173. ダイナマイトが150トン
■ダイナマイトが150トン
(原作「第百七十二回」に対応)
※タイトルの意味がわからない人は、あまり気にしないでください
12月5日早朝、管領軍のうち、行徳と国府台の攻略メンバーは五十子城を発ってそれぞれの地に向かいました。(実際にはその後負けてしまったのですが、この時点ではまだ元気。)五十子に残っているのはこの時点で30000人くらいです。
この日からその翌日にかけて、いままでそろっていた連中に加え、さらに多くの戦力が集まりました。主には、伊豆や相模の海賊たちです。勝ち馬に乗って、何かうまい汁を吸いたいと思っているのですね。海賊の中には、はるか四国のあたりから流れてきた水禽隼四郎、錦帆八九四郎といった、かなり悪名高い者もいます。ただし、さすがに海賊だけに、海戦にはめっぽう強いらしい。
定正「いっぱい集まってきたなあ。いよいよ我が軍の勝利は揺るぎない。これに加え、千代丸豊俊が里見を裏切って船団に放火するという確証もついている。助友の隊なんか最初からいらんかったんや」
巨田助友は、この間定正の戦が無謀であるとさんざんダメ出ししてどこかに去ってしまった家臣です。まあ、彼の隊はせいぜい500人くらいだったし、今さら大勢に影響を与えるほどのものではありません。
定正は、大体5万人くらいと思われるこれらの兵力を10万に盛って、里見側にリークしました。「相当ビビるだろうな。10万だぞ10万」
12月7日の早朝。大石憲儀は、風外道人に風を起こしてもらうことの最後の念押しに出かけました。ちゃんと身を清めて、失礼のない格好で山に入りました。道人は、座禅を組んで一心に読経につとめていました。
憲儀「道人、ついに約束の日は明日になりました。カレンダーとか持ってますか、大丈夫ですか。もちろん疑ってはいませんが、念のためにと…」
道人「うむ。こちらの準備に怠りはないぞ。今晩の丑三つに、すべての船は岸を離れて三浦沖に向かえ。そして同日の明け方に、いよいよ約束の風を吹かせる。弱すぎず、強すぎず、ちょうど敵を火攻めにするにふさわしい風となるであろう。ゆめ疑うなかれ」
憲儀「はい! 定正どのもさぞ喜ぶことでしょう。それではよろしく」
そして7日の夕方。すべての船は、ゆるゆると岸を離れて、水上に並びました。柴浦から大森まで、千と数百艘の大船が視界一面にビッシリと並び、色とりどりの戦旗がそれぞれはためきました。そして深夜を待って、順次帆を張り、三浦沖を目指して前進しました。
第一隊を仕切るのは、大茂林和中と浜川銕久、そして水禽、錦帆の海賊たち。総勢5000人くらい。第二隊は、小幡東良率いる5000人。第三隊は、大石憲儀率いる8000人。第四隊は、定正の長男、上杉朝寧率いる12000人。そして第五隊は、総大将・扇谷定正をはじめとする諸隊長と兵たち、25000人。
これらすべての船が充分遠く岸から離れると、それを待っていたかのように北西からの風がにわかに吹き始め、全軍はやがて、洲崎までの中間地点である三浦沖にスムーズに到着することができました。そこで風はいったんやみましたので、船はここに一時的に碇をおろします。
定正「怖いくらいにうまくいっているな。あとは明け方を待つのみ…」
(ところで、定正についていくはずの武田信隆は、ここでこっそり、自分の隊をつれて後方に離れてしまいました。暗い上に大した人数でもありませんから、誰も信隆の不審な行動には気づきませんでした)
さて、今回の火攻め作戦実行部隊の頭人として指名されたのは仁田山晋六郎です。彼自身も燃料と火薬を満載した船に乗り、他の火攻め部隊を率いて、まっ先に敵の船団に火を投げ入れる役目なのですが…
なんと、彼は遅刻してしまいました。事情は、下のような感じです。
彼はふだんから酒を好むのですが、戦をひかえて余計な失敗をしないように、しばらくの間酒を断っていました。しかし、12月7日の夕方、彼はこんな風に考えました。
晋六郎「生きるか死ぬかの戦いが控えているんだ。今くらい酒を思い切り飲んで、景気をつけてから戦場に臨みたいもんだ」
こういうわけで、もう船には乗っていたのですが、他の乗船メンバーと一緒に、海上で「最後の」酒盛りをはじめたのです。
この船には、音音も同乗していました。人質であると同時に、千代丸豊俊を見分けさせるためでもあります。音音はこの様子を見て思うところがあり、みんなをおだてながら酌をしまくりました。晋六郎たちは、男だけで手酌をするよりも、ちょっと年増でもやはり女性に酌されるのがうれしくて、どんどん飲みました。そうして、全員がやがて酔い潰れてしまいました。こうしているうちに、定正たち率いる大船団は沖に発ってしまったのです。
音音は軽蔑した目で足下の男たちを見下ろします。「まったく、たわいないこと」
音音「この仁田山晋六郎は、我が子、力二郎と尺八を殺した仁田山晋五の弟。カタキの片割れをこの場で殺してしまうのは簡単だけど… 仮にも私は武士の妻。名乗りもせずに眠っている相手を殺すような卑怯はできない。これからどうしようか…」
音音は、兵のひとりが足下に鉄砲を転がしているのを発見して拾いました。弾は込められています。「なるほど、これも神の導きだわね…」
そうして、鉄砲を片手に、冷たい夜空を見上げました。波の音、千鳥の鳴き声が身にしみます。
「里見の大恩に応えられるのなら、この命も惜しくはない。しかし、五十子城にいるはずの妙真さんと曳手、単節は無事かしら… 残してきた孫たちはこれからどうなるかしら… わが夫、代四郎はどうしているかしら… これらを放っておいて、私だけが先に海の藻屑となるのがつらい」
音音は黙ってサメザメと涙を流し、そうして次に、覚悟を決めた表情になりました。
空が白んできました。晋六郎は、喉の渇きにうめいて、ボンヤリと目を開けました。
晋六郎「…いかん、なんてことだ! もう夜が明ける。我らは火計の頭人なのに! もうとても戦場においつくことはできんぞ」
他の兵たちも目をさまして、自分たちの愚かさにガクゼンとしました。
晋六郎「むう… そうだ、こうしよう! あの樋引という女(音音の偽名ですよ)は、実は敵の間者だったのだ。そやつが同類たちを何十人も呼び、我々を襲おうとしたので、今の今までこいつらと応戦しており、ついに全滅させてやったのだ」
兵たち「なるほど」
晋六郎「お前ら、口裏をあわせてくれよ。で、その証拠として、樋引の首を斬って持って行こう。死人に口なし、これでみんなツジツマがあう。え、えへへ、オレは賢いな」
ふと気づくと、船のへりに音音が立っており、晋六郎に銃口を向けています。
音音「たしかに賢いわ、わりと当たってたわよ。私は里見の家臣、姥雪代四郎の妻、音音。力二郎と尺八の死の報いを受けるがいい」
銃声一発。晋六郎はノドを撃ち抜かれて、一言もなく斃れました。
兵たち「きさま!」
次の瞬間、音音は火縄がついたままの銃を、船に積んであった火薬の袋の上に放り投げました。そうして自分は身をそらせざま、ザブンと海中に飛び込みました。それと同時に、火薬が大爆発を起こして、千のイカヅチが同時に落ちたような音がしました。兵も、柴も、そして船そのものも一瞬で焼き尽くされ、爆発のあとには船底だけが残っているのみでした。