162. 荘助、恩人との戦いを避ける
■荘助、恩人との戦いを避ける
麻呂再太郎と安西就介は、志なかばに倒れたオヤジのあとをついで敵の柵に火をつけることを決意しました。今はまだ泣くわけにはいきません。
就介「しかし、どうやる… 水門から入るのは危険だ」
再太郎「あちらの隅に、柳の木がある。あそこに登ると、柵の内側に飛び降りられそうだ」
二人はこっそりとそちらに泳いでいき、上陸しました。木の上を見上げると、すでにひとりの人物が登りかけていて、木のまたから二人を手招きします。
再太郎「あれっ、あれはオヤジの… 幽霊なのか? 死してなお、私たちを導いてくれるというのか」
復五郎「コラコラ、かってに殺すな。オレは生きている。さっきの銃声でオレが撃たれたとでも思ったのか。あれは空砲だ。たぶん、時報みたいなもんなんだよ」
再太郎「なんだ、そうなんですか」
復五郎「しかし、誰かが起きてそこを見張っている可能性が高いと思ったから、別ルートで侵入することにしたんだよ。お前らもここを見つけたんだな。ちょうどいい、一緒に行こう。ここから中を見る限り、いけそうだぞ」
こうして3人は、敵の柵の内側にこっそり飛び降りて侵入しました。見張りらしい人間も少数いますが、みな居眠りしています。復五郎たちは、消え残っているかがり火の薪をそれぞれ手にすると、忍び歩きながら、柵の中に点在している小屋にそれぞれ放火しました。
再太郎「おっ、いいものがある。これもいただこう」
再太郎は、居眠りしている見張りのひとりが足下に置きっぱなしている鉄砲も拾い上げました。弾がこめられており、火縄も大丈夫そうです。
ちょうどいいタイミングで、川の風が吹きはじめました。チラチラと燃えかけていた火が、急に一斉に燃え上がり始めました。敵はたちまちパニックに陥りました。
柵の兵士たち「なんだなんだ、裏切り者がいるのか」「火を消せ! 川の水をくめ」「敵を探せ!」「けむいー」
この混乱に乗じて、三人は敵の中でも立場が上そうなものを次々と選び討ちにしました。中でもリーダー格だったものは小越小権太といいますが、彼は再太郎が持つ鉄砲の餌食になりました。
犬川荘助率いる里見軍は、このころ、ちょうど川を渡りきろうというときでした。柵の内側に火があがり、混乱が起こっているらしいことを確認して、荘助は作戦がうまくいっていることを知りました。
荘助「よし、突入だ」
これで戦況は決定的になりました。柵にはもうひとりリーダーがいて猨嶋将衡という名でした。彼はしばらく大声で怒鳴り、兵士をはげましていましたが、里見軍が数知れず迫ってくるのについにもちこたえられなくなりました。彼は馬にまたがると、若干の雑兵に伴われ、内陸のほうに逃げて行ってしまいました。
荘助「ヤツを逃がすな。追うぞ」
荘助もまた、手近な馬を奪うと、彼を追って夜の闇に消えていきました。兵士たちもそれに着いていきました。
さて、小文吾のほうは、川の中州である妙見嶋攻略を担当していました。ここもまた、再太郎たちの活躍により水中の鎖が除かれており、船での上陸は容易でした。
小文吾「よし、矢を放て。大砲隊は、柵を撃って穴をあけろ」
敵は、昨晩と同じようにダミーの敵が現れたのだと思っていたため、対応が遅れてしましました。これで虚を突かれたために、ここにおいても戦況は一方的になってしまいました。敵側の兵士は終始あわてて走り回るばかりで、次々と小文吾側の兵に縛り上げられていきます。
妙見嶋のリーダー、彦別夜叉吾「おのれ里見どもめ」
彦別だけはヤリを振り回して里見軍をてこずらせますが… 小文吾が敵の兵士を彼に投げつけてひるんだところに、さらに彼自身もつかまれて、空中にブン投げられて落ち、戦闘不能になったところを縛り上げられました。
小文吾が鬼神のように強いので、敵は総崩れになって逃げようとしました。しかしここは中州ですから、逃げるには船がいります。小文吾はあらかじめ何人かの兵にこの船の櫂を隠してしまうよう指示していましたから、誰も逃げることはできません。遠回りして浅瀬を通って逃げた数人以外は、一網打尽に捕らえられてしまいました。
小文吾「フー、大体終わったかな。おい彦別よ、お前は勇士ということで結構評判だったはずだが、あっけなかったな」
彦別「けっ、運がなかったんだろうよ。ところで犬田よ、お前に言いたいことがある。お前たちは専守防衛してたんじゃなかったのかよ。どうして隣国の領地にまで侵入して暴れたんだ。里見の仁政とやらは口先ばかりか」
小文吾「あのなあ、ここらへんはまだ、本来里見の領地なんだよ。もっと西のあたりが国境だったはずだぞ。それを管領が、勝手にこの利根川が国境だと決めつけて、柵をつくったんじゃないか。実は、お前達が不法占拠してただけなんだよ」
彦別「えっ、そうなの」
小文吾「今まで大目に見ていたんだけど、今回は戦略上そうもいかなくてな。ちょっとだけ実力行使させてもらったよ。とはいえ、意味もなくお前達を殺しはしない」
彦別「殺さんのか」
小文吾「戦力だけ奪えば十分だ。お前達は、身ぐるみを剥いで船に乗せ、ここの下流から海に出て行ってもらう。しばらく漂流するだろうが、食い物や燃料も一緒に積んでおいてやるから、たぶん生きていられるだろ。さいわい柴浜にでも行き着いたら、総大将に今回の件を報告でもしな」
小文吾たちは、負けた印として敵のマゲをみんなちょん切り、櫂をもたせずに何艘もの船に乗せると、岸から押しやってしまいました。この川は流れが速いので、たちまちみんな見えなくなってしまいました。
小文吾「これでよし。さあ、すこし休憩したら、向こう岸の今井に渡るぞ。荘助たちはうまくやったかな」
さて、荘助の部隊は、例の「重トリオ」も従えながら、逃げる猨嶋将衡たちを追って先に進みました。ここらはすでに猿江の地です。
荘助「けっこう逃げ足が速いよな」
このとき、前方から、一隊の軍が整然と並んで現れました。向こうも荘助の隊に気づいたようで、1500人程度の兵たちは、警戒のためにすばやく魚鱗の陣に展開しました。
荘助は、その中央にひるがえる旗を読みました。「…稲戸、由充!」
連合軍の先鋒部隊がついにここまで到達したのです。そしてその役は、箙の大刀自の名代である稲戸由充が担っていました。しかしこの緊張すべき瞬間に、荘助の顔にはほほえみがただよいます。荘助は隊の先頭に進み出て、
荘助「わたしは、里見の防禦師、犬川荘助義任である! 稲戸どのに対面して申し上げたいことがあるゆえ、お出まし願いたい!」
やがて、先頭の兵たちがさっと左右に分かれて、そこから騎馬姿の由充がゆるゆると現れました。左右には、荻井三郞と妻有復六を従えています。
由充「犬川どの、お元気そうでたいへん嬉しい。それはともかく、そなたは今回、防禦師なのではないのかな。国境を侵してここまで進軍するとはこれいかに」
荘助「わが恩人よ、あなたがご無事でいてたいへん嬉しい。犬田はいまはここにいないが、彼も元気です」
由充は、越後で荘助と小文吾が死刑になりそうなところを救った人物でしたね。
荘助「そして、国境を侵すという点については反論申し上げたい。そもそも里見と管領の国境は、ここより西の地であったはず。ここ猿江までは、本来里見の地なのです。我々は、連合軍を迎え撃つために、あらかじめ不法占拠中の柵を取り払ったまで」
由充「あ、そうなんだ」
荘助「さて、こうして敵どうしとして相まみえたからには、私に与えられた使命上、戦うことは避けられませんが… しかし、私の人情としては、あなたとは戦いたくない。このジレンマ、ご理解いただきたい。私が取るべき行動は…」
荘助は弓を取り出すと、鏃のついていない矢をつがえ、これを満月のように引き絞ると、「稲戸由充」と書かれた旗のヒモを、あやまたずにヒョウと射て絶ちました。旗は陣の中にヒラリと落ちました。荘助の武芸の冴えに、敵も味方もおもわず歓声をあげました。
荘助「ではごめん」
こうして荘助は馬を反対に向け、静かにさっきの川岸の陣まで後退していきました。兵士達もみな、整然とそれに続いて去りました。
由充の隊もこれをなかば呆然と見送りましたが… 最初に我にかえったのは、妻有復六です。
復六「お、追いませんと! 彼は我らにかなわないと見て、ハッタリをかまして逃げただけです」
由充「いや、逆だ。我々は彼に勝てないよ。また、たとえ勝てたにしても、義のために三舎を避けて退く者を追えるはずがない。里見の側には、彼に劣らぬ勇士が全部で八人そろっているという。うむ… 今回の戦、これ以上見るまでもなく、管領側にそもそも勝ち目はないわ。大刀自にあずかったこの軍を、無駄に失うのは不忠。よし決めた、私はいったん降りるとしよう…」
由充は、本陣のほうには「持病の癪が出たので、しばらく休みます」とだけ伝言を手配すると、隊をひきいて両国川の方向に去っていきました。
このころ、両国川の近く、五本松の地には、行徳攻略チームの大将である上杉朝良と千葉介自胤が陣を展開していました。この地の野武士たちも軍に参加しましたので、総勢は25000人程度にふくれあがっています。
ここに、今井と妙見嶋の柵が破れた、との報告があがりました。報告したのは、他ならぬ今井の柵のリーダー、猨嶋将衡です。
朝良「なんだと! さらに、お前以外はみな討たれたというのか。死ね。お前も死んでワビを入れろ! 者ども、こいつのクビを斬る準備をしろ」
将衡「お許しを、お許しを… 敵は多勢だったのです。我々には進撃を止められるはずがありませんでした。どうか、私にリベンジのチャンスをくださいませ。どうか、どうか」
将衡の兄にあたる相馬将常が、将衡の懇願に口添えします。「私も一緒に行きます。どうか彼にチャンスを。敵と戦う前に味方のクビを斬れば、軍の士気にも関わります…」
朝良「ふん、そこまで言うなら、今回だけ機会をやる」
こうして、将衡と将常の兄弟は、1000人の兵を貸し与えられました。これをもって里見軍を夜襲し、敵将のクビをとってこい、という命令も同時に与えられました。