8. 保元の乱
■保元の乱
鳥羽上皇との約束の期限まであと一日です。為朝の父為義は、胃が痛いのをこらえてツルが届けられるのを待っています。しかしついに、為朝自身が琉球で見つけたツルを運んで屋敷に入ってきました。「ただいま戻りました!」
為義「うおお、間に合ったか! よくやった為朝よ」
為朝「五年ぶりでございます、父上。ずいぶんと老けましたな…(涙)」
為義「お前はいよいよ立派になったではないか。この孝行をもって、私はお前への勘当を解くぞ」
さて、懐かしがってばかりいてもいられません。為義はさっそくツルを運んで上皇の御所を訪ねました。
鳥羽上皇「ああ、ツルか… そういえばそんな約束もしたな。うん、ご苦労」
「ご苦労」という割に嬉しそうではありません。実はそのころ、近衛天皇が病気で寝込んでおり、父である鳥羽上皇は毎日このことばかりが心配で他のことにあまり興味がないのでした。
鳥羽上皇「しかし、戦没者供養のためにせっかく放ったツルを私が横取りして飼うなんて、変だよな。うん、やっぱり逃がしたほうがいいや」
上皇がこう言ってカゴを開け放つと、ツルはそこから飛び立って、西の方向に消えていきました。為義は、今までの苦労が無駄になったことに呆然としました。
とはいえ、上皇がどう扱おうと、確かに宿題は提出したのですから、為朝はもう京にとどまっている理由がありません。すこしたったら太宰府に戻るつもりでいましたが、ある日、朝廷からこんな通知が交付されました。
「源為朝は、朝廷を無視して勝手に太宰府を乗っ取り、九州を引っかき回した。この罪は重い。謹慎して、追っての通達を待つこと」
為朝はショックを受けます。「そんなあ。朝廷を無視したなんて誤解じゃないか。あそこの国司がなってなかったのを、私は正しい形に戻しただけなのに。恩賞こそあれ、怒られるとは心外だ…」
しかし、為朝には見当がつきました。この処分も、信西の差し金に違いありません。ここは耐えるしかない、と、為朝は素直に謹慎して、一歩も屋敷を出ずにじっと待ちました。
九州では、為朝が帰ってこられない事情を知った忠國・白縫・八代たちが、無事を祈って太宰府天神に祈りを捧げ続けました。
そうしているうちに、近衛天皇がついに崩御したというニュースが流れました。弱冠17歳での、惜しまれる死でした。鳥羽上皇たちの悲しみは言うべくもありません。
このニュースに喜んだ人もいます。崇徳上皇です。自分の子である重仁親王が次の皇位を継ぐことが、常識で考えればほぼ確実だからです。
しかし、鳥羽上皇が次に天皇に指定したのは、再び彼自身の子、雅仁親王でした。後に後白河天皇と呼ばれる人物です。これは相当に非常識なことだったのですが、鳥羽上皇はそもそもはじめから崇徳上皇が嫌いで、今回も「近衛院が早死にしたのは、崇徳上皇が呪いをかけたから」と思い込んでいたのでした。これが意思決定に大いに影響したのです。もともと身の不遇を恨みがちであった崇徳上皇は、いよいよ暗い怒りを心につのらせていきました。
年号は保元と改められました。
この年の7月に、今度は鳥羽上皇が崩御しました。子を失った悲しみがよほど身にこたえたのでしょう。天皇や上皇が続いて亡くなったことで、京のちまたは、何かが起こりそうだという不穏な空気につつまれました。
その何かとは… クーデターです。崇徳上皇に不利な決定を次々と打ち出してきた鳥羽上皇が死んだ。そして、朝廷にいるのは若い天皇。力づくで何もかもひっくり返すチャンスがそこにあったというわけです。
ある日、どこからともなく、崇徳上皇がいよいよ挙兵するらしいという怪情報が流れました。これを受けて、上皇のほうが何かをはじめるより早く、内裏のほうで厳戒態勢が敷かれ、兵力の招集がはじまりました。
崇徳「いかん、こうなっては、こちらもすぐ始めないと」
上皇は、戦力として、昔から出入りしてくれていた為義に声をかけました。為義は辞退しきれず、自分の子たちも連れて御所に馳せ参じました。すなわち、四郎頼賢、五郎頼仲、六郎為宗、七郎為成、八郎為朝、源九郎為仲です。長男の義朝だけは、すでに内裏(後白河)のほうに招集されており、どうやら親子・兄弟での戦いという不本意なことになりそうです。
上皇は、為義の忠勤をほめて、鵜丸という名剣をさずけました。
崇徳「うれしいぞ、為義。特に、あの為朝も今回私のために戦ってくれるというのが頼もしい。何年か前に私の目の前で四本の矢を受け止めて見せたときよりも、何倍もたくましくなっているな。まるで軍神のように見えるくらいだ。近く寄れ」
為朝「ははっ」
崇徳「お前の作戦を聞きたい。今回の戦い、いかにして勝つ」
為朝「初動で敵を出し抜くこと、これに尽きます。すなわち夜襲で一気に勝負を決めるのみ」
上皇はこれに納得しかけましたが、横にいた頼長がこれに異を唱えました。「いや、上皇ともあろう方の戦いが、卑怯な夜襲なんて…」
為朝は、立場上、反論できません。結局、頼長の意見のほうが通り、上皇側は、敵側が夜明けと同時に攻めてくるのを迎え撃つ格好になりました。平清盛と源義朝が率いる兵は数千騎で、戦力の差は圧倒的です。この光景だけで、上皇側が敗れるのは単に時間の問題であることが誰にも分かりました。為朝の作戦が採用されなかったことが運の尽きだったのです。屋敷には火がつけられ、味方は次々と傷を負ってたおれていきました。
為朝「くそっ、だから言ったのに。シロウト(頼長)が口を出しやがって! しかし、オレはオレで最後までやってやる」
為朝は、九州から連れてきていた家来たちを伴って、炎の中奮戦しました。鉄の弓から放たれる矢は百発百中で、それどころか敵を数体一度に貫くこともありますから、百発二百中といったところです。矢の間合いでない敵は、直接捕まえて首をひっこ抜きました。清盛は、為朝がいる場所の近くには怖れて近づきません。また、兄の義朝は、為朝が放つ矢にカブトの星を削られ、これも命からがらで逃げてしまいました。
しかし、さすがの為朝も、ひとりで戦局をひっくり返せるわけではありませんでした。九州から連れてきた家来はほとんど死に、父・上皇・そして左大臣頼長は行方が知れなくなりました。戦は敗北です。
為朝の周りでは、いまや、紀平治がひとり肩で息をついているのみです。
為朝「お前は無事か」
紀平治「もちろん。なんのこれしき」
為朝「お前にたのむ。九州に急いで、忠國どのたちを助けてくれ」
紀平治「あなた様は」
為朝「オレはさしあたり近江に落ちる。そして、父や上皇さまが無事だったかを調べる」
紀平治「私もお供します!」
為朝「この戦のことは、必ず九州の菊池・原田にも届く。そして、為朝まで行方不明と分かってみろ。かならず今までの恨みを晴らそうとして、我々の家を揉み潰しに迫ってくるだろう。お前には、一足先にみなに私のことを知らせ、そしておめおめと捕虜になどならず、堂々と戦うよう伝えて欲しいのだ。戦って逃げられるようなら逃げ、それが無理なら堂々と討ち死にしてくれ」
紀平治「…わかりました。かならず忠國さま、白縫さまを生きのびさせ、そして為朝さまに再会してもらいます! あなた様もどうか命をお大事に」
為朝「フッ、オレは死なんよ… では、さらば!」