171. 道節が怒るだろうなあ
■道節が怒るだろうなあ
(原作「第百七十回」に対応)
さて、親兵衛の霊薬を使って、戦での死傷者を無差別に治療しまくることになりました。これを担当するのは、真々井を隊長として、代四郎、紀二六、漕地たちと決められました。(特に、代四郎と紀二六は薬を使い慣れていますからね。)
しかしまずは、親兵衛みずから、手近なところにいる負傷者の須々利と二四的を治療してみせました。二人はたちまち復活し、霊薬の話を半信半疑で聞いていた周辺の者たちを心底から驚かしました。
村長「なにコレ? 神なのこの人?」
親兵衛は、仕事に出発しようとする代四郎と紀二六を呼び止めて、敵も味方もみな治療するんですよ、と念をおしました。
親兵衛「この方針は親兵衛の気紛れでやるんじゃないですからね。殿のポリシーから導かれることとしてやるんですからね。お願いしますよ」
孝嗣は、半分は信じられないような気持ちでこの様子を見守っていました。「(敵の首を取るな、という方針だと聞いたときには、何か伝聞の誤りかとタカをくくっていたが… なんと、本当だったのだ。戦争においてこのような仁心を貫くことができる君主とは、なんというスケールの人物だろう…)」
直元と逸友は、さきの戦いでイノシシの助けを得られたことをあらためて不思議がりました。
直元「しかし、顕定たちとの戦いでイノシシが助けてくれたのは不思議でした。あれがなかったら今頃どうなっていたことか。しかもあいつらは、あのあとまたどこかに消えてしまった」
現八「うん、あれは本当に役に立ったなあ」
親兵衛「えっ、イノシシがどうしたんですって」
親兵衛が聞きたがるので、信乃は、今回イノシシを使った経緯と、さっきのできごとを簡単に説明しました。
親兵衛「それは面白いですねえ。私は、京にいたときに不思議な虎に会いましたよ。動物がらみの不思議が多いですね」
親兵衛が語る虎のエピソードは、これを聞いている人たちにとって全くの驚異でした。なんならイノシシの話よりも面白いくらいですが…
現八「さて、話は尽きないのだが、日も傾いてきた。敵ももういないんだし、みなで陣に戻るべきだな。しかし、一応ここらへんをぐるっと見回って、敵が残っていないかも確認しておく必要がある。オレと直元どのが見回りをやっておくから、残りのみんなは戻ってくれ」
信乃「うん、そうしましょう。御曹司が待っている。我々のことも早く報告しないと」
現八と直元は、2000人弱の兵をつれて、仮名町の方向に出て行きました。
さて、こちらは治療組の代四郎たちです。土地の百姓たちの助けも得ながら、そこらへんに倒れている戦傷者や戦死者を片っ端から救っていきました。里見軍の側には雑兵に若干の死者がいたくらいで、残りは手負いのみでした。敵側には死んだり深手をおった人間がけっこうたくさんいました。信乃が親兵衛を助けたときに倒した顕定の側近である梶原と荻野も、首のあたりの負傷だったので回復に時間はかかりましたが、ともかく最終的にみな完全回復しました。
生き返った兵たちには、いちいち、「これは里見の計らいだからね。戦で死傷するものは、敵も味方もない、みなリスペクトすべき忠臣なんですから」と言い聞かせていきました。そうして、回復したのち、里見に降参してもよいし、自分の国に戻ってもよい、ということも伝えました。雑兵レベルの人々は主に里見に帰順し、家臣級の人々はほとんどが自分の国に帰りました。
そして、こうやって家臣が帰ってきたことを知った長尾景春や山内顕定は、敵を治療してリリースしてやるという里見の余裕ぶりに心から恐ろしさを感じ、もう二度とこいつを敵にまわすものかと誓いました。
ちなみに、霊薬を使っても生き返らない者は一定数いました。これらは、親兵衛に言わせると「助かる資格がないほどの悪人」なのだということですから、これらについては諦め、例の不知底の穴を埋め立てるときに、一緒に放り込んでしまいました。そこには地蔵をたて、「千人塚」と名付けて鎮魂したのですが、これはのちの話です。
現八たちは、おおむねの見回りを終えました。住人たちに証言を聞いても、どうやら、敵はみんな河を渡って自分の領地に逃げていったらしいことがすっかり確認できたので、これで一段落です。
隊を連れて丘の陣に戻ろうとしたのですが、そこにはもう御曹司はおらず、兵を少しだけ見張りに置いて、もう国府台の城に戻ってしまったということでした。
現八「そうか、じゃあ俺たちも城に帰ろう」
こうして、適当な船を選んで向こう岸に渡ろうとしますが… そこで現八は、一体の水死体が船のまわりに漂っているのを見つけました。
現八「うわっ、死体だ。…おや待てよ、今回、敵にしろ味方にしろ、川に落ちて死んだやつはいなかったと聞くぞ。んー、誰だコレ」
死体を船に引き上げてよく観察してみると、かなり立派な防具を身につけています。カブトには雀の家紋があしらってありました。
現八「雀の紋… これって、扇谷の身内ってことじゃないのか。まだ若いところをみると、息子の朝良か、朝寧か?」
この武士の胸の上部あたりに、一本の矢が深々と刺さっていました。これを抜き取ってよく見ると、「犬山忠与」と漆で書いてあります。
現八「うおっ、しかも、道節がこいつを仕留めたのか! フーム、鎧をつけたままプカプカ浮いて、こんなところに流れ着いて、しかもオレの船にまとわりつくなんて、どうも不思議だ。こいつも、例の霊薬で助けるべきだろうか? ともあれ親兵衛に相談だ…」
国府台に一足早く戻っていた親兵衛が、さっそく呼び出されました。
現八「こうこう、こんなことがあったんだ。どう思う」
親兵衛「ははあ… この人は、現八さんの推測どおり、敵の水軍の副将、扇谷朝寧で間違いないですね。たぶん助けられます」
現八「しかし、いいのかな? せっかく道節がカタキとして倒したんだ」
親兵衛「道節さんの直接のカタキは定正ですからね。必ずしも、息子まで殺し尽くす必要はないでしょう。まあ、この人を生き返らせたら道節さんはさぞかし怒るでしょうが、きっと分かってくれるはずですよ」
こういうわけで、水死体から水を吐き出させ、そののちに、薬をザラザラと三人前くらい流し込みました。やがて体温が戻ってくる気配が感じられたので、そのまま城の中に運び入れさせました。
朝寧が布団の上で目を覚ましたのは、それから4時間ほどあとでした。何があったのか分からずに、ポカンとしています。
これに気づいた兵士が御曹司に報告し、さっそく彼は城の問注所に案内されました。席上には、現八・信乃・親兵衛・直元・辰相がそろっており、彼に色々と質問をしました。
親兵衛「あなたは朝寧どのですね? あなたを決して害しはしませんから、安心してください」
朝寧「はい… 命を救っていただいたこと、感謝のしようもない」
親兵衛「何があったのか、聞かせていただけましょうか」
朝寧「はい。私は、さきの洲崎の戦いで、胸を射られたのです」
ここで朝寧が語る内容を聞いて、犬士たちは洲崎でもついに里見軍が勝利したことを知ったのですが… これは後にちゃんと書きますので、そのときのお楽しみ。