4. 白縫姫、登場
■白縫姫、登場
部下の重季とオオカミの山雄を失った為朝は、春なのに元気のない生活を送っていましたが、そのころ、為朝はちょっと不思議な夢を見ました。
夢には白い衣装と赤いカンザシで飾った美しい女子が現れ、為朝にこう予言します。「あなた様のおかげで、私は元気になりました。お礼をいたしとうございます。明日、私を連れて、肥後にお行きなさい。そして阿蘇のふもとで私を放つのです。そうすればあなた様は美しい妻を得ることができるでしょう。私自身はそこでいったんお別れなのですが、南の海の果てでもう一度会えますよ」
目を覚ました為朝は、これはあのツルが知らせてくれたのだろうなと理解しました。今では羽の傷も癒えて、宿舎の庭で元気に歩き回っています。
為朝「長生きしたツルなんだし、こんな神通力を持ってても不思議じゃないもんな。よし、言うとおりにしてみよう」
さっそくこの朝、今まで面倒を見てくれた尾張権守季遠に、肥後に旅立ちたい旨を伝えました。夢の内容も正直に話します。
季遠「いいんじゃないの。善は急げ、すぐにもお行きなさい。じゃーね」
季遠は、このまま為朝が立派になっていくと、自分の身分がおびやかされるのは時間の問題だと恐れていました。なので、正直なところ為朝が出て行くことにはホッとしている様子です。
為朝は紀平治に旅立ちの旨を伝えにいきました。
紀平治「えっ、為朝さまが行っちゃうなんて」
為朝「なあに、キリがついたら連絡するから。で、野風を当分預かって欲しいんだ」
紀平治「おやすいご用です。お気を付けて」
為朝は、季遠の部下を数人借りて、ツルのカゴも運んで、テクテク旅立っていきました。
さて、場面は変わって、為遠が到着する予定の肥後の国では、ちょっとした事件が起こっていました。猿が人を殺したというものです。順を追って説明しましょう。
肥後の阿蘇郡に、阿曾三郎平忠國という、広い領地をおさめる有力な武士がいました。彼には白縫という一人娘がいて、大変な美人との評判です。縁談の申し込みは後を絶ちませんが、白縫はどの話にも見向きもしません。
白縫「私は強い男でなければ夫に持ちたくないわ」
白縫の言う「強い男」の基準はかなりシビアで、知勇をそなえた、それこそ「天下一クラスの」勇士じゃないとダメだというのです。白縫自身もかなりの武芸マニアで、特にナギナタを扱わせればちょっとそこらへんの男では歯が立たない感じです。腰元たちにも武芸を教え込むのが好きなようで、女の子っぽい趣味には目もくれません。
忠國「そんな、アマゾネス軍団みたいなもん作ってどうするんだよ。そんなんじゃ婚期を逃しちゃうじゃないか…」
白縫には、可愛がっているペットの猿がいました。小猿のころから飼い始めたのですが、今は8、9歳の男子なみの大きさで、知らない人が見るとギョッとするくらいです。
この猿が、ある日、桜の枝を手折ろうとしていた若葉という腰元にいきなり抱きついたのです。背伸びしたときに着物のすそから肌が見えたのに興奮したのですね。当然、これを見た白縫は猿をものすごい剣幕でド叱りました。ペットだろうがなんだろうが、人間様をはずかしめる畜生は許せません。
白縫「そこへ直んなさい。ぶった斬ってくれます」
猿は怖がって逃げました。その後、屋敷と庭中を捜索させましたが見つからず、この晩は捕獲を中断せざるを得ませんでした。
白縫「発情期のサルなんて、もう置いとけないわね…」
その深夜、白縫たちは女の悲鳴を聞いて目を覚ましました。若葉が、宿直室の中でノドを食い破られて死んでいるのが発見されました。血のついた足跡から、それが例の猿のしわざであることは明らかでした。昼の恨み、と考えるべきでしょう。白縫は烈火のように怒り、腰元たちにも武装させて、猿を血眼で探し始めました。この事件のことは、父・忠國のもとにも伝えられました。
忠國「許せん、絶対に捕まえて、たたき殺してやる」
猿は賢く、かがり火を消しながら逃げ回りましたので、捜索は難航しました。しかし、総動員で屋敷の敷地を漁っているうちに、家来の與次が、西門の近くから塀を飛び越えて出て行く影を目撃しました。
忠國「外に逃げたぞ。西の方向だ、追え」
猿は、屋敷の西の方角にある、文殊院という寺に逃げ込みました。垣を飛び越えて中に入り、五重塔の頂上によじ登ったのです。忠國たちの一行は門をドンドンと叩いて住職たちに中に入れてもらい、朝焼けの空の下、遙か上方にいる猿の姿を認めました。
忠國「かなりの高さだな… 誰か、あそこに矢が届くものはいるか」
家来たちは、ちょっと自信なさげです。もしも射損じた場合は、自分どころか主人の恥になってしまうことを考えると、ハンパな覚悟で名乗り出るわけにはいかず、ちょっと黙り込んでしまいました。
サルはこの気配を察知すると、安心して、眼下の忠國たちに挑発的な態度をとりました。尻をたたいてみせたり、寝ているフリをしてみせたり。
忠國「くそっ、武士たるものが、サルにバカにされてこのまま帰れるか。意地でもあいつをコマ切れのシオカラにしてやらねば済まん… おい、紀八」
紀八「はい」
忠國「寺の外に貼り紙をしてこい。そこにこう書け、『文殊院に立てこもるサルを退治したものには、忠國の娘、白縫を妻として与える』と」
紀八「は、はい」
この貼り紙はたちまち近所の話題になり、ワラワラと人が寄ってきました。しかし誰も、特段のアイデアを持ち合わせません。…そこに、ちょうどよく為朝が通りがかったというわけです。
為朝「へー、妻だって。ツルが予言していたのは、これのことかなあ。よっしゃ、チャレンジしてみるか。あの塔の頂上にいるサルを射ればいいんだろ? 特に難しいことでもない」
為朝は、ノッシリと寺に入っていき、忠國にアイサツしました。忠國は為朝の姿を見て、そのたくましさに度肝を抜かれます。「こ、こいつはタダモノではない」
また、為朝が携えている弓のものすごさにも息を呑みました。鉄でできており、とてもマトモな人間に引けそうもないのです。塔の頂上にいるサルでさえ、為朝の気配を感じただけですっかり絶望的になり、震えて涙をボロボロ流しました。
忠國「お、お前ならやれそうだ。たのむ、あいつを射落としてくれ」
為朝「オッケー」
住職が走り寄ってきて、為朝が弓を構えるのを止めました。
住職「いけません、仏塔に武器を向けてはいけません。この寺は、仁明天皇の勅願により、弘法大師が開いたものです。特に、塔の仏舎利は、天皇みずから勅封なさったものですぞ。そこに矢など打ち込んでごらんなさい。仏敵とも、朝敵とも呼ばれることになるでしょう」
為朝「えー、弓矢はだめなの?」
忠國「た、確かに、これではあとで誰に何を言われるか分かりゃしない。困った」
サルが元気を取り戻して、再び人間をバカにした仕草をはじめました。
為朝が運んでいたカゴの中で、ツルがバタバタと羽を広げてアピールしはじめました。
為朝「ん? 何だ、お前がなにかしてくれるのか? …あっ、そうだ。阿蘇のふもとでツルを放て、って夢で言ってたな。それが、今か!」
為朝はパッとカゴのフタを開けました。金の札を結びつけられたツルはバサバサと飛び上がり… 仏塔とは見当違いな方向に飛んでいき、見えなくなりました。
為朝「あれっ」
忠國「何それ。何か作戦があるんじゃないのか」
為朝「そのはずなんですが…」
サルが涙を流して笑い転げます。得意がってツルを逃がしただけのマヌケがいらあ。
しかし、これはサルの早とちりでした。ツルは再び戻ってきて、サルの上空を旋回しました。サルはツルを捕まえてやろうと手を伸ばしますが、不意に、目をおさえて慌て出しました。ツルはこのチャンスを逃さず、サルの胸をくちばしで串刺しにしました。
絶命して地面に墜落したサルを為朝や忠國らが駆け寄って確認すると、サルの目には砂がかけられていました。ツルは、手近な砂浜に飛んでいって、目潰しの砂を運んで来たというわけだったんですね。賢い!
ツルはそのまま南の空に飛び去っていきました。
忠國は大喜びです。「よくやってくれた! 約束通り、お主には白縫姫を与えるぞ。名を聞かせてくれ」
為朝「源八郎為朝です」
忠國「なんと、源氏の御曹司とは! なんという素晴らしい縁だ」
さて、忠國が勝手に決めてしまった白縫の結婚ですが、彼女はどう反応するのでしょう。続きは次回。
余談:お寺のほうでは、サルを助けられなかったことを秘かに悲しみました。仮にも、お寺に救いを求めてやってきたワケですしね。このサルを供養するために、敷地の外に猿塚が作られましたとさ。