38. 朦雲、鏡にマボロシを映す
■朦雲、鏡にマボロシを映す
中城において謹慎の処分となった寧王女(と廉夫人)は、実際はいささかホッとしました。別に王位なんかに執着はなかったのですから、こんな状態のほうが敵の権謀術数に巻き込まれ続けるよりずっと気が楽なのでした。
これ以降、怖い物なしの状態になった利勇や中婦君がつるんで好き放題に振る舞うのですが、もう寧王女たちには構わなくなりました。王位継承者でなくなった人物のことなどもうどうでもいいのです。
こんな状態で五年以上が過ぎました。
ある夜更けに、王女のいる屋敷をこっそり訪れた者がいます。毛国鼎です。おおっぴらに訪問することはできないので、お忍びです。
寧王女・廉夫人「おお、国鼎! なんと久しぶりでしょう。元気でしたか」
毛国鼎「あなた様たちこそ…」
毛国鼎は彼女たちの住む部屋の中を見渡しました。タタミもフスマもボロボロで、天上は雨が漏っており、蜘蛛の巣に水滴がからんでいます。これが王族の暮らしか、と、国鼎は痛ましさに胸がふさがり、袖で涙を拭いました。
王女「今、真鶴に茶を出させますからね。しかし、わざわざこんな自分のところにいらっしゃるとは、なにか重要なことでもあるのですか」
国鼎は本来の用事を思い出しました。「はい、そうです。あまり時間がないので、手短に申し上げる。…真鶴どのに、結婚をしていただきたい相手がいるのです」
王女・廉夫人「えっ!!」
毛国鼎「私の武芸の弟子に、陶松壽というものがいます。非常に優秀で、家柄もそこそこです。最近は、蛇のバケモノを単身倒したということで、武名も急上昇した」
廉夫人「それがどうして真鶴の夫に?」
毛国鼎「真鶴のこの数年の忠義ぶりは賞するに余りある。ぜひ彼女に幸せになってもらいたい。夫を持ってもらいたいのです。相手がヤツなら申し分ない。…しかし、より正直なところも申し上げねばなりますまい。彼に、王女たちを守るための助けになってもらいたいのです。彼も、我々の一員に」
王女「というと?」
毛国鼎「彼は今、王宮で利勇に仕えています。彼らにへつらい、そこで知り得た秘密を我々にリークしてもらっているのです。王女たちを害するような動きがあれば、いち早く我々はそれを知ることができる。王宮には松壽、ここには真鶴がいれば、ガードを固めるのにとてもよい。…すまない、私は勝手なことを言っています。こんな、互いに会う機会もほとんど持てないような夫婦になれなんて」
真鶴はこれを聞き、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、これを承知しました。
真鶴「しかし、こんなところで日陰者の暮らしをする私と結婚したがるとは思えませんが…」
毛国鼎「彼には打診済みだ。こんな幸せの少ない結婚を、彼は喜んで承知してくれた」
こうして、縁談は成立しました。後に、吉日を選び、彼らはコッソリと中城の世子殿で簡略ながらも正式な結婚式を挙げました。王女と廉夫人がこれに立ち会いました。その晩、ふたりは枕をともにしますが、翌朝までノンビリ眠ることさえなく、明け方にはもう、松壽は首里の宮殿に戻っていきました。
最悪、二人はもう二度と会えないことを覚悟していました。たった一夜の契りでしたが、この夫婦は互いのことを決して忘れず、時が過ぎても、いや、時が過ぎてゆくほどに互いへの愛情を濃やかなものにしていきました。誰も彼らが結婚していることを知ることはなく、このまま10年の歳月が流れていきました。
さて、こちらは中婦君です。彼女は朦雲の予言にはげまされ、国中の美少年を取っかえ引っかえして王子を孕むためのある意味涙ぐましい努力を続けました。しかし、どんな大きい権力を持っていても妊娠というのはままならないもので、さらに、年を取ることも止めることはできません。ついに、50歳を目前にひかえる年齢に達してしまいました。
尚寧王はもう60歳で、いいけげん体力の衰えも感じており、最近はロクに政務もせずに贅沢な遊びにばかりふけっています。(国政はもっぱら利勇に丸投げしていました。)それでも毎日脳裏を離れないのは、世継ぎをどうするかという問題です。
王「もう、いいかげんに子をつくることは諦めるべきだ。蟄居中の寧王女は、今では30歳くらいかな。彼女の罪を許し、王を継がせるんじゃだめなのかなあ。実際、もうそれしかないんだもん」
中婦君は、こんな言葉を聞くのが全く面白くないのですが、一応王女に同情的な様子は普段から崩していません。「そうですわね、王は優しいお方。私も王女が世に出ることを願わない日はありません」
中婦君「でも…」
王「なんだ」
中婦君「実は、去年の冬ごろから、ちょっと体調がおかしいのよ。医者に診せてもハッキリしなかったので、今まで知らせていなかったんだけど… これって妊娠の症状なのかしら」
王「えっ! そうなのか」
中婦君「でも、ちょっと普通とは違うっぽいのよ。こういうのって、朦雲国師に聞いたら分かるかしら」
王はさっそく朦雲を呼び、中婦君が妊娠しているのか判断してくれと頼みました。実は朦雲は、すでに中婦君と打ち合わせ済みです。
朦雲「もちろんこれは妊娠です。それどころか、臨月も間近ですぞ。性別は… ズバリ、男です」
王「マジで! …しかしちょっとまて、別に腹が大きい様子ではないんだが」
朦雲「身ごもった子は特別なのです。おそらく菩薩の生まれ変わりでしょうな。妊娠しても腹が大きくならないという特徴がござる」
王は朦雲に心酔しているので、相当なデタラメを言ってもみんな鵜呑みにしてくれます。
朦雲「だから、今、うかつに王位を寧王女に譲るなどというのは、明らかにトラブルの元ですぞ。大体、寧王女が王になれば、天孫氏の正統はそこで絶えてしまうというのに」
王「正統が絶える、とは、どういう意味です」
朦雲「おおっと、いかん、口が滑ってしまった。王には知らせたくなかったことを!(←わざとらしい)」
王「ちょっと、そこまで言いかけたのなら、ちゃんと教えてくれ!」
朦雲「フーム、仕方がない。実は、寧王女は、毛国鼎の子なんじゃ」
王は聞いた言葉が信じられません。「そんなバカな!?」
朦雲「あいつと廉夫人はイトコどうし。夫人が宮中に入る前から、つきあいがあったんじゃよ。王の子を産んだものと、だましおおせたと思ったことじゃろうな。まあ、ワシの目をごまかすことは不可能じゃが」
朦雲「王よ、お主も心当たりがあるのではないか。毛国鼎がなぜ寧王女をやたらとかばいつづけたか。毛国鼎がなぜ寧王女が王位につくことにこだわったか。理由が分かってみれば、それらも簡単に説明できるというものだ。あいつは王の父として権力を持ちたかったのじゃな」
王はあまりの衝撃にクラクラしましたが、しばらく呆然としたのち、やっと出た言葉は「証拠はあるのか」でした。
朦雲「さすが王じゃ。疑わしいだけで、人を性急に罰してはいけませんからな。ふむ、それでは、あれをお見せするしかありませんな。ちょっと誰か、大きな鏡をここに持ってきてくれんかな」
家来たちが抱えて持ってきた大鏡に、朦雲はマジナイをかけました。「今から、私が千里眼で見ているものをここにも投影する」
解像度はそれほど高くないようですが、ある映像が鏡の中にあらわれました。左上には「LIVE」と表示されています。中にいるのは、毛国鼎と廉夫人です。国鼎は真鶴に酌をさせて非常に上機嫌な様子です。廉夫人は蛇皮線を演奏しながら色っぽい流行歌を歌っており、国鼎をひざまくらしているのでした。
王はこの映像を見て、驚きのあまり玉座から転げ落ちました。それを利勇が助け起こしました。
王「…やっと分かった。私は30年もの間、あいつらにたばかられていたのか。あいつの隠し子に、オレは王位を譲ろうとしていたのか。…許さん! 利勇よ」
利勇「はっ」
王「ただちに中城を攻め、毛国鼎、廉夫人、そして寧王女のクビをはねて、ここに持ってこい!」
利勇「はっ」
宮中には、今見せられた映像が本物なのかを疑う良識ある者たちもいました。毛国鼎は多くの人に尊敬されているのです。そのうちの一人が、おそるおそる王に進言します。「毛国鼎ひとりを討つために大軍をさしむけるのは、コストも大きいですし、なにかと外聞も悪いと存じます。まずは穏便に召し寄せて、そしてここで取り調べた上、罰を与えるのではどうでしょうか」
王「ふむ、それもそうか。利勇よ、今のように方針を変更せい。誰を遣わせばよいかな」
利勇「その役割、陶松壽が適任でしょうな」
王「誰だ」
利勇「なかなか武勇に優れた者で、私の秘蔵の人材です。もとは毛国鼎の弟子だったのですが、彼の不義を憎んで飛び出してきたのを、私が子飼いにしていたもので」
王「なるほどな、そいつ一人に行かせるのか」
利勇「松壽の親友に、査國吉がいます。彼も、国鼎の妻である新垣のイトコにあたるのですが、同様に国鼎を深く憎んでいるそうです」
こうして、詳細は利勇に任せられました。彼は2人をミーティングルームに呼び寄せると、秘密の指令を下しました。
利勇「こんなときのために、お前たちに普段から目をかけてやったのだ。分かるな」
陶松壽・査國吉「ははっ」
利勇「まず、毛国鼎を首里に召し寄せる旨を伝え、途中まで一緒にいろ。しかしお前たちは適当な利勇で彼の護衛を離れ、松壽、お前は中城へ行き、寧王女を殺してクビを取ってこい」
陶松壽「はい」
利勇「査國吉、お前は、やつの妻の新垣と、それの子供達をみな捕らえてこい」
査國吉「はい」
利勇「追って、加勢も送る。ぬかるなよ」
二人「ははっ」
二人の若者は、騎馬の姿になって、門から外に飛び出しました。従者も何人かいるのですが、馬が早いので遅れています。二人は馬上でヒソヒソと会話します。
陶松壽「ついにこんな日が来てしまった。これからオレ達はどうする」
査國吉「毛国鼎さまに、さっき知ったことをすべて伝える。そしてその後は彼の下につき、寧王女のために死ぬまで戦う。こんなところか」
陶松壽「うん。この国はもうおしまいだ。それしかないな。よし、急ごう」