26. 為朝、誘拐されて妻に再会する
■為朝、誘拐されて妻に再会する
崇徳上皇や父の亡霊に会った為朝は、讃岐で死ぬのをやめてそのまま九州の肥後に向かいました。船は留守にしているあいだに盗られてしまっていたので、別の船に便船しました。季節はもう冬です。やっと肥後の宇土浜というところに到着しました。
宇土の山から筑紫の海を見下ろすと、しらぬ火と呼ばれる怪しい火が海の上に見えます。為朝はこれを見ると、かつての妻、白縫を思い出してつらくなりました。
為朝「白縫をはじめとして、オレは何もかも失ってしまった。九州にいたときは、まわりの豪族たちをやすやすと従えて何もかも思い通りだったのに、今じゃあ、オレに従ってくれるのは、この杖と笠くらいのものだ …さて、九州に来たからには、まずは阿蘇に行ってそこの神に詣でよう。オレの運命はあそこから始まったんだしな」
こう考えると、為朝はそちらに向かう道を選び、進み始めました。
日が暮れ、雪が降ってきました。為朝は構わずどんどん走り、益城という地を通り過ぎようとしました。ここはだだっ広い土地で、宿を貸すような家も見つかりません。時刻は深夜になりました。しだいに雪は吹雪と化し、顔を正面に向けるのも難しくなってきました。
為朝「む、向こうに見えるのが、たぶん木原山だ。讃岐で、木原山に行け、と言う、スカウトのような男がいたなあ。ま、行かないんだけど。ともかく、こんな雪、どうってことはない」
進むにつれて、野生の馬がおびえていななく声が聞こえてくるようになりました。為朝は近くに何かいるのかと、立ち止まって様子をうかがいました。少しすると、やがて、地を揺るがす音とともに、一頭の巨大なイノシシが走ってきました。牙は刃物のようで、体毛は針のようです。さらに、背中に矢が刺さっており、その傷のせいか、狂ったように凶暴そうです。イノシシは為朝の姿に気づくと、そちらに向かって突進してきました。
為朝はこれをヒラリとかわすと、イノシシの後ろに回りました。イノシシが振り返ろうとしてモタつくところを、為朝は思い切り脇腹を蹴飛ばしました。そのダメージでよろめいたところを、足で踏みにじり、たちまち殺してしまいました。
この後、このイノシシを追っていたとおぼしい狩人が、弓を持って駆けてきました。為朝がこれをやすやすと退治してしまったのをみて驚嘆します。
狩人「あなたがこれを!?」
為朝「うん。お前は何者だ。まだ若いようだが」
狩人「木原山の麓に住む狩人です。仕留めかけたイノシシの血の跡を追ってここまで来たんですが… いやはや、あなたの力は神がかっている。神話の時代のワカタケル大王のようだ」
為朝は謙遜します。「なに、矢で弱っていたからな。お前の手柄だよ。獲物は持って行け」
若者は、為朝の謙遜ぶりにも感動しました。「お礼をしたい。ぜひウチに泊まっていってください」
為朝「ありがたい話だが、オレは先を急ぐんだ。阿蘇に行かないと」
若者「この雪ですよ? 道に迷っちゃいますって。ここから阿蘇まで、ゆうに10里以上あるんですよ」
為朝「大丈夫だ。気持ちだけで十分だよ」
それでもこの若者はなにか為朝に尽くさないと気がすまない様子です。「ではせめて、私に酒を振る舞わせてください。この寒い晩ですから、体をあたためるものが必要です。狩人たちは自分の命の綱としてこうして強い酒を持ち歩くものなのですが、これを半分さしあげたい」
為朝はこれまで断るのは悪いと思い(また空腹でもありましたから)、ありがたくこれをもらうことにしました。若者は腰にぶらさげていたヒョウタンの栓をあけ、盃をとりだして、まず自分が半分飲み干してみせると、為朝にもすすめました。為朝も、雪を肴に、これを一息で飲み干しました。
そうして礼を言うと、再び笠をかぶって走り出したのですが… その後まもなく、異常に酔いが回ることに気づきました。「おかしいな、あれっぽっちの量なのに…」
そうして、木原山の近くを通り過ぎるときに、雪に隠して張られた縄につまずいて、為朝は転びました。酔いが回りすぎて起き上がれないままに、ほとんど眠り伏すような格好になってしまいました。
近くの家からひとりの女が現れ、倒れている為朝を抱き起こすと、家までひきずっていって柱に縛りつけました。そこに、さきほどの若者も、イノシシを運んで帰ってきました。
女「すばらしい獲物ね。そのイノシシも、彼も」
若者「この男が、イノシシにとどめをさしたんだ。すばらしい剛力だろう。わが主も喜んでくださろう」
つまり、若者が、為朝を捕らえるために、毒を入れた酒を飲ませたのでした。ひょうたんには普通の酒と毒酒が別々に入れられていたのですが、まあここらへんのトリックはどうでもいいですね。
さて、この二人(夫婦です)は、縛った為朝を棒に吊して前後に抱え、木原山を登っていきました。やがて、こんな山奥に不似合いなほどちゃんと作った砦に到着しました。この砦の主人と呼ばれているのは一人の尼です。男を捕らえたという報告を聞き、さっそく自ら検分することにしました。深夜ではありましたが、まだ眠ってはいなかったのです。
為朝は、縛られたままで、書院の前の庭に引き据えられました。このときまではまだ意識がモウロウとしていますが、毒消しを飲まされたので、次第に意識がはっきりしてきました。理不尽さに腹が立ちますし、縛られている縄を引きちぎるくらいのことも簡単なのですが、まずは相手の出方を見てやろうと、黙っていることにしました。
尼「乱暴に扱って悪かったのう。私はワケあって、すぐれた勇士を集めている。すべて秘密のまま行わなくてはいかんので、いつもこんな策略を使って、ちょっぴり強引に連れてきているというわけだ。このテで、今までに2、30人ほど集めた」
為朝「…(まだ下を向いている)」
尼「おぬし、私に協力すると誓え。誓えば縄をといて秘密も聞かせてやるが、そうでなければ… かわいそうだが生きて返すわけにはいかん。どうだ」
為朝はここまでじっと聞いていましたが、どうも、この声に聞き覚えがあると感じていました。さらに、この男勝りな様子も、何かなつかしい。
為朝はゆっくり顔を上げました。尼と目が合いました。そして同時に、お互いの正体に気づいて驚愕しました。まだ空は暗いのですが、見間違えるはずはありません。
「…白縫!?」
「…為朝さま!」
白縫「なんと、御曹司じゃ! (横に控える大男を向き)おまえ、この方を見よ。為朝さまじゃ。おお、おお、こんなところで会えるとは」
大男「え… 言われてみれば似ているようが、いや、そんなまさか… 御曹司は、大島で自害されたというウワサではないですか」
為朝「その声… じゃあお前は、八町ツブテの紀平治、か」
紀平治は自分の名前を言い当てられ、疑いを確信に変えて、感激に涙をほとばしらせました。「おお、御曹司じゃ! あなたは紛れもなく! うおお!」
彼をしばって連れてきた若者は、自分がとんでもなく無礼なことをしたらしいと気づいて小さく縮こまってしまいましたが… まあこれは無理もないですね。さて、続きは次回に。