49. 鷲巣山での戦い
■鷲巣山での戦い
利勇暗殺の密命を帯びて南風原の城内に潜入した鶴でしたが… ちょっとしたミスから井戸に落ちて、あっという間に絶体絶命になってしまいました。
老兵がさっそくこれを槍で突き殺そうとしましたが、井戸の水を汚してしまうわけにもいかず、すこし困りました。
報告を受けて、利勇自身もさっそく現場に駆けつけました。「侵入者か。朦雲がよこした暗殺者か! 何をしている、さっさと殺してしまえ」
老兵「いや、ここで殺しては井戸の水が汚れて…」
利勇「朦雲は幻術を使うのだぞ。こいつも、少しでもスキを見せたらどんな手品を使わんとも限らん。水が汚れるくらいの損失が何だ!」
陶松壽もこの場に駆けつけます。
陶松壽「利勇さま、お待ちを! 殺すには早すぎます! この地は水が少ない。井戸はきわめて貴重なものではないですか。彼が朦雲からの刺客であるにせよ、幻術を使うとは限りません」
陶松壽が繰り返し諫めたので、利勇はようやく考えを改めました。「フン、まあいいだろう、井戸から引き上げて、それから縛れ」
井戸から引っ張り上げられた刺客に、明かりがあてられました。意外なことに、14、5歳ほどの少年です。さらに、非常に顔が美しいので、みなが驚きました。
利勇「この顔の美しさ… これも朦雲の幻術なのではないか。ええい、誰か、肥え溜めから汚物を汲んでこい。妖術を破るにはクソをぶっかけるに限る」
少年(鶴)は、侵入した言い訳をはじめました。
鶴「わたくし、昼間にここで鷲の羽根を売っておった商人です。どなたか、私の顔をおぼえていらっしゃるかたもおいででしょう」
兵のひとり「おっ、そういえばそうだ」
鶴「ワタクシ、田舎者ですので、城の中の偉い人が食べているようなゴチソウの味をどうしても知ってみたくて… それで思いあまって、この台所の近くまで忍び込んでしまったのです。刺客だとか、そういうのではありません。どうか命だけはお救いくださいませ」
兵たち「フーン、人騒がせな食いしん坊め」
うまく言い逃れできそうな雰囲気になりかけましたが、利勇はこんな話を真に受けません。
利勇「そんな言い訳が通るものか。お前は服の下に着込みのヨロイを身につけている。どう見たって商人ではないわ。…しかし、お前の顔には見覚えがある気がしてきたな。ん? 誰だったか…」
利勇は記憶をたぐるような顔になりましたが、すぐにこの少年の正体を思い出しました。「そうだ、お前は毛国鼎の息子、鶴だ」
正体がバレた鶴は、開き直りました。「そうとも、わたしは鶴だ。父母のカタキを討ちにきたのだ! お前と阿公を殺すのだ。たとえ今死のうとも、何代の先までも祟ってやるぞ」
しかし、縛られていてはどうしようもありません。立ちあがって利勇のもとに駆け寄ろうにも、ヒモに引っ張られて後ろに転んでしまうだけです。
利勇「バカめ。あいつが死んだのは、自らの罪の報いに過ぎんものを、逆恨みしてオレを殺そうというのか。そうはいくものか。こいつの首をはねよ! いや、待て。オレが自ら殺してくれる」
陶松壽が、再びこれを止めるために利勇の足もとに飛び込みました。毛国鼎の息子とあらば、いよいよ殺させるわけには行きません。
利勇「なんだ、松壽。そこをどけ」
陶松壽「いけません。今彼を殺せば、朦雲を利することになりますぞ」
利勇「なにを、どういうことだ」
陶松壽「おそらく彼は、朦雲の話術にたぶらかされて、あなた様を暗殺に派遣されたのでしょう。ならば、朦雲の軍も近くに潜んでいると考えるべきです。彼が合図(火をつけるとか)すると、そいつらがなだれ込んでくるという寸法です」
利勇「なるほど、そうかも知れん。しかしそれがどうした」
陶松壽「彼が成功すればよし、失敗して殺されれば、それでもよし、という作戦なのです。我々は、毛国鼎のカタキを討とうとした孝行息子を殺したことになるのですから。毛国鼎は、今なお民の間では尊敬されている人物です。我々は、世間の悪評を免れません。兵たちの士気もガクンと落ちるでしょう。それではこの城が落ちるのは時間の問題です」
利勇はやや考え込みましたが、やがて抜きかけた刀をサヤにおさめなおしました。「いいだろう。軍師(陶松壽のこと)、お前ならこれをどう扱うというんだ」
陶松壽「敵の裏をかくのです。三つほど策がありまして、上策、中策、下策といったところですな」
利勇「説明しろ」
陶松壽「いっそ、鶴をこちらの家臣に迎えるのです。民の心はこちらの味方となりましょう。これが上策」
利勇「毛国鼎は逆臣なのだぞ。そんな賞罰の基準に矛盾した行動は許されん」
陶松壽「次が中策です。鶴の首をはねるフリだけするのです。潜んでいた敵兵たちは、目下の作戦が失敗したのだから、いったん王宮に帰っていくでしょう。そこを、あらかじめ配置しておいた伏兵で道をふさぎ、叩く」
利勇「なるほどな。残った策はなんだ」
陶松壽「下策ではありますが… 単に鶴を釈放し、王宮に帰らせるのです。何もしなかったということが朦雲たちは得体がしれないと感じるはずです。こちらの真意をはかりかねて、少しの間はここを攻めづらくなるでしょう」
早くしないと夜が明けてしまいます。利勇は考え、中策を採用することにしました。腹心の部下である趙豹と李虎も呼んで、それぞれ指示をあたえました。
利勇「お前らに60人の兵をあたえる。それらを従えて、目立つようにしながら鷲巣山に登り、そこで鶴を殺すフリをせよ。松壽は敵軍の逃げ道をふさぐために、軍をひきいて長川に行け。こちらはこっそりだ。いいな」
趙豹・李虎・陶松壽「はい」
こうして三人の家臣がそれぞれの持ち場に散ろうとしましたが… 利勇はこっそりと趙豹・李虎だけを呼び戻し、耳打ちしました。
利勇「お前ら、鶴を殺すフリじゃなくていい。実際に殺してしまえ。あれを生かしておいたところで、のちの憂いになるばかりだ…」
さて、城のあたりがドヤドヤと騒がしくなり、やがてタイマツを持った一隊が辨嶽につらなる低い山、鷲巣山に向かい始めました。その中には、つかまった鶴の姿もあります。弟の亀のほうは、物陰から、胸のつぶれる思いでこれを見ています。
亀「兄者がつかまった! 今、自分があの隊に突入しても、たぶん無駄死にだ… しかし、何もしないではいられない」
亀は、せめて兄がどうなるかをこの目で見届けようと、この一隊に紛れ込むことにしました。夜は暗いし、趙豹と李虎は先を急いでいましたし、意外とバレずにいけました。
やがて、この山の頂上付近で、鶴は、ゴザの上に引き据えられました。明け方が近づいているようですが、まだ空は暗いままです。
趙豹「さて、悪く思うなよ。利勇さまは回りくどいのが嫌いなお方だ。サッパリとお前を殺せってよ」
鶴「そんなことはとっくに覚悟の上だ。好きにしろ。しかし、お前たちが同じような目にあう日もきっと遠くないぜ」
趙豹「この期におよんで憎まれ口とは、なかなか度胸のすわったやつだ。いいだろう、覚悟しろ」
趙豹は袖をまくり、鶴のうなじをかき上げて、白い首をあらわにしてから、いよいよ氷なす刃を頭上に振り上げました。
そしてビュンと一閃。不思議なことに、首を失ったのは趙豹のほうです。ここまで黙って見ていた亀が、ついに耐えきれなくなって、暗闇から飛び出すやいなや、趙豹に向かって刀を全力で振るったのでした。
亀「兄上ェッ」
李虎「く、くせ者!」
李虎もまた刀を抜き、亀に向かって襲いかかりました。鶴は両手を縛られながらも、スックと立ち上がると、李虎の足を払って倒し、そのあと、脇腹をおもいきり蹴飛ばしました。
鶴「うおおりゃあ」
亀は、このスキに鶴を縛っていた縄を切りほどきました。やがて兵たちが手に手に得物を持ってこの兄弟に八方から襲いかかってきます。亀はこれらに応戦し、数人の兵を切り倒しました。鶴は、起き上がろうとする李虎の刀をひったくると、これを使って李虎の背中をグサリと刺し貫きました。
そして、この刀を引き抜こうとして踏ん張ったときに、血だまりに足を滑らせてしまいました。鶴はこのままガケから足を踏み外し、暗い谷底に転がり落ちていきました。
亀「兄上!!」
このとき、あらたな大軍がこの場に押し寄せてきました。こちらが、朦雲の潜ませておいた、全廣の軍です。彼の兵たちは、数で大いに勝ります。たちまちに利勇側の兵たちを蹴散らしてしまいました。
亀は、肩で息をしながら、疑いのマナザシで全廣をにらみつけています。
全廣「お前ら兄弟が城への潜入に失敗したことを、朦雲さまはいち早く知り、オレ達に新たな命令を与えたのよ」
亀「…」
全廣「すなわち、利勇の兵どもを討ち散らし、利用価値のなくなったお前ら兄弟の息の根も止めるようにとな!」
全廣の兵が、弓を絞って、亀に狙いを定めました。
亀は、何もかも朦雲に騙されていたことを知りました。やがて敵から放たれた矢を、ふたつ、みっつと刀ではじき落としますが、もはやこれまでです。
亀「死ぬなら… 兄上とともに!」
亀はこう叫ぶと、背後のガケから飛び降りました。どれほど転がり落ちたことでしょうか、亀は途中から気を失いました。
やがて目を覚ましましたが… 奇跡的なことに、体にはキズひとつ負っていません。体は平らな地面の上にあります。空はすこしずつ明るくなってきました。
亀「助かったのか。兄上はどこに? 生きているのか、死んでいるのか、確かめなければ…」