42. 毛国鼎の息子たち
■毛国鼎の息子たち
前回までは寧王女たちのもとに向かった陶松壽の話でした。場面はかわって、こちらは毛国鼎の家族を助けに向かった査國吉のほうです。
査國吉は激しい気性と正義感を持った男で、忠義のためには命も惜しくないというタイプです。彼は馬をめいっぱいに走らせ、従者たちを遠くぶっちぎって単身で毛国鼎の屋敷に着きました。
査國吉「新垣さま! 鶴くん、亀くん! すぐにここを逃げなくてはいけませんぞ!」
新垣は毛国鼎の妻、そして鶴と亀はその息子で、それぞれ14歳と12歳です。彼らは驚き、査國吉に何が起こったのかをたずねました。そして、詳しい事情を知るにつれて、みな涙が止まらなくなりました。
新垣「あの人は、そんな濡れ衣を負ったまま、単身で王宮に向かったと?」
國吉「はい、あの方は… 主君への忠義を貫くために死ぬつもりなのです。止めることはできませんでした」
新垣「そうですか… 私もここで死にます。鶴、亀、あなたたちだけで逃げなさい。私はきっと足手まといになる」
新垣がこう言ったのには、夫に殉じるという意味もありましたし、もうひとつ現実的な理由がありました。彼女は妊娠中で、ほぼ臨月だったのです。
鶴・亀「いいえ、決して置いては行きません。我々が乗り物をかつぎます! 査國吉さま、このご恩は忘れません!」
ほかの使用人たちは、みな恐怖に駆られて逃げてしまいました。ですから、鶴と亀が、慣れない手つきで駕籠を前後にかつぎ、身重の母を乗せて、必死の逃亡を開始しました。普段から大事にされていた息子達ですから力仕事は得意でなく、かつぎ棒を肩にめり込ませつつ、あえぎあえぎ行きました。駕籠の重さに加えて、父を失った悲しみも二人をより強く打ちひしぎました。
査國吉は、去って行く新垣と息子たちを、無事を強く願いながら見送りました。「さあ、オレはここでできるだけ長く持ちこたえなくては。今こそ毛国鼎さまの恩に応えるときだ」
この後、利勇の差し向けた兵士が4、50騎ほど、屋敷に押し寄せました。國吉は、庭から門の外に走り出ると、刀を抜いてこの軍を威嚇しました。
査國吉「お前ら、オレの手柄を横取りしに来たのか」
兵のリーダー「何を言っている、査國吉」
査國吉「加勢など頼んではおらんぞ。女と子供を捕らえる仕事などオレ一人で十分だ。お前ら、勝手に抜け駆けしに来たのだろう。誰一人、先には行かせんからな」
兵のリーダー「ばかな。お前こそ謀反の意思があるのだな。構わん、お前ら、あいつを討て」
こうして乱闘が始まりました。どっと押し寄せる兵たちを、まず査國吉は一息で五人ほど斬り倒しました。その後、ひるんだ兵たちのど真ん中に駆け込むと、当たるを幸いに叩き伏せ、なぎ倒し、暴れる獅子のように戦いました。地面は流れる血でぬかるみました。
こうして、たった一人で追っ手の軍をいったんは敗走させてしまいました。ただし、査國吉も無傷ではありません。防具は壊れ、体中に切り傷を負い、結構な深手もいくつかあります。
査國吉「よし、今はここまでだ。オレはまだ死ねん」
國吉は門にカンヌキをかけると、屋敷に火を放って、どことも知れずに逃亡しました。兵たちはあわてて門を突き壊して乱入しましたが、西風を受けながら燃えさかる炎にさえぎられて先に行けません。
兵のリーダー「早く火を消せ!」
結局、火が消えるころは、屋敷は燃え尽きて灰になっていました。中には死骸のようなものも見つかりません。査國吉の働きにより、毛国鼎の家族を捕らえるというミッションは失敗に終わりました。
これをそのまま報告すれば、利勇からの激しい叱責が待っていることは明らかです。兵たちは悩んだあげく、ニセの首級を準備して、これを提出することに決めました。死んだ兵の首をいくつか斬って、燃え残った炎の中に放り込み、見分けがつけられなくなるまで焼くのです。
リーダー「この小さめのやつが、息子な。で、これは国鼎の妻のだ。査國吉のやつも準備していこう。全員、屋敷の中で自殺していたってことにするぞ。どうせ査國吉は、かなりの傷は負わせたんだし、長生きはできるまい。…よし、これらを持ってボスのところへ帰るぞ」
こうしてできあがったニセの首級に、利勇は不思議と疑いを持ちませんでした。「おまえら、ご苦労だったな。よろしい、これらをみんな外にさらしておけ」とだけ手短に命じました。
陶松壽は、あとでこっそり、晒されたこの首を観察に行きました。口の中に灰が入っているかを確かめたところ、そうではないようでした。これを見て松壽は安心します。
陶松壽「生きながら焼かれたものは、口の中に灰が入っているはずだ。これらは死んでから火にかけられた… つまり査國吉や新垣さまたちではありえない。うむ、よくやったぞ査國吉。きっとみな、うまく逃げてくれたのだな」
陶松壽「しかし、こんな基本的な見分け方を、利勇さまが忘れているというのも不思議だ。たぶん、これは君眞物の守りのおかげなのだ。運命はまだ我々に味方してくれているようだ。きっと、朦雲たちの悪行もいつか終わる日が来るだろう…」
さて、こちらは、逃亡中の鶴・亀・そして新垣です。駕籠の重さに今にもくずおれそうになりながら、兄弟は母を心配させまいと、一切泣き言を言わずに夜中になるまで道を進めました。今は越来の山道にいます。
兄弟は駕籠をいったんおろすと、椎の実をひろって食べ、母にも食べさせました。このまま3、4日ほど潜伏して体を休めましたが、ここは都に近すぎますから、もっと北の方に逃げる必要があります。
鶴・亀「山を越えて山北省のあたりまで行かないと、安全とは言えなさそうだ。母上、またしばらく、駕籠の中で辛抱していただきますよ」
新垣「お前たちには申し訳がない。私が病弱で、しかも身重なせいで苦労をかけさせてしまって。40近くにもなって毛国鼎さまの子をさずかるとは思ってもいなかったし、こんなトシだから、無事に産めるかさえ定かじゃあない。いっそ、私のことはここに捨てていきなさい。二人で力をあわせて生き残り、父の汚名をすすぎ、国のために尽くしなさい」
鶴・亀「そんなことができるはずがないじゃないですか」
新垣「ありがとう、お前たち。しかし、こんな機会だから、少し私自身の昔の話をさせてもらっていいかい。実は私は、実の父も母もしらない、捨て子だったんだよ」
鶴・亀「えっ!」
新垣「お前たちの祖父にあたる人物が、濱川のほとりに捨てられていた私を拾い、育ててくれたんだよ。私をくるんだ着物の中には、一本の立派な短刀が残してあったので、これだけが実の親の形見のようなもの。いつも我が身に持っているコレのことよ。それはともかく、その後、私はこんな素性にもかかわらず国鼎様の妻としてもらい、2人の子さえもうけるという幸せを得ました。もう充分幸せだったのです。お前たち、やはり私を残して先に行きなさい」
鶴・亀「イヤです、絶対に残しては行きません!」
こうして、鶴と亀は再び駕籠をかつぎ、旅を再開しました。そうしてやがて、山北省最大の川である富蔵河のほとり近くまで到着しました。ここまで来たときに二人の体力は再び限界に達したので、また休憩です。月の明かりをたよりに、清水にひたした乾飯を食べました。
ここで3、4日野宿をしているうちに、新垣が、急に産気づいてしまいました。疲れ果てて体力が落ちている時という、最悪のタイミングです。
非常な苦痛をうったえる新垣をどう扱ってよいのか分からない兄弟は、せいぜい母の背中をさすったりすることしかできず、不安に涙目になるばかりです。
鶴・亀「どうしたらいいんだ。女が子を産むときに何をすればいいのか、まったく分からない!」
二人が母の苦痛を見かねてどうしようもなくなっているとき… ここに偶然、ひとりの老婆が通り過ぎました。
老婆「なんと、そこのご婦人は、産気づいてしまったのか。しかも病気とな。大変じゃ、このババが色々とお手伝いいたそう」
鶴と亀は、身分を隠して逃亡中の身ですから、うかつに他人の世話になるわけにもいきませんが… 今はとにかく緊急時ですし、老婆の服装もそれなりの身分のものに見えましたので、つい気を許しました。
鶴・亀「お、お願いします、おばあさん。我々は越木のあたりに住む者ですが、今は父の墓参りにいく最中で、急なことに途方にくれていたのです」
ところでこの老婆が何者かというと… 例の巫女の長であった、阿公です。かつて追放処分になったこともありましたが、利勇が権力を握ってからはこの処分は有名無実なものになり、今は大手を振ってもとの地位におさまっています。彼女がこんなところをうろついている理由は…
中婦君が生むことになっている「王子」となるべき新生児をどこかからさらってくる、というミッションを実行するためなのでした。
老婆「あ あ、 私 に す べ て ま か せ な さ い」