168. 孝嗣は何していたの
■孝嗣は何していたの
(原作「第百六十七回」に対応)
義道たちの軍が長尾景春たちに襲われるというピンチに、政木孝嗣が、そして犬江親兵衛が間一髪で加勢に入りました。特に、犬江親兵衛が現れたときの、味方のテンション上がりようたるや劇的です。
「犬江どのが戻ってきた!」
親兵衛は、後陣で義道たちを襲う敵の真ん中に飛び込み、持っていた槍を八方に振り回して、当たるにまかせて敵を叩き伏せました。代四郎、紀二六、二四的、須々利をはじめとする仲間たちもこれに追いつき、大いに太刀風を起こして暴れました。劣勢に陥っていた里見軍の兵たちも、政木の一隊も、一気に士気が跳ね上がりました。一方、敵兵はすっかり勢いを失い、壊走をはじめました。
景春やその息子の為景が叱る声もかき消え、いったん崩れた軍をもう誰も止められません。結局、士卒ともども、みな葛西のほうに逃げていってしまいました。
親兵衛「逃がさんぞ」
親兵衛は名馬・青海波を駆ってこれを猛然と追いました。これを仲間たちが追い、さらにそれを、義道の率いる里見軍が追おうとします。
しかし、東辰相は、馬を下りると、すかさず義道の馬のくつわにすがりつきます。
辰相「御曹司は追ってはなりません!」
義道「なぜだっ」
辰相「敵を追い払っただけで、まずは充分でございます。さっそく今から岡に戻り、そこを守らねば。あそこは国府台の城を守るための絶対の要所です。あとは彼らに任せましょう」
義道「むむ… わかった、そうする」
こうして、義道の隊は文明の岡に戻り、防御を固めました。今回の戦いでケガ人は多く発生しましたが、幸い死んだものはいませんでした。
一方、親兵衛たちは、逃げる景春たちを追って、しんがりをつとめる長尾為景率いる500人ほどの後陣に追いつきつつありました。
為景は馬上から後ろを振り返り、「なんだ、どれだけ追ってくると思えばあんな人数か。よしお前ら、道端に隠れて、鉄砲で狙い撃て」と近習に命じました。
親兵衛は先頭をひた走ります。これを狙って伏兵が一斉に銃弾を放ちましたが、読者のみなさまはご存知の通り、彼には銃弾は決して当たりません。ピューン、と軌道を変えて、弾丸はすべて見当違いな方向にそれていきました。さらに、親兵衛の胸元からはまぶしい光線が発射されて、兵たちは目を押さえてうずくまりました。その後、親兵衛のあとから走って来た五十三太や素手吉たちが、これらの兵を櫂でボコボコにしました。
為景はこれを見て怒りにたえず、敢然と馬を向けなおして親兵衛と対しました。「おのれコワッパ!」(為景も15歳くらいだけど)
こうして為景と親兵衛の一騎討ちとなりましたが… 為景が人並みに強かろうと、親兵衛の敵とはなりえません。突き出す攻撃をさんざんにあしらわれ、疲れ果てたところを、親兵衛のヤリに横なぐりにされて地面に叩き落されました。さらに親兵衛はヤリの反対側で為景の背中を押さえつけましたから、全く身動きができなくなってしまいました。
為景の助けに入ろうとした家来たちも、親兵衛に追いついた孝嗣、代四郎、五十三太たちが戦ってみな撃退しました。また、親兵衛を追っていた残りの味方たちもやっと現場に追いつきました。残った敵は、みんなさらに先に逃げていきました。
親兵衛「よし… この人縛っといて。たぶん、長尾景春の息子、為景だと思う」
親兵衛はあらためて周りの顔ぶれを見回しました。うれしさに顔がほころびます。「さて… 孝嗣どの、地団太どの、鮒三どの。みんなよく無事でいてくれた。本当に心配していたんですよ」
孝嗣「犬江どのこそ」
つもる話をどこから始めようか迷っていると、さらに後方から、振照が1000人の兵を連れて追いついてきました。
振照「辰相どのから、犬江さまを助けよ、とのことで、これだけ兵を与えられました」
親兵衛「んー、そんなにいらないよ」
振照「総大将の補佐からの仰せですから、あまり無碍にはできないかと…」
親兵衛「それもそうか。じゃあ、500人借りるよ。残りは連れて帰ってください。また、さっき長尾為景を捕らえましたから、彼も連れて帰ってください」
振照はこの言葉に従い、捕虜を運ばせて、義道たちのいる岡に急いで戻っていきました。
親兵衛「さて、改めて、みんながあれからどうしていたのか、ぜひ聞かせてください。特に、結城で鉄砲に撃たれた人たちは、私も、残りの七犬士たちも、本当に悲しんで、心配していたんですよ」
孝嗣「ええ。あれは今年の4月のことでした。まず、結城の左右川の橋の上で何者かに撃たれた、という記憶はありますが、その後のことはしばらくおぼえていません。気がついたら、この五十三太さんたちに助けられていたんですよ」
地団太・鮒三「われわれも同じです」
五十三太「ええ、私らが孝嗣さんたちを拾ったんですが、けっこうな偶然が重なりましてね…」
五十三太が説明したのはこんな感じです。
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私たちは、親兵衛さまたちを館山の城に近くに運んだり、その後は結城の近くに運んだりと、いろいろお手伝いさせていただきました。そのたびにお駄賃をいただいて充分幸せだったんですが、実はやっぱり、結城の法要というおめでたいシーンを一目くらいは見てから帰りたいと思っていたんですよ。
で、いったんは両国に帰りかけたんですが、思い直して、なんとか結城のあたりまでこっそり行けないもんかと検討しました。幸い、百姓が用水路に使うような細い小川を通ってなら結城まで船で行けそうなことがわかったんで、私たちはそこにむりやり乗りいれて、流れにさからって頑張って先に進みました。いやあ、木の枝にひっかかかったり、船が河の底についちゃったり、今考えればかなり無理がありました。
いいかげん日も暮れてしまって、先に進むのもあきらめかけたころ… 3人分の水死体が上流から流れてきたんです。見ると驚き、私たちが船で送った人たちじゃありませんか。あわてて船に引き上げて水を吐かせてみると、意識はないが、かすかに生きている気配がある。銃で撃たれた跡があるが、急所じゃなかったようです。
その場にいない親兵衛さまは無事だろうか、とも心配になりましたが、それよりもこの3人を生かすほうが優先だと考えたので、結城に行くのはやめて、私たちはこの人たちをつれてすぐに両国に帰り、医者を呼んで手当をしたというわけです。3人の意識がやっと戻ったのは、2、3日後でしたかねえ。
結城で何があったのかを、その後、近くに行ってウワサを集めて調べました。結城で法要をねたんだ者たちに攻撃されたが、八人の犬士たちはそれを撃退したということを知りましたから安心しました。
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孝嗣「続きは私が説明します。それから夏ごろまでは、銃で撃たれた傷も治らず、ずっと何もできませんでした。いよいよ手紙を書くための筆が持てるくらいになったときには、今度は犬江どのは京都に使いに行ったらしい、というウワサが入ってきました。私たちとしては、無事の一報を入れる最初の相手は犬江どのでないといけませんから、京から帰ってくるまでずっとここに滞在しながら待っていたんです」
孝嗣「しかし、犬江どのが戻ってくる前に、11月ごろ、里見が関東管領に攻められるらしいというウワサが入ってきました。私たちは、京から帰ってこられない犬江どのの代わりに里見を助けて戦おう、と決めたんです」
地団太・鮒三「私どもも気持ちは同じでした」
孝嗣「しかし、里見のために戦うとはいえ、扇谷定正はかつての主君。さすがに彼と直接ケンカすることは忍びない。ですから、陸路のほうをとったという山内顕定を相手にしようと、この付近をウロウロしていたんです。長尾景春が文明の岡を獲ろうとしている、という情報を幸い知ることができましたので、それを阻止しようとして、期せずしてここでの戦いを見つけました。それからはご覧のとおりです」
親兵衛はこの話を大いに感動して聞きました。「そうですか、そうですか。孝嗣どのの忠義、地団太さんの義侠、そして鮒三さんの孝順。そして五十三太さんと素手吉さんのオトコ気。それらが一致してこの奇跡が起こったというわけですね。いや、本当にめでたいことです。みなが見せてくれた忠戦ぶりは、里見の家臣に準ずるものと言って差し支えない。わたしから必ず殿に報告しておきます」
そのとき、偵察にやっておいた雑兵が戻ってきて、逃げていった長尾景春が逆襲してくるようだ、と報告しました。
雑兵「景春は、息子の為景が捕らわれたと知って、烈火のように怒っています。必ず犬江のガキを殺す、と息巻いています。今は、攻撃の準備を整え直しているところだと聞きました」
味方たちはこれを聞いて動揺しましたが、親兵衛は、特にあわてる様子もなく「そうですか」と言いました。
また、孝嗣もいたって冷静です。「ふむ… 敵はまだ3000人は残っているでしょう。それを迎え撃つ我々の兵は、5、600人といったところ。しかも疲れています。まともにぶつかっては勝てないですな… 私にまかせてくれれば、伏兵をつかってうまくやりますが」
親兵衛「ええ、それも悪くはない。しかし、王者の戦いというのは、奇兵をもってせずに堂々とぶつかって勝つ、横綱相撲であるべきとも思うのです」
孝嗣「なるほど… それではどうされる」
親兵衛「姫神さま直伝の必殺の陣法を使いましょう。その名は、八門遁甲の陣」