164. 恩も返すし、恨みも返す
■恩も返すし、恨みも返す
さて、小文吾が2人の中ボス級をひとりでぶっ倒し、上杉扇谷朝良・千葉介自胤の軍を追い払ってしまった次の日。
荘助「たぶん今日はまるまる兵を休息させて、敵は明日の朝また攻めてくると思います。考えてみれば、敵を追い払ったものの、すごく減らしたわけじゃないですから、人数はまだ向こうの方が断然有利なんですよね」
小文吾「うん、それはそうだ」
荘助「敵を分散させる工夫をしましょう。こうこう、こんな感じで…」
みんな「なるほど、分かりました!」
敵軍の側でも作戦会議をしており、大体話の内容は荘助の予想どおりでした。
大石憲重「昨日は思わず兵がみんな逃げてしまったが、別に兵をすごく減らしたわけじゃない。油断しなければ次は勝てるはずだ」
朝良「うむ。明日(12月8日)は父上(定正)たちが海戦を仕掛ける日でもある。これに我々も陸路から間に合わせなければならんから、明日必ず敵を撃破しないとな」
憲重「伏兵をつかいましょう」
朝良「うむ、細かい手配はまかせるぞ」
憲重は、宿尻城戸介に、五本松の近くにある森に隠れて敵を待つように指示しました。宿尻は夜中のうちにこっそり出て行きました。
そして、翌朝の明朝。里見側に放っていた間諜が帰ってきて報告します。
間諜「敵は軍をふたつに分けて、そのうち一隊は、石浜城を攻めるらしいです!」
石浜は、千葉介自胤の領地です。
自胤「な、なんだ、その反則は! あそこはオレの一族がいるんだし、子供だっている。ヤバい、止めにいかないと」
自胤は石浜に向かった里見軍を追うことにしました。朝良たちからも兵を借り、総勢10000人ほどの軍を急ごしらえで編成しました。
自胤「牢に突っ込んでいる、渋谷足脱たちも許してやって軍に組み込もう。ちょっとでも多い方がいいからな」
朝良「ああ、いいよ」
自胤は墨田河のほうに向かって急ぎました。案の定、里見の本軍から分かれたとおぼしい、盾持朝経と大樟俊故率いる1500人くらいの隊にそこで出会いました。
自胤「お前らか、オレの城を攻めようとしているのは! 皆殺しにしてやる」
戦闘が勃発しました。盾持たちの隊は少人数ながら健闘しますが、さすがにこの人数差は容易にくつがえせず、だんだんとジリ貧に陥ってきました。
しかし、これはあらかじめ計算済みです。自胤の軍が調子に乗ってきたころ、後方のヤブの中から、登桐山八郎の一隊が突然あらわれて、銃をいっせいに放ちました。
自胤「こしゃくな!」
自胤たちは一時浮き足立ちましたが、後陣の原胤久が冷静に対処して応戦し、ふたたび持ち直しました。
そこに今度は、あたり一帯のヤブに火を放ったものがいます。たいへんな煙と炎がたちのぼり、自胤たちは混乱しはじめました。そこに現れた新たな一隊は…
小文吾「オレだあっ」
自胤「ぎゃああーっ!」
小文吾は猛火のなか縦横無尽に敵を斬り散らし、敵をパニックに陥れました。火はすっかり周りをかこみ、もう逃げることもできません。
自胤の兵たちはすっかり散りぢりになってしまいました。大敗です。自胤は何人か敵を斬って逃げましたが、もう万事休すです。単身、小高い岡に逃げ登ると、馬を捨てて腹を切ろうとしました。
自胤のこの姿を見つけたのは、渋谷足脱と数人の手下でした。渋谷は最初から戦う気もなく、適当なところに隠れていたのですが、たまたま自胤を見つけたのはラッキーだと感じました。主君を救えるからではなく、これで主君を敵に売ることができるからです。
渋谷「オレはおととい、理不尽な理由で牢にぶっこまれた恨みを忘れちゃいねえぞ。こんなクソ大将の率いる軍なんか、負けて当然だ。あのボスを縛って、敵に差し出してやろう。そしたら褒美はたんまりだ」
さて、すっかり勝負はつき、火も消し止められました。小文吾は適当なお寺の前に兵士を集合させて、戦の成果を確認しました。
小文吾「殺すことはやむを得ないときだけなんだから、敵の首級はとるな。負傷しているやつは、敵でもできるだけ助けてやれ」
原胤久は重傷を負っていましたが、生きていましたので、収容して手当してやりました。こうしている場に、渋谷がニヤニヤしながら縛った自胤を連れてきました。
渋谷「私は、寝返りを願うものです。敵将を捕らえてまいりました」
小文吾「ほう、それはでかした、が…」
小文吾は敵将を捕らえたことを喜び、そして次の瞬間、渋谷をにらみ据えました。こめかみに血管がはっきり浮き出ています。
渋谷「え…」
小文吾「みずからの主君を売ろうとするその根性、これだけは断じて許せん! 殿はみだりに殺すなとおっしゃったが、オレは、お前のような者を許すことだけはできん」
小文吾はこの場で渋谷のクビをはねさせてしまいました。そして、慌ただしく自胤の縄を解き、この前に跪きました。
小文吾「自胤さま、いつか、私が馬加大記に軟禁されていたあのとき以来でございますね。(結局お会いはしていませんが。)すぐにも石浜にお帰ししたいところではありますが、今回は君命ですから、しばらく安房にご滞在いただくことになります。里見は仁君です。決して失礼はいたしませんから、どうぞご安心ください」
自胤「…わかった、なにもかも運命に任すまでだ。好きにするがいい(涙ぐむ)」
小文吾は、兵に命じて自胤を今井の柵まで運ばせ、次に、寺の住職に、戦死者を葬ってくれるよう頼みました。
小文吾「すまない住職。本来はもうちょっと手続きを踏んで依頼しなくちゃいけないのだが、場合が場合なもので。あとで必ず費用はとどけさせるから…」
さて、荘助のいる五本松の陣のほうはどうなったでしょうか。
早朝のうちから荘助たちは軍を構えて敵が攻めてくるのを待っていますが、結局、昼ちかくまで何も起こりません。(自胤が戻ってくるのを待っていたのですね。)その間、荘助は余裕をもって敵のいる方向を観察することができました。
荘助「復五郎どの。向かって左と右に森がありますが、違いはわかりますか」
復五郎「うーん?」
荘助「右の森からは鳥の声が聞こえますが、左は静かです。つまり、たぶんあっちには敵が隠れているんです」
復五郎「おお、なるほど」
荘助「敵は、戦の途中でわざと退却して深追いさせ、あの伏兵を使って挟み撃ちをしようというんでしょう。それの裏をかきます。復五郎どの、あなただけはそのとき、あっちの森に突撃してください」
復五郎「わかりました」
やがて、上杉朝良と大石憲重たちが、自胤抜きの状態で一斉に攻めてきました。あまり長く待っていては、里見側が有利になっていくばかりだと焦ったのです。
敵の先鋒は、入間、松山、万戸月といった、特に名前をおぼえなくてもいい人達です。こちらから先鋒に出ているのは、麻呂再太郎、安西就介といった若いやつらです。荘助がにわか仕込みで教えたにしては、なかなか堂々と陣形を駆使して麻呂たちは善戦しました。
やがて、敵は一斉に引きはじめました。
荘助「よーし、みんな、追え! 復五郎どのだけは、さっきの段取りでよろしく」
復五郎「おう!」
復五郎は800人くらいの隊を率いて、左の森に近づくと、まずは森の中に一斉射撃をおみまいしました。森の中で、宿尻率いる敵兵たちがパニックに陥っているのがわかりました。「どうした、何があったんだ! お前ら落ち着け、足を踏むな! ウワー」
こうして伏兵を封じてしまいましたから、憲重たちがわざと退却したのは、本当に負けて退却したのと同じことになってしまいました。宿尻は森から飛び出し、これを追った復五郎は、憲重を荘助たちと逆の方向から挟み撃ちする格好になりました。絶好の位置どりです。
こうして、混乱した朝良と憲重の軍は次第にちりぢりになってしまいました。憲重は残った兵に号令しながら、宿尻たちとも合流し、その場に踏みとどまって戦いつづけました。朝良は、囲みを切り抜けて両国河をめざして走って行きました。10人近くの近習だけを連れています。
朝良「河を渡れば逃げ切れる」
しかし、あらかじめ船をつなげて橋をつくっておいたはずなのに、それが外れてなくなっていました。これでは向こうに渡れません。おまけに、さっき自胤たちと戦った盾持と大樟の隊が朝良を発見しました。
盾持「敗軍の落ち武者を発見したぞ!」
朝良「ち、ちくしょう、これまでか!」
朝良が討ち死にを覚悟してこの敵を待ち受けていると… 横から、「朝良さま、お助け申す」と声が聞こえました。なんと、先日先鋒をサボったはずの、稲戸由充の隊です。
朝良「うおおっ、由充!」
由充「さきには思うところあってこちらまで退き、カゼの療養をしておったのですが、ここでお役にたてるとは光栄です。南に逃げてください。深川まで行って船を探せばきっと逃げられます」
朝良「いいや、お前だけには任せておかん。わたしも戦うぞ」
こうして由充の隊は盾持・大樟たちと戦いはじめましたが… ここに、麻呂復五郎の隊も追いつきました。里見軍のほうが数も勢いも圧倒的です。
由充「むむ、これでは全滅は時間の問題だ。死ぬことなど怖くはないが、せめて朝良さまを逃がさねば、大刀自にも申し訳がたたんわ」
由充の隊で一番気を吐いているのは、荻野と妻有です。荻野「我々が支えているあいだに、由充さま、行ってください!」
こうして由充は朝良だけをつれてかろうじて戦いを逃れ、さらに川沿いを南下しました。
そこに追いすがったのが…
小文吾「上杉朝良よ、どこに逃げ道があるものか。尋常に勝負を決するがいい」
小文吾の率いる隊でした。由充は振り返り…
由充「ひさしぶりだな犬田どの。わたしだ、越後の稲戸だ。この御曹司(朝良)は、大刀自の孫にあたる人物。わたしはなんとしても彼を守らねばならんのだ。先日の恩を着せるわけではないが、せめて一歩だけ譲ってもらいたい」
小文吾「もちろん先日の恩を忘れてはいません。これを仇で返せるわけはない。しかし、私には防禦師としての君命も受けております。敵将を目にして、みすみす逃せるはずもない!」
小文吾が持っている残りの矢は二本でした。彼はこれを弓につがえると… 次々と、由充の馬と、朝良の馬だけを射殺しました。由充はヒラリと地面に飛び降り、朝良はどさっと落ちて由充に抱き起こされました。
小文吾はわざとらしく、「おお、ちょうど矢が切れてしまった。みんな、いったん引いて休息するぞ。追い詰められた敵は怖いからなあ。無理に追わないのがいいのだ」
といって背を向けました。
そんな小文吾の横に、麻呂復五郎が追いつきました。
復五郎「私は、稲戸に恩はない! 逃がしてはいけません」
小文吾「おい、ちょっと待って! 空気読んで!」
復五郎はなお朝良を追おうとします。そのとき、川岸から、由充と朝良を呼ぶものがあります。「乗ってください、おふたかた!」
一艘の早船が、朝良を助けにきたのでした。由充と朝良はすばやくこれに乗り込み、漕ぎ手はあざやかな櫂さばきで岸を離れました。気づいてみれば船は全部で10艘ほどあり、武装もしていて、これは人魚のアブラを塗った復五郎にも無理には追えなさそうです。
小文吾「むむ… 敵にはまだあんな備えがあったか。仕方ない、ここまでにしよう」
復五郎「くやしい!」
小文吾「いや、これで計らずも稲戸どのに恩を返せたと考えよう。恩を仇で返すような功をたてても、殿は褒めてはくれないよ」
こうして、小文吾たちは、荘助たちのいる五本松の陣に帰り始めました。両国河での戦いは、稲戸の隊が全滅しており、小文吾たちの勝利でした。(実は荻野と妻有だけは、死んだフリをして他の死体の下に隠れていました。由充が心配だったのです。あとでこっそり逃げだし、由充が無事に逃げたことを知ってホッとしましたとさ)
ところで、朝良を救ったあの船は… 実は毛野の手配したものだったのです。船を漕いでいたのも、依介や、蛸船と萌三が率いる里見側の兵です。毛野は、小文吾たちがここ一番で由充を立てて朝良を逃がすかもしれない、と予想していたのです。こうして、小文吾や荘助の義理をそこなわずに敵将を捕らえる、という深謀遠慮をめぐらせたのですね。ほとんど予知能力者ですね… あ、船の橋を取り除いたのも、彼の策略ですよ。
さて、五本松では、大石憲重もあっけなく捕らわれてしまっていました。荘助との一騎打ちでかなうはずはなかったのです。これで、行徳においては里見軍が完全勝利したことになります。
荘助「フー、これでみんな済みましたね。さて、大塚城主、大石憲重どの」
憲重「…」
荘助「私のことをおぼえていらっしゃいましょうか。額蔵ですよ。主人殺しの冤罪を受けて、もうすこしで死刑になるところだった額蔵です」
憲重「あ…」
荘助「あなたは、丁田、卒川、簸上、軍木、仁田山などのねじけた人物ばかりを親愛し、民をくるしめた。私は仲間に助けられ、里見につかえ、巡り巡ってあなたにこうして恨みを返すことができた。まさに、悪には必ず報いがある証拠といえましょう」
憲重「…(うつむく)」
荘助「しかし、里見は仁君。あなたを殺したりはしません。しばらく捕虜となってもらいますがよろしいですね」
憲重「…好きにしろ」
さて、これで行徳戦のお話は終わりです。この日は洲崎で海戦もあったのですが、これの顛末については別の回にあらためて説明することになりますよ。