40. 王女にして、王女にあらず
■王女にして、王女にあらず
陶松壽は査國吉と別れ、ともかく急いで寧王女たちのいる世子殿に到着しました。従者たちが徒歩で追いついてくるまでにはすこし時間があります。
そのころ、何も知らない寧王女と廉夫人は、庭の花を寂しげに眺めていました。息を切らして飛び込んできた松壽を見て驚きます。
廉夫人「なんと、ずいぶん久しぶりではないですか、松壽。真鶴と結婚して以来ですね。そんなに急いで何があったんです」
真鶴は10年以上ぶりに夫がたずねてきたと知って屋敷から飛び出してきましたが、松壽の顔色から、何かただ事ではない雰囲気を感じ取って、うかつに話しかけられません。
陶松壽は乱れる息をようやく整えると、ようやく口を開きました。「みな、逃げてください!」
彼は、宮中で起こっていることの全容を、手短に伝えました。すなわち、国王は鏡に映し出されたマボロシに騙されて、廉夫人たちを捕らえて殺すために兵をここに送るつもりだということをです。
松壽「私がその先鋒に命じられたのです。もうすぐ従者たちも到着しますから、時間がありません。新垣様たちも逃すために、あちらには同志の査國吉が向かいました」
廉夫人は、王が誤解した内容というものを聞かされ、情けなさにオイオイと泣きました。「私が毛国鼎と不倫関係だなどと、よくもまあそんな誤解を。こんな風に思われたまま逃亡するのは、それを認めるようなもの。私は死にます。死んで身の潔白を証明します」
寧王女も、廉夫人と一緒に死ぬと言い出しました。「父上への孝心を証明するために、私も死ぬわ」
陶松壽は、真鶴と目くばせしてから、急に声をふりたてて怒り始めました。
松壽「死ぬのが孝行ですと。それは間違っています! 王者の孝とは、賊臣をほろぼして民を救うことでしょうに! お二方、今は屈辱を耐え忍んで、逃げるべきときです。時間がないんですよ!」
廉夫人・寧王女「う…」
松壽「ちょうど、今日は姑場嶽の山神祭です。祭りの行列がいろんな所を練り歩いていますから、それに混じって逃げられる」
屋敷じゅうを漁って道具をあつめ、真鶴は獅子舞に、寧王女と廉夫人は田楽のような踊り子の格好に化けました。そうして、獅子舞に隠れながら、4人は屋敷を出て、近くのパレードに飛び込みました。
陶松壽「よし、ここまではいい。あとは二手に分かれましょう。私と廉夫人はいったん別れて姑場に向かいます。真鶴、王女を頼むぞ」
真鶴「ええ」
陶松壽と廉夫人はこうして列を離れて走りました。しかし、しばらく行ったところで、前方に多数の兵が近づいているのが分かりました。
陶松壽「加勢が来たのか!」
別の方向に逃げようとしましたが、どの方向にも兵が迫っている気配でした。囲まれたのです。
絶体絶命の状況で、廉夫人が覚悟を決めました。
廉夫人「松壽よ、私のクビを取り、本陣に持って行って軍の大将に見せなさい」
陶松壽「何をおっしゃる!」
廉夫人「私が死んだことを知れば、この付近の囲みは解かれるでしょう。それで王女は安全に逃げられる。違いますか」
陶松壽「確かに間違ってはいませんが、まさか…」
廉夫人「このままでは全滅なのですよ。今さら躊躇することではありません!」
廉夫人は早くしなさいと叫び、膝をついて白いうなじを陶松壽に見せました。
陶松壽「こんなことになるとは、き、君眞物は我々を見捨てたもうたか。忠義の者たちがみすみす命を落とすのを、黙って見ておられるのか…」
刀を持つ松壽の手が震えます。敵たちの気配がいよいよ近づいてきます。
廉夫人「早くしないと手遅れになる。女々しいぞ松壽、臆したか!」
松壽はこれに励まされ、思い切って刀を振り上げました。しかし、腕がしびれたようになって、どうしてもこれを振り下ろすことができません。王女があとでどんなに悲しむか。それを考えるとたちまち意思が萎えてしまい、松壽は刀を取り落として尻餅をついてしまいました。
廉夫人「しっかりせよ、こうするのじゃ!」
廉夫人はこの刀を拾い上げて、自らの胸に向けると、それに伏すようにして自殺してしまいました。松壽は泣く泣く、彼女のクビを切り落とすと、死体の袖を破り取ってそれで包み、この包みを本陣のほうに持って行きました。
今回の掃討軍の大将は利勇でした。クビが検分され、利勇はまずは目的をひとつ果たして喜びます。
利勇「よくやった、松壽。王女はどうした」
陶松壽「私どもが屋敷に突入したときには、すでに裏手から逃げていたようです。もう遠くに行ってしまっているでしょう。囲んでいる兵たちのうち一隊を私に預けてくださいませ。それを率いて王女を追います」
利勇「いや、王女がまだ見つかっていない状態で囲みを解くことはできん。それに」
陶松壽「…」
利勇「王女は祭りの行列に混じって逃亡しているらしいという情報も入っている」
陶松壽「…!」
利勇「それについては、付近の不良少年グループに命じてパレードを襲わせる方針なので、そのうち続報も入ってくるだろう。また、査國吉からの報告も待たねばいかんから、私はさらにここで待つ。松壽よ、お前はお前で、引き続き王女を追え」
陶松壽「…ははっ」
さて、真鶴と寧王女は、祭の行列に混じり、獅子舞をかぶって追っ手を避けながら、姑場嶽の北にある越来に向かって練り歩いていました。
不意に、その行列が、地元の不良少年達に取り巻かれます。
少年「この行列に、国王の子と身分を偽った、寧王女というヤツがいるはずだ! その獅子舞の中にいるやつ、姿を見せろ!」
行列はパニックになって、女や子供達が混乱しています。獅子舞の中の2人は、姿を現そうとしません。
少年「(仲間をふり返って)お前ら、あの2人を捕まえろ。褒美は望むままだとよ!」
不良少年たちは手に手に棒を持って獅子舞に襲いかかります。真鶴は、王女をかばって棒で打たれながら、ときどき少年らをつかんで投げ飛ばして抵抗しました。やがて獅子舞がずるりと落ちると、中からは額から血を流した真鶴が現れました。
真鶴「琉球国の王女を捕らえようとは、許されぬ無礼。ウジ虫どもに、思い知らせてあげるわ。命が惜しくなければかかってきなさい」
真鶴は刀を抜き、少年らを威圧しました。
少年ら「女め!」
乱闘が始まりました。真鶴は何人もの少年に傷を負わせて健闘しましたが、女の体力ではできることは知れています。だんだんと疲れてきて、つい転んでしまいました。そこを少年達に滅多打ちにされ、肉は破れ、骨が砕けて、真鶴はついに絶命しました。
寧王女は、かぶっていた布を放り投げて「真鶴!」と絶叫しました。そこを少年の一人が髪をつかんで地面に引き倒しました。さらにもう一人が、死んだ真鶴の手から刀をもぎ取って、それを寧王女の胸先に突きつけました。
少年「手間取らせやがって」
いよいよ何もかも終わりかと思われた瞬間… 空中にぼうっと鬼火が現れて、王女の胸元に飛び込みました。そして次の瞬間、王女は目の色を変え、がばっと起き上がると、驚く少年の手から刀を奪い取り、彼の首と、自分の髪をつかんでいた別の少年の首を一瞬で切り離しました。
そして刀の構えをくずさず、少年達の一群をにらみつけるのですが… その眼光の鋭いこと。100万の敵を前にしても物ともしなさそうな、歴戦の勇者のようなオーラを帯びています。
少年達「あいつ… 今までと違うぞ! 悪霊でも乗り移ったのか。お前は誰だ!」
寧王女の姿をした人物は、刀の血をゆっくりとぬぐい、それを左手に持ち直して、凄みのきいた声で語ります。
「…お前らごときに名乗る名はないが、運よく生き残ったものがいれば、後の世にでも語り継ぐがいい。われは是、大日本、清和天皇九代の後胤、六条判官為義の八男、鎮西八郎源為朝ぬしの摘室、肥後の国人、阿蘇四郎平忠國が娘、白縫姫の亡霊である。我が身は海難によって滅び、霊だけとなって為朝を待つためここにとどまっていたが、為朝にかつて縁のあった寧王女の体を借りて、今、ここに現れた。烈女、真鶴のカタキをここで滅ぼさずば、この世に真はない!」
寧王女の体を借りた白縫は、ここまで語ると、ダッと飛び出して、先頭に立っていた数人の少年達の手足をたちまちバラリと薙ぎ落としました。少年達はパニックに陥って逃げ出しましたが、白縫はそれにやすやすと追いつき、次々と斬り倒しました。ある者はその場で絶命し、ある者は深手に苦しんで気を失いました。不良少年達はほぼ全滅しました。
白縫「…日が暮れてきた。身を隠すにはちょうどよくなったわね」
白縫はそう独りごち、少年たちが身につけていた花笠をひとつ拾い上げると、それを目深にかぶって、恩納嶽の方向に歩いていきました。