187. 政木狐の最期
■政木狐の最期
(原作「第百八十勝回上」に対応)
翌年の2月、犬士たちと義成の娘たちの婚礼が行われました。城の落成に間に合わなかった犬士もいましたが、少なくとも住居を建てるのは全員間に合っていたので、それぞれの任地で新婚生活がはじまりました。
親兵衛だけは、静峯姫にあらかじめこんな約束をしていました。「ええと… 今さらこんなこと言ってごめんなさい。なんだかんだ言っても私はまだ未成年なんです。私が17歳になるまでは… ええと、ベッドを分けませんか…」
静峯「いいわよ、一生一緒にいるんですもの、急ぐことはないわ」
親兵衛と静峯はこの「おあずけ期間」の間も非常に仲良く暮らし、夫が17歳になってはじめて比目連理の枕を並べたそうです。
犬士たちが結婚したあと、政木大全孝嗣も真里谷家の葛羅姫と結婚し、大田木の城に迎え入れて偕老同穴の契りを交わしました。また、十二郎照章(紀二六のことね)も、照文の娘・山鳩と結婚しました。結婚ラッシュです。
さて、孝嗣は、夏になると安房と両総をくまなく巡る徒歩の旅に出発しました。まだこの国のことをほとんど知らないので、義成に頼んで許可してもらったのです。お供に数人だけを連れて行く、かなり身軽なお忍びの旅です。
出発してすぐ、普善村のあたりを通り過ぎたとき、近くにある金光寺というところのウワサを聞きました。金光寺には上総介広常の墓があるというのです。
孝嗣「広常といえば、鎌倉幕府の成立に寄与した功臣だ。そこに寄って墓参りしていこう」
こうしてお寺の近くまで来たとき… にわかに空が暗くなって強風がふきはじめ、激しい雷雨にもなりました。昼なのに真夜中のような暗さです。そして、金色の光を放ちながら大きな岩のようなものが落ちてきて地面に激突し、すさまじい音をたてました。松の下で雨宿りをしていた孝嗣たちは、何が起こったのかわからずに呆然とこれを見守りました。
そして、雨がやみ、ふたたび空は晴れ渡りました。
孝嗣は、この「岩」のもとに歩み寄ります。「何が落ちてきたんだ…」
この「岩」は純白で、形といえば、龍がとぐろを巻いたように見えました。頭はキツネに似ていて、9本の尾が岩の表面に固まってへばりついているようです。
孝嗣はこれが何なのか理解しました。「おお… 政木! お前の命が今尽きたというわけなのだな。それを私に伝えようと… おお!!」
金光寺から、さっきの轟音の理由を調べるために、何人かが飛び出してきました。その中には、里見に罪を許されて今は丁南の城主をしている、武田信隆もいました。
信隆「あなたは政木どの! 外にいて、よくご無事でしたなあ」
政木「おお、武田どの。お元気そうで結構です。ここの金光寺に何かご用があったのですか」
信隆「ええ。上総介広常の墓と言われている石塔婆についているコケが、おこりの病によく効くというウワサでしてな。私自身が病気だったのですが、この薬がほんとうによく効いた。今日はそのお礼参りに来ていたところだ。…それよりも、さっきの轟音は何だったのです」
政木「これを見てください。これが落ちてきたのですよ。狐竜の化石です」
信隆「狐竜? 一体全体、それは何です」
孝嗣は、自分が政木という狐に養われていたことや、彼女がその後孝嗣の命を救ったこと、そして最終的に竜として昇天したことを、かいつまんで説明しました。
孝嗣「狐竜は短命で、このように石となって死んでしまいました。今のわたしがあるのは、みんな彼女のおかげだったのです。犬江親兵衛も、同じときにこの狐竜に会ったのですよ」
信隆「ははあ… それはまた、とてつもない話だ」
孝嗣「ちょうどいい。ここの寺の住職に、この化石を埋葬してもらえるといいんだけど」
孝嗣たちは寺に入り、住職にあいさつすると、大体の事情を説明しました。
孝嗣「こういうわけで住職、あの狐竜の化石を埋葬し、塚を作ってもらえないだろうか」
住職「なるほど、よく分かりました。なんとも凄い話です… しかし、ひとつ心配があるのですよ。ご存じの通り、ここには上総介広常の墓があります。まあ、頼朝の怒りを買って不遇のうちに死に、今は名もない墓なのですが」
住職「かつて広常は、玉藻という妖狐を退治したという伝説があります。この石も、もとはキツネなんですよね。広常はキツネがそばにいることを嫌うのでは、と…」
孝嗣「ああ、その玉藻という妖怪のことなら、あれは封神演義をネタにした創作という話がもっぱらですよ。万一それが事実だったとしても、玉藻は邪な妖怪、政木は霊狐です。全然違うんですって。絶対に広常が嫌うことはない、と私が保証します」
住職「なるほど、私が迷信にとらわれていただけのようですな。分かりました、埋葬のことは任せておいてください」
信隆「孝嗣どの、あなたは深い教養をもっている方だ」
孝嗣「そうでもないですよ(半分は親兵衛どのの受け売りだし)」
信隆「せっかくだから、ひとつ、あなたの意見を聞いてみたいことがあるのです。竜といえば、安房の里見義実さまも、かつて天に昇る白竜を見たことがあるという。この吉祥に背中を押されて、また自らの人徳もあって、やがて里見は今のような大国を治めるに至ったと理解しています」
孝嗣「ええ、そうですねえ」
信隆「しかし、それでも、安房と両総だけでは小さすぎると思いませんか。日本の端っこもいいところですよ。君主のあの人徳、キラ星のような家臣たち、これらを備えていれば、日本をまるごと手中にしたっておかしくはないのに」
孝嗣はニコリと笑います。
孝嗣「確か、正確には、里見義実さまは『白竜の尾』を見たんじゃなかったでしたっけ。日本の『隅っこ』を治めるのは運命だと思いますよ。でも、だからといって、義実さま(やその子孫)が他より劣っているわけじゃないんです。あの方は、戦争を繰り返して領土を広げようなどと思っていない。みなが幸せであることだけ、国が平和であることだけ、それだけを願っているんです。しかし、そのせいで里見の名が辺地に埋もれてしまうわけじゃない。名君の名は、そしてその仁政の記憶は日本中に広がっていき、永遠に消えることはないんです」
信隆「…あなたのおっしゃる通りだ。なんという賢さだろう。あなたが犬士に漏れているのが不思議でならない」
孝嗣「さあ、ちょっと道草が長くなってしまいましたね。それぞれやることに戻りましょう…」
こうして孝嗣は旅に戻りました。この年の9月ごろに孝嗣は旅から戻ってきてこの地にも寄り、政木狐のために立派な塚ができていることを喜んで、寺に費用を払うとともに、多額の寄進もしましたとさ。
この後、大田木の城に帰り、その後稲村にも参勤して、義成に旅から帰った報告をしました。
義成「お、帰ったね。旅はどうだった」
孝嗣はここで政木狐の終焉に出会ったエピソードを語り、義成と、その場にたまたま居合わせた信乃・親兵衛・大角は大いに驚きました。
親兵衛「そうですか、あの政木狐が…」
大角「死んで石になるとは興味深い…」
孝嗣「ええ。しかしまあ、これはさしあたり私事でして、殿に報告したいことは他にもあります。国防に関することです」
孝嗣は、旅の途中で気づいた、国府台の城の弱点を報告しました。
孝嗣「あの城の前面は、暴川ですね。そして後方にはこれの枝川が流れています。あの城が堅固なのはこれらの川のおかげなのですが… しかし、後ろの枝川のほうは、実はちっとも深くないことが分かりました。川というよりは、沼くらいのものです。あのままだと、敵軍が攻め寄せるのは簡単ですよ」
信乃・親兵衛「えっ! それは気づかなかった…」
義成「そうか、それはとても重要な情報だ。ありがとう、孝嗣。さっそくあそこの頭人に連絡をやって、後方への用心を強めるよう伝えよう」
こんな感じで、孝嗣は、国の守りを強化するようなアドバイスもその旅から汲み上げてきたというわけです。
(もっとも、この世代のうちは注意していましたが、義成から4代あとの義弘の時代には、モロにこの弱点を北条に突かれてボロ負けしたりしました。引き継ぎ不足というやつですね。まあ、これはずっと後の話です)