188. 金碗大輔、伏姫のもとへ
■金碗大輔、伏姫のもとへ
(原作「第百八十勝回中編」に対応)
旅から帰った報告に来た孝嗣を囲んで義成や犬士たちが雑談しているうちに、ふと親兵衛が話題にしたことがありました。
親兵衛「不思議なことを聞いたので、もうひとつ最近の不思議なことを思い出しました。殿、丶大さまが最近『消える』ことがあるんですが、ご存知ですか」
義成「どういうこと?」
親兵衛「仕事がないときは、本当にお寺の中にいないんですって。どこに行っているかも明かさない。でも、用事があるときは、弟子の念戌さんが鐘を鳴らして呼ぶと、いつの間にか目の前に戻ってくるんですって」
親兵衛「これに関連してなんですが、富山にある伏姫の岩窟のほうでは、時々モヤが立ち込めて中が見えなくなってしまうらしいです。そういうとき、中からは、読経の声や何かを彫る音が聞こえるんですって。丶大さまはそこに行っているのかなあ、というのが、おおかたの推理です。こんな変なこと、丶大さまに直接は聞けないんですが」
大角「これはきっと、蝉脱の境地というやつでしょうね。身は延命寺にありながら、伏姫の菩提を念ずるあまり、こんなことが起こるんでしょうか…」
義成は考え込みました。「へえ… なるほど。そんなすごい状態にある丶大を邪魔してしまわないよう、本人に色々聞くのは控えておこう。うん、教えてくれてありがとう」
さて、このころから、年老いた家臣たちが相次いで死去していきました。まずは杉倉氏元、小森篤宗、浦安乗勝。そして次の年に、堀内貞行。そして、里見義実もまた、長享2年の4月16日に逝去しました。国中の人たちがどんなに嘆いたか、それはここに書くまでもありません。
そして、隣国との関係は非常に良好な状態がつづきました。定期的に各地からの使者が往来し、贈り物を交換し、民は繁栄して、絵に描いたような平和な時代になりました。里見の黄金時代が訪れたのです。八犬士たちは平和を楽しみ、それぞれの領地を治め、ときどき稲村で会議に参加する程度の暮らしを続けました。
飛ぶように年月は過ぎていきます。
明応9年。結城の戦いからちょうど60年経ったときです。この年の4月16日、里見義成と家臣たち、そして八人の犬士たちは、義実の13回忌の法要のために延命寺に参詣しました。法要の詳細は省略します。
これが済んだあと、みなは客間で丶大の法話を聞きました。庭には紅白の牡丹の花が馥郁とにおっています。丶大は話にひと段落つけると、「ところで、そろそろここの住職を後継ぎに譲りたいと思います」と切り出しました。
義成「そういえば、最初は10年くらいという約束で住職をお願いしたんだったね。もう17、8年経ったのかな。わかった、それは考えておくけど、ちょうどいい機会だから、お主に聞いてみたいことがあるんだよね」
丶大「どうぞ」
義成「寺を自由に抜け出して、富山に行ったり来たりできるって、本当?」
丶大「ええ、本当です。この事情を説明するには、ちょっと長い話が必要です…」
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私は出家してからずっと、伏姫の冥福と里見の繁栄だけをひたすら祈ってきました。最近、この集中が高まったときには、私はなぜか富山の岩窟に一瞬で移動できるのです。原理は自分でもよく分かりません。行けるから行ける、としか説明しようがないようです。
10年以上前、白浜に大きな流木が流れ着きました。珍しいことに、これは沈香です。私はこれを仏像に彫ることを思いつきました。この木材を55個に切り分け、富山の石窟にこっそり運ばせたのです。
その後、ヒマがあるたびに私は富山に「飛んで」、コツコツと仏像を彫り続けました。25の菩薩像、25の如来像、そして4体の四天王像を。あえてこの寺の中で彫らなかったのは、ここもまた俗気がゼロではないからです。私は完全に清浄な場所で仏を彫りたかった。多分、私が仏を彫っている姿は、モヤにつつまれて外からは見えなかったと思います。
そうそう、残った一切れの木材は、数珠に彫り上げて、念戌君ににあげました。伏姫の数珠のほうは、後に凡僧の手に渡ってしまわないように、それぞれできあがった仏像の目としてハメ込んでしまうつもりです。
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ここまでまず語ると、丶大は、近くにいた念戌に、数珠をみなに見せるよう言いました。義成も犬士たちも、順々にこれを手にとりながら、つくりの美しさと沈香の香りに感動しました。この品を眺めるだけでも、丶大の功徳の高さが伝わってきます。
義成「なるほど… 伏姫の数珠を、仏像の目に、か。ちょっとまてよ、今は玉の数は100個のはずだ。25+25+4の仏像には、玉が8コ足りないな」
丶大「実にお察しがいい。私もちょうど、この話を切り出すつもりだったのですからな。他でもない、犬士たちの8コの玉を、これに使わせてもらえんか」
犬士たち「!」
丶大「8個の玉を四天王の両目にそれぞれにハメ込んで、安房の四隅に守護神として埋めるのだ。こうして、里見の繁栄は10世の先まで守られることだろう。残りの50体の像は、安房の中心の鋸山に埋める。 …玉を手放すからと言って、犬士たちよ、心配はいらないぞ。『大道廃れて仁義起こる』と言うが、今ではこの大道が再び達成された。改めて仁義八行の玉をもって世を正す必要は、もうないのだ」
信乃「今のお話、思い当たるところがあります… 実は、昨日、いつものように守り袋から玉を取り出して拝もうとすると、『孝』の文字が消えて、ただの白い玉になっていたのです。他の犬士たちも同様だということでした」
現八「玉の文字だけじゃない。実は牡丹の形の『アザ』も最近急に薄くなってきて、昨日にはもうすっかり消えてしまったんだ。オレは顔にアザがあるから、一番先に気づいたんだ」
義成「ほかのみんなのアザも、消えた?」
(犬士たち、一斉にウンウンとうなずく)
親兵衛「あと、実は、私のポーチの中にいつも入っている霊薬が、いつのまにかすっかりカラになっているのです。昨日、城のものが急病にかかり、久しぶりに薬を取り出してみたのですが… これも関係があるのでしょうか」
丶大「そのとおり。あれは、戦を終わらせ、安房に平和をもたらすために伏姫がくれたものなのだから、もう不要なのだ。病気のものは気の毒だが、地道に療養させなさい」
犬士たちにまつわっていた様々な奇跡が消えていったことに、悲しさはありません。みな、静かに感動しています。奇跡もチートももう不要になったのです。
義成「今日は、丶大がなにもかも教えてくれる日だ。いまさらおかしな質問かもしれないが… 犬士たちのアザが牡丹の形だったのは、どうしてなんだろうな。今日、牡丹が満開のこの庭でこんな話をするのも不思議な感じだが」
丶大「ふむ… 牡丹には牡しかありません。すなわち『陽』の象徴です。犬士たちもみな男。『陽』です。『陽』は『陰』との合一を目指して旅をしました。そしてついに功は成り、それぞれが姫をめとって、陰陽の合一が達成されたのです。牡丹のアザがなくなってしまったのは、『陽』が解消されたからです」
犬士たち・義成「なるほどー」
(本当はもうちょっと込み入った説明だったのですが、ここはまとめ筆者には噛み砕ききれないです。ここの議論は、たぶんそこらへんの解説書に書いてあるかと…)
この日は、後の段取りを決めたところでお開きとし、みなは居城に帰っていきました。
さて、この後、出来上がった仏像を収める厨子などを作るために若干の日時を要しましたが、ひと月もするとすべて完成して準備は万端となりました。犬士たちは富山に登って四天王像を受け取り、50体の仏像は念戌が受け取って、それぞれ指定された地点に散りました。
東の地には、信乃と親兵衛。
西の地には、荘助と現八。
南の地には、大角と小文吾。
北の地には、毛野と道節。
そして中央の鋸山に、念戌。
彼らが各地で像を埋める指揮をとっている間、丶大は富山で念仏を続けました。丶大の要望により、できるだけ若い人間が実際の作業にあたりました。「仏の種がよく育つ」からだそうです。こうして無事に、仏像は予定の場所にすべて埋蔵され、塚が盛られ、木が植えられました。
これで、丶大が計画していたことはすべて終わりました。あとはもう、延命寺の住職の座を念戌に譲り、自分はすべてから解放されることだけが望みです。義成もついにこの件を許し、晴れて丶大は「退院」となりました。
丶大は稲村の城を訪れて、義成と、そばに控えていた八犬士たちに会いました。
丶大「ここへの見参も今日限りです。私はすべての仕事を終えましたから、あとは富山に籠もって、もう帰らないつもりです」
義成「帰らない、とは?」
丶大「富山で定に入る、ということです。つきましては一つだけお願いがございます。今は、岩窟に祠を建てて人々に拝ませていますが、伏姫は観音菩薩の化現なのですから、山頂の観音堂を詣でるほうが姫にはふさわしいと思います。実は私は、天子に賜った勅額を、こっそりそちらに移してしまいました」
義成「む、言われてみればその通りか。わかった、そうする」
丶大は次に犬士たちのほうを向きます。「お主たちに最後に伝えることは… 子に職をゆずり、自分たちは引退することをそろそろ考えてもよかろう、ということだ」
犬士「丶大さま…」
丶大「それではみんな、さらば。殿、ワタクシこれより、永遠の暇をいただきまする!」
丶大は突然立ち上がると、縁側からヒラリと飛び降り… そして、そこからどこへ去ったのか、誰も見届けることができませんでした。忽然と消えたのです。
念戌は、丶大が消えたという話を聞いて驚きました。
念戌「お師匠は、定に入ってしまうおつもりなのだ! せめて最後に一目だけお目にかかりたい」
念戌は大急ぎで富山まで行き、この晩、タイマツの明かりを頼りにしながらようやく例の岩窟までたどりついたのですが、穴の入り口には、巨大な岩盤が立てかけてありました。中に入るスキマもないし、誰にもどかすことはできなそうです。
念戌「遅かった。…ああ、お師匠!」
念戌は諦めてフモトへの道を帰り始めたのですが、この途中で親兵衛に会いました。
親兵衛「丶大さまは!」
念戌「もうお会いになることはできません」
親兵衛はこの一言だけですべてを察します。「そうですか… ならば私が改めて行くまでもない。一緒に帰りましょう」
翌日、親兵衛と念戌はこの件を稲村の義成に報告しました。
義成「そうか、岩でフタがしてあったのか」
念戌「はい、そして、入り口には句がひとつ、書きつけられていました」
義成「どんな句だった」
念戌「
『ここもまた 浮世の人の訪い来れば 空ゆく雲に 身をまかせてん』
」
義成はこの句を口ずさんで虚空を見上げました。「…もう会うことはできまい。さらばだ、禅師…」
この後、富山を詣でる人たちは、時折、どこからともなくかすかに唱えられる読経の声を聞いたそうです。
これは後のエピソードですが、里見の四代目国主、実尭の時代に、ひとりの木こりがこの山の上でボロを来た老僧に会いました。
老僧「私は丶大禅師。内乱の気配があるから気をつけるよう、実尭どのに伝えてくれぬか。よくよく善政を心がけてくれ、と」
老僧はこう言ってフッと姿を消しました。木こりは怪しんでこの話を誰にも告げず、やがて本当に里見家では内乱が起こってしまったそうです。後の話ですけどね。