174. 大角、若造をあおる
■大角、若造をあおる
(原作「第百七十三回」に対応)
犬村大角は、赤岩百中という偽名で扇谷定正の信用を得ると、援軍を連れてくるという名目で城を出て、そのまま三浦の浜に潜んでいました。
あらかじめ決めておいた夜に、堀内雑魚太郎貞住が、300人の兵をつれて安房から到着し、大角と落ち合うことができました。
貞住「軍師(毛野)からすべて指示されてきました。わたしもお伴します」
大角「ご苦労。そっちではどうなっています?」
貞住は、行徳・国府台・洲崎での今回の戦の概要と毛野の作戦について、知る限りのことを説明しました。
大角「なるほど、おさおさ怠りないといった様子だな。しかし、千代丸豊俊を信用させるために女4人を五十子城に人質として送ったというのが、毛野の苦心ぶりを示している。もしもすべての戦に勝ったとしても、定正が最終的にヤケクソになって人質たちを殺すことだってありうるのだから」
貞住「たしかにそうですね」
大角「きっと毛野は、勝負がつき次第五十子城に突入して人質を救うつもりだろうな。うん、うまくいくことを願おう。それにしても… 女たちでさえこれだけ頑張ってくれるのだ。私たちも、意地でも失敗できないな」
貞住「はい!」
貞住は、毛野から預かってきた、防禦師に任命するための刀を大角に渡しました。大角はかしこまってこれを受け取りました。「ありがたき賜り物よ!」
さて、ここからは兵たちの大部分をその場に待たせておき(乗ってきた船は安房に帰します)、大角と貞住、あと10名ほどだけが新井の城を訪ねていきました。城主は三浦陸奥守義同です。
大角「夜分にごめん! 私の名は赤岩百中。管領扇谷定正さまのため、同志の輩をかり集めて、明日の海戦に先鋒たることを願うものである。ここにもすでに、私の件は通達が来ているはず。門をあけられたい」
ふたりは書院に案内され、義同と面会しました。城主のまわりは、武装した屈強な男たちが鋭くにらみをきかせています。
義同「お主が赤岩百中か。まずは割符をみせよ」
大角「はい、ここに」
義同、これを手元の割符とあわせて確認して「うむ、間違いない」
大角「すでにお話は行っているかと存じますが、300人の兵をもって里見軍の焼き討ちをするため、燃料を積んだ軍船10艘をお借りしたい」
義同「うむ、聞いている。船も準備してあるぞ。船印はどうする」
大角「持ってきています」
義同「結構。ところで、今回の戦の招集、私は出られないので息子の義武に行かせたかったのだ。しかしあやつ、カゼをひいてのう。今回、三浦はいいトコなしじゃ。そこでなのだが、今回、我々の船を貸すのだし、三浦の船印をつけていってもらいたいのだ。こちらからも手勢をいくらか出すから」
大角は、わざと大げさに怒ってみせます。「我々は扇谷どのの命を受けて、命を捨てて敵と戦うのです。船印も、加勢も無用でござる。義同どののお言葉は、両管領をないがしろにするものではござらんか」
義同は少し考えました。「ふむ。お主の理屈が正しい。わかった、好きにするがよい。私のようなコワモテに堂々と食らいつくとは、おぬし、なかなかの度胸だな」
大角「(ニコリ)いいえ、管領どののためにと必死なだけでございます。ご子息をお大事に」
こうして義同との面会は無事に終了しました。大角たちは城兵に夜中に案内されて、浜にとめた10艘の軍船を見つけました。さっそく、300人の雑兵たちも連れてきて、全員が乗り込みました。
大角「うん、必要なものはみんな積み込まれているようだ。ではさっそく、出航だ」
こうして、暗い海の上を、船団はゆるゆると沖に出て行きました。翌日の決戦で、里見軍ではなく管領軍の船団に火を放つために。
さて、新井の城では、カゼで寝ていた三浦暴二郎義武(18歳)が、父親の義同に食ってかかっていました。
義武「赤岩ナンチャラという野武士に船だけを貸して、こちらの兵をひとりも出さなかったんですって! こんな屈辱が我慢できますか」
義同「だってお前がカゼひいてるんだもんよ。オレはここで伊勢や北条の抑えをしなきゃいかんのだし、今回は参加は無理なんだよ。おまえ、そんな体調で冬の海に出ていったら、死ぬっちゅうの」
義武「この怒りで、カゼなんかどっか飛んでいきましたよ。たとえカゼだろうがインフルエンザだろうが、武士がフトンの上で死んでたまりますか。断固、私も行ってきますからね!」
義武はこんなタンカを切ると、おでこに熱さまシートを貼ったまま、さっさと兵を連れて出陣してしまいました。大角たちに貸した軍船以外にも船はたくさんあるので、これらに1000人近くの兵を乗せ、さっき出て行った船団を追います。義武だけは、特に速い小舟に乗って行きました。
大角は、船の上で、雑魚太郎貞住と「さっきはうまくいった」などと雑談していました。それほど海路を急ぐ必要もないのでゆっくり前進していましたから、義武はすぐに追いつくことができました。
義武「赤岩百中とはおまえか」
大角「さよう。何の用ですか」
大角がこう答えているうちにも、あとに続いてきた義武の船団が、大角たちの前後を囲んでしまいました。
義武「今回の船団の大将はオレ、三浦義武だ。我々の船に乗るからには、お前もオレの指揮に従うのだ」
大角はあざ笑いました。
大角「この船は確かに三浦氏に借りたものだが、それは私個人が行ったのではない、管領扇谷家の命令によって行っているのだぞ。すなわちこれは公式に扇谷の船である。どうしてお前に従う理屈があろう。若いものは思慮が浅くて困る」
義武「ンだと、死にてえのか(刀の柄に手をかける)」
大角「ほう、敵と戦うどころか、お前は同士討ちがお望みか。私とて身を守る刀は帯びているが、そんなことをすれば里見を利するばかりだ。お前はもしや、里見に寝返った者ではないのか? そう疑われても文句は言えんぞ」
義武はブチ切れました。いよいよ怒りにまかせて刀を抜いてしまったのですが、いっしょについてきた老兵たちがさすがにマズいと感じ、「若、おやめくだされ」と叫びながら羽交い締めにしてしまいました。
義武「は な せ!」
老兵たち「悔しいですが、赤岩とやらの言っていることが正しゅうございます。どうぞお怒りをお鎮めに…」
義武「ぐぐぐ! ちきしょう…」
さて、時間は12月8日の未明。扇谷定正たちは、三浦の沖に全船団を碇泊させながら、風外道人が起こしてくれるという北西の風をじっと待っています。
洲崎のほうから、一艘の早船がこちらに向かってきました。「私は千代丸豊俊の使い、浜県馬助でござる! メッセージを預かって参った」
(馬助は、浦安友勝の偽名ですね)
大石憲儀がメッセージを受け取りました。それによると、豊俊はこの早朝、里見の後方から火をつけるのではなく、いったん船団を突っ切って前方に出てから、後ろをむいて里見の最前線に火をつける予定である、とのことでした。
定正「なるほどね。そうしないと、自分自身は風下で火に当たっちゃうからな。オッケー、伝言ご苦労。馬助は一旦里見側に戻りなさい」
馬助「もうすぐ明るくなってきちゃいますし、今戻っていったら怪しまれます」
定正「それもそうか。じゃあ、そのまま憲儀の隊についてくれ。火つけ役の仁田山がなぜか遅刻しているようなので、馬助、お前がやってくれるか」
馬助(友勝)は、柴と燃料を積んだ一艘の船を与えられました。
こうしているうちに、東の空に、太陽の端が現れました。そしてこれと同時に、約束通りの北西の風が吹き始めました。波が高くなり、船がゆらゆらしはじめます。全兵は、寒さではなく興奮に身を震わせました。
定正「万事、計画どおりだ! 全軍、碇をあげよ! 敵の船団に火をはなち、洲崎に上陸し、そして里見たちを皆殺しにするのだ!」
定正は、大角たちがまだ来ないことを少なからず不審に思いましたが、今となっては構っていられません。最後の戦いの火蓋は切って落とされようとしていました。