176. 南弥六が息子に力を貸す
■南弥六が息子に力を貸す
(原作「第百七十五回」に対応)
管領軍の船団が大炎上するところは、洲崎の岸や物見台からも眺めることができました。遠目からもわかるこの地獄絵図に、震え上がらないものはいませんでした。
のろし台の上からこれを見ていた阿弥七、墜八、そして増松も同様です。しかし、年少の増松はこの風景を見てむしろ闘志に奮い立ちました。
増松「私たちも海上に行きましょう! おぼれた敵の死体を集めたり、燃え残った船を回収したり、することはいっぱいあります」
阿弥七「しかし、私たちの仕事はのろし役だよ。勝手なことはできない」
増松「そ、それはそうですが… もうのろしを上げるような事態は起こらないですよ」
こののろし台の下を、天津九三四郎が通りすがりました。彼は兵糧の運搬担当だったのですが、もう仕事もないので、近いところで海戦の様子を見ようとしていたのです。増松は彼にも声をかけ、「海に出なければ」と訴えました。
九三四郎「勇ましい少年だ。わたしもその気になってきたぞ。よし、なんとかして海に出る許しを得ようじゃないか」
たまたまこの近くに里見家臣の詰茂もいましたので、九三四郎はこの旨を説き、戦場に行く許しを請いました。
詰茂「その意気、買った。私は本陣に今から走って殿にお願いを申し上げる。ダメならここに戻ってくるが、たぶん許されるだろう。みんな、今からもう出発するがよい。がんばってな」
こうして、九三四郎・増松・阿弥七・墜八たちはパーティを組み、手近な船(雑兵つき)を二艘借りて海上に乗り出しました。そして、死体(ほとんどは敵のです)を敵の軍船の上に引き上げたり、余った船を岸に運んだりといった仕事をしました。死体を引き上げるのは、それが名のある武士だったときにあとで確認できるからです。
さて、海上には、実は生きている敵も残っていました。海賊の水禽と錦帆は、火を逃れるためにあえて海に飛び込み、壊れた船の船板をうまく使って水上スレスレに浮きながら、危険が去るのを待っていたのでした。増松たちが近づいてきたので、死んだフリをしています。
増松「あそこにも二体いる。ちょうど板に乗って浮いているね」
雑兵たちは、気づかずに彼らも船上にひっぱり上げました。水禽たちはしばらく死んだフリを続けていましたが、突如ガバッと起き上がると、付近の雑兵を切り倒しました。
雑兵「あっ!」
水禽「バカが、みすみす敵を助けるとはな」
この異変に気づいた九三四郎と墜八が急いで船をこぎ寄せて、軍船の上の海賊と戦い始めます。また、別の船にいた増松と阿弥七も近づきます。
錦帆「オレはあっちを片付ける。ひとりはガキだし、楽勝だ」
錦帆は阿弥七たちの船に飛び移り、阿弥七を蹴倒しました。次に刀を振り上げて、増松を一刀のもとに斬り殺そうとしました。実力に差がありすぎるので、まったく勝負にはならないようでした。
阿弥七「いかん、増松!」
しかし、なぜか錦帆が刀を振り下ろしません。かわりに、なにか眩しい光にくらんだかのような表情で、後ずさりしました。阿弥七はなおよく目を凝らします。錦帆の前にはおぼろげな男の姿があり、錦帆の手をつかんで動けなくしているように見えました。
阿弥七「…まさか、南弥六兄さんなのか?」
その男の霊は阿弥七のほうを向いてニヤッと笑ったように見えました。その次の瞬間、霊は増松の口の中にスルッと入り込んでしまいました。
すると増松の目から怯えが消え、腰の刀をスラリと抜き放って構えました。体が動くようになった錦帆が、エイと叫んで片手で刀を振り下ろすと、増松は目にもとまらぬ技で刀を持つ手首を切り落としました。錦帆がもう片方の手で増松につかみかかろうとすると、それを横にかわし、増松は錦帆のヨロイの隙間を狙ってズバリと切り込みました。錦帆は急所への傷に耐えかねて、たちまち絶命しました。
阿弥七は言葉もありません。増松は今までよりも一回りカラダが大きくなり、筋肉ムキムキになっています。
増松「あっちもだ」
増松はこうつぶやくと、跳躍して九三四郎たちのいる船に飛び移りました。すでに九三四郎達は防戦一方になっており、いつ致命傷を負ってもおかしくない状況でした。増松は、甲板に飛び乗ると同時に、振り向く水禽を袈裟斬りにして倒してしまいました。
九三四郎「た、たすかった、増松! まだこいつは生きているようだ、とどめをさそう」
増松「(水禽を踏み据えながら)いや、こいつには喋ってもらいたいことがある。まだ死なせない」
九三四郎「(こいつ… 増松、だよな?)」
やがてこの場所に、阿弥七も集まりました。さっき見たものをみなに説明しますと、九三四郎も墜八も胆を潰して驚きました。
墜八「養父・南弥六の力が増松の体に受け継がれたのか…」
増松「そうみたいです。体に力がみなぎって仕方がない」
阿弥七「死んでなお、兄上は我々を助けてくれるのだ…(涙)」
さて、水禽を拷問すると、定正たちが北西に逃げ去ったことが分かりました。また、引き上げた死体の中に、敵側の武士である大茂林や浜川といった人物もいたことが判明しました。大手柄です。(水禽はこの後しばらくして死にました)
ちょうどこの近くでは、毛野たちが弁当を食べながら休憩をとっていました。阿弥七はこれを見つけると船をこぎ寄せ、さっきあったことを報告しました。
毛野「すごい奇跡が起こったものだ。死んだ者が力を貸してくれるとは、偉大な南弥六の魂よ… よし、みんなはもう洲崎に戻って、殿にもこの話を報告しておいてください。私たちは引き続き武蔵にいって、もう一仕事してきますからね」
場面は変わって、犬村大角たちがあれからどうなったかに話が戻ります。行ったり来たりですねえ。
大角は、雑魚太郎貞住と300人の兵を連れて、管領軍を後ろから焼き討ちするつもりだったのですが、新井城の三浦義武に足止めされてしまっていました。
大角「このままでは決戦に間に合わんではないか。いいかげんにしてくれんか」
義武「我々の下につくのでなければ、断じて行かせん」
こんな風に口論ばかりしているうちに、空がすこし明るくなり、今まで北西からだった風が、にわかに南東からに向きを変えました。
大角「いかん、はじまった。もう構ってはおれん、みんな、無理にでも前進しろ」
義武「どうしても言って聞かねば、みな捕らえてくれるまでだ。者ども、百中たちを縛れ」
義武の船団が、いよいよ包囲の輪を縮めてきました。大角はもうあちらの決戦には間に合わないと判断しました。ここからは方針変更です。
大角「ええい、もういい! よろしい、私の正体を教えてやろう! 私こそは里見の八犬士のひとり、犬村大角礼儀だ。管領軍との戦いに遅れた腹いせに、まずお前達を皆殺しにし、ついでに新井の城も奪ってやる。たった今降参するなら、命だけは許すがな」
義武「なんだと、やっぱり我々を騙したのか! 許せん、者ども何をしている、とっととかからんか!」
ついに、こんなところでミニ海戦が始まってしまいました。義武たちの軍は大角の3倍はありましたが、大角は自由に船団をあやつってこれらを翻弄し、簡単には勝負がつく様子がありません。
義武「ウロチョロしやがって!」
このとき、洲崎の方向から、船の帆の切れ端などが燃えたまま飛んできて、義武たちの船にばかり降りかかりました。いったん火がつくと簡単には消し止められず、義武たちは大混乱に陥りました。大角たちの船は風上のポジションを保ち、これを幸いにと一方的に敵を攻撃します。戦い抜いて武器も折れてしまった義武は、なかばヤケクソ、単身で大角の船に飛び移ってきて、最後の力で大角に組み付きます。
義武「フンガー」
大角「うむ、ナイスファイト」
しかし大角の技が勝りました。義武はねじ伏せられ、雑兵がよってたかって彼を縛り上げてしまいました。これを見て、義武の隊はみな降参してしまいました。
大角「ここはこれでよし。しかし、義武が捕らえられたと知ったら、義同が怒って攻めてくるのは明らかだな。先手をうってやろう。 …洲崎の戦いのほうも心配だが、あの風と火の気配、たぶん毛野の作戦は成功したとみた。あっちはあっちの人々に任せよう」
大角たちは上陸して、500人の兵を2つに分けて、道ばたに潜ませました。(さっきは300人だったのにどうして増えたかって? 降参した雑兵たちをさっそく組み入れたんですよ)
案の定、城に逃げ戻った兵から報告をうけた義同は、全身を怒りに震えさせました。「あの赤岩とやら、敵の間者だったのか! おまけに我が息子を捕らえただと。引き裂いて殺してやる」
彼は大きな薙刀を携えると、馬に乗って、100人の精兵とともに城を飛び出しました。道の途中でしげみの多いところにさしかかると… 左右から銃声が響いて、次にヤリをかまえた兵達がワッと叫びながら飛び出してきました。貞住や大角もこれらに加わっています。
大角「愚かなり、三浦義同。やすやすとこんな手にかかるとは、トリモチにかかる鳥と同じであるぞ!」
義同はたちまち100人の兵をすべて失い、たった一騎で城に逃げ帰りました。そして門を固く閉じてしまいました。