54. 為朝、南風原を落とす
■為朝、南風原を落とす
陶松壽は、深夜に為朝を訪ねてきて「利勇を殺しましょう」と切り出しました。
為朝「どういうことだ?」
陶松壽「私は前から南風原にスパイを送って利勇の様子を監視してきました。そこからの報告によると、彼は明日、王子の袴着の儀式に列席した我々を討つための準備をしているようなのです」
陶松壽「しかし利勇はおろかな人物ですし、我々がこれを出し抜くのは簡単でしょう。しかも彼は長年の暴政によって臣下にも民にも恨まれていますから、我々の行いは歓迎されるに違いありません」
為朝はこれを黙って聞いていましたが、話を聞き終わってからため息をつきました。「いや… この話、大義がない。王子の仰せを受けて利勇を討つのなら正当だが、そうでないのなら、すなわち反逆の罪を働くことに他ならないぞ。そんなことをせずとも、単に、明日の儀式に出るのをサボればよい。仮病かなにかで」
陶松壽「いいえ、民を救うためにも、利勇を討つことが必要です! 何かされる前に、こちらから先手をうたないと」
このとき、屏風の裏から二人の人物が飛び出してきて、松壽に刀を突きつけました。鶴と亀です。
鶴・亀「為朝さま、こいつの口車に乗せられてはいけません!」
陶松壽は冷静なままで、この兄弟を見上げてニヤリと笑いました。「ほう、お前たちか。こんなことをしていいのか? 落ち着いてよく考えろ」
鶴・亀「黙れ! お前の不忠不義、数え上げればいくらでもあるぞ。この場でクビをはねられて然るべきだ」
陶松壽「私が何をした。言ってみよ」
鶴・亀「父・毛国鼎は、お前の武芸の師だったはずだ。それを裏切り、お前は利勇の側について父を見殺しにした! また、廉夫人を直接討ったのもお前だし、査國吉が命をかけて我々を救おうとしてくれていたときに、お前はそれを見捨てた。これらについて、何か言い訳でもあれば言ってみろ!」
陶松壽は、鶴と亀の言葉が終わるのを待ってから、ニコリとほほえみ、話をはじめました。
陶松壽「そうだな。お前たちが疑うのももっともだ。ワケあって軽々しく人に話すわけにもいかず、黙っていた。私はな… 他ならぬ毛国鼎どのの言葉を守り、今まで、利勇につくフリだけをして、お前たちを守っていたのだ」
鶴と亀は驚きました。
陶松壽「6年前のことだ。廉夫人は、王女を救うためには自分があの場で死ぬしかないと言い、自らお命を絶たれた。私はその首を本陣に持って帰り、寧王女への包囲をゆるめさせた。また、王女を守って死んだ妻・真鶴のクビを王女のもとと偽って利勇に見せ、それでやっと王女の追跡は止まったのだ」
陶松壽「白縫さまの乗り移った寧王女が生きて見つかったときは、私が裏切ったと利勇に思われそうでヒヤヒヤしたが… それもうまく切り抜けた」
陶松壽「査國吉は忠義をつらぬいて激しく死に、私もまた忠義をつらぬくために、恥を忍びながら生き続けた。たまたま生き死にの差があっただけだ。私の今までの苦労を知ってもらおうとは思わんが、私が、死んでいった義士たちのことを平気に思っているということだけは決してないぞ…」
陶松壽は、語っているうちに色々なことを思い出し、こみ上げるものをこらえかねて絶句しました。
鶴と亀は、黙って刀をさやに収め、松壽と同じようにさめざめと涙を流しました。誤解はすっかり解けました。また、今までどれほど彼が苦しんできたか、それを想像すれば安易な言葉は出てこないのでした。
屏風の裏から、もうひとりの人物が出てきました。白縫です。目は涙に濡れています。
白縫「私も、陶松壽の今の話のことを、まだ知らなかったわ… 私が生きているのも、鶴と亀が無事なのも、みなお前のおかげだったのだね。そして、死んでいった多くの者たちのおかげでもあったのだね」
白縫「夫よ。女の立場でこんなことを申し上げるのははばかられますが、今こそ立ち上がるべきときではないのですか。6歳の王子が利勇追討を命じようが命じまいが、しょせん形式だけの話。大きな問題ではないでしょう。些事にこだわらずこの国を救うことこそが、死んでいった者たちへの慰めではないですか」
為朝はしばらく腕を組んで黙然としていましたが… かっと目を開くと、扇をヒザに突き立てました。
為朝「そのとおりだ白縫」
為朝「さっきまで私が利勇を討つのを嫌がっていたのは、松壽よ、お前を試すためだったのだ。このような大事は、よほど信用する相手でなければ、口に出すわけにはいかん。お前は今まで正しく振る舞い、そして心の底までさらけ出して話をしてくれた。お前の計画… 聞かせてもらおう!」
陶松壽は喜んでヒザを寄せ、やがていっそう声を潜めて、一同に計画を伝えました。そうしてすぐに、自分は東風平の領地に急いで帰っていきました。
翌朝、為朝は、正装に着替えて、30人近い従者を伴いながら南風原に向かいました。城門の前では、おなじようにここを訪れた陶松壽と合流しました。
正殿では、王子を抱いた阿公が、御簾の後ろで高御座に座って彼らを待ちました。王子の横には利勇もいます。為朝と陶松壽は、両側に家臣たちがズラリと並ぶ中を、しずしすと進んでいきました。幕の後ろには、たくさんの兵が潜んでいることが気配で分かります。
御簾が巻き上げられました。
為朝は、王子に拝礼の格好をとりかけて… そして陶松壽に目くばせします。この合図とともに、松壽はすばやく剣を抜くと、まず前方にいる重臣のひとりを斬りたおしました。この場の全員が騒然としました。
利勇も慌てます。「…狼藉だ! 者ども、出あえ!」
利勇がこう叫び終わらないうちに、為朝が王子への捧げ物として運んできた大きな花カゴから、鶴と亀が飛び出しました。ふたりは利勇を左右から囲んで刀を繰り出します。
鶴・亀は大声で叫びます。「毛国鼎が息子、鶴と亀が、父の恨みを返すために、佞臣利勇を討つ!」
利勇「お、おのれ」
利勇は剣を抜いて多少は応戦しましたが、二人の迫力には到底勝てません。やがて鶴の刃が、続いて亀の刃が利勇の両肩に食い込みました。利勇は後ろにドウと尻餅をつき、そうして、あえなく首を切り取られました。
為朝は、迫ってきた重臣を無造作に斬り殺し、そしてその場に立ちはだかって、鶴と亀を他の兵から守りました。
陶松壽は、阿公に飛びついて王子を奪取しようとしました。しかし、阿公は意外なほどの身軽さで身をかわし、そのまま王子を抱いて王宮の外に飛び出しました。
この場にいた家臣や兵士たちは、もう全く抵抗しません。口々に、降参します、と叫んで、その場にひざまづきました。当然ながら、利勇が死んだことで心から怒るものはいないのです。
為朝「よし、おおむね片付いたな。しかし阿公が王子をつれて逃げた。松壽、鶴、亀、あいつを追ってくれ。オレは海棠を片づける」
為朝が彼女を探して高殿を登ると… そこに海棠はいました。欄干に身をもたれさせて、眼下の花壇を眺めていました。
為朝がそこに走り寄ると、海棠はゆっくりと振り返り、「アハハハ」と大声で笑うと、そのまま欄干から身を投げようとしました。為朝は間髪を入れず矢を放ち、それは海棠の首を射切りました。
首を失った海棠の傷口からは黒い気がモヤモヤと立ちのぼり、それは凝り固まって老いた法師のような形になると、そのまま薄れて、すぐに虚空に消えてしまいました。
為朝「うむ、なるほどな。あの娘もまた、朦雲の妖術が形をとったものだったのだろう…」
こちらは、阿公を追う陶松壽たちです。阿公はイタチのような素早さで、木々の陰に隠れながら逃げていきます。陶松壽がやっとそれに迫っていくと、阿公は王子を抱いたまま、水をたたえた堀の中にドボンと飛び込みました。
陶松壽「むっ、往生際が悪い」
そのままどこに行ったのかをいったんは見失ったのですが、鶴と亀が城の外に出てみると、水門をくぐって陸に上がった、ずぶ濡れの老女が走って行くのをかすかに発見しました。
鶴・亀「母のカタキ、生かしてはおかん」
兄弟は阿公を挟み撃ちにする格好で、両側から追いました。まずは亀が追いつき、足もとをビュッと刀で払いました。阿公はこれをヒラリと飛び越え、拳を握りしめて繰り出し、亀のみぞおちに当てました。亀は苦しんでその場にうずくまりました。
阿公はさらに先へ、白髪を振り乱しながら走ります。後ろから鶴が迫りました。「逃がさんぞ」
阿公は振り向きざまに短剣を投げつけました。鶴はこれを刀のツバでとっさに弾きましたが、警戒して、走る速度は弱まってしまいました。
そのまま阿公は水際の草むらに飛び込んでしまい、あとから探しても、もうどこに行ったか見つかりませんでした。