167. 親兵衛、戦地に急ぐ
■親兵衛、戦地に急ぐ
(原作「第百六十六回」に対応)
山内顕定たちが信乃と現八たちの軍が籠もる文明の岡を囲んで、二日目の晩が明けようとしています。岡の上はずいぶん静かです。管領軍のほうは、今晩はこのまま朝を待って、それから攻撃を再開するつもりです。連日徹夜気味なので、居眠りしている兵が大半です。
不意に、岡の上で鬨の声が上がりました。そしてその直後、大地をどよもすような音が、ドドド、と鳴りだしました。兵達はにわかに緊張して、岡から下ってくるものが何なのか、目をこらしました。
それは、キバにタイマツを縛りつけたイノシシでした。三方向から岡をかこむ管領軍すべてに、大きなイノシシの大群が突進してきました。驚きに立ちすくむ兵をはね飛ばし、それらは駢馬三連車と呼ばれる戦車の底をくぐって走りました。そのときに火の粉が飛び、木製の戦車に火が燃え移りました。
そこにさらに里見軍が一斉に岡を駆け下りてきて、火薬と石をつめた袋を投げつけました。爆音がそこかしこで鳴り、飛び散った石は兵を殺傷し、やがて敵陣は、軻遇突智荒れ狂う火の海になってしまいました。風は岡の上から吹き下ろしましたので、火と煙はすべて敵へのダメージとなりました。顕定・成氏・憲房をはじめとして、全軍が浮き足だって逃げ始めました。
しかし管領軍にも、ここでなお食い下がろうというオトコはいます。蕝と建柴という隊長たちが、「みな逃げるな、俺たちに続け!」と大声をあげると、300人程度の部下たちを率いて里見軍と戦い始めました。ただ、勢いには勝てず、惜しくもこれらの勇士たちはことごとく討ち死にしました。
顕定は、兵たちのこの決死の姿を見て目が覚めました。
顕定「あいつらを犬死にさせるな! まだ我々が人数では優勢なのだ、引き返して敵と戦え!」
大将のこのかけ声をキッカケに、管領軍は立ち直りました。成氏も憲房も家臣たちを呼び集め始め、やがて隊が編成されなおしました。みなUターンして、岡のふもとの里見軍めがけて向かってきます。
現八「おっ、立ち直ったな」
信乃「しかし、戦車を失って、敵の戦力は半減しました。ここからは敵を疲れさせる作戦にスイッチします」
信乃・現八・直元・逸時たちは隊をひきいて岡を離れ、敵と直接衝突することを避けながら、林や水田といった障害物を活用して戦いはじめました。こうなると、なかなか大軍で一気に揉み潰すというわけにはいきません。兵や陣形をあやつる「うまさ」がものを言う戦い方に持ち込み、里見軍はすこしずつ敵の戦力を削っていきました。
さて、こちらは国府台にいる義道と東辰相たちです。この日の明け方、文明の岡のほうがさわがしくなり、煙がもうもうと立ち上るのを発見しました。(ちなみにこの日は12月8日。定正が海戦を決行する日です)
義道「イノシシを使った火計がきっと成功したのだ。よし、我々も駆けつけよう」
辰相「はい!」
義道たちの隊は、さっそく城を出ると、河を渡り、岡のあたりまで急ぎました。岡には留守番の兵がいくらか残っていて、義道たちに今朝の様子を報告しました。
義道「なるほど、それでは犬塚たちは、引き返してきた敵軍とまだ戦っているのだな。相手は大軍だ、あれらのピンチをこんなところで座視していてはいかん。さっそく追いつき、私たちも戦うのだ」
辰相「いえ、総大将は安全を最優先にお考えください。この岡は戦略上の要所です。犬塚たちが安全に戻ってこれるように、ここをキープするのも大事な役割かと思います」
義道「もちろんそれも理屈であるが、私も武士だ。ここで戦わずに、あとで父上になんと報告できよう」
辰相「…ようございます。そのお覚悟なら、行きましょう。我々もみなお伴します!」
こうして義道たちは、先鋒に潤鷲と振照を立て、信乃や現八が戦っているという仮名町のあたりに隊を進めていきました。
しかし、その道中、義道たちの隊は予想しなかった相手にぶつかりました。上野の白井の城主、長尾景春の隊です。彼は今回、扇谷からの参戦の催促に生返事だけをして、実際には参集もせず、何をしているのか全くわからない状態だったのですが…
景春は扇谷に従うことに常々不満を持っており、今回の戦は、自分が勝手に領土をひろげるためのチャンスだと考えていたのです。ですから、誰の指揮下にも入らず、勝手に行動して里見を叩き、オイシイところだけを持って行こうと、虎視眈々と狙っていたのですね。
景春は、顕定たちが文明の岡の攻略に失敗したところまでをこっそり把握していました。ですから、岡が留守のスキに占領してしまうため、各所に隠して置いた兵を集め、にわかに軍を起こしたのです。しかし、道中で里見の総大将に遭遇するとは思っていませんでした。出会い頭でビックリしているのは、向こうもこちらも同じです。
景春「いや… これはすごいチャンスだ! 敵の総大将を倒せば、オレの立場はいっぺんに跳ね上がる」
先鋒どうしが衝突しあい、戦いがはじまりました。銃と槍の応酬があり、陣は開いたり閉じたりして激しくもみ合いが起こっています。里見軍のほうが若干優勢な進行です。
長尾軍の後陣にいた直江と宇佐美が、1000人の手勢をつれてこっそりと里見軍の後方にまわり、そこから義道たちを直接襲おうとしました。長尾自身も、これをチャンスと見て、自分もそちらに馬を向けました。
しかし、東をはじめとする家臣たちは総大将を守って猛然と戦い、容易にはくずれない様子です。刀のぶつかりあう音や馬のひづめの音が入りまじる、きわめて激しい戦いです。義道自身も非常に弓のスキルが高く、一矢射るたびに、あやまたず敵をひとり射倒すという正確さです。
こうして健闘はしているのですが、前後から敵に挟まれているという状態は非常に形が悪く、里見軍の兵はひとり、またひとりと傷つき、倒れていきました。このままでは負けてしまいます。
そのとき、北西のほうから、100人ほどの兵が走ってきました。だれも馬には乗っていませんし、ヨロイも充分ではありません。しかしみな、鋭気をりんりんとみなぎらせた表情をしています。その中央には、とりわけ堂々とした顔つきの男がおり、彼だけは両刀と鎧カブトを揃えています。誰あろう、彼こそは結城で行方不明になったままだった、政木孝嗣その人です。
孝嗣「景春よ、無礼をやめよ! 里見八犬士の知音、政木大全孝嗣これにありッ」
伴人たち「同じく、石亀地団太!」「越鮒三!」「向水五十三太!」「枝独鈷素手吉!」
孝嗣たちは、刀や船の櫂を振り回して戦い始めます。これに長尾軍はひるみ、里見軍は戦意を取り戻しました。これで戦いはふたたび五分と五分になりました。どちらも一歩も引かず、果てしない戦いが続きます…
さて、唐突ですが、京から安房への帰路についた犬江親兵衛があれからどうなっていたのかに話を移します。
親兵衛は、年末までに帰れれば充分、という余裕の気持ちで、信濃路をのんびり進んでいました。ある日、信濃の馬籠にいるとき、乗っていた愛馬・走帆が原因不明の病気にかかって起き上がれなくなりました。親兵衛は薬を持っていますが、どうもこの馬には効かないようです。馬の看病で4日ほど時間が過ぎました。
代四郎「親兵衛さま、馬のことは心配ですが、仕方ないですから置いていきましょうよ」
親兵衛「いや、この馬は、ともに大虎を倒した相棒だ。死ぬにしろ生きるにしろ、それを見守らずにはおれん」
ついに次の日、走帆は死にました。親兵衛は深く悲しみ、みずから馬を葬って、土地の馬頭観音に鞍と鐙をおさめました。そしてその次の朝、若干移動のペースを上げながら再び安房への道につきました。これが12月5日のことです。
その日のうちに一度、茶店で休憩をとったのですが、そこで親兵衛は驚くべきウワサを耳にしました。なんと、安房の里見が関東管領の連合軍に侵攻されているというのです。
親兵衛は胆をつぶすほど驚きましたが、全力で平静を装いながら茶屋の外に出ると、人気のないところまで行ってから、代四郎・紀二六たちと顔をあわせて相談しました。
親兵衛「くそっ、翼があれば、今すぐにも殿たちを助けに行きたい」
代四郎「ともかく急ぐしかありませんな」
親兵衛「通常コースで安房に入るのはたぶん無理だ。上野経由で武蔵に入り、千住河を渡って国府台にいるという義道さまを助けに行こう」
親兵衛たちの一行は例の霊薬をひとつまみづつ飲み、疲れを知らない身体になって、その日のうちに何十里も走って進みました。その後、敵地の国境に近づくと、今度は細い山道に入って、そのまま3日間、道なき道をひたすらかきわけて進みました。
12月8日の明け方。親兵衛「よし、ここから千住河を渡ろう。ここを渡れば亀蟻に行ける。例の霊薬は、水の冷たさもやわらげてくれるはずだ。みんな、あるだけの防具と武器を身に着けてくれ」
代四郎はすこし心配そうな顔をしました。「親兵衛さま、今から川を渡るわけですが… 泳ぎは大丈夫ですか?」
親兵衛「うん、ちょっと前に夢を見たんですよ。そこには姫神さまがいて、私に水泳を教えてあげます、とおっしゃいました。そして私の頭にピン端子を突っ込むと、水泳のスキルを一瞬でインストールしてくれたんです。目がさめたあとは、たしかに泳げるようになったと感じました。きっと大丈夫です」
紀二六「(あ、それマトリックスで見たやつだ)」
こんな会話をしていると、川の向こうに、誰も乗せていない1頭の馬が見えました。それは飛ぶように駆けてきて、そのまま川にザブンと飛び込むと、背中まで水の上に出るほどの猛烈な泳ぎ方でこちらに向かってきます。
親兵衛「あれは… 青海波!!」
こちらの岸にあがった青海波は、親兵衛にゆっくり近づき、立ち止まりました。一同はこの不思議さに驚嘆します。
親兵衛「安房にいるはずの青海波がこんなところに私を迎えに来てくれた。馬ながらなんという忠義だ。よし、これで元気百倍。彼が戦場まで私たちを導いてくれるだろう」
こうしてみな川に飛び込み、向こう岸に渡りました。誰もいないだろうと思っていたのですが、いきなり60人くらいの敵の小隊に鉢合わせてしまいました。敵はあわてて矢をあびせかけてきますが、親兵衛たちは、槍やからさおを振り回して応戦し、たちまち大半をノックダウンしました。残った連中は逃げていきますが、特に深追いはしません。
親兵衛「管領軍かと思ったが、違うようだな。お前らは何者だ」
親兵衛が倒れている一人の胸倉をつかんで厳しく問い詰めると、その男は活間野目奴九郎と名乗りました。
目奴九郎「う、馬泥棒が稼業でして…」
親兵衛「この者たち全員がか?」
目奴九郎「いや、私だけです。ここにいるのは、私の盗んできた馬を買おうとした、ここらの野武士集団です。馬は、金額交渉をしている最中に、突然いなないて逃げてしまったんですが…」
親兵衛「ははあ、青海波がここにいた理由がわかった。きっと信乃さんが、私の代わりにこれに乗って軍功をあげてくれようとしていたんだ。この目奴九郎の罪は死に値するが、この偶然を担ってくれたのは不思議なことだ。よし、これ以上の長居は無用。青海波よ、信乃さんたちが戦っている場所に連れて行ってくれ!」
このとき、逃げて隠れていた野武士のリーダーたちが親兵衛の前に出てきました。
野武士「二四的奇舎五郎、須々利壇五郎といいます。あなた様の強さと人徳に惚れたものです。先ほどはまことにすみませんでした。私たちもお供させてください」
親兵衛「えっ、どういうこと?」
奇舎五郎「我々は、今回の戦で管領側と里見側のどちらにつくかで内輪モメを起こしていました。仲間だった高飛車和女九郎たちは、どうしても管領側につくといって出て行き、里見の兵糧を盗もうとして討たれました。我々は、仲間がこんなことをした以上、何の罪ほろぼしもなしに里見に馳せ参じるわけにもいかず、せめてここで何か戦功をあげようとしたのです」
親兵衛「なるほど、それで私たちを管領側と勘違いしたと…」
奇舎五郎「とんでもない間違いをしてすみませんでした! どうかさきほどの無礼を許し、連れて行ってください」
親兵衛たちは奇舎五郎たちを連れて行くことにしました。また、野武士たちは余分なヨロイを持っていましたので、雑兵たちはこれを借りることができました。
親兵衛「よし、手伝ってくれるとなれば、みなケガしたままでは都合がわるかろう。各自、この薬を飲んでくれ」
親兵衛がみなに配った霊薬の効果によって、奇舎五郎たちの隊は完全回復しました。
目奴九郎「わ、私には薬はないので? さっき打ちのめされて、足腰が立たないんですが」
親兵衛「馬泥棒は治してあげないよ。これから一生、杖をついて生活しなさい」
目奴九郎「そんなー…」
さて、場面は戻ります。長尾景春の軍と戦っている里見義道・東辰相・そして政木孝嗣たちは、敵になかなか決定打をあたえることができず、苦戦していました。
先陣のほうでは、長尾の息子の為景が、父親に負けぬ奮戦振りで、里見の先鋒である潤鷲と振照を悩ませていました。
やがてついに、為景の繰り出した槍に突き落とされて、潤鷲が地に横たわりました。これにひるんだ振照も、同じ槍をかわしきれずに重傷を追いました。里見の兵は動揺して隊を乱し始め、いよいよ戦いの均衡は破れてしまうかに見えました…
孝嗣「ここまでなのか?」
こうつぶやいた孝嗣は、ふと遠くのほうに、一騎の鎧武者がこちらに駆けてくるのを見ました。
飛ぶ鳥のようなスピードです。
その後ろには、60人ほどの兵たちが、このスピードに遅れず、すさまじい速さでこの騎馬を追っています。
武者は天地に響くような大音声で叫びました。
「その旗の紋は、白井の長尾か! 里見殿への無礼、懲らさずには済まん。八犬士隋一の男、犬江親兵衛仁、ここにあり!」