180. 風の玉は救いの玉に
■風の玉は救いの玉に
(原作「第百七十八回下」に対応)
かくして、管領の大連合軍とのすべての戦闘が終わりました。
洲崎に本陣を構える里見義成は、国府台から帰ってきた親兵衛に陸での戦闘の結果を報告され、不思議な事件の数々に驚き、そして戦の勝利に喜びました。(モチロン、親兵衛が帰ってきたというのも喜びのひとつですね。)逆に、親兵衛の方では、海の戦いで完全勝利をおさめたこと、五十子城の人質たちが大活躍したことを知らされて大いに喜びました。
今回のメインの敵のうち、山内顕定は上野の沼田の城に逃げ、長尾景春は白井の城に戻りました。また、扇谷定正は河鯉の城にこもって出てこない様子です。戦闘が再燃する見込みは完全になくなったと判断できました。
義成「よし、もう各地に大きな陣を張っている必要はなくなったね。必要な守りだけを残して、あとは戻ってきてもらおう」
こうして、国府台からは里見義道と信乃・現八たちが戻ってきました。捕虜として、足利成氏、大石憲房、扇谷朝寧、長尾為景、斎藤盛実も連れてきました。
行徳からは、荘助と小文吾たちが戻ってきました。満呂の親子や安西就介も一緒です。また、捕虜としては、千葉自胤、大石憲重、原胤久がいました。
これに先だって行徳から捕虜として送られてきた上杉朝良と稲戸由充、また、三浦から送られてきた義同・義武の親子を含めると、全部で12人の捕虜が安房にそろったことになります。義成は、稲村の城内に大急ぎで宿舎を作らせ、これらの人々を収容して、何一つ不自由のないようにもてなすよう指示しました。
もう年の瀬が迫っています。
その翌日、義成は、防禦師を務めた犬士たちや他の家臣達も呼び集めて、みなの軍功を褒め称えました。(犬士のうち、毛野・道節・大角はまだここにいません。武蔵のほうでまだ城を守っていますからね)
義成「さて、私は、捕虜になった12人の方々に早いうちにアイサツをしておきたい。ちゃんとお客として歓迎していることをハッキリさせ、私の誠意を分かってもらいたいのだ。どうだろうか」
信乃が意見します。「あの方々にお会いになるのは、もうすこし後にするのがよいように思います。こちらからは良かれと思って会っても、かえって恥ずかしい気持ちになる人もいるでしょう」
親兵衛「私も信乃さんに賛成です。殿の仁心がもっとよく伝わってからなら、みなさん、より素直な気持ちで面会してくれるのではないかと」
義成「うーん、そういうものかも知れん。分かった、アドバイスに従うよ。しかしその間もお世話が行き届くよう、くれぐれも頼む。そうそう、稲戸どのは、彼に恩がある小文吾と荘助が特によく付き合ってやってくれ。本当は彼は釈放してあげてもいいんだけど、今そうすると、きっと責任感から切腹しちゃうと思うんだ」
小文吾・荘助「はい、そうします」
義成は、さらに、今回飛び入りで手伝ってくれた人々にも会って、その働きをいちいち称賛したり、なんらかの地位を与えたりしました。ここらへんは省略しちゃいましょう。(でもひとつだけ。南弥六のパワーを受け継いで活躍した増松君には、有親という実名が与えられました。「この親にして、この子あり」という意味だそうです)
そうこうしているうちに年が明け、正月の行事をいろいろ行っているうちに、すぐに二月にもなってしまいました。二月のある日、五十子城を守っている毛野から義成に手紙が届きました。
手紙「二月には一週間の彼岸があります。このときに、さきの戦で亡くなった兵士たちの霊を弔う法事を行ってはどうでしょうか。また、生きている者たちにも、戦乱で貧しくなってしまったことの慰めとして、米と銭を配る大規模な施行を行うとよいと思います。何千、何万という兵を我々はやむを得ず殺してしまいました。八百八人の作戦をたてた私自身、悲泣哀悼の意に堪えない思いです」
義成はこのアイデアに喜んで、早速犬士たちを呼んで意見を聞きました。
信乃「はい、我々もかねてから同じ思いでした。大賛成です」
小文吾・荘助・現八・親兵衛「そして、この法事をつとめられるのは、丶大さましかいません」
義成「だよな!」
さっそく丶大が延命寺から呼び出されました。彼は前の戦が終わって以来、誰にも会わず、ずっと居室にこもって経を読み続けていました。顔もいささかやつれています。義成は、毛野からの手紙のことを説明しました。
丶大「私が殺してしまった人々を私が慰霊するなんて、マッチポンプもいいところではありますが… しかし、これら何万人もの戦死者の魂を救うには、確かに仏法の力を借りるほかありません。無様なことは覚悟していますが、やってみましょう。また、生きているものへの施行はすばらしいアイデアですな。こちらのほうこそ、私の読経よりもずっと人々のためになる。これもぜひお願いしますよ」
このとき信乃が、丶大に、玉を返したい、と言い出しました。
信乃「我ら八犬士が持っている玉は、もともと丶大さまの持っている数珠から飛び出したものと聞いています。今回、丶大さまはその数珠を使って法事をするのだと思いますが、この玉をもとあったとおりに数珠につなぎ直せば、死者を弔う効果も増えるのではないかと思うんです」
他の四犬士も同じ考えだと述べました。
丶大「うん、その必要はないと思うぞ。実は私は、それの代わりになる8つの玉をすでに持っておる。実は、風を起こしたあの日、甕襲の玉が8つに割れたのだ」
信乃「えっ!」
丶大「で、割れたその玉はやはりまん丸で、中に文字が浮かんでおったのだ。例の仁義礼智… というアレではない。そうではなくて、『阿耨多羅三藐三菩提』と読めるのだ。(まあ、『三』を二回使って九文字に解釈しているのだが)」
丶大「そなたたちの玉は、生きているもののための玉だ。死者の魂を救う仕事には、これを使う方がふさわしいと思う。だから、今日のような日が来ると思い、私はこれを数珠の数取りにつなぎ留めておいたのだ。ほら、よければ見なさい」
ここにいた一同は、「へー、へー」と感嘆しながら、よってたかってこの数珠を手に取って見せてもらいました。
義成「よし、そうと決まれば、すぐに手配をはじめよう! 法要と施行はそれぞれ彼岸の七日間をフルに使って行う。施行に使う米や銭は、毛野たちが落とした城に不正にため込まれていたものと、もちろん安房から拠出するものも使う。行徳では小文吾が、国府台では現八が仕切ってくれ。武蔵、鎌倉、石浜でもいっせいにやろう」
やがて法要がはじまる当日になりました。里見の家臣たちは総出でこれを手伝い、さらに、周辺の地の僧侶たちも、法要を手伝わせてもらいたいと言って殺到しました。法要を行う施餓鬼船は100艘を超え、例の数珠を握りしめた丶大の乗るとりわけ大きな船の周りを囲んでこれに従いました。戦は海上であったのですから、読経も海上で行うのです。信乃・親兵衛・荘助・孝嗣なども別の船に乗ってこれを警護します。
初日は武蔵の墨田河の河口からスタートし、順に各地点を回って、最終日には洲崎の近海で終了する予定です。朝晩を問わず、丶大とそれに従う僧侶たちが読経の声をあげ、一心に戦死者の霊を弔いつづけました。
また、この間、各地の施行所には長蛇の列ができ、里見の役人たちが、一斗の米と500文の銭を配り続けました。軍役に疲れ果てたもの、家を失ったもの、子を売ったもの、老いたもの、それぞれが互いの肩を支え合いながら施行所を訪れ、感涙にむせいだり、わななく手を合わせて拝んだりして、施物を受け取っていきました。
ついに七日目の結願の日になりました。この一週間、気候は例年になく暖かで、雨が降ることもありませんでした。また、波もきわめて穏やかで、海鳥たちさえ法事の邪魔をしないように岩にとまってかしこまっていました。
稲村からもこの様子は見ることができましたので、義成や義道、代四郎、その他のほとんどの家臣が浜辺や物見台からこの様子を眺めました。また、捕らわれている12人の捕虜たちも、せっかくの機会であるとのことで、護衛に取り巻かれながら浜辺でこれを見ていました。信乃・親兵衛・荘助・孝嗣も、この日だけは陸にあがって、これらの人々と一緒にいます。
夕方になり、イベントの終了が近づきました。ついに読経をすべて終えた丶大は、船の舳先に立って、等見菩提を念じつつ、仏の功徳をたたえる文句を、地獄から天界にまでも響けとばかり、声高らかに詠唱しました。そうして数珠を激しく縦横に打ち振ります。
このとき、丶大の握りしめていた数珠の数取りの部分がちぎれ、留めてあった8つの玉が海にバラバラと落ちました。そこからさざ波が、そして次第に激しく渦巻くような波があたりの海一面に広がっていき、無数の白い玉が海中から立ちのぼりました。それは夕暮れが終わって藍色になった空にユラユラとのぼっていき… そして、太陽が沈み終わると同時に、それぞれが明るい金色に輝いて、そしていっせいに西の方角になびいて消えました。
これを目撃したすべての人々は激しい感動に震え、しばし言葉もありませんでした。12人の捕虜たちも、亡き人々の魂を残さず救うほどの里見の仁心、そして丶大法師の大功徳に打ちのめされるほど感動し、ほんの少し残っていた頑なな心も溶けて失せ、心から敬服の念をおぼえました。