158. 義成、敵の間者を生かして返す
■義成、敵の間者を生かして返す
洲崎の陣にいる里見義成のもとに、義実の近習たちがやってきました。
萌三「大殿がさきほど、我々にも戦に参加してこい、と送り出してくれたのです。いつもは滝田で大殿に仕えている私たちですが、さっき、荒川どのをはじめとする老臣たちがいらっしゃって、滝田・ジジイクラブを結成したのです。かわりに、若い我々は今回いろいろ勉強できるはずだから、ぜひ手伝ってこいと」
義成「なるほど」
萌三「我々3人は喜び勇んで装備をととのえ、15人ほどの雑兵を連れてここに馳せ参じたというわけです。しかし、さっき浜窪を通ったころ、ひとりの人物が他の村人に熱心になにかを語っているのに気づいたのです。その声が武蔵訛りだったので、アレ変だぞと」
萌三「それで、『おい』と呼びかけてみると、そいつは慌てて逃げようとしました。いよいよ怪しいので追いかけて捕まえ、縛り上げて素性を問いただしたところ、彼は管領側の放った間者だったことが分かったのです。朝時技太郎と名乗りました」
萌三たちは、連れていた男をみなの前に突き出しました。
萌三「こちらの領地から裏切り者を出そうと画策していたんですね。こんな檄文を何枚も持ち歩いていましたよ。もういくつか領内に出回っているかもしれません」
義成は、その檄文とやらを杉倉直元に音読させました。
「里見義実は犯罪者である。浪人として安房に流れつき、ドサクサ紛れに定包を討って土地を横領し、ひきつづき麻呂・安西も謀殺した。その子、義成もまたしかり。勢いにまかせて上総、下総を侵食し、周辺の国には無礼な態度をとってデカい顔をしている。また、義成は、犬山道節や犬塚信乃といった8人の荒くれ者を雇って、隣国の城に火を放ち、略奪の限りをつくさせた極悪人なのである。8人の中でも最も極悪なのは犬江親兵衛であり、彼は隣国の重臣である河鯉孝嗣を拉致し、子分としてこき使っているという始末だ。鎌倉の両管領は、関東中の国主たちと同盟し、安房里見に天誅を加えるため、正義の戦いを行うことをここに決意した。領民のうち、義成や犬士どもの暗殺に成功したものは千金をもって報いられるであろう」
義成「なるほどねえ、ふーん… きみきみ、技太郎といったね」
義成は静かに諭し始めました。
義成「これはまったくアベコベの話なのだよ。定包を討ったのは土地の旧主のためだし、麻呂と安西は単に自滅しただけだ。大体、それが本当に罪だと思うなら、そのときにすぐ何かすればよかったはずでしょう。どうして今なんだろう。説明つかない」
義成「もうひとつ、私が上総、下総に領地を広げたのも、各地の暴君が勝手に自滅したからなんだよ。行き場のない民を受け入れただけだ。また、犬士たちが城を攻めたのは、あれは道節たちが旧主の恨みを晴らすためだったんだし、そのときはまだ私の家臣ではないよ」
義成「ともかく、管領たちが攻めてくるというからこちらは仕方なく守りの戦いをするしかないのだが、そもそも敵対したいという気持ちは全くないのだよ。きみ、私の話に納得が行ったなら、帰って主人にもこれを伝えて、なんとか戦争をやめさせてあげられないかねえ」
技太郎「…わかりました、帰って主人の大石憲重に今の話を伝えます」
義成「よしよし、それじゃあ舟に乗せて向こうに帰ってもらおう。誰か彼の縄をほどいてやれ…」
道節「ない! さすがにそれはないですぞ!」
道節がこらえかねて大声を上げました。
義成「どうしたの」
道節「今回のご沙汰、敵に刃を渡すも同然と言わざるを得ませぬ! おそらく間者は彼だけではありますまい。民の中には、この檄文で迷いをいだくものも現れましょう。すぐにこいつのクビをはね、それをさらして見せしめにせねばいけません!」
他の家臣たちも、多かれ少なかれ道節と同じ気持ちで聞いています。残りの犬士たちも黙っています。
義成「うん、道節よ、お主だけでなく、他のみなも同じことを考えていることだろうな。しかし私の考えではな… 民が裏切るか裏切らないかは、すべて私の徳にかかっているのであって、こんな紙ペラに関わらず、裏切られるときは裏切られるのだ。つまり、敵の作戦には意味がない。意味がない作戦に私が怒って間者のクビをはねれば、私はこれをたくらんだ者たちと同レベルに落ちることになるんだよ」
道節はこの答えに納得しました。「ご教示ありがとうございます。私が浅はかでした。殿の徳の高さには、私など及びもつかぬ… ついでにもうひとつお聞きしてよいでしょうか」
義成「うん」
道節「さきほどの軍令で、殿は、殺すことを功とせず、生け捕ることがこれに勝るとおっしゃいました。これが私には納得いたしかねる。戦において、殺すつもりで臨まなくては自らが殺されることは必然。生け捕りを目指しながら加減して戦うなど、できるはずもございません。これいかに」
義成「よいことを聞いてくれる。私が言ったのはそういう意味ではないのだ。謀を用いて、戦わずに敵を負かすのがベストだ、ということなのだ。やむを得ず敵と刃を交わすことになってしまったら、そのときはもちろん手加減は無用。しかし、戦う前の段階で敵をあわれみなさい、ということなのだ」
道節は一切の疑問が氷解して、晴れやかな顔になりました。「ありがとうございます。私以外にも同じ疑問をもったものがいるかもしれません。しかし、もうすっかりそれも晴れました。喜ぶべきことです」
義成「うん。お主のように疑問を直言してくれる忠義の心、頼もしく思うぞ。今後も何一つ遠慮せず、私に意見をぶつけてくれ!」
家臣たちは、この問答に感動しました。この主君にして、この家臣あり。里見が敵に負けるはずがないという気持ちが新たになりました。
こんなわけで、結局、技太郎は敵陣に帰ることを許されました。彼は洲崎であったことをボスの憲重に報告しましたが、憲重はこれを定正に上げず、握りつぶしてしまいました。まあ、そんなもんですね。
さて、その後、それぞれの拠点にだれが行くのかが順次定められました。おおむねのところをリストに書き出します。
洲崎の本陣… 総大将義成、軍師毛野、防禦師道節・大角、小森高宗、浦安友勝ら(兵の人数16000)
行徳… 防禦師荘助・小文吾、登桐山八郎ら(兵の人数8500)
国府台… 総大将義道、東辰相、杉倉直元が籠城し、城の前面には防禦師信乃・現八、田税逸友ら(兵の人数9500)
稲村城… 次丸を大将に、荒川清澄が後見(兵の人数1500)
他の人々は遊撃軍です。
ここまで決めれば軍議はほとんど終了です。最後に義成と義道は、洲崎明神に二本の矢を奉納して戦勝祈願をしました。二羽の白鳩が神社から飛び出し、北西に向かって飛び去ったのが幸運を予感させました。翌日以降は、それぞれが決まった場所に行軍して陣を張り、鋭気をみなぎらせて敵の到来を待ちました。
日は過ぎ、12月5日になりました。洲崎の本陣に、敵地にいる大角からの手紙をもった使いが到着しました。「軍師に手紙でございます」
軍師・毛野はこれを受け取って読み、会心の思いです。「よし、すべてうまくいっている!」
毛野は義成に報告します。「丶大さまと犬村の作戦は順調です。今晩、雑魚太郎貞住に150人の兵をつけて大角のもとに送ります。また、音音さんたち4人にも、別に敵地に潜入してもらいます」
義成「うん、たのむ。貞住もおおむね心得ているはずだ」
毛野はその後すぐ、貞住と浦安友勝に秘密の指示を出しました。また、蛸船と萌三にも別の指示を与えると、割符を与え、どこかに送り出しました。
その後、毛野は友勝だけを連れて秘かに稲村に帰り、堀内の屋敷に閉じ込められている千代丸豊俊に会わせました。「こうこう、こういう手はずですから… 豊俊どのはまだここに留まってください」「わかりました!」
そして、豊俊には牢に戻ってもらい、音音たち4人を呼んで、友勝といっしょに、今後の細かい段取りを伝えました。そのころになると、雑魚太郎貞住も洲崎の陣を離れてこの屋敷に戻ってきました。どこにスパイがいるかわかりませんから、彼は仮病を使って陣を抜けてきたのです。そろそろ、こういう用心が本格的になってきます。
毛野「ここからが大事です… 貞住どのは、これから150人の兵とともに漁師に変装して、敵地にいる大角に会ってください。さっき手紙を持ってきた兵が案内してくれるはずです。大角は赤岩百中という偽名を使っています」
毛野「音音さんたちは、投降人、千代丸豊俊の身内として、五十子城に入ってください。4人一度に行くのは不自然ですから、こうこう、こういう段取りでやってください。スパイをあざむくため、こういう演技もしてください。友勝どのも一緒に行きます」
音音たち「はい」
この日の夕方、音音と曳手は、身をやつして小舟に乗り、順風に恵まれて、翌朝の明け方には敵地の柴浦に到着しました。(丶大が風を送ってくれているので、計画通りに舟が進むのです)
浦安友勝と妙真・単節は、すこし遅れて、音音たちが発ったのとおなじ浜辺に行きました。ここにも一艘の舟が準備されていました。
ひとりの漁師が、友勝の姿を見つけて声をかけました。「む、おまえは、浜県馬助だな」
友勝「そうとも、おれは馬助だ」
漁師「こんな時間にどこへ行くのだ。母と妹まで連れて」
友勝「うむ、お前も知ってのとおり、千代丸さまのために、五十子の扇谷さまに投降の許しを請いに行くのだ。同僚の妻と娘が先に行ったのだが、あいつらは千代丸さまの書簡を持ち忘れて行きおった。だから急いで追わねばならないのだ」
漁師は怒りました。「バカな。お前は里見の恩を仇で返すというのか。千代丸さまが死刑にならずに済んでいるのは里見の慈悲のおかげなのに」
友勝「バカはおまえだ。今こそ千代丸さまを奪還し、新たな旗揚げをする千載一遇のチャンスなのだ。お前にはもう関係ないことだ、放っておいてくれよ」
漁師「おのれ馬助、ただでは済まさん」
漁師は友勝につかみかかりましたが、友勝に反対に投げられてしまい、頭を砂浜にめり込ませました。その際、石にでも当たってしまったのでしょうか、漁師の頭からはおびただしい血が流れ出て、あわれにも絶命してしまいました。
友勝「恨むなよ」
この様子を陰から見ていた別の男が、「おい、馬助とやら、よくやった」と声を掛けました。
友勝「あんたは?」
男「オレは大石憲重につかわされたスパイ、天岩餅九郎だ。お前を管領に紹介してやろう」
友勝「それは助かる。ぜひ頼む。この女たちも身内なんだ」
餅九郎「ああ、分かっている。さっき陰で聞いていた」
友勝と妙真・単節は、餅九郎と一緒に、柴浦を目指し、夜の海に消えていきました。…それを見届けると、さっき死んだはずの漁師がむっくり起き上がり、頭にべっとりとついたケチャップを拭き取りました。
漁師「あれで友勝どのは信用されたようだな。オレの役目はうまくいったというわけだ…」
後半、とっても内容が複雑ですね。なんせ、毛野のやることですからねえ…