172. 足利成氏、信乃たちへの誤解を解く
■足利成氏、信乃たちへの誤解を解く
(原作「第百七十一回」に対応)
前回は扇谷朝寧が城の中で目を覚まし、みんなからの質問に答えるシーンで終わりました。その前に城の中でどういうやりとりがあったのか、すこし時間をさかのぼります。
まず、今回戦った一同(代四郎たちの治療組と現八たちの見回り組を除く)はそろって城に戻り、義道と東辰相に戦の結果を報告しました。それぞれが活躍してついに勝利をおさめたという内容です。孝嗣の助け、親兵衛の助け、そしてイノシシたちの助け、いろいろな助けを得た上での完全勝利です。
さらには、敵と味方を問わず、死傷者はすべて親兵衛の霊薬で治療している最中であるということも、報告には加えられました。
義道「いやあ、もうみんな最高です。犬士や家臣たちは言うまでもなく、ここに駆けつけてくれた義兵たちのありがたいこと。誰が一等とも決められないが… やはり、犬塚・犬飼・犬江の三犬士の働きは格別だ。すばらしいぞ」
辰相「敵を治療して帰らせるというのは、殿の仁心を分かってもらうためには実に効果的な措置だ。武力で敵を制するのは一時的だが、徳をもって制するときは、それは十代先まで続くだろう。犬江どの、よくやってくれた」
親兵衛は冷や汗をかいています。「辰相どの、およしください。私は殿のポリシーに従ったのみですから… 私個人になんの功がありましょう」
信乃も謙遜します。「イノシシの助けが得られたのは、あれはどう考えても神の助けですよ。伏姫さまの御業に違いありません。つまりはみんな殿の功徳のたまものであって、自分の功ではありません。過分なお褒めの言葉は、ちょっと困っちゃいます」
義道は、イノシシの件でひとつ思い出しました。「ああ、イノシシの話になったからちょうどいいや。辰相、さっきあったことをここでも皆に説明してあげて」
辰相「ええ。みなさん、実はこの城に、足利成氏どのが収容されているんです。イノシシに運ばれてきたんですよ」
信乃「えっ!」
辰相「さっき我々がまだ文明の岡の陣にいたとき、ちょっと普通でないほど大きなイノシシが御曹司のそばに駆け込んできて(ちょっと焦りましたが)、背中に背負ったものをドサッと落として、そのままどこかに走り去ってしまいました。驚くことに、それは敵の大将のひとりである足利成氏だったのです」
辰相「彼は気絶していましたから、薬を飲ませて手当てしました。やがて目をさますと、『ここは敵陣か。私はもう死を覚悟している、好きにしろ』とおっしゃるので、我々は決して無礼なことはしないと約束して、さっき一緒に城に帰ってきたんですよ。今は、一応見張りをつけたうえで、奥の一室で休んでもらっています」
辰相「犬飼どのが捕らえた上杉憲房どのと、犬江どのが捕らえた長尾為景どのも同じように別室にいらっしゃいますよ。偉いクラスの捕虜は、ざっとこの3人ってことになりますね」
信乃・親兵衛・孝嗣たちにとって、この話ははじめて聞くものでした。なかでも信乃はひどく感動します。
信乃「…自分は、防禦師の任務を帯びながらも、内心、足利成氏さまとは戦いたいたくなかったのです。だから隊を配置するときも、あの方には杉倉どのと田税どのに当たってもらいました。しかし、だからといって、あの方が捕らえられたり首を失ったりすれば、それは私がやったことと同じ。旧主の恩に仇で報いたことになってしまうことには変わりがない。もちろんそう言われる覚悟はしていましたが…」
信乃「伏姫さまが、イノシシを使ってこのような計らいをしてくださったことで、戦にも勝ち、私は悪名からも逃れることができたのです。なんとありがたいことだ!」
皆はなるほどと納得し、伏姫の手配りの妙に感動すると同時に、信乃の誠実さにもあらためて尊敬を深めました。
(ところでこれはあとの話ですが、イノシシを最初に助けて世話してあげた村の人々にはたくさんの恩賞が届けられました。また、摩利支天の堂には伏姫の神号をかかげることも許可しましたとさ)
さて、ここで起こったことを、総本部である洲崎に報告しなくてはいけませんので、継橋をまずは速報係として派遣することにしました。
信乃「行徳はどうなっただろう。これもぜひ確認したいですね」
親兵衛「もし加勢が必要なら、私たちもすぐに駆けつけたいですしね」
辰相「うん、それでは行徳にも連絡係を行かせよう。振照に行かせる」
こうしてそれぞれへの使者を放ったところ、すれ違いに、行徳からの使い(麻呂再太郎と安西就介)が信乃と現八への手紙を持って到着しました。向こうでも、行徳での勝利を伝えてこちらの様子を確認する必要があると考えたのですね。
義道「これはめでたい。陸の戦いはすべてこちらの勝利に終わったことが分かった。あとは洲崎のことだけ気にすればよさそうだ」
親兵衛は行徳にもケガ人がたくさんいることを知って、薬をビン一杯に詰めると、これを行徳にもって帰るよう再太郎たちに頼みました。千葉の家臣である原胤久のような重傷の人たちも、これによって命を永らえることができました。
このタイミングで、五十三太と素手吉は暇乞いをし、数十人の子分たちを連れて両国へ帰っていきました。ぜひ里見に仕えなよというアドバイスもありましたが、「まあ、漁師が楽しいからな。武士じゃなくてもオトコは磨き続けるさ、へへへ」と言い残して。
孝嗣も、親兵衛の代わりに戦うという目的を終えたからといって暇乞いをしましたが… 親兵衛が猛烈に引き止めてこれを許しませんでした。
親兵衛「だめです、だめですよ! あなたは絶対に里見の家臣になってもらわなきゃ。もう離さない」
孝嗣「そ、そうですか… 犬江どのが言うなら」
この後、見回りに出ていた現八たちが帰ってきて、親兵衛に「変な水死体があるんだが」と呼びにきたのですが、これは前回見たとおりですね。またそのあと、治療班として出ていた代四郎たちもみな城に戻ってきて、今までの話を改めて聞かされました。ここは同じような話が繰り返されますから、省略してよいでしょう。
この晩、信乃・現八・親兵衛は、捕虜となった敵将たちを順に訪ね、通常どおりの礼儀に従いながら、なぐさめの言葉をかけていきました。上杉憲房、長尾為景、斎藤盛実たちはみなこの上なく落ち込んでいましたが、中でも成氏は、部屋の隅にぽつんと座ってドンヨリしています。
信乃「成氏さま、お体のほうはもう大丈夫ですか」
成氏「え、お前は誰だ」
信乃「犬塚信乃でございます。あなた様のご兄弟、春王、安王さまのかしづき、大塚匠作三戍の孫、犬塚番作一戍のひとり子でございます」
信乃は、番作が結城の戦場から逃れて犬塚村に落ち着いたこと、そして自分が名刀村雨を受け継いで成氏に奉ろうとしたこと、そこで運悪く横堀に疑われて逃亡する羽目になったこと、などを次々と語り、どのようなわけで自分が里見の防禦師としてここにいるのかという事情までをすべて説明しました。
信乃「こう申し上げますのは、なにも微功を誇ろうとしてではございません。ただ、わが父祖の忠魂義胆をお耳に入れたかったというそれだけでございます」
次に現八が信乃のあとを次いで語り出しました。
現八「わたくしはもともと犬飼見兵衛の養子として許我に育った、見八というものです。許我ではあなた様に仕えて忠義を尽くしているつもりでしたが、佞臣横堀にゆえなく恨まれ、ここの犬塚と戦い、そして後には逃亡の身となってしまいました。今は縁あって、里見の防禦師、犬飼現八信道と名乗っています。今回の戦で成氏さまと戦うのはまことに不本意でしたが、君命ですのでやむを得ませんでした。成氏さまはイノシシに乗せられて本陣に届けられたと聞きます。直接ご無礼をせずに済んだことは、まことに幸運でした」
信乃がふたたび話をします。「成氏さま。さきに成氏さまが援軍に送り出した横堀と新織は、主君を捨てて逃亡しようとしていました。彼らは天罰テキメン、討ち死にいたしました。主君を惑わし、民を虐げて自らのフトコロのみを富ませつづけた天罰です」
成氏は信乃と現八の誠意をいまさらながら理解し、涙ぐみました。「私が愚かだったのだな。お前らのような賢良なものをみすみす遠ざけ、横堀のようなヤツに惑わされてばかりだったとは… しかし今となっては何もかも手遅れだ。もう死ぬ覚悟はできている。どうとでも、気の済むようにしてくれるがいい」
ここに親兵衛が進み出てきました。
親兵衛「同じく防禦師の、犬江親兵衛仁でございます。どうかお嘆きくださいますな。里見義成は仁君です。誰一人、恨みに任せて害したりはいたしません。成氏さまの士卒には死傷者がたくさんおりましたが、それはすなわち、あなた様にはたくさんの忠臣がいたということです。それらはみな、我らが秘蔵の霊薬で治療いたしましたから、どうぞ連れてお帰りください。ただ、一旦安房にはお越しいただく必要がありますので、そのときには殿とも旧交をお暖めください」
信乃・現八「では我々はいったん失礼します。決してあなた様をはずかしめるために父祖のことなどをお話したのでなく、ただただ、彼らの忠義の心を伝えたかっただけです。それでは…」
これら犬士たちの話は、他の捕虜である憲房、為景、盛実のところにも聞こえました。彼らもまた、犬士たちの誠実さに心を打たれて、自らの行いを深く反省しました。
さて、翌朝の早朝、親兵衛は、義成や義実に帰還の報告をするため、安房に出発しました。代四郎、紀二六、漕池、地団太、鮒三、二四的、須々利、孝嗣などの仲間と、60人ほどの雑兵をつれていきました。
親兵衛「んー、でも、もう洲崎でも勝利したことは分かってるんだから、すごく急ぐ必要もないかも。ちょっとだけ寄り道しちゃおうかな。みんな、ここからまず行徳に行きましょう」
こうしてこの日、親兵衛たちは行徳の小文吾と荘助を訪ねていきました。彼らは親兵衛を見ておおいに歓迎しました。また、孝嗣や地団太と会ったときの荘助・小文吾の喜びようは想像がつくでしょう。いろいろありましたからね。
小文吾「親兵衛、さきには薬をとどけてくれてありがとう。こちらのケガ人も、敵側のケガ人も、面白いように回復したぞ。ただ、戦死者のうち、もう地面に埋めてしまったものだけは今さらどうしようもなかったが…」
親兵衛「それは気の毒ですね… その人の命運が終わっていた、と考えるしかありません…」
小文吾「もうひとつ報告しておこう。さきに千葉自胤どのを捕虜にしたんだが、そのウワサは石浜の城に伝わったらしく、城の人たちは、あわてて一族ごと逃亡してしまったようだ。まったく、そんな心配しなくてもいいのに。留守が不用心だから、いくらかこちら兵を割いて、城の番をさせている」
こんな感じでいろいろと互いの状況を報告しあってから、改めて親兵衛は行徳を離れ、連れてきたメンバーと一緒に今度は洲崎の方向に出発していきました。
親兵衛が、すぐに主君のもとに戻らずに道草を食ったように見えるでしょうが、これはちゃんと理由があります。陸の二カ所の戦場には軍監に相当する役の人ががいませんので、あとで戦果を報告するときに公平を欠くおそれがあるのです。それをあらかじめ防ぐため、親兵衛は、先日のうちにひそかに義道から臨時の軍監として任命されていたのです。まあ、お話としてはそんなに重要でないところな気がしますが、一応。
さあ、次回からは、『里見八犬伝』におけるラストバトル、洲崎の戦いですよ。