30. 名乗りあえない親子
■名乗りあえない親子
白縫と舜天丸が留守を守っていた木原山の砦に迷い込んだ朝稚は、正直に自分の身の上を話し始めました。
朝稚「私の故郷は下野の足利ですが、実は私は、7歳のときにもらわれてきた子なんです。世のウワサでは、私の父母・兄弟ともみな死んだらしいのですが、ある日夢で、親に会うための旅に出よというお告げを受けたんです。旅の供をしてくれた仲間は、道中、蜘丸と名乗る賊に殺されてしまいました。私一人でなんとか彼を倒しましたが、その後、道に迷いました。しかし、死んだ仲間の魂と思われる鬼火が、ここまで私を連れてきてくれました」
白縫は、驚きの表情を一生懸命抑えながらこれを聞いています。そのプロフィールをもつ人物を、夫・為朝に聞かされて知っているからでした。まさか。
白縫「…なるほど、つらい旅をしているようですね。親を訪ねての旅とは、世にもまれな孝行です。しかし、死んだという人物に会いに行くとは変な話です。そもそもあなたの親御様はどういう名前でいらっしゃる」
朝稚「わが父は、保元の乱で大島に流された、源八郎為朝」
白縫「!!」
舜天丸が、驚いて「八郎とはわたしの父上だ」と叫びましたが、白縫はその口をあわてて手で覆います。「こら、八郎などという名前は、珍しくもないでしょう。いきなりおかしなことを言うんじゃありません」
白縫は朝稚のほうに向き直って、つとめて平静を装いながら話します。「なるほど、あの為朝さまがお父様ですか。有名な方ですね。…しかし、もしあなたがいったん足利の養子となったのなら、為朝さまという方は義理固いですから、もうあなたとは会おうとなさいますまい」
朝稚「…」
白縫「(顔色を和らげて)それはともかく、お腹が減っているでしょう。たいしたものはないが、食べていきなさい。ほらこちらに」
朝稚は小座敷に案内され、食事の膳を出してもらいました。舜天丸は、兄くらいの年の子供が現れたことに喜んで、さっき集めていた木の実を目の前にならべてニコニコと勧めます。
しかし朝稚は深刻な顔をして食べ物を眺めるだけで、食欲などそっちのけといった様子です。思い切って顔をあげ、白縫と目をあわせます。
朝稚「…さっき、この子が、『八郎は私の父』と言いましたね。もしや、もしやですが… あなた様は、父がときどき話してくれた、白縫さまとおっしゃる方なのではないですか。いや、白縫さまもいつかの乱で亡くなった方のはずですが… しかし私の直感がそう語る。どうか本当のところを教えてください! なぜお隠しになるんです」
白縫は不意に図星をつかれてひるみました。しかし、つらい表情を見せるわけにはいきません。
白縫「何のことだか分かりません。あなたまで、おかしなことを言ってはいけませんよ。私は為朝さまとは縁もゆかりもない人間です。考えてごらんなさい、もし私がその白縫であったなら、私は大いに喜んで、あなたをお父上に会わせもするし、何日もここに滞在させようとするはずでしょう。だから私は白縫じゃない。つらい旅をしてやっと訪ねてきた子に、冷たくできるはずがない。帰せるはずがない」
だんだん支離滅裂になってきました。
白縫「しかし、人との信義を忘れて、捨てたはずの子に会いたがる為朝さまでしょうか。ねえあなた、彼の子だというなら、為朝さまの性格はよく知っているはずじゃないの。ええいいですとも、もし私が白縫だったとしても、やはり会わせるわけにはいきません。だからといって、白縫があなたを愛していないからじゃあありません。継母がイジワルしていると思ってはいけませんよ。たとえ自分の腹を痛めた子でなくとも、こうして会う喜び、そして別れる悲しみは、実の子となにが違うものですか」
こう言うあたりでは、もうこらえ切れずに涙で袖をぬらしています。
白縫「あなた、男の子なら、強くなりなさい。実の親との縁はもう終わったのです。東国に帰り、養父につかえ、立派に家を継ぎ、武士の鑑となりなさい。それが私たちへの何よりの孝行だと思いませんか」
朝稚は、目の前に居るのが白縫であることをもう確信しています。ですが、言われる理屈もその通りで、自分はもう名乗り合いを許される身分ではないのでした。ハラハラと涙が落ちますが、それを拭う気にもなれません。
朝稚「実に、おっしゃる通りです。義理に背いて父に会おうという了簡、深く反省いたします。しかし、一つだけ、たった一つだけ知りとうございます。父は、為朝は存命ですか。恙なくいらっしゃいますか。それを知りたくてやっとここまで来たのです。たった一言、どうぞ、お慈悲を」
舜天丸も泣いています。ここらへんの問答の機微はよく分かりませんので、目の前にいるのが兄と分かっているのに、それと一緒に住めない、一緒に遊べないらしいというのが悲しくて泣いています。
白縫「…知りません。わたしは為朝さまのことなど知りません」
舜天丸「母上!」
白縫「お黙りなさい舜天丸。朝稚さん、私は本当に知らないのですよ。代わりに、というわけではないですが、あなたに渡すものを、私は持っている気がします」
白縫は立つと、仏堂から、布の包みを持ってきました。
白縫「7年前、私の夢枕に立ったものがいます。彼女は『ここで人を待つ』と私に告げました。私が目を覚ますと、この衣とガイコツが置いてあったのです。夢に見たその女性は、あなたとどこか面影が似ている。父はともかく、あなたが会いに来たという母親とは、この方なのではないでしょうか。ほら、ご覧」
朝稚は、ワナワナと震える手でこの衣とガイコツを受け取り、これが母・簓江のものであることに気づいて、その変わり果てた姿に、滝のような涙を流して号泣しました。
その痛ましい様子を見ていると、白縫はガマンしきれなくなって、もう少しで「ああ、朝稚」と叫んでしまうところでした。しかし、彼への愛情に負けてしまえば、為朝の信義に傷をつけてしまいますから、どうしても一線を越えることは許されないのでした。
白縫「もしお心当たりのある品なら、どうぞ持ってお帰りなさい。ともかく、食事くらいはしていきなさい」
朝稚は、これ以上長居はしないと言いました。泣くだけ泣いて、ややサッパリした顔をしています。
朝稚「まことにありがとうございました。氏神様のお告げは正しかった。私はこうして母に会えたのですから、父のことは思いを断ち、養父の待つ足利に戻ることにいたします。…もしも為朝さまとお会いする機会があれば、朝稚は元気だ、とだけ伝えてくださいませ」
白縫はうなずき、朝稚の無事を祈る言葉をかけました。そして、お土産だ、と称すると、手箱の中から一対の金の目貫を取り出し、これを朝稚に与えました。そして、めいっぱいメシを詰めた弁当箱を準備し、彼の腰に結びつけてやりました。
白縫「それでは気をつけて行きなさいよ。道中、知らないキノコを食べてはだめですよ。ウロコのない魚は食べてはいけませんよ。どうぞ元気で…」
朝稚「ご婦人も、いつまでも元気で長生きしてください。私は故郷に帰ってから、月や太陽が西に沈むのを見るたび、そこに父母がいるのだと思って暮らすことにします。舜天丸くん、お前も元気でな」
舜天丸「(ベソをかいている)」
こうして朝稚は、涙を見られないように、急いで山を降りていったのでした。
白縫は朝稚が見えなくなるまで見送ると、もとの座敷に戻って、舜天丸と一緒に存分に泣きました。そこに、フスマがさらりと開いて、為朝と紀平治が現れました。
白縫「あなた、いつから!?」
為朝「ちょっと前に帰ってきていてな。ほとんどの内容は、ここから聞いていた。白縫よ、色々ガマンして、よくやってくれたな。あいつは、実に立派になった。あの蜘丸を倒したというではないか。それは、オレがいつか讃岐であった海賊の生き残りだ。13歳にして、実にあっぱれ。あいつのことはもう何も心配ないな」
紀平治も、朝稚の孝行ぶりと武勇の優れた様子をベタ褒めしました。
為朝「さて、しかし… 朝稚がここにたどり着いたのは、この砦がそろそろ当局に隠しきれなくなってきたという兆候かもしれんな。まだ十分な軍がそろったとは言いがたいが、オレ達はそろそろ京に攻め入る時かもしれん。いざ、死にに行こう」
紀平治「いよいよやりますか!」
白縫「いよいよやるのね!」
為朝「ああ、やるとも。船を出す用意をみなにさせてくれ!」
さて、木原山のことはすこし置いておいて、朝稚の話にキリをつけましょう。彼は山を降り、ここから一人で足利までどう帰ったものかと不安を感じていました。
その朝稚の前に姿を現したのは、なんと、死んだはずの時員です。
朝稚「わあっ、時員の亡霊だっ」
時員「何をおっしゃいます。私は生きていますよ」
朝稚はなお怪しみますが、時員の語る事情を聞いていると、少しずつ事態が呑み込めてきました。
時員「私のために薬をもらってくると言って、朝稚さまがあの男を追っていったところまでは覚えています。しかしその後の記憶がハッキリしないのですよ。気がつけば、私はカゴの中に詰め込まれていました。しかし、病気はすっかり治っており、元よりも元気なくらいでした。そして、薬をあげようと言っていたあの男は、草むらの中で死んでいました」
時員「カゴの中に、朝稚さまが書いたと思われる手紙が入っていて、私が知らない間にどういう事件が起こったのかを知ったのですが… 実際には私は誰にも刺されていない。おかしいな、と思ったんですが、気がつくと私の横には例の幣が転がっていて、それの真ん中には刀で刺し貫かれた傷があったんです」
朝稚「…そうか、その幣が、お前の身代わりになってくれたのか! おお、八幡の神よ、ありがとうございます!」
朝稚は感激に涙しながら、幣を押し頂いて感謝の祈りを捧げました。時員も同様です。
朝稚「そして、私を導いてくれたあの鬼火は、他ならぬ母上の魂だったのだ…(再度、涙)」
朝稚は木原山の中で出会った出来事を手短に語りました。時員は感激し、自分も白縫に礼を言いに行きたいと願いました。しかし、もう一度木原山に登ろうとすると、深いモヤが立ちこめて、とても中には入れないようになっていました。会えるのは一度きり、という神の手配なのでしょう。二人はしかたなくこれを諦め、一緒に足利に帰りました。
朝稚はそれから、今までにも増して武芸と学問に打ち込むようになりました。翌年、養父が死んだのですが、朝稚は足利太郎義包と名を変えて家督を継ぎ、おおいに家を大きくしました。善政を敷き、寺や神社をたくさん建立し、彼は最終的に従四位の官位にまで昇りつめました。彼の5代あとには足利尊氏が生まれ、ついに彼は天下を掌握して、そこから13代もの富貴が続いたのでした。崇徳上皇が為朝に予言したとおりでしたね。
朝稚が木原山で白縫にもらった金の目貫は、足利家の代々の宝となったそうです。
木原山に話を戻しましょう。朝稚が去ったあと、為朝は手下たちに号令をかけて、京の清盛を討ちにいくための船を準備させました。
船を出す直前に、為朝たちを慕う浦人たちが、行かないでくだされと懇願して、為朝にすがりつきました。無理に引っ張るので袖が破れてしまうほど、近隣の住人たちは為朝たちと別れたくなかったのです。その後、この地には神社が建てられ、このときちぎり取られた袖が神体として安置されたそうです。
為朝、紀平治、高間夫婦、白縫(と舜天丸)、そしてその他の郎党たち20余名が、二艘の船に分かれて乗り込み、水俣の浜を出て、渺々たる大洋に漕ぎだしていきました。船が完全に見えなくなるまで、別れを惜しむ浦人たちが声を涸らして呼びかけ続けました。時は安元2年、8月15日のことでした。