7. 為朝、京への帰途につく
■為朝、京への帰途につく
さて、為朝は寧王女たちと別れて東海岸を夜通し走り、明け方近くに、はじめ日本から着いたときの港に出ることができました。しかも、ちょうど日本行きの船が出航の準備をしているところです。
為朝「むっ、これはちょうどいい。しかし紀平治は今どこにいるんだ」
紀平治とは、虬舊山ではぐれたきりです。
為朝「この船を逃すわけにはいかん。紀平治を探している時間はなさそうだ。…しかたない、彼は琉球語が分かるのだから、なんとかして一人で戻ってこれるはずだ。先に行って、あとで謝ろう」
こうして為朝だけが船に乗り込み、やがて東北の方向に出航しました。
このとき紀平治はどうしていたかというと、ちょうどこの船が出て行くところを埠頭から見ているところでした。虬舊山ではぐれ、その日は仕方なく宿に戻って為朝の帰りを待っていたのですが、日本行きの船が出るという話を聞いていてもたってもおられず、せめてそこで為朝に会えないかと出向いてきたところなのでした。
紀平治「ああ、船が出てしまう。あれに為朝さまと乗りたかったのに… って、ええっ!」
為朝「おい、おまえは紀平治か!」
互いに姿を認め合ったときにはもう遅く、船はすでに磯を離れて何十メートルも離れていました。
為朝「船を戻してくれ! 乗り遅れたものがいるんだ!」
為朝は身分を隠して船に乗っていますから、だれも一介の商人の要求など聞いてはくれません。しかも、いったん帆を張った船が簡単に進路を変えられるものでもありません。
紀平治「異国の案内をつとめると豪語しながら、大将をひとりで帰らせてしまっては武士の恥だ。ええいっ」
紀平治は服を脱いで頭上に縛り付けると、海にザブンと飛びこんで、泳いで船を追いました。どんどん船に近づいていきます。しかし、沖に出るにつれて波は高くなり、海流にも妨げられて、せっかく近づいた船から、徐々に離れていきました。このままでは疲れ切っておぼれ死ぬでしょう。
為朝「誰かあいつを助けてやってくれ!」
船員「いや、ここまで船にスピードがついてしまっては、我々にだってなんともできんよ」
紀平治はだんだんと苦しげにアップアップしがちになってきて、見守る人たちは気が気でありません。しかし彼には最後の手がありました。フンドシに引っかけておいた鉄の玉を取り出すと、最後の力でこれを船尾に向かって投げました。これにはヒモが結びつけられており、その端は紀平治自身がしっかり握っています。鉄の玉は見事に船の中に飛び込み、これを為朝が拾い上げました。あとはこれをたぐり寄せることで、みごと、紀平治は船上に救い上げられたのです。
為朝「見事だ。八町ツブテの面目躍如だな」
紀平治「いやー、なんとかなりましたな、ハハハ」
為朝は紀平治に、山から転落してから起こったことを話しました。
紀平治「ツルを手にいれましたか! それはすばらしい。あとはこれを上皇に献上するだけですな」
船員たちは、紀平治の水練のとてつもなさに舌を巻き、日本に戻るまで、最大限の敬意をもって為朝主従を扱いました。琉球国は、国内での戦乱によって、これ以降しばらく交易船の出入りがなくなりました。まさに、彼らにとってはこの便が最後のチャンスだったというわけですね。
さて、太宰府では、忠國・白縫・そして為朝の家来たちが、主の帰りを今か今かと待っていました。都にいる為義からの使者もひんぱんに訪れ、為朝の様子を知りたがりました。しかし旅先から何の音沙汰もないまま3ヶ月がむなしく過ぎてしまい、みな、心配のあまりどうしていいか分からなくなりかけていました。
為朝が乗った船が港についたとの速報が入ってきたときは、みなの喜びようは、まるで、乾いた草木が雨にあったかのようでした。たくさんの士卒が港への迎えに出され、やがて為朝と紀平治は、馬に乗り、これらに伴われて堂々と帰ってきました。ツルの入ったカゴももちろん携えてです。
為朝のクエスト達成を祝って、さっそく宴が張られました。白縫・八代は、華やかな衣装に着替えて良人たちの無事を祝いました。為朝はこの場で、琉球での冒険をざっと説明しました。みなの驚きと感激は限りがありません。中でも八代は、夫(紀平治)の活躍を非常に誇りに思いました。
為朝「ヘビから出た珠のおかげでツルを手に入れることができるとは、これは死んだ重季、そして山雄のおかげだったと言える。彼らへの恩は忘れない」
為朝「さて、これからすぐにも、京に急がないと。ツルを献上してはじめておつかい完了だ。タイムリミットに間に合わなくては今までの努力も無駄になるからな」
今回もフットワークが大事です。あまりたくさん家来を連れて行くのはよして、せいぜい26、7騎で行くと決めました。
為朝「紀平治は休養しておれ。旅の疲れがあるだろう」
紀平治「それをおっしゃるなら、為朝さまもでしょう。私はついていきますよ。主のために尽くすのが私の喜びです。お願い申す」
為朝「よしわかった。お前も準備してくれ。すぐに行くぞ」
最後に為朝は、八代に酌をとらせ、忠國・白縫に出発のアイサツをし、サッと馬にまたがろうとしました。そこにオオカミの野風が飛ぶように走ってきて、為朝の衣装のスソをくわえて離しません。
為朝「ん、どうしたんだ野風。もう行くんだ、離してくれよ」
白縫がこの様子を見て為朝に言います。「この野風の様子、気にかかります。彼には何か悪いものが前途に見えているのでは… 為朝さま、あなたはここにとどまり、ツルを京に運ぶのは、家来だけに任せてはいかがでしょう」
為朝「お前の心配はわかる。しかし、これは親のために行うことなのだ。たとえ京で私が死ぬ運命だとしても、親不孝であるよりはずっとマシなのだ。…なに、大丈夫だ。平気な顔をしていれば、かえって悪運のほうが去っていくものさ。さあ、本当にもう行くぞ。だれか、野風を追い払ってくれ」
家来たちが野風を引き離しましたが、彼は最後まで歯を剥いて抵抗し、最後には全身を押さえられながら、あらんかぎりの力でウオオと遠吠えしました。その声の悲しげなこと。白縫と八代は、出て行く者たちをこれ以上ひき留めまいとこらえていますが、どうしても涙がハラハラとこぼれ落ちるのを止めることができません。
為朝は、あえて大声で笑いました。「さあ、行ってくるからな!」
為朝たちは東に向かって旅立ちました。そしてこれが、為朝と白縫の長い別れに、そして紀平治と八代の今生の別れとなるのでした。