182. 犬塚 “信濃介” 戍孝
■犬塚 “信濃介” 戍孝
(原作「第百七十九回中」に対応)
義成が12人の捕虜に会った翌日は、いよいよ将軍と天子の使者との面会です。この場には、義成・義道はもちろん、8人の犬士が全員と、主立った家臣がほとんど同席しました。まあ、敵の城を守っている役目の人たちは来れませんし、義実も老身であまり出歩けないので、名代だけを参加させていますが。
道節・毛野・大角も、それぞれが守っている忍岡・五十子・新井の城をいったん別の人に預けて、この場に来たというわけです。
しかし、道節は、はじめはひどくゴネてこの場に来たがりませんでした。
道節「(扇谷)朝寧を生き返らせたという件、オレは恨むぞ! せっかくオレが射たカタキなのに、こんなひどい話があるか。そいつも今、捕虜となって稲村にいるんだろう? 行かねえからな、絶対!」
それでも、印東になだめられて、稲村に来るには来ました。その場で最初に会った信乃に、道節は同じ話をして大いにグチりました。
信乃「犬山どの、その恨みは無理がありますよ。今回の目的は、死者をなるべく少なくして、おだやかに和睦に持って行くことだったんですから。朝寧が死んでは、定正も態度を硬化させてしまいます。ね。大体、この前定正の『カブト』を取って、敵討ちの代わりとしたはずじゃないですか」
道節「…そっか。そうだな。なるほど、納得した!」
道節はそれ以来、親兵衛や現八に会っても、まったくわだかまりを見せる様子がありませんでした。いったん納得してしまえば、道節は実にサッパリしているのです。信乃はこの様子を見て、「あれはあれで、尊敬すべき人だ」と感心しました。
それはともかく、使者の口上が始まりました。はじめは将軍から遣わされた熊谷直親です。
直親「この冬の戦乱は、扇谷と山内がそもそもちょっかいを出したのが始まりで、非は明らかにこっちにある。先日、私はこの二人(と長尾)に直接会って、イエローカードを渡してきた。みな反省しており、和睦が許されるのならぜひそうしたい、という意思を伝えてきた。どう。房州(義成)さえよければ、さっそく和解の手続きに入ろうよ」
義成「まさに私の願うところです。さきの戦では、できる限り敵を殺さぬように努力しました。ただただ、その乱暴を反省さえしてくれれば、との思いでした。今までも、和解の使者がいつ来るか、いつ来るかと待っていたのです。 …とはいえ、扇谷どのからの使者がいなければ、今すぐは手続きに入れないかな…」
義成がこう言うと、直親の付き人と思っていた人たちが、前方ににじり出てきて名乗りました。
「実は私は、扇谷から使者を仰せつかった、巨田助友」「私は山内の使い、斎藤高実」「許我の使い、下河辺行包」
直親「こういう話になったらすぐに先に進めるように、もうあらかじめ連れてきていたのだ。千葉や長尾などの使いもいるから、話は早いはずだ」
義成「おお、すばらしい手回しです。実務的な詳細はあとで詰めますが、大枠において、和睦の件にまったく異議はありません」
まず、助友が、定正の停戦の印として持ってきた、「二つに折った矢」を台に載せて提出しました。これは受理されました。
次に助友は、八犬士たちに向かって言いました。「かつての敵も、今日からは良き隣人としてお付き合いしたい。どうぞ今後もよろしくお願いいたす」
犬士たちは、口々に、助友に喜びを伝えました。ひとり道節だけは、聞こえないかのごとくムスッとしているだけですが。やがて助友たちは、案内されて別室に下がっていきました。
さて、次は天子の使い、秋篠広当の番です。
広当「私が来た理由はひとつ。天子より、升進の宣下があった」
一瞬で、場が緊張感に包まれます。
広当「里見の仁政はすぐれており、家臣にめぐまれ、民も平和を楽しんでおる。そして今回の戦においては、専守防衛につとめて国をまもり、民を塗炭の苦しみから免れさせた。この功績を賞さずして何を賞すべきか。よって」
広当「義成朝臣を正四位上、左少将に。嫡子義道を従五位下、右衛門佐に。義実朝臣を治部卿に叙する。また、八人の犬士たちをそれぞれ従六位下に叙する。官名はそれぞれ、犬江親兵衛が兵衛尉、犬阪毛野が下野介、犬塚信乃が信濃介、犬山道節が帯刀先生、犬村大角が大学頭、犬川荘助が長狭介、犬飼現八が兵衛権佐、犬田小文吾が豊後介。以上だ。犬江どのには前には断られているが、今回は断れないよ」
八犬士は、あまりのことに驚いて、ひれ伏したままだれも頭を上げません。
義成「…ええと… 親子三代がいっぺんに官位を与えられるなどということは聞いたことがございません。まして、犬士たちにまで。これを喜んでホイホイとお受けするなどということは、ひどい不敬になってしまいます。満ちれば必ず欠けるのが世の道理。私は、満ちも欠けもせず、おだやかに暮らしたいだけでございます。どうかこの件、ご容赦を…」
広当「いや、天子の声は、いったん出たら返すことはできんのだ」
直親「もちろん将軍もこれに賛成だ。というか、将軍から提案して決めたことだ。遠慮もほどほどに」
義成「…わかりました。つつしんでお受けします…」
家臣の大部分は隣の部屋でこれを聞いたのですが、この瞬間、思わず「うおお、バンザイ」と声に出してしまった者がたくさんおり、しばし、場が騒然としました。
これ以降、たとえば犬塚信乃戍孝は「犬塚信濃介戍孝」と呼んだり書いたりするのが正しいのですが、面倒ですし、せっかく慣れているので、「信乃」で続けます。原文では「信濃」だったりしますけどね。(「介」までつけるとさすがにエラそう過ぎるので、本人たちもここだけは省略して名乗ったようですが)
さて、使者たちの用事はこれで終わりましたので、あとは宴です。使者の従者たちもみな参加する、盛大な宴会が催されました。やがて日も暮れ、存分に飲み食いした人々が、心から満足して宿に戻っていきました。
助友はほとんど酒を飲まず、はやく具体的な和平のスケジュールを決めたがっていました。やっと宴会が終わると、犬士たちは助友たちと相談をはじめ、今日から6日後の4月21日に城と捕虜を返すと決めました。
その後、助友たちは、捕虜として城の中に留められている12人に会わせてもらいました。和平が約束されたことと、迎えにくる日程が決まったことを伝えるためです。捕虜たちはみな決まり悪げな表情でした。
助友はこれだけの用をサッサと済ませると、次の段取りについて手早く約束をし、すぐに席をたって出ていこうとしました。そこに、オホンと咳払いをして座った者がいます。犬山道節です。
道節「(キッとした表情で)お主にひとつ約束してもらいたいことがある」
助友「何だろう」
道節「忍岡の城を返すことに異存はないが、その近くにある穂北の荘園は、そもそもからして氷垣残三夏行が開発したものであり、今は落鮎有種のものだ。ここは『返す』対象には入っておらん。これに承諾し、定正にもこれを伝えること」
助友「わかった。子々孫々、あの土地は落鮎たちのものだ。私が約束する」
道節「…ヨシ!」
次に、親兵衛が現れました。「助友どの、もうひとつ」
助友「ああ。何だろう」
助友以外の使者は、先に帰り支度をすると言って、出て行っています。
親兵衛「まず、ここの孝嗣どのについて、身の潔白を定正どのに改めて伝えていただきたい」
助友「ああ。河鯉親子は、めったにない忠臣だった。私も、その潔白を疑ったことはない。ウチから離れるのは本当に惜しいことだが… 孝嗣どの、今後もつきあいよろしく頼む」
孝嗣「ええ」
親兵衛「それで、もうひとつだけ…」
親兵衛が合図をすると、毛野が小さな箱をひとつ、うやうやしく持ってきました。
毛野「義成から、定正どのへの贈り物です。和解のしるし、ということで」
箱には封がしてあり、「豆に一頁あり。長杉に木なきは、吉。」とフタに書いてあります。
助友はすこし考え、そして箱の中身がなんなのか分かりました。豆、一、頁をあわせて、「頭」。長、彡(杉ひく木)、吉をあわせて、「髻」。助友はこの答えを口には出さず、「ありがとう、殿はきっと喜びなさる!」とだけ礼を言って、この箱を大事に懐にかかえました。
この夜のうちに、和平の使者たちは船を出して、武蔵の方向に漕ぎ去って行きました。