185. パシリマスター
■パシリマスター
(原作「第百八十回中」に対応)
信乃の先祖を参る旅があったので、安房に帰るのはすこし遅れ気味になってしまいました。とはいえ、美濃を出てからその後数日で、武蔵の柴浦まで着くことができました。ここらへんにも犬士の親たちの墓は色々あるんですが、あんまり寄り道が過ぎるとよくないので、これはいつか別の機会に参ることにしました。
照文「ここから船で安房に行けば近いですが、危険も大きいですねえ。陸で行きましょうか」
丶大「いや、犬士たちがいるんだ。かならず神の守りがある。水路でいいと思うよ。大体、ちょっと遅れ気味だから急がなきゃ」
こうして一行は船に乗り、翌日の昼頃には安房の洲崎に到着しました。そこからすぐに稲村の城に行き、義成に帰還の報告をしました。
義成「姉上(伏姫)は神と認定され、丶大は大禅師に任じられたと。すばらしい。父上(義実)にも報告してあげてくれ」
滝田の義実もまた激しく喜んだことは、言うまでもありません。途中の信乃のエピソードも、美談として安房の人たちの口々にのぼりました。
さて、ここからは、今回の戦で活躍した人たちにどんな褒賞が与えられたか、ということに話が移ります。正直、あまりに詳しくこんなところを説明してもアレなので、ドシドシとはしょりながらいきましょう。総じて、今回の戦で里見を手伝った人々は、武士であるか民間人であるかを問わず、格上であるか格下であるかを問わず、気前のよい褒美や昇級がガンガン与えられてこの上なくハッピーになりましたとさ。
とはいえ、主立ったところはもうちょっと詳しく書いていきましょう。
犬士たちは、全員が一万貫文の所領と上大夫の身分を与えられました。また、それぞれが城をひとつづつ与えられて城主となりました。
親兵衛は、館山の城主に。信乃は、東条の城主に。
毛野は、犬懸の城主に。大角は、御厨の城主に。
道節は、朝夷の城主に。荘助は、長狭の城主に。
現八は、神余の城主に。小文吾は、那古の城主に。
義成「まだ名前だけで城がないところもあるんだけど、それは各自で建ててね」
また、政木大全孝嗣は、五千貫文の領地を与えられ、大田木の城主となりました。
あと、千代丸豊俊は、約束通り、榎本の城主にカムバックしました。
家臣のなかでは、功労第一とみなされたのは蜑崎十一郎照文です。
義成「照文は、犬士を集める旅から始まって、今回の京への取りなしに終わり、とにもかくにもその功績はトップクラスであることに誰も異論がない。よって、所領を二千貫文に上げ、滝田の大兵頭に任ずる。今まで男の子供がいないので、直塚紀二六を養子とし、彼を蜑崎十二郎照章と改名しなさい」
照文・紀二六「ありがたきしあわせ!」
紀二六(十二郎照章)は、かくして照文の正式な跡継ぎとなり、今後も照文のようなパシリマスターを目指してひた走ることになるのでした。また、照文の娘であった山鳩と結婚することにも決まりました。
他の家臣たちは、もう、ワッショイワッショイって感じで、省略!
さて、伏姫が富山の神として正式に認定されたことを記念して、義成は犬士たちと丶大に相談しました。
義成「例の岩窟には、石で作った祠を納めて神体としよう。また、鳥居も建てて、そこには帝から賜った額の写しをかけよう」
それからひと月ほどかけて工事が行われ、その後、延命寺から富山に伏姫の「座」を移すための儀式が行われました。富山の岩窟は、国中の人々が詣でに訪れる名所となりました。山を登るのは大変なんですが、そのご利益を求めて、みんな頑張って登山するようになりましたとさ。
こんな感じで日々が過ぎていきましたが、あるとき、上総の椎津の城主、真里谷信昭の嫡子である柳丸が、11歳にしてはじめて稲村に参勤に来ました。老党につきそわれています。
義成「おお、よくいらっしゃった。かつては色々あったが、今後もよろしくね」
今回の参勤は、真里谷からのちょっとしたお願いも含むものでした。
老党「柳丸どのには姉がひとりおり、葛羅姫と申します。16歳です。彼女の縁談を方々に求めているのですが、いまだコレといった相手が見つからん。安房や上総のあたりに、誰かちょうどいい人はいませんか」
義成「なるほど、ちょっと考えてみます」
義成はこの話をいったん預かりました。しかし、人の相談に乗ることも大事ですが、義成自身にも同様の悩みがあったのでした。
義成「わたしの娘たちも、いいかげん結婚相手を見つけないといけないんだよな。8人もいるんだよなあ。8人… 8人!?」
なんかわざとらしい流れになってきましたが、次回に乞うご期待。