28. 舜天丸、誕生
■舜天丸、誕生
さて、再会を祝った宴の翌日、紀平治や高間太郎は、為朝にこれからのことについて提案します。
紀平治「為朝さまが戻ってきたからには、百万騎並みの戦力アップです。もういちど九州を支配しましょうよ。今なら、原田・菊池のやつらも恐るに足りない。積年の恨みを晴らすことができる」
為朝は、これに賛成しません。「確かに、九州を獲るのは簡単だ。だが、今は一応平和なんだから、これを乱して戦いを始める大義はないと思うぞ。新院もお隠れになり、その子も今では出家だ。オレたちは誰のために、何のために九州を獲るんだ。自分自身の富貴に興味はない」
白縫は、関東を攻めることを主張します。「私は、前までの計画どおり、伊豆まで行って、工藤茂光を攻めるべきと思います。あなたの大島での家族のカタキ討ちよ。それに、あなたが東で旗揚げをすれば、源氏の仲間がたくさん集まって、一大拠点を持つことができるわ」
為朝はこれもよしとしません。「いや… そちらにしても、オレを攻めたのは官軍だ。茂光の私怨から始まったにしても、征伐の軍は勅命に従って来たのだから、オレは茂光に仕返しをして朝廷を軽んじるようなことはしない」
紀平治・白縫「では、我々はこれからどうするんです」
為朝「オレが許せないヤツはただ一人、清盛だ。あいつは主君を苦しめ、民をしいたげて、天も人も敵に回している。決してオレが個人的に憎んでいるんじゃない。あくまで公道に従って、あいつを討つ」
紀平治たちは為朝の理路整然さに感心しました。そして、こんなに彼が朝廷に尽くそうとしているのに、朝敵などと呼ばれることを心底くやしいと思いました。
それにしても、すぐに清盛を討ちに行けるわけではありませんし、今はなかなか彼にも勢いがありますから、しばらくは時をまってこの木原山に潜伏を続けることになりました。
さて、白縫のもとに出現した簓江のドクロは、しばらく祠堂にまつって、みなで彼女の冥福を祈りました。この期間もやがて終わったので、次は埋葬するのが順序ですが…
白縫「埋葬は当分しないでほしいの」
為朝「どうして?」
白縫「夢をみたのよ。例の女性(簓江だと思う)の霊が、また私の夢枕に立ったわ。そこで、『埋葬はあと何年か待ってちょうだい』と私に頼むの。どうしてかと聞いたら、『人を待っているから』ですって」
為朝「待つとは、誰をだろうな… まあいい、とりあえずそれに従おう」
白縫の見た夢に従い、ドクロは当分、今までのように祠堂に安置することになりました。
為朝「それはともかく、明日は阿蘇の神社にお参りに行かないか。もともとオレはそのつもりで九州に来たんだ。白縫、お前にとっても阿蘇は故郷だろ」
白縫「いいわね。ずっと山ごもりして、ふるさとの神様にご無沙汰してたわ」
こうして、為朝、白縫、紀平治、高間と磯萩の5人だけで、翌日早くから阿蘇に向かいました。あまり目立ってはだれに見とがめられるか分かりませんから、少人数で行くのです。夜には目指していた神社に着き、そこで夜通し籠もって祈りをささげ、そうして翌日の夜には木原山に戻って来ることができました。
白縫は、このとき以来、妊娠の兆候を示すようになりました。翌年の秋には、健康な男子を出産しました。産声があがった瞬間に、この屋敷の屋根に老いた丹頂鶴がとまり、澄み渡った声で三度鳴きましたので、みなはまことに縁起がよいと喜びました。
この子は、舜天丸と名づけられました。
為朝は、新院の預言を思い出しました。「この子が、『異国の王』となるのか?」
この預言は、白縫と紀平治にしか教えられませんでした。まことに得体の知れない言葉ですし、みなに教えたって、変に戸惑わせてしまうだけでしょうしね。
この木原山は海・山・荒野に囲まれており、九州の支配者の目をのがれて潜伏するには格好の場所でしたので、その後も為朝たちはここに潜み、舜天丸を育てながら、何年も暮らしを続けました。支配者たちには居場所を隠せても、近隣住民はいつしか為朝たちに気づき、彼を慕ってこっそりと食べ物などを運びづつけました。
これは余談なのですが、為朝が木原山に住みだしてからは、空を飛ぶ雁たちがこの上を飛ぶことを避けて通るようになったそうです。後に、この山は「雁回山」とも呼ばれることになったそうな。
さて、場面は変わって、凧に縛られて捨てられた朝稚があれからどうなったかという話をしましょう。彼は、下田の浦で、為朝の計画通り、梁田時員に救出されました。奇跡的に、朝稚は全く傷を負っていませんでした。
時員はこの子になにも教えず、その場で烽火を上げて何者かに合図をすると、朝稚を背負ってひたすら走り続け、数日後に下野の足利義康の屋敷に到着しました。
義康「よくぞ戻った。その子が、それか」
時員「はい。為朝どのはこの子を捨て、それを私が拾って連れて参りました。この子は朝敵の子ではない、という名目をつくるためでございます」
時員は、この子の素性を示す証拠として、為朝に預かった鐺返の短刀を提出しました。
義康「うむ、よくやってくれた。朝稚くん、きみは今から私の子だ。為朝どのに私が頼んで、もらいうけたのだ。よろしくたのむ」
朝稚は、幼いながらにやっと、何が起こっているのかを理解しはじめました。「父上は、怒って私を捨てたわけではなかった」
時員「そうだ。これは為朝どのが優しさで行ったことなんだ。恨んではいけないよ」
朝稚は、父母や兄に別れを言えなかったことを非常に悲しく思いました。みなのこをと思って目に涙が湧きかけましたが、次の瞬間、自分はしっかりしなくてはいけないのだという気持ちが急に全身にみなぎりました。
朝稚「わかりました。時員さま、ここまで連れてきていただき、ありがとうございました。義康さま、どうぞこれからよろしくお願いします」
時員「(おっ、腹を据えたな。さすが為朝どのの子だ。彼は偉くなるぞ…)」
義康は翌日、家来たちを集め、朝稚のことを紹介しました。ただし、為朝の子であることは、時員しか知らない秘密です。
義康「わたしも50を超えてしまったし、もう実の子は望めない。実は私には隠し子がいて、七年前に山で狩りをしていたころ、里の女子に生ませてしまった子なのだ(彼女はすぐ死んでしまった)。恥ずかしい話ではあるが、今や彼だけが私の子なのだから、こうして家に迎え入れて、ゆくゆくは私の跡継ぎとすることとしたい」
家来たち「うわー、めでたい! なんだお子様がいたんじゃないですか、義康さま。心配してたんですよ」
こうして、吉日に披露の儀式が行われ、朝稚は正式に足利家の嫡子となりました。
しかしこの直後に、大島で起こった戦乱のウワサがここにも聞こえてきました。それによると、為朝とその一族がみなそこで死んだというのです。朝稚はさすがに憔悴し、しばらく人前には出ませんでした。
義康は大いに同情し、こっそり法事を行わせました。その後、彼には最高レベルの教育を惜しみなく与えつづけました。朝稚は文武ともに人並み外れた才能を持っており、それらは次々と開花していきました。養父への孝行ぶりも評判が高く、やがて足利の跡継ぎの風格が確かなものになっていきました。
月日は流れ、朝稚は13歳になりました。時が経っても、彼が為朝や簓江の死を悼む気持ちは変わっていません。あるとき、梁田時員を連れて、足利の八幡神社に参拝し、「夢の中でよいから、もう一度、父と母に会いたい」と強く念じました。
念じている途中に、不思議と朝稚は強い眠気を感じて、一瞬だけウトウトしてしまいました。そのとき見た夢の中で、彼はひとりの童子に話しかけられました。
童子「大神の詔です、よく聞いてね。ここに幣があります。これが倒れた方向に進んでいくと、父には難しいんだけど、母には会うことができるよ。すぐお行きなさい」
朝稚がハッと目をさますと、夢で見たのと同じ幣が、ヒザの上に置いてあります。(幣ってのは、神主がよく振り回しているアレです)
時員もなぜか朝稚の隣で眠っていました。朝稚が揺り起こして自分の見た夢のことを話すと、時員もまた同一の夢を見たということでした。
時員「これはただの夢じゃなさそうですね。あなたの祈りが神に通じたんですよ、きっと」
朝稚は夢中で屋敷に帰り、養父の義康に事情を説明しました。義康は彼の思いが起こした奇跡に驚き、ぜひその夢に従いなさいと勧めました。
義康「表向きには、お前は病気で引っ込んでいるのだと説明しておく。その間に旅をしなさい。供には、時員だけを連れて行きなさい。人目も忍ぶ必要があるだろうし。神に守られて旅するのなら、たぶん無事だと信じよう」
義康は、当面の路銀と、もうひとつ、鐺返の短刀を朝稚に手渡しました。
義康「これは、お主の父から預かっていたものだ。親と名乗りあうときに、自分の正体を示すにはこれが一番だろう」
朝稚「ありがとうございます!」
こんなワケで、朝稚と時員は、笠を深くかぶって屋敷を出て行き、旅を始めました。最初に出た道で幣を立ててみると、これはパタリと西の方向に倒れました。
朝稚「まずは西だ」
この後も、分かれ道があるたびに、幣を立てて倒れる方向を確認し、これに従って行く道を決めました。山を越え、海を渡り、二人は幣に導かれてどんどんと進み…
そしてやがて、九州の肥後と阿蘇の境のあたりまで到着しました。