178. 五十子城、落ちる(2度目)
■五十子城、落ちる(2度目)
(原作「第百七十七回」に対応)
追い詰められた扇谷定正を救うため、防禦師・犬山道節たちの前に巨田助友の隊が立ちはだかりました。人数は少ないながら、助友の戦いぶりは奥義を極めて凄まじく、また部下たちも精鋭ぞろいで、道節といえども簡単に崩すことはできません。
とはいえ、里見軍のメンバーも荒川・印東などのツワモノぞろいですから、千変万化の手をつくして敵軍にあたり、じりじりと助友たちが不利になっていきました。500いた兵も100ほどまで減りました。助友自身も浅手を負ったので、残った連中を連れて水際に引くと、とめてあった何艘かの船にすばやく飛び乗って退却をはじめました。
道節「む… 逃げおった。まあいい、本来追うべきは定正なのだからな。まだ間に合う、みんな、行くぞ!」
これを荒川と印東が止めます。「これ以上は深追いしすぎと思います。日も落ちてきました。逃げる敵は捨てよ、というのが殿の方針だったかと」
道節「そうか… それもそうだな。相手が定正だからつい熱くなってしまう。しかしお前たちが正しい。さっきの助友のような奴らもまだいるかもしれないからな。じゃあ、それはほっといて、我らは五十子城に行こう。人質になっている女たちを救うのだ」
荒川・印東「そうしましょう!」
こういうわけで、定正と憲儀は助友に時間を稼がせ、道節たちの手をのがれて矢口の渡しになんとか着くことができました。しかし、肝心の渡し舟がなかなか見つかりません。
憲儀「ちきしょう、どいつもこいつも俺たちを避けやがる。誰か舟を出せ! 返事をしろ!」
突然、後方から誰かの隊が迫ってきました。そして、その隊長が「定正よ、逃げ道はないぞ。里見の家臣、小湊目だ!」と呼ばわります。これを聞いて定正と憲儀はすっかり絶望しました。「あ… 詰んだわ。もう何してもダメだ」
目「そうとも、もうあなた方に道はない。腹を切って首をよこすか、縛られて連行されるか、どちらかだ」
憲儀は最後の交渉に出ました。「私だけがここで死んで首を渡そう。だから定正さまだけは逃がしてくれ」
定正が憲儀を止めます。「いや、お前にだけにそんなことをさせて何になろう。死ぬならオレも一緒だ」
目は聞きません。「いや、里見は仁君。進んで殺したいわけではない。戦の首謀者といえども礼は尽くすから、安心して安房にお越しいただこう」
憲儀「しかしそれでもなお、主人にとってはこの上ない恥辱。 …ではこれではどうだ。お主たちは、定正さまのマゲを切ったものを、首級の変わりに持って帰るということでは」
定正「バカな、憲儀よ、そんな恥をかくくらいなら死んだほうがマシだ」
憲儀「いえ、太平記の中に似たようなエピソードがあります。後に正しく再起をはかれば、これは決して恥辱にはなりません。目どのよ、どうかこれで手をうってくれ」
目「…実はこうなることも、軍師(毛野)は予想しておった。よいだろう。定正どのは髻を切る。そして憲儀どのだけ、我々と一緒に安房に来てもらう」
定正は、小刀でフツリと髪を切り取って目に渡しました。定正をひとりぼっちで放り出すのは危険ですから、目は、部下の鮠内に雑兵をつけて護衛させ、定正を城に送らせました。そして自分たちは、憲儀だけを連れて去っていきました。
鮠内たちが川の渡し場まで行く途中、舟に乗っている助友の隊に出会いました。定正もこれを見つけます。「助友よ… お前の忠告を聞かなかったせいでこのザマだ」
助友は上陸して定正の前に控えます。「お命につつがなくて何よりです。…(振り返って)鮠内どの、ありがとうござった。里見の仁心、これほどのものとは驚いた」
鮠内は、「お供がいらっしゃったのなら、我々がいなくても安心ですね。じゃああとは任せます、助友どの」と言って、定正の身柄を引き渡し、自分たちはもと来た方向に帰っていきました。
定正は改めて助友に今までの自分の過ちについて謝りました。
助友「いいえ、目を覚ましてくださったならよいのです。さあ、河鯉城に戻りましょう」
定正「五十子城ではなくてか?」
助友「今回の成り行きなら、間違いなく五十子は落とされているでしょう。相手はあの犬阪毛野ですからね。だいたい、あそこを守っている馭蘭二がまともに戦えるはずはない」
定正は、疲れ果てて一気に10年も老いたようです。「なるほど、そうかもしれんな。あとはもう任せるわ…」
さて、音音があれからどうなったかに話が移ります。
8日の早朝、彼女は敵の船に放火して自分は冬の海に飛び込み、そこから夢中で泳いで武蔵の大茂林の浜についたのですが、そこで疲れ果てて気絶しました。これをある漁師が見つけて自宅に運び、そこの老女が、暖めたり薬を飲ませたりして介抱しました。音音が気がついたのは、もう夕方近くです。
音音「…ここは?」
老人「大茂林の海苔七という漁師の家ですよ。あなた、どうしてあんなところに倒れていたんです」
音音「え、ええ。浦賀から上総に行く用事があったんですが、船が難破して。私は海女だったことがあるので何とかココまで泳ぎ着きましたが、きっと残りは…」
老人「それはお気の毒に。今日はもう遅いですから、泊まって休んでいきなさい」
音音「ありがとうございます。しかし、ちょっと浜辺に行って、船の破片とか、仲間とかが流れて着いていないか見てきます」
音音はこう言ってフラフラと立ち、夕暮れの浜辺に行くと、今後どうすべきか考え込みました。「たぶん、里見の作戦は成功したわね。あとは、人質を救うために五十子の城に潜入しないと…」
ちょうどそのとき、一艘の軍船がこの浜辺に漂着しました。中には、縛られた兵たちが3、40人ほど満載されています。
音音「なんです、あなたがた?」
兵たち「戦に負けて、そのまま放り出されてしまったのだ。おい、おばさん、縄を解いてくれ。我々は五十子に急いで戻って報告せねばいかんのだ」
彼らは、さっき道節にボスの朝寧を討ち取られた船隊の残兵です。
音音「へー… いや、勝手にナワを解いたら怒られちゃうんじゃないかしら、ワタシ」
兵たち「そんなことはない。むしろ謝礼が出るであろう。早くしてくれ」
音音「謝礼ねえ… それよりも、私のお願いを聞いてちょうだいよ」
兵たち「なんだ」
音音「五十子の城内で、娘がメシ炊きの仕事してるのよ。戦なのかしら、なんか騒ぎになっているようで、心配じゃない? 彼女に会いたいからさ、ワタシも城の中に入れてよ」
兵たち「そんなの連れて行くのはカッコわるいだろ」
音音「あっ、そう。じゃあ誰でも他の人に頼みなさいよ。じゃーね」
兵たち「まて。わかった、わかったから!」
こうして音音は、雑兵の格好に変装するという条件で、この隊に混ぜてもらいました。そうして彼らとともに五十子城の方向に走っていきました。
兵のひとり「このおばさん、妙に雑兵の格好がサマになってるなあ。まあいいや」
こちらは犬阪毛野たちです。海戦に勝ってから、彼は小森高宗・千代丸豊俊・浦安友勝・木曾季元たちと3000の兵を連れて武蔵に向かい、大茂林の浜に到着しました。そこでちょうど、管領軍の残党とおぼしい兵たちが五十子城に走っていく様子を目撃できました。(直前に書いたあの人たちですね。音音も混じっていますが、毛野たちには分かりません)
毛野「ちょうどいい。管領軍のフリをしてあの連中に混じって、城に入っちゃおう。ここに乗り捨ててある船に、敵の旗が残っている。これを持っていれば、それらしく見えるんじゃないかな。もう暗いし」
このアイデアを受けて、小森と豊俊が20人くらいの兵をつれてさっきの連中を追いかけ、何食わぬ顔で合流しました。この残兵たちはやがて城につくと、「安房の海戦に敗れた者だ、報告があるから門を開けてくれ!」と叫びました。こうして門が開いたので、音音も、小森たちも、まんまと城に潜入してしまいました。
城の留守を預かっていた箕田馭蘭二は、この兵たちから敗戦の報告を聞いて震え上がりました。
馭蘭二「やべえ! すぐに城の防御を固める手配をしないと」
こう考えた途端、「火だ! 城の中から火が出た」と城兵たちが口々に叫びはじめました。里見の兵たちがさっそく火を放ったのです。
豊俊「里見の軍師、犬阪毛野の先鋒、千代丸豊俊、ここにあり!」
小森「小森高宗、ここにあり!」
火を放った兵は、とめてあった馬の綱を切りました。また別の兵は正面の門を開けました。馬はそこから飛び出し、待っていた毛野たちによって確保されました。毛野はこれにさっそくまたがると、「今だ」と号令して、全軍を城の中に突入させました…
音音は、城の入口近くで何かゴタゴタが起こっているのに乗じて、雑兵の恰好をしたまま、建物の奥に向かいました。部屋から部屋を渡り歩いて、人質の妙真たちがいないかを探し回ります。途中、ナギナタが落ちていたので、拾って武装しました。
妙真・曳手・単節の三人は、城の外で騒ぎがあった気配を知り、「きっと味方がこの城を攻めているのだ」と考えました。さっそくこれらを頼って逃げ出すために屋敷の出口を探してウロウロしますが、途中で妙真が提案します。
妙真「この城には、定正の継母である河堀殿と、朝寧の妻である貌姑姫がいらっしゃるはず。たぶん混乱の中で絶望しているでしょう。早まったことをしないように、私たちが保護しましょう」
こうして、人質三人組は、身分の高い女性がいそうな場所を探して、やがて河堀殿と貌姑姫を見つけました。妙真が心配したとおり、二人は抜き身の刀に身を伏せて自殺しようというところでした。三人はこの二人にすがりつきます。
妙真「やめて! 早まったことをなさらないで!」
貌姑姫「えっ? あなたは…」
妙真「里見の身内のものです。身分を偽ってここに滞在していたのです」
貌姑姫「では敵のスパイ…」
妙真「ま、まあそうとも言いますけど。ともかく、死ぬことはありません。里見は仁君。あなた方を害することは決してありませんから」
この場に、二人の男が鉄砲を持って乗り込んできました。技太郎と餅九郎です。
技太郎「聞いたぞ、お前ら、里見の手先だったのか」
餅九郎「城が落ちそうなので、オレの女たちをさらって逃げちまおうと思って探しに来たんだが、まったくラッキーだ。河堀と貌姑姫がいるのも都合がいい。こいつらを手土産に里見に降れば、オレたち、城の一つや二つくらいもらえるんじゃねえかな?」
技太郎「棚からボタ餅が100個くらい落ちてきやがった。ゲヘヘ!」
曳手と単節は、憎み殺すくらいの勢いでこの二人を睨みつけます。「アンタたちなんかに好きにさせるもんですか」
餅九郎「なんだ、文句あんのかよ。俺の妻になれよ、そしたら将来は安泰だぜ。イヤだというなら… こいつを食らわせるまでだ」
こう言って、銃口を曳手たちに向けました。
そのとき後ろから、ブンとナギナタを振るものがいました。技太郎は振り向く間もなく首を落とされました。ナギナタを持つのは、管領軍の雑兵のような恰好をした人物です。
餅九郎「なんだおまe」
餅九郎が言葉を発する間もなく、この雑兵は「憤怒」と声をあげて彼をも一刀両断にしてしまいました。
妙真「あ、あなたは?」
雑兵は、陣笠を脱ぎ捨てました。
曳手・単節「(涙ぶわっ)お母さま!!」
妙真「どうしてここに? その恰好は?」
音音「まあ、話せば長いので、それはあとでね。海戦は里見が勝ったわよ」
妙真「音音さん、ここにいらっしゃる二人は、それぞれ定正の親類です。保護しないと」
音音は貴人たちに額をついて礼をしました。「あなた様方に危害は加えません。この戦いは、あくまで扇谷を惑わす佞臣を懲らすことのみが目的でございます。ここは危のうございます、どうぞお外に…」
河堀殿と貌姑姫は、目を涙で腫らしながらも、やや落ち着いた様子になりました。
毛野たちのほうの戦いもほぼ終わりました。城の防御のリーダーであった箕田馭蘭二は、負傷して城から逃げてしまっていました。他の兵は残らず降参しました。
毛野「よし、みんな、すぐに人質の女たちを探して保護しろ! また、定正の親類の女たちもだ。絶対に乱暴をするな!」
毛野がこう言うそばから、妙真たちがトコトコと歩いて現れました。
毛野「あっ!」
妙真「(ニコリ)みんな無事ですよ。ご安心を」
毛野はさっきあったことを一通り聞かされました。音音が敵の船を焼いて、その後、雑兵に化けて皆を救ったことが話のハイライトです。
毛野「音音さん、あなたの戦功は莫大だ!」
音音「いえいえ」
毛野「私も今すぐに河堀殿たちにお会いして慰めを申し上げたいところだが… 夜分ははばかりがある。みなさんが今夜は彼女たちについて、守ってあげてください」
(毛野は翌日、あらためて河堀殿と貌姑姫に会い、完璧に礼儀を守りながら、今回の事情をひととおり説明しました)
この日の深夜、目が大石憲儀を連行して五十子城に入りました。毛野はこれを確認すると、いくつか尋問をしたのち、牢にとじこめました。憲儀はひたすらションボリしていました。毛野は、定正の髻を見ながら、関東管領という要職にある人物を捕らえずに済ませたことにも満足しました。
毛野はこの後、小森に命じて、大塚の城を守りに行くよう言いました。
毛野「大石が捕らえられたので、あそこの城の連中は恐れて逃亡すると思う。そしたら城がカラッポになっちゃって、荒れてしまうからね。木曾どのもいっしょに行かせるから、よろしく」
小森「ええ、わかりました。忍岡も同様じゃないでしょうか。あそこは守りにいかなくても?」
毛野「(ニコリ)うん、あそこは道節に譲ることにしているからね」
ここから毛野は、夜通し、洲崎への報告書を書きました。そして翌日の早朝、城に丶大法師が訪ねてきました。さっそく彼は座敷の上座にのぼらされ、毛野から最大級の礼と賛辞をうけました。しかし彼は、終始悲しい顔をして数珠をいじっているだけです。
丶大「ちっともうれしくはない」
毛野「丶大様のおかげで、里見を救い、悪を懲らすことができたのです。決して仏の教えにもとりはしません」
丶大「分かってはいるつもりだがな。昨日の火計で何人死んだ。1000人か、2000人か。もっとか。みな私の罪だ。長年積み上げてきた功徳は、一瞬で消え失せた。私は地獄に行くだろう…」
毛野はなぐさめかねます。「まずはお体を清め、お食事をとり、ゆっくりお休みください…」
やがて休息を終えた丶大は、鮠内に護衛されて、洲崎に帰っていきました。(鮠内は定正の髻も持っていきました)
さて、この次の日、毛野は城の周りを視察したり住民の声を聞いたりするために、馬に乗って巡検していきました。住民たちはみな毛野たちを大歓迎しているようでした。
道の途中で、毛野は小さなお堂を見つけました。案内人が、「ここは河鯉守如様の墓なのです」と毛野に教えました。
毛野「守如どのの墓!」
案内人「みなに尊敬されていた人でしたが… この方の息子様が管領の不興を買ったりして、なかなかはばかりがありましてな。墓石もロクに立てられませんでおります」
毛野は馬から降り、長い間、「墓」と称された土饅頭の上に祈りを捧げました。「必ず立派な墓に作り替えてさしあげます。立派な方だった。まさに忠臣と呼ぶべき方だった。そして、不幸な方だった…」