでしょうか…(困惑)」
雑兵「そうだ、明け方に関所で火事があった件ですが、実は我々が親兵衛さまを助けようと思って火をつけました。役に立てましたか」
親兵衛「そうか、そうだったのか! いい機転だったな、ありがとう、助かったよ」
親兵衛「紀二六の正体も、火事の件も、バレないまま終わってよかったよ。みんな、本当によくやってくれた」
親兵衛は、みなに褒美としてお金を配りたかったのですが、(特に代四郎が)遠慮して受け取ってくれないかも知れないと思い、ちょっとした工夫をしました。
親兵衛「ええと、ここに、里見殿からあずかった出張費用のお金がある。私は管領の屋敷に世話になっていたから、実はほどんど減っていません。これから、帰るまでに、どんなトラブルで互いがバラバラにならないとも限らないですから、もしものために分けて持っておきませんか」
紀二六・雑兵たち「ははっ…」
代四郎「なるほど、そういう理由でしたら、私も、安房まで少し預かります」
親兵衛「(よしよし、安房に帰ったら、ドサクサに紛れてみんなにそのままあげちゃおう)」
これでミーティングは終了です。親兵衛は、明日以降も、若干ゆっくりめのペースで帰ろうと決めました。年末までには間に合うはずです。
親兵衛「じゃあもうみんな寝よう。あ、あとひとつだけ。道中で、京の人々のウワサ話はもう一切しないようにしようね。誰がどこで聞いているか分からないです」
みんな「わかりました。おやすみなさい」
翌日も、そこそこのペースで進みました。やがて伊勢に入り、石薬師という村を通過しようとしました。薬師如来をまつった仏堂を横目に通りすぎるとき、一行は、後ろから「犬江氏、しばらく! 勅使、勅使!」と呼びながら馬を駆ってくる、烏帽子の男に気づきました。
親兵衛「誰だろう… あっ、あの人は、秋篠広当どのだぞ」
秋篠広当は、武芸大会で弓の腕を競った男です。彼は不正をしようとしませんでしたから、親兵衛は好印象を持っていました。
その彼から勅使(天皇のお使いってことです)との言葉を聞いて、親兵衛は急いで馬を降りました。他の人はヒザをついて控えました。
広当「フー、なんとか追いついた。よかったよかった… 犬江どの、しばらくぶりですな。天子からの詔勅をあずかって参った。落ち着いたところでお渡ししたい」
親兵衛「なんでしょう… 場所なら、ちょうどあの仏堂がよいように思います。どうぞ、ご一緒に」
仏堂にみなで上がらせてもらうと、広当は上座に座って、改まった口調で勅使の口上を述べました。「このたびの虎退治のことを、管領から将軍に報告したところ、非常にお喜びなさった。彼なくして京の良民たちに平和はなかった、とまでおっしゃった。これを賞するために、天子に奏聞の上、犬江どの、お主に従六位の位を授けることと決まったのだ」
親兵衛は驚きました。
広当「本来なら都に呼び戻すべきところであったが、一刻も早く安房に帰りたかろうという配慮から、このように道中で恩勅を伝えよ、ということになったのだ。お主と面識があるという理由で、私が使者に任命された次第」
広当はここまで述べてから、フトコロから取りだした書類(勅書と将軍からの手紙)を親兵衛に差し出しました。親兵衛はこれをうやうやしく受け取り、この上ない丁寧さでそれを開封すると、内容をじっと読んで確認しました。
そして、それをまた丁寧にたたみ直すと、非常に真面目な表情で、これを広当のほうに押し戻しました。
親兵衛「身に余る光栄でございます。しかし、あの虎を退治したことは、私の功とは言いがたいのです。今上皇帝の聖徳、将軍の武徳、また、わが主である義実・義成父子のなしたことに他なりません。私の功でないのに、どうしてこれを受けることができましょうか」
広当「その謙遜ぶりは賞賛に値しますが、しかし、天子の与えたもうこの栄爵を断り申すとなれば… これは今度は不敬の罪となってしまうのですぞ。お主のその答えを持って帰る私のことも考えてはくださらんか」
親兵衛は、なお固辞します。話しているうちに、だんだんと涙目になっていきます。
親兵衛「さよう、私はあえて違勅の罪を犯すほかないのです。私にとってなにより優先すべきはわが殿のこと。殿に無断でこの栄爵を受けるとなれば、これは不忠にほかなりません。また、私には生死を共にすると誓った七人の兄弟がいます。彼らをさしおいて栄爵を受けるならば、これは不義でございます。どうか、どうかご理解いただきたい」
広当はここまで聞いて、この忠義の魂の気高さに、ほとほと感嘆しました。
広当「こんな世の中にも、まだこのような賢者がいるとは! お主の人並み外れた武芸は先日見せてもらったが、心もまた廉直。よろしい、お主の答えを、そのまま持って帰ることにいたす。恩賞を返上されたからといって、今上も、将軍も、おそらくお怒りにはなるまいと思う。むしろ感心してくださるだろう」
親兵衛「ありがとうございます。今回の使いがあなたのような賢者でよかった。他の人だったら、私の断りを許してはくれなかったでしょうから。もしどうしてもこの恩賞を受けざるを得なくなったら… 私はこの場で首を落として死ぬつもりでした」
広当「うむ、そのくらいの覚悟だったのだろうな… 上にはよしなに伝えておくから任せてくれ。ところで… お主は今から東海道を通っていこうというのか?」
親兵衛「はい。政元さまから、駅路の鈴というものを貸していただきました。これを使って東海道を行け、とせっかくおっしゃったので…」
広当「なんと、その鈴を預かったのか。…うーん、尾張より向こうは京の敵国であるから、この鈴でもなお通りがたいところがあるかも知れん。もし通れたとしても、安房に帰ったら本当にすぐに返却しないと、罪になってしまうぞ。これを長く持っているのは危険だと思う」
親兵衛「なるほど、どうしたらいいでしょう」
広当「私が、この鈴をあずかって帰り、管領に返します。犬江どのには私が持っている手形をあげますから、やっぱり東海道を避けて信濃路から帰るのがいいでしょう。尾張に出てからすぐに北上すれば問題がない」
親兵衛「ありがとう! そうします」
こうして二人の面談は終わり、やがて広当は京の方向に戻っていきました。
親兵衛「京には尊敬できる人が少なかったが… 彼だけは、ガレキの中の宝石であると言えよう」
さて、広当は、京に戻ると、帝と将軍にそれぞれ親兵衛からの返事を伝えました。どちらも充分に賢い人物だったので、恩賞を突き返された怒りなどはなく、親兵衛の忠義の強さにいよいよ感心したということです。
公卿たち「でも、残念だったね。いったん東国に帰っちゃったら、あそこはひどく乱れているし、改めて犬江に連絡するのは難しいもんな…」
広当は、次に、細川政元に面談しに行きました。
広当「政元さま、私はさきに使いで親兵衛に会ったときに、鈴を返しておくよう頼まれました。ここに預かっています」
政元「あっ、本当だ。私の鈴だ。どうしたの」
広当「いったん安房に帰ってしまえば、鈴を返すのが難しくなってしまうことを心配したそうです。長く借りたままでは政元さまの迷惑になってしまうから、と… 彼はやはり信濃路から帰るそうです」
政元「な、なるほど。確かにそうだ… あいつはつくづく賢いな」
その後、政元は、例の三つの関所を廃止しました。隣国が京に帰順するようになり、あまり危険でなくなったからです。また、取り調べの上、虎の死体を調べずに喫茶店で時間をつぶしていたことが判明した小物たちは、むち打ちの刑に処されました。
また、徳用と堅削も、首をはねられてさらし首となりました。あれだけ紀二六の前で自分の悪事をベラベラと喋ってしまったのでは、もうどんな言い訳も不可能だったのです。徳用の父であった香西復六は、病気と称して仕事を休み、次男の政景をかわりに出仕させるようになりました。(実際は、息子を殺した政元を恨んで、仕事がイヤになったのです。雪吹姫とか誘拐した犯人なのに、さすがに逆恨みとしか言いようがないですね)
さらにその後、政元は、管領の地位を降りてしまいました。虎を出現させて京をさわがせた責任について、世論を抑えきれなくなったのです。