34. 王女《わんにょ》のもうひとりの肉親
■王女のもうひとりの肉親
尚寧王たちが寧王女を神への犠牲(のフリ)にしようとしていることを、王女自身はまだ知りません。しかし、彼女は彼女で、辰の年月日、辰の時刻に生まれた自分はこの犠牲として名乗り出るべきだと考えていました。今回の天変地異による民の苦しみを、自分のことのように悲しんでいたのです。
王女からこの考えを聞かされた廉夫人は心から驚きました。
廉夫人「王を継ぐべきあなたが身を犠牲にするなんて、そんなことが許されるものですか。お願いだから、冗談でもそんなことを言わないで」
王女「冗談じゃないのです。正直、女として王位を継ぐことには後ろめたさがあるのです。むしろ私が役立てるとすれば、こういう機会こそと思うわ。私が犠牲になって神が喜べば、父に男の子ができて、万事うまくいくかも。もしそんなに都合良く行かないにしても、そもそも王が血筋で決められる必要なんかないのだし、徳の高い人が誰でも王を継げばいいのよ」
廉夫人はこの言葉を聞いているだけでも悲しく、胸がふさがる思いです。必死の説得が続きます。
廉夫人「あなたが今ここにいる縁をお考えなさい。私の父でありあなたの祖父だった司馬順徳は、五年前、王が病気で命が危なかったとき、自らの命を捧げる覚悟で君眞物に祈り、やっと王は回復しました。しかし、彼に嫉妬する同僚は、彼自身が怪しい儀式で王を病気に陥れたのだと讒言し、あの人は王の差し向けた軍に攻められ、一族もろともに滅びました。私だけは王の子(つまりあなた)を孕んでいたので殺されなかったけれど、身分は側室に下げられ、かわりに正妻として中婦君が迎えられました」
廉夫人「しかし、王はあなたが生まれたのを見て、順徳を討ったことを後悔し、あれは誤りだったと認めてくれたのです。そうしてあなたはこのような身分でいられるのです。私がそんなあなたをどれくらい大事にしているか、お分かりですか。お願い、考え直して」
寧王女はこの説得を聞きながら、何度も深いため息をつきます。目には涙をたたえています。
王女「母上を悲しませるのは本当につらいです。でも… 正直なところを言うわ。父(王)は、たぶん、私を犠牲に指名すると思うの。あの方は、悪い取り巻きの言葉に本当に騙されやすいから。利勇と中婦君が、きっとそう仕向けるわ。だから、最初から進んで名乗り出るほうがずっといいの。他の人が死ぬよりも、私が死ぬほうがいい。人はいつか死ぬのだから、私はそれに逆らわないの」
王女は、中婦君たちの企みに気づいていたのですね。
王女「わたしは今すぐ王宮に行って犠牲になることを申し出ます」
廉夫人「だめよ、お待ちなさい! まだ王が命じたわけでもないのに!」
このとき、フスマの向こうからオホンと咳払いをした者があります。それは毛国鼎でした。彼は屋外から二人の議論に気づき、廊下のあたりでこれを立ち聞きしていたのです。
毛国鼎「王女の仁心、そして廉夫人の恩愛… どちらにも私は感激しました。正直、さっきまでハンカチで涙を拭っていました」
寧王女・廉夫人「国鼎!」
毛国鼎「しかし、今回の犠牲の話は、すべて悪人どもの企みですぞ。阿公の話したことも、王女を亡き者にするための詐りごとに過ぎません」
廉夫人「そ、そうなのですか?」
毛国鼎「そうです。王は今朝、私を秘かに近くに呼び寄せてこうおっしゃいました。すなわち、生け贄になることを望む女が現れないので、王女になにかよい知恵がないか聞いてこい、というのです。まあ、つまり、王女に生け贄になりなさいと言ってるようなものですね」
廉夫人「…で! あなたはどう答えたんです」
毛国鼎「ハイって答えました」
廉夫人はあまりのことに呆然として、その後、泣きながら毛国鼎の襟首をつかみ、激しくなじりました。「そこまで分かっていて、どうしてそんなことを請け負ってきたんです! 恥知らず! アンタが生け贄になればいいんだわ!」
毛国鼎は冷静を保ったままです。「お声を小さく… まだ全部申し上げておりません。大丈夫、阿公たちの裏をかく作戦があるのです」
廉夫人は冷静を取り戻しました。
毛国鼎「ともかく、私がその場にいる限り、絶対に王女を危険にはさらしません。しかし、ほんの一時なりとも王女をイヤな立場には置きたくないと、それだけが心苦しかったのですが… そのこともさっき、解決方法を見つけました」
毛国鼎はここまで言うと、後ろに控えさせていた人物を呼び、廉夫人に会わせました。身分は卑しいようですが、高貴そうな顔つきをした娘です。
毛国鼎「彼女は芭蕉布(織物の一種です)を織って生計を立てる者で、辰の年月日、辰の時刻の生まれです。さっき私の屋敷に来て、生け贄になりたいと志願してくれたのです。さああなた、このお方(廉夫人)に自己紹介なさい」
女は、荷物の中からふたつの位牌を取りだしました。
女「私の名は、真鶴。父は司馬順徳という、かつて王の家臣だった者です。父が死んだときに、燃える屋敷から母は私を抱いて逃げ出し、今まで山奥に隠れ住んでいました。私は赤子だったのでそのときの記憶はないのですが、母が教えてくれたんです。その母は最近病気で寝込んでいて、私が今まで養っていました」
廉夫人は、彼女が語る父の名を聞いて、驚きで声が出せず、口をパクパクさせています。真鶴と名乗った人物は、なお語り続けます。
真鶴「今回、君眞物の怒りをなだめるための生け贄として、辰の生まれの女性である寧王女が選ばれるというウワサを聞いて驚きました。母は、偶然に辰の生まれである私に、王女の代わりに死ぬよう命じました。司馬順徳の汚名をそそぐため、今こそ私が王女のために命をささげよ、と」
真鶴「母はそう言い残すと、布団の下に隠していた刃物を取り出してみずからの喉に突き刺しました。止める間はありませんでした。私に心配の種を残さないようにと、自ら命を絶ったのです。どうか、父と母、そして私の3人の願いを聞き入れ、王女の代わりに生け贄となることをお許しください。そして父の名誉を回復させてやってください」
真鶴はそう語り終わり、袖を涙でぬらしました。しかし、真鶴以上に大泣きしたのは、廉夫人です。ひざまづいてふたつの位牌を抱え、号泣しました。
廉夫人「それではお前は、わたしの義理の妹なのだね。順徳が討たれたときに屋敷を逃げ出した、あの子だったのだね。おお、あなたの母は、なんと激しい忠心の持ち主だったことか」
寧王女も驚きました。「あなたが、義理のおばさま!」
真鶴「そうでございます。お顔を拝見できてこの上なく光栄です。あなた様に命をささげます」
寧王女「そんなことをさせられるものですか」
廉夫人「王女、これは彼女とその父母の志なのですよ」
寧王女「だからといって私の身代わりになどできない。そんなことをすれば、私は獣も同然だわ」
そう言い合って、3人の女たちは泣きに泣きますが…
毛国鼎「えーっと、だから、誰も死なせませんってば。真鶴が生け贄になることを申し出て、その忠義がほめられて、順徳の名誉が回復される。起こることはそれだけであって、私がその後、謀をもって彼女を必ず救いますから。安心してください」