181. 蜑崎照文の機転
■蜑崎照文の機転
(原作「第百七十九回上」に対応)
大戦の戦死者を弔い、窮民をにぎわすための施餓鬼のイベントは無事に終了しました。
親兵衛や代四郎は仕事にキリがついたので滝田に戻り、しばらくは義実のそばに通いました。義実は、いままでにあった事件のことをつぶさに聞きたがり、一日中飽きることがありませんでした。紀二六も滝田に戻りましたが、彼は照文家族のところに留まり、その不在をなぐさめて日々を送りました。まだ照文は京都から戻ってこないのです。
しかし、3月の下旬になって、照文はひょっこり戻ってきました。彼は稲村の義成に帰還のあいさつをしに来ましたが、主な家臣たちもみんなここに揃って、彼の今までの事情を知りたがりました。
親兵衛「一緒に行っていた田税どのと苫屋どのの話までは聞いています。しかし、それから照文どのは、どこでどうしていたんです?」
照文「いやー、なかなか一言では言い尽くせませんよ。順に話させてください…」
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遠江の灘で海が荒れて、田税と苫屋が脱落した件はもうご存知ですね。我々はこれでメンバーをずいぶん減らしたんですが、とりあえず海はおだやかになったので、改めて西に向かいました。しかし、今度は津の近くでメチャクチャな嵐にあって、帆は折れるわ、梶は流されるわでどうしようもなくなりました。
その後、船は、伊勢の阿漕というところに漂着しました。伊勢は北畠氏の領地です。そこの陣代、網曳周魚が我々を助けて、体調が回復するまで世話してくれたんですが… どうも、我々が多くの財宝を運んでいる理由が納得いかなかったようです。結局、我々のことを海賊みたいなものと結論付けて、牢につないでしまいました。こっちの言い分はちっとも聞いてもらえないんです。
その後、管領軍が安房に攻め込もうとしているというウワサは、牢の中にいる私たちにも聞こえてきました。すぐにも駆けつけたかったですが、どうしようもなかったです。
領主の北畠は、この戦の内容によっては関東に警戒しなくちゃいけませんから、いろいろと情報網を張って、成り行きを注視していたみたいですね。やがて、安房里見がほとんどノーダメージで完勝して、敵将をたくさん捕虜にしたという情報が入ってきました。また、ついでの情報として、我々が京に犬江親兵衛を迎えに行こうとしていたことも伝わりました。やっと我々の言い分のウラが取れたというわけです。
北畠どのは、我々を理不尽に足止めしてしまったことを謝ってくれて、没収していた財宝類もみんな返してくれました。そして、安房まで送っていくように網曳どのに命じてくれたのですが…
そこで改めて考えたのですが、もう戦が終わって平和になった安房に急いで帰る必要もないのだし、もう犬江どのを迎えに京に行く必要もないわけですから、どうしようかなあと。
ここで閃いたんです。今回、関東の両管領に理不尽に恨まれてやむなく戦った里見の事情を、私のほうから将軍家に報告したり、天子に奏聞しに行ってはどうかと。ちょうど近くまで来てますし、貢ぎ物としてたくさんの財宝も持っていますし、殿に預かった、公文書に使える押印済みの紙もある。また、運がよいことに、書記の大岸法六郎も我々の使節メンバーに入っている。
ってことで、我々はそれから京に行って、管領の畠山長政さまに会い、どっさり貢ぎ物を差し上げて、里見からの手紙を将軍に取り次いでくれるよう頼みました。手紙には、戦が起こった経緯とその結果を書き、そうして「関東の平和のため、関東管領の理不尽を止めてください」と結びました。さらに、将軍家や公家の人々にも貢ぎ物をバラまきまくりました。
将軍のほうでも独自調査で訴えのウラを取る必要があったために若干時間はかかりましたが、結局我々の言っていることはすべて正当と認められました。将軍は、両管領に「めっ!」って言ってくれるそうです。そして、和睦の世話もするって約束してくれました。この使いには、熊谷直親を送るそうです。
朝廷のほうでも、里見の忠心と八犬士たちの活躍について、特に感心なされたようです。で、安房に勅使として秋篠将曹広当を送るそうです。
熊谷と秋篠は、道中、扇谷・山内・長尾がそれぞれ留まっている城に順に寄って、上意を伝えておイタを叱り、和平を認めさせるそうです。それで和睦の準備がすっかり整ったら、そこから船で安房に来る予定だそうです。そのときは五十子城なども返すことになりますから、あらかじめ私はそこに寄って、犬阪どのにもこの話を伝えておきました。向こうでの段取りは、犬阪どのがひととおりやってくれるでしょうね。
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つまりは、将軍と朝廷がそれぞれ、里見の正義を認めてくれたというわけです。この話を聞いた義成の喜びは尋常でありません。
義成「照文よ、お前はトラブルに巻き込まれながらも、機転を効かせてすばらしい働きをしてくれた! このうれしさ、どう言葉にしていいか分からんくらいだ」
照文「いやー、これも伏姫さまの助けだと思います。貢ぎ物から書記から、実に都合よくお膳立てが揃っていたんですから」
小文吾「『智』の玉の毛野でさえ、ちょっと照文さまには敵わないかもしれません」
照文「いやいや、オッサンをからかわないでください…(汗)」
義実「よし、さっそく使節を迎える準備をしないと」
この日から、稲村では使節を迎えるためのいろいろな準備でテンテコ舞いでした。そして4月15日、里見が準備した船に乗って、武蔵から出た両使節団が洲崎に到着しました。(毛野も案内として同乗してきました。)すぐに彼らは宿に案内され、犬士たちや孝嗣が使者の熊谷と秋篠に拝謁して歓迎しました。
義成は、この次の日に使節に会うことが決まりましたので、今晩のうちに12人の捕虜たちに会うことにしました。義実「やっと和睦の件で話ができる」
こうして、12人の捕虜たちは、夜分急に、湯浴みと着替えを指示されました。捕虜の中には、「これって打ち首の準備じゃないだろうな」と気が気でないものもいましたが、これは誤解です。座敷に案内された12人の前に、金屏風の裏からしずしずと出てきた義成が座って、口を開きました。隣には義道もいますし、バックには家臣たちも控えます。
義成「みなさん、不本意ながら、どうにも長い間この城に留めてしまい、すみません。両管領が和睦とかそういう話もしてくれませんし、みなさんを迎えに来る気配もなかったものですから、どんなあいさつをすべきか今まで迷っていたのです」
義成「しかし、明日、京から将軍と天子の使いが来てくださることになりました。和睦の件と聞いています。ですから、今晩のうちにみなさんに私の真心を伝えておこうと、夜分のご迷惑を覚悟でお集まりいただいた次第」
屏風の陰にいた、毛野と孝嗣が前に出てきて、深く礼をしました。
義成「まず、朝良どの、朝寧どの、そして千葉(自胤)どのににお願いしたいことがあります。くわしくはここの、犬阪毛野と政木孝嗣に聞いてもらいたい」
毛野「千葉の親族、粟飯原首の子、犬阪毛野でございます。悪臣・馬加常武に陥れられ、父も、一族も死にました。私はこのカタキを討つために、身をやつして国中を探し、宿世の因縁ある仲間たちにも恵まれて、やっと目的を達成いたしました。千葉どののお目にかかれたこの機会にお願いしたいことは、ひとえに、父と一族の名誉の回復でございます」
小文吾も前に出てきました。「千葉殿のまわりには、今でも馬加の取り巻きが残っていて、なにかと毛野の悪口を言っているかも知れません。私自身も、馬加に長い間軟禁されたり、謀反の手伝いをもちかけられたことがあります。いつか、石浜の城で騒ぎを起こして、毛野と一緒に逃げたことがありましたが、あれはすべて仕方なかったことです。どうか、誤解をお解きください」
自胤は恥ずかしさに頭を垂れました。「そうか、よく分かった。私は馬加にたぶらかされ、そしてお主たちのような賢良の者たちをわざわざ遠ざけてしまっていたのだな…」
次に、孝嗣が、朝良と朝寧に向かって口をひらきます。
孝嗣「私はかつて、誣いごとを主君に吹き込んだ者がいるせいで、もう少しで死刑になってしまうところでした。そのときは犬江親兵衛に助けられ、その後、いろいろな成り行きによってこんな場所で仕事をしています。定正さまのもとに戻ったら、私の身の潔白をあらためて伝えていただけませんでしょうか。また、父の忠心のことも。彼が里見に通じていたというのは全くの誤解なのです」
親兵衛がこの話をフォローします。「根角谷中二が、私が幻術を使って孝嗣を助けた、と定正さまに報告したそうですが… それは実際には、孝嗣の乳母に化けていた霊狐が、無実の彼を哀れんで行ったことだったのです」
朝良・朝寧「そうだったのか… 分かったよ」
次に、義成は、三浦義同・義武の親子に向かいました。
義成「お二人とも、武勇のほどはかねがね伺っています。それを犬村大角がたまたま破ったのは、これは勝負の運。今日お二人がここにいらっしゃるのは、今後の友好をお願いするチャンスと思っています。ぜひ、末長くおつきあいいただきたい」
義同「お主らには恐れ入ったよ。今後もつきあいが許されるのなら、ぜひ勉強させていただきたい」
義武「腕っぷしだけでは、『仁義』の力には勝てないことがよく分かりました。今後、考えを改めることにします」
次に義実は、稲戸由充に向かいます。
義実「稲戸どの。行徳での戦いのとき、あなたがたを死なせまいと、犬阪があなたを船に乗せ、洲崎に運んだのです。稲戸どののような忠臣を死なせなくてよかった」
由充「いや、今さら生きていても何の面目もないのだ… あそこで死んでいればよかったとさえ思う」
荘助・小文吾「稲戸どの、ここで敵の城に身をおいたからといって、あなたの忠義にはなんの欠けたところもないのです。どうか今後も我々と交流をお願いします」
由充「…」
次に義成が声をかけたのは、山内憲房です。
義成「御曹司、あの戦車作戦は手強かったですぞ。ただ、奇策は奇策に敗れることがしばしばです。これも時の運、負けたことをあまり気にしないのがよいと思います」
憲房「いや、負けは負け、我らの戦いが拙かったのだ。今はひたすら、ここにおらぬ親のことが心配だ」
義成「こんなときでも親を思うとは、行く末の頼もしい孝子ですな」
義成は、とにもかくにも、皆を持ち上げ続けました。
ひとり、長尾為景だけが、ちょっと反骨な感じが残っています。「そうとも、敗軍の将は、兵を語らぬものだ!」(もっとも、成氏がギロッと為景を睨んだので、口をつぐんでしまいましたが)
やがて、あまり夜が遅くなりすぎるのも悪いので、と、義成はとなりの義道も連れて暇乞いし、面会イベントは終了しました。お話は翌日に続きます。