50. 賽銭箱の美女
■賽銭箱の美女
朦雲の裏をかいて敵軍を叩くため、陶松壽は首里までの道の途中に兵をひそませて待ちました。しかし、待っていても敵軍は現れません。
陶松壽「なにか変だ。…あと、今さらながら、利勇さまが鶴くんを殺すフリだけで済ませるかどうかも怪しい気がしてきた。あの人は心が狭いからな… よし」
陶松壽は、500人いる兵のうち200を割いて、自分は鷲巣山に向かって様子を探ることにしました。鶴が殺されそうになっていたらこれを救おうという意図もあります。
その山のふもとでは、明けかけた空の下、統率を失った趙豹と李虎の隊が、ちりぢりになって朦雲の軍に追われているところでした。リーダーたちはそれぞれ鶴と亀に殺されてしまっていますからね。
陶松壽「なんだ、どうなっている!」
陶松壽の一隊が到着したことに気づくと、敵軍の全廣は、兵を率いてさっさと退却してしまいました。ここまでがすべて計画づくだったようです。
陶松壽はこの後、鷲巣山で起こったことをつぶさに知らされ、ショックを受けました。中でも、鶴と亀がそれぞれ山から転落して生死不明というところが最悪です。やむをえず、このまま兵をすべて引き連れて帰り、利勇にここまでのところを報告しました。
利勇「趙豹と李虎が死んだだと、くそう… しかし、毛国鼎の息子どももまた死んだようだな。この点は上出来だ。あいつらはどうせオレに害しかもたらさんだろうから」
利勇「しかし、報告によると、亀に矢を向けたのは、朦雲の兵だという。そこは意味がわからんな。あいつらは仲間割れでもしたのか」
陶松壽「いえ、おそらくは、鶴と亀は朦雲にだまされて、ここに刺客として送られたのでしょう。その証拠を消すために、兄弟の命をここで奪うところまで、はじめから予定していたんだと思います」
利勇は朦雲の奸智をおそれました。「あいつはそんなことまでするのか… そういえば3日前に、為朝とかいう怪しい男がここを訪れたな。わかったぞ、あいつも朦雲の密命を受けた刺客なんだ。あの男が南風原に帰ってきても、もう絶対に取り合ってはいかんぞ!」
陶松壽「あの方は、朦雲に操られるような人じゃないですよ」
利勇「わかるものか」
陶松壽「見て分かりますもん。日本の王族につらなる人らしいですが、あれこそは本物の勇者ですよ」
利勇がキレました。「お前は、オレの言うことにいちいち反対するな。鶴を殺させずに、それで却ってウチの趙豹と李虎が死んだのだぞ。それで次は、あんな得体の知れん男を褒めやがる。オレを誰だと思っているんだ。国相だ。実質のトップだ。次期国王の生死さえオレはこの手ににぎっているんだ。陶松壽よ、身の程をわきまえよ!」
松壽はもうこれ以上口ごたえせず、黙って引き下がりました。
場面はかわって、こちらは山から転がり落ちた鶴のほうです。
彼は、地面に直接ではなく、葉が茂る大きな栗の木の上に落ちたため、ケガがありませんでした。やがてその場で目を覚ましましたが、自分がいまいるところからは簡単に降りられそうにありません。
鶴「うわ… ここから地面まで10メートル近くある。飛び降りたらケガをしそうだ」
非常に腹が減っていましたので、あたりになっている栗の実を食べて飢えをしのぎました。そうして、誰かが下を通ったら助けを求めようとしばらく待ったのですが、誰も来ません。かわりに、熊の親子が木の下をノコノコと通りがかりました。
親熊は、子熊にエサを食べさせようと、大きな岩を持ち上げました。子熊は岩が持ち上げられている間に、その下にいる沢ガニを食べ始めました。
鶴はこれを見ながら、自分には今や両親がいないことを思い知って切なくなりました。そのせいで、手に抱えていた栗の実をポロポロと地面に落としてしまいます。この音に驚いた親熊は、岩を支えている腕を放しました。ズンと地面が鳴って… その下で沢ガニを漁っていた子熊がつぶれて死んでいまいました。
親熊「ウオオン!」
親熊は悲しみのあまりしばらく取り乱し、次に、わが子をこんな目にあわせた者は誰だ、という怒りを全身にみなぎらせて四方を睨みまわしました。
次いでこの場に現れたのは、巨大なワシです。羽根を一本の矢がつらぬいており、それで飛べなくなってここに落ちてきたのです。
親熊は、こいつが子熊を殺したのだと考え、この巨大ワシに突進すると、その体に鋭いツメを叩き込もうとしました。ワシのほうでも親熊の前足を巨大なカギ爪でつかみ、鉄のようなクチバシで対抗しました。頭上の鶴が見守る中、上下入れ替わりながらの激しい乱闘が繰り広げられましたが… ついにこの二体の猛獣は相討ちになってしまい、同時に息絶えました。
鶴「…すさまじい闘いだった。あの巨大ワシが手負いでなかったら、あちらが勝っていただろうな。それにしても、自分があの場所にいなくて本当によかった」
熊、ワシ、そして次にこの場に現れたのは、40歳近くと思われる、非常に大柄な男です。これまた巨大な弓を手に持っており、熊とワシの死骸を見つけて喜びました。
大男「オレがさっき射たワシだ。こんなところに落ちて、そこで熊と格闘して死んだのか。うむ、大ワシと熊が両方得られて、非常にラッキーな猟である」
こうつぶやいて、大男はワシの首を切り落としました。ワシの傷口からは、白い気がもうもうと立ちのぼり、そして空中で霧散しました。
鶴はこの男に、頭上から声をかけます。「もし、そこの人。私を助けてください」
大男「おや、おぬし、そんなところでどうされた。何者か」
鶴はどう答えるべきか迷いました。この大男こそ何者だろう。とても、ただの狩人ではなさそうだ。利勇のもとにこんな勇士はいなかったはずだから… 消去法で、朦雲に協力する誰かなのかな。
鶴「わたしは朦雲国師に従う者です。昨日、利勇に捕らえられ、死刑になる寸前だったのを、ここまでやっと逃げてきたのです」
大男の目がギラリと光ります。「ほう、朦雲の手下とな! オレはつくづくラッキーだ。こいつの首を持って帰れば、クエストはすべて達成だ」
この大男は、(もうお気づきでしょうが)為朝です。利勇によって課せられた無理難題をこなすため、ここ3日ほど山にこもっていたのです。その難題の中に、「朦雲の兵を討ってこい」というのがありましたね。
鶴「えっ、何ですって。ウソウソ、私は本当は朦雲の手下じゃないです」
為朝「たった今そう言ったではないか。問答無用だ」
為朝は大きな弓に矢をつがえて撃ち、鶴のいるあたりの枝が集まっている大枝の付け根にキズをつけました。メリメリと枝がしなり、鶴はゆっくりと地面に降りることができました。しかし、その後の鶴の抵抗をものともせず(刀はなくしています)、為朝は彼の胸ぐらをつかんで目の前に持ち上げました。
為朝「お前自身に恨みはないが、朦雲に従っているという時点で、罪は罪だ。観念しろ」
鶴「たすけてー」
しかし、為朝は朝日のもとで鶴の顔をよく見て、その美しさに驚きました。「む… これは、殺してはいかん男なのでは。そんな気がする…」
そう躊躇する為朝の背後から、もう一人の人物が飛ぶように駆け寄ってきて、「兄上を殺すな」と叫んで刀を繰り出しました。亀です。
もちろん、為朝は、そんな攻撃でなんとかできる男ではありません。軽く身をひねると、あっという間に亀の持っていた刀をたたき落として、脇で体を締め付けてしまいました。
鶴「亀っ」
亀「ぎゃあ」
為朝「…お前も少年か。ん、お前たちは兄弟なのか。顔が似ているな」
鶴と亀は、到底かなわない相手であると悟って、歯を食いしばって悔しがり、死を覚悟しました。
為朝「そんな顔をするな、殺しはせん。場合によっては、だが。まずは名前を聞かせろ」
二人は、「毛国鼎の息子、鶴と亀だ」と名乗りました。為朝はこの名を知っています。寧王女の姿をした白縫に聞いていたのです。
為朝「お前たちが、寧王女を助けて戦った、鶴と亀か! 話はいろいろ聞いているぞ。誤解して、ひどい目にあわせてしまったな。許せ」
鶴・亀「あなたは一体?」
為朝は自己紹介しました。日本から漂流してきた武士で、かつて寧王女に受けた恩を返すため、ここ琉球にはびこっている悪者を除こうとしている、というのがあらましです。
為朝「で、現実問題として、朦雲と戦うには、今は利勇と共闘するのが合理的なのだ。あいつも感心な男ではないのだが、あくまで一時的な協力だ。で、利勇に出された『採用試験』として、オレはここでワシだの何だのを狩っていたというわけだ」
為朝「寧王女は、今は佳奇呂麻で保護されているぞ。お前たちもそこへ行きなさい」
鶴と亀は、最後の話だけはおかしいと思いました。
鶴「いや、寧王女は今、王宮にいます。朦雲国師が保護してくれたのです。私たちは、国師のその情けに応えるために、南風原の利勇を討ちに来たんだ。やはり… やはりお前は信用できない!」
為朝はため息をつきました。「お前たち兄弟は非常に賢いし、腕も立つ。しかし、まだ若すぎる。朦雲の甘言にまんまとだまされてしまったとは。オレが思うに、朦雲は、お前たちに寧王女の姿でも見せたのではないか。たぶん、ちょっと遠目から」
鶴・亀「!」
為朝「図星だろう。それは朦雲の幻術だ。二人とも、迷いから目をさませ。そして、佳奇呂麻に行き、ともに王女を助けてやってくれ」
鶴と亀は、ここではじめて、一切の誤解を解きました。特に、亀は、鷲巣山で全廣の兵に矢を射られたワケが改めてハッキリと分かり、自分の愚かさに腹が立って涙を流しました。
亀「うう… よく分かりました。為朝どの、私のクビを取って、利勇のもとに持ち帰ってください。それで利勇との共闘が成立するのなら」
鶴「亀よ何を言う、それなら私のクビを使ってもらうべきだ」
為朝「おいおい、お前らを殺しはしないってば。さいわい、ここに熊の死体がある。朦雲の兵を殺してこいというのが課題の内容なのだが、この親子のクビを持って帰って、あとはうまく説明するから安心しろ」
鶴と亀は何度も礼を言い、為朝にいったん別れを告げると、佳奇呂麻を目指して去って行きました。
そこから為朝は、ふたたび一人になって、ワシと熊の首を持って南風原の城に戻りかけました。その途中、兵に荒らされてしまった村を通り過ぎます。傷を負って倒れている住民がたくさんいました。
為朝「ひどいな… おい、大丈夫か。何があった」
住民「朦雲の部下、全廣の軍が乱暴していったのです。当初の目的が達成できなかったので、せめて何かした実績のためにだ、と言っていました…」
為朝「クソ野郎め… よし、いつかそいつに会ったら、オレが皆殺しにしてやるからな。さしあたって、お前たち、この薬を使え。刀の傷に効くぞ」
住民「ありがとうございます(涙)」
為朝はさらに先を行き、辨嶽のふもとにある小さな社を通り過ぎました。そのとき、運んでいたワシの頭がコロコロと荷物からこぼれ落ちました。
為朝「うむ、荷物の安定が悪いのか… おっ、いいものを見つけた」
社には、賽銭箱が置いてありました。こんな場所には誰も詣でませんし、荒れ果てた社ですから、中身はカラッポに決まっています。
為朝「この箱に荷物を入れて運ばせてもらおう」
為朝がこう思いついて、賽銭箱のフタを持ち上げると… 中から若い女性がひとり現れて、立ち上がりました。肌が真っ白で、こんなところにいるのが不思議なほどの美女です。
美女「…」
為朝「お前は何だ? どうしてこんな所にいるんだ」
美女「…」